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「日本の弓術」オイゲン・ヘルゲル述に“無私の態度”に関して、仏教の精神を取り入れてはいるもののこれさえも一概に仏教の成果と見ることはできない。その根元は元来日本の民族精神の中に求めるべきであり、しかもこれは自然ならびに歴史によって既定され、仏教と接触しない以前からすでに力づよい動きを見せていたのである。とあります。私の神仙道の源点もまさにここにあります。私は、武士道、山岡鉄舟先生、小倉鉄樹先生への憧れが源点です。鉄舟先生も鉄樹先生も禅家で武士道もその根底には禅の教えがあると思っていましたが
昨年末何故か大がかりな断捨離をしましたが、その際、祝詞を書いた紙が何枚も出てきました。こうやって祝詞を覚えたんだったな。と懐かしく思い出してん。😊私は、山岡鉄舟先生、小倉鉄樹先生に憧れ、私も少しでも先生方に近づきたくて産土神社に参拝を始めました。最初は“私も鉄舟先生、鉄樹先生のような立派な日本人になれますように”と産土大神にお願いして帰っていたのですが、そんなお願い事も忘れ“もっと長く産土様のお側に居させてもらいたい”と思うようになり祝詞を覚え始めました。最初に覚えたのが、前回紹介
小倉鉄樹先生は、山岡鉄舟先生の一番弟子😄…というわけではなかったようですが😶、何故か鉄舟先生から可愛がられたそうです。🥰私にとっての神仙道は、女仙、師仙から最も愛されるためのものでした。🥰が…😶「兵法家伝書」には一筋是ぞとて胸にをかば、道にあらず。胸に何事もなき人が道者也。とあり、😬「猫の妙術」には汝の和といふものは、自然の和にあらず、思うて和をなすものなり。とありますので😔、一回、一回の神拝を人生かけてぶっ倒れる覚悟で行ってきたのですが、今は、「兵法家伝書」「老子」等を教科書にひたす
私は、宮地水位先生の事を知る前、山岡鉄舟先生、小倉鉄樹先生に憧れていました。🥰鉄舟先生の事を知る事が出来たのはこの本のお陰。私にとっては大切な本です。😊私が水位先生の事を知る事が出来たのは、鉄舟先生、鉄樹先生のお陰でもあると思っています。お二人共禅を極めた方ですが、鉄樹先生は門人の方にトホカミエミタメを唱えるよう指導されていましたが、私も曾て三種太祓を自宅と神社で繰り返し唱えていました。鉄舟先生の流れを継承された大森曹玄先生は確実に宮地神仙道と関係があり、私の感は間違っていないと思
”ちきをせんざいのもとにまつ”と読む。うろ覚えだが、”自分のことを理解してくれる人は千年後に現れるだろう”と言う意味だと思う。私はてっきりこれは我が尊敬する山岡鉄舟の言葉だと思っていたが、世間では勝海舟が言ったということになっている。何故山岡鉄舟の言葉かというと、当時の頭の固い古い武士は、「二君に仕えず」に固執して、徳川に仕えていた山岡鉄舟が新政府に出仕したことを激しく非難した。山岡鉄舟は、慶喜が新政府に恭順の意を示した以上、新政府側のたっての願い(山岡に新政府に入って
前回に引き続き、「兵法家伝書」から私の座右の銘の一つ“水月”に関する記述を紹介します。意の速かなること水月鏡像の如しただとをき天の上から、間もなくそのままうつると云ふ心也。鏡にうつるかたちも、何にても物がむかふとはやうつる也。すみやかなと云ふたとへなり。人の物にうつる事、此の如き也。とろとろまどろみ入るよとおもへば、千里の外の古郷へも夢は行く也。か様に心のうつりゆく事を、水月鏡像にたとへて仏は説き給ふと也。「兵法家伝書」の中に柳生宗矩先生は法の師の示しをうつけてここに記す者也。とあ
言葉の「氣力」が人を動かす/藤平光一Amazon(アマゾン)148〜1,998円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る★★★★★やっぱり素晴らしい、藤平光一先生の本。2年間もご無沙汰してしまっていた。心に沁みわたる話ばかりであったが、今回はここか。さて小倉先生の思い出は尽きないが、鉄樹先生の名言をもってこの項を結ぼう。「なくてならない大事な品だが、股ぐらの間に隠れて、ひとの邪魔にもならず威張りもせず、人間もきんたまのよ
前回の「運」に関する話の続きです。😊今回は私が宮地神仙道の師仙に次いで敬愛する山岡鉄舟先生の話です。🥰以前もお話しましたが、私を宮地神仙道に導いて下さったのは産土神と山岡鉄舟先生、小倉鉄樹先生だと思っています。世間一般には江戸城無血開城は西郷隆盛翁と勝海舟翁の会談に寄るものと思われていますが、実際には、その会談の前に西郷翁と鉄舟先生の下交渉によるお膳立てにより成ったと言っても過言ではありません。鉄舟先生は官軍本陣に益満という薩摩藩士と共に向かわれたのですが、本陣に着いてからの第一声が実に
以前からいつか書きたいと思っていたのですが、今回は得仙秘文の話はお休みして、「運」について神仙家の立場から考えてみたいと思いますので、べっぴんさんも一緒に考えてくれると嬉しく思います。🥰今回は、私の話。😘次回は私の教科書、小倉鉄樹先生の「おれの師匠」から山岡鉄舟先生の話。最後に「仙界真語」を紹介したいと思います。以前一度お話したのですが、私は学生時代友達とふざけて全速力で自転車で追いかけっこをして車と喧嘩をしました…。😱自転車で全速力で車に衝突し、😱宙を舞ったので、その瞬間最悪死を覚悟しま
突然ですが、「俄」司馬遼太郎著「清水次郎長」「国定忠治」高橋敏著を読み返し、どうしても好きな侠客の事を書きたいので、神仙道と並行して紹介します。私が一番好きな侠客は国定忠治親分ですが、今回は清水次郎長親分の話です。べっぴんさんは、こんな話好きじゃねぇだろうなぁ…。まぁいい、どうしても書きたいで…書きます。是非ハ即チ我レ知ラズ。然カモ此輩皆命ヲ国家ニ致ス者ナリ。如何ゾ之ヲ魚服ニ餧(まか)セン人ノ世ニ処ル、賊トナリ敵トナル。悪ム所唯其生前ノ事ノミ。若シ其レ一タビ死セバ、復タ何ゾ罪スル
5月8日(金)辛亥六白今回は「無病長生法」川合清丸著から山岡鉄舟先生の話を紹介します。仙術は實に面白き事にて、山岡も大賛成なり。同氏も毎日實践致被申候。鐵舟居士の咄しに、上野の天海長老は百七十歳にて没せり。其の遺書に日く、余は無々道人に逢て不老不死の術を受く想ふに此の無々道人も一の仙客にて、所謂不老不死の術とは足下の河野より傳授せしもの是なりと神仙の上天等の如きも、小生一家の説あり。鐵舟居士へ質し候に、同論なりし。鐵舟居士は断然飲酒を廢し(酒は随分好きにて、二
明治26年に佐倉孫三氏は『山岡鐵舟傳』を出した。その彼が40年ほど経た昭和10年に『徳川の三舟』を刊行している。80頁あまりの本だ。ちなみに小倉鉄樹氏の『おれの師匠』は昭和12年。この『徳川の三舟』の中で、まず目を引くのは、佐倉氏が山岡鉄舟や高橋泥舟に会っているらしいことだ。佐倉氏は、小倉氏と友人関係だったことが縁となって、鉄舟や泥舟と知り得たと思われる。勝海舟については面識があったかどうか分からない。佐倉氏によると、鉄舟の場合、「…(鉄舟は)自邸に春風館を建て、剣法を教授した。其際余は屢々
山岡鉄舟の“女人修行”はよく知られている。その鉄舟の内弟子だった小倉鉄樹は新宿の「藤岡」なる貸座敷に、1ヶ月分の遊興費を前納して下宿したことが『おれの師匠』に記されている。鉄舟は自分の経験からだろうか、人にも修行(?)を進めていたようだ。そんな話が、本山荻舟の『近世剣客伝』に紹介されている。ある父母が鉄舟のところへ相談に来た…。---------------------ある名門の道楽息子が吉原へばかり入浸ッて、父母の意見も聞き入れぬとて、説諭を頼まれたことがあると、よしよしと、快く引受けて
小倉鉄樹は山岡鉄舟の内弟子として知られている。その小倉鉄樹は『おれの師匠』の中で、もう一人の内弟子の名前をあげている。権田雷山だ。しかし、この権田雷山については、わずか1行ばかりしか触れていない。私はこれ以上のことは知らない。その部分を引用してみたい。「師匠の内弟子で今生き殘つて居るものは、俺の他には茨城縣大貫町に住む權田雷山だけになつてしまつた」(『おれの師匠』5頁)『おれの師匠』が刊行されたのは昭和12年のこと。小倉鉄樹と権田雷山は、この頃まで、何らかの方法で連絡を取り合っていたことが
積金以遺子孫金を積み以て子孫に遺す子孫未必守子孫未だ必ずしも守らず積書以遺子孫書を積み以て子孫に遺す子孫未必読子孫未だ必ずしも読まず不如積陰徳於冥々之中如かず、陰徳を冥々の中に積み以為子孫長久之計以て子孫長久の計と為さんには此先賢格言これ先賢の格言にして乃後人亀鑑乃ち後人の亀鑑なり是は山岡鉄舟先生が英子夫人の「せめて御教訓になることでも御残し置き願ひとうござ
今週三日間寝込んでしまいました。食欲がなかったので、一食抜いて只管寝ていました。私は一日一食なので、一食抜くと48時間食を断つことになります。最近“男の二合飯”という言葉に憧れ一食に二合食べていましたが、今迄通りご飯一合味噌汁、漬物、胡麻に戻しました。私の食の教科書は池波正太郎「剣客商売」、ルイジ・コルナロ「無病法」、水野南北「食は運命を左右する」、小倉鉄樹「おれの師匠」、山本周五郎「油断大敵」等です。この中から私の好きな箇所をいくつか紹介します。何か皆さんの
先日の己巳の日に厳島神社に参拝してきました。私は、己巳の日には、厳島神社へ参拝します。これは大女仙様との永遠の約束です。宮地神仙道には、ある大女仙の御神像図が伝わります。この大女仙は厳島神社の大女仙と一身分体といわれている大女仙です。どうしてもこの御神像図が欲しくて、巳年、巳月、巳日、巳刻に厳島神社の御掛軸をお受けして自宅にお祀りし、己巳の日には厳島神社にお参りして祈念したところ速やかに願いをお聞き入れ頂いたのみならず、その他の大女仙に関する秘符をお授け頂きました。私に
私は、宮地水位先生を心より尊崇しています。水位先生の事を思うだけで、御著書を手にするだけで、胸が一杯になります。私の神社参拝のきっかけは、山岡鉄舟先生でした。山岡鉄舟先生のような立派な日本人になりたくて、神社へ参拝を始めました。座禅を始めたのも鉄舟先生への憧れからです。今でも、山岡鉄舟先生を尊敬しており、先日「高士山岡鉄舟」を古書店で購入しました。本の好きな私は、水位先生、鉄舟先生の御著書を抱きしめるようにして家の中を移動しています。しかし一体何方が私を宮地神仙道へと導いて下さった
先日のブログで、私はお米、お酒の神仙、倭大物主櫛𤭖玉大神を信仰し、我国独自の神仙道確立を目指す為、辟穀はしない、と言いましたが、身体浄化の為何もしないわけではありません。私の食事は一日一食で、ご飯一膳、胡麻塩、わかめの味噌汁一杯に沢庵2,3枚にお酒を小さな湯呑一杯です。私が、このような食事をする理由を列記します。私は、全てを神仙にお預けしていると度々申し上げていますが、その中に身体の事も当然含まれています。身体の事を全て神仙にお任せするからには、いい加減な食事は出来ません。私の考える日