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⬆️たまに神社に呼ばれる私。その不思議はほかにもあった。一昨年、初詣へ行く途中の神社がなぜか氣になりお詣りしてみたらなぜかしっくり来た‼️✨✨すっかり忘れていたけどその神社の脇にある公会堂で私、小学生から中学生までの1年間、習い事をしていたのです🤭そして今回の帰国でまた新たな父方のルーツ発見‼️鎌倉幕府の以前より鎌倉で地主を営んでいてパワーがあった父方の家系。「もしや頼朝を支えたのでは⁇🧐」と長年、両親と推測していた通り、先祖が頼朝を支えた文献が出てきて‼️
名前が出たので、書きたくなった🍀私の一番好きな武将ですとにかく、異色で、興味が尽きない一生独身とにかく、戦に強い「義」に厚い既に名ばかりの関東管領や将軍家への律儀さ「利」が無いのに⁉️戦いに臨む姿勢普通武田信玄を敵とするかと思う頼ってきた武将の領地を取り戻すために戦を始めるとは、エネルギーに溢れていると、解釈したい続く
本郷三丁目駅で降りて引き取りに来たのですが、地図を確認すると、東大が直ぐ近くです。前を車で通り過ぎたことはありますが、徒歩で来たことがありませんでしたので、有名な「赤門」を見にちょっと寄ってみました。緑の中に品格のある朱塗りの立派な御門が現れました。その昔、ここは加賀前田家のお屋敷で、将軍家から前田家に嫁いだ姫さまの為に建てられた門ということでした。葉っぱで見辛いですが、前田家の紋、ウメバチが瓦に見えました。
鷹狩は家康の健康法でもあった徳川家康の鷹狩好きの影響で、何事も「先例重視」の将軍家では、その後、幕末まで「鷹狩」の伝統が引き継がれてゆきます。その経緯は好著『鷹と将軍』(岡崎寛徳)に詳しく、これをもとに江戸期の「鷹」事情を見ていきましょう。慶長12(1607)年、将軍職を息子・秀忠に譲って駿府に隠居してからの家康(当時66歳)は、鷹狩三昧の日々を送ります。関東・東海地方のお気に入りの「御鷹場」に出かけ、雁や鴨を捕獲しては、その場で料理して近習衆にご馳走しました。中でも白鳥や鶴は最大の
前回まではこちら⬇️目次世は争乱…我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。我が母、日野富子(ひのとみこ)の居る小川御所を出た細川政元(ほそかわまさもと)と紗奈(さな)は我の居る伊勢貞宗(いせさだむね)邸に向かった。政元は富子の命にて我に会いに向かっていたのだ。政元「御所様は御台様(富子のこと)、大御所様(足利義政〔あしかがよしまさ〕のこと)と仲違いし、家族はバラバラだ…後継ぎがいても、この有様では妻を持つことに疑問を感じる…。」紗奈「はい…されど殿は
前回に引き続き、マイナー将軍10代家治。父家重が言語不明瞭の為、祖父吉宗から英才教育を受ける。だってお父さんの吉宗も、実子家重の言葉が分からないから(笑)何も教えられないよね。孫に託すしかない。将来を嘱望されながらも将軍になってからは、父の遺言に従い田沼意次に、幕政を任せる。前回書いたけど父家重は、家臣の能力を見抜く力は凄い。ある意味優秀な家臣に、幕政を任せた家治も名君かもしれない。田沼意次知ってるかな?悪名高い人物です。だがしかーし
〇史談会は国事に斃れた志士などを称揚し、請願によって政府に贈位などを働きかけています。文部省の外郭団体のような性格の会と思います。談話者の松平正親は松平太郎の子息と記載されています。松平太郎は幕末の陸軍奉行並、終始戊辰戦争を戦い函館まで榎本武揚と行動を共にしました。大正三年の談話です。●しかるに、加賀以下は全然臣下の待遇であるから通常「御加」がない。のだと説明せられた。この竹内と申す人ははじめに御坊主を勤め後に松平出雲守の下で京都見廻役になった者ですこぶる読書力を有し、記憶力の絶倫の人で
〇史談会は国事に斃れた志士などを称揚し、請願によって政府に贈位などを働きかけています。文部省の外郭団体のような性格の会と思います。談話者の松平正親は松平太郎の子息と記載されています。松平太郎は幕末の陸軍奉行並、終始戊辰戦争を戦い函館まで榎本武揚と行動を共にしました。大正三年の談話です。●しからば、従五位下何の守の位記口宣(位記を伝達する文書)はいかなる手続きを経るかと申すに、将軍家は少将でも侍従でもことごとく将軍家の御直命であって、その後においてこれを京都に奏上しますと、前にさかのぼった
去年、東京にある息子の事務所へ行った際息子は東京タワーを見たいと言うのでそこで、東京タワーが見える芝にホテルに宿を取り夕暮れから東京タワーへ散歩に出かけました。東京タワーといえばここ!増上寺。タワーまでは行きは黒門手前から明徳幼稚園に出ました。帰りは徳川家将軍家墓所から西向観音やお地蔵を横目に宝物展示室の前を通り三解脱門.三門から出てこの黒門へと回りました。日が暮れると流石に怖いようで近くことができないようでしたけど(笑)私も大好きな東京タワー。タワーを見なが
昨日は子どもの日でしたね北海道ではようやく桜が見頃になる時期です。パパと初デートしたのはちょうどこのくらいの時期でした。(どうでも良い情報)笑兄の結婚式に出席するついでに、地元に久々に帰っていたので、パパもGWということでたまたま家も近いし、ということで決まったのですねぇ。いろいろと春の心地が感じられる時期なので、何か新しいSTARTをきるにはとても良いタイミングのような気がしますね。こんな感じで、昨日は公園へ行ってきました。こどもたちの賑わいを感じられました。大人たちは花見代わ
たとえば十二代将軍の家定は、精神が弱くて明らかに能力に欠ける人物と言われています(篤姫でやってた堺雅人は違ったけど、西郷どんの又吉直樹はなかなかすごかった)。どうして、そういう人物でも将軍になれるのか。てゆうか、なっても平気なのか。平気なんですよ、江戸幕府というのは。徳川家康が、孫二人のうち有能な忠長を退け、無能な家光を将軍に定めて以来、「将軍も大名も、序列が絶対、能力も体力も関係ない」という大原則が出来上がったんです。これを崩せば必ずお家騒動になります。将軍家のお家騒動というのはすなわち
三つ葉葵の家紋天下御免将軍家許可水戸黄門しか思いつかない裏面は何度か目にしたこのタイプ赤富士と、同じです
法多山名物【厄除団子】がケンミンショーに出て行こうよく見かけるが静岡県民ながら、三島出身のわたしは食べたことがない今度行かないと!百五十年の余を超えて将軍様に名付けられ今の世に続く「団子(だんご)」の物語江戸時代には、毎年正月に幕府の武運長久、天下泰平、五穀成就の祈祷を奉修し、祈祷ご符と当地名産品を献上する習わしがありました。十三代将軍家定の頃(1854)に、門前に住する寺士八左エ門の発案による観世音名物団子が登城の土産に添えられ将軍家より「くし団子」と御命名を賜り、以来150年
将棋は江戸時代でも人気のゲームで、幕末から明治・大正時代に活躍した十二世名人:小野五平は、江戸時代の様子を次の様に語っています。元来,将棋というものは昔から誰方でも知らない人は無い、一寸床屋へ参っても盤と駒は備えてあると言った工合で、先ず駒の行途を知らん人は無いと申してよろしい位。誠に上にも下にも極りの無いのでございます。然し昔は何しろ大したものでした。将軍家でさえ八段を指した方があった位ですから、十代の将軍です。上を見習う下で、其時将棋の流行するのは又一方ならんので
松陰神社から世田谷区役所に歩いていくと国士舘大学がありその先に足をすすめると勝国寺坂とよばれる急坂があります。その脇に室町幕府の将軍家足利氏の将軍家連枝(親戚)として世田谷城主吉良氏の祈願所として作られた勝国寺があります。とはいえ、由緒を記すものは空襲などで焼失し、武蔵国風土記にわずかに残るものです。訪れたときは桜がありました。奈良の長谷寺に本山を持つ真言宗豊山派のお寺です。本尊は不動尊です。以前の寺の名は丸香山薬師院と言って薬師如来を祀っていました
ご来訪ありがとうございます。最近、人気が出てきました吉田鋼太郎さん。今度は柳生宗矩ですよ!<柳生一族の陰謀>「麒麟がくる」松永久秀役が話題の吉田鋼太郎主演豪華キャストも集結4/11(土)13:40配信0NHK・BSプレミアムで放送のドラマ「スーパープレミアム柳生一族の陰謀」(C)NHK深作欣二監督の映画「柳生一族の陰謀」(1978年公開)を、吉田鋼太郎さん主演でドラマ化した「スーパープレミアム柳生一族の陰謀」が、NHK・BSプレミアムで4月11日午後9時~同10時29分に
1549年秋松平竹千代と織田信広の人質交換がなり、一挙に三河まで支配下におさめた今川義元と織田方との激しい戦が始まろうとしていた。美濃では軍議の席で斉藤道三が家臣たちから濃尾同盟の失敗を責められ突き上げられていた。国衆からも尾張を守るための援軍は送れないと言うことで斉藤家は不戦と言う立ち位置と決まった。道三の指示で尾張の帰蝶を訪問した光秀。信長や帰蝶との雑談の中で事態の解決策として将軍家の仲立による講和があるのではないかという話にふくらみ、帰蝶からも思案のし
大河ドラマ『麒麟がくる』第11話再放送織田信広と松平竹千代の人質交換が行われる事になりました。すると尾張の知多半島に今川軍が攻め込み、予想通り織田側が劣勢となっていきます。どんどん病状が悪化していく信秀。そこで、織田家の家老・平手政秀が、利政に援軍を頼みます。利政は、織田と今川の戦に巻き込まれたくない為、返答に悩みますが、「米は送るが、兵は送れない」という結論に達し、その返答する役目を十兵衛に命じます。気が重いまま、十兵衛は平手政秀に利政からの返答を告げるのでした。不服そう
大河ドラマ『麒麟がくる』第11話織田信広と松平竹千代の人質交換が行われる事になりました。すると尾張の知多半島に今川軍が攻め込み、予想通り織田側が劣勢となっていきます。どんどん病状が悪化していく信秀。そこで、織田家の家老・平手政秀が、利政に援軍を頼みます。利政は、織田と今川の戦に巻き込まれたくない為、返答に悩みますが、「米は送るが、兵は送れない」という結論に達し、その返答する役目を十兵衛に命じます。気が重いまま、十兵衛は平手政秀に利政からの返答を告げるのでした。不服そうな平手政
ようこそお立ち寄り下さいましたありがとうございます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶意冨比神社さんの境内には本社を創始した日本武尊本社を崇敬した徳川家康(東照宮様)家康公と井伊、本多、酒井、榊原四将を祀った徳川秀忠公と歴代将軍家を御祭神とする常磐神社があります(^^)社伝によると船橋太神宮には伊勢太神宮と東照宮が祀られ関東一のありがたいお宮で伊勢日光を参拝したも同じことだと(__)(人)他の神域を訪問してもあまり東照宮は参拝しないのですがこの常磐神社さんは煌びやかさに邪魔さ
■桜田門外の変147年前の今日、1860年3月24日は、歴史上名高い桜田門外の変が起こった日です。桜田門外の変は、日米修好条約締結や開港政策、それに安政の大獄などによる倒幕派への強圧的な政策をとり続ける大老井伊直弼への不満から、水戸・薩摩の浪士が井伊大老の登城を狙ってこの行列を襲撃、井伊大老を暗殺した事件です。襲撃に加わった者は、水戸藩十七名(うち一名は総指揮で、襲撃実行部隊には参加していない)、薩摩藩一名。襲撃によ
にほんブログ村↑そらちゃんの写真にクリック応援よろしくお願いいたします更新の励みになります神田川お花見散歩桜🌸写真レビュー源平桃シデコブシサクラソウ淀橋は徳川三代将軍家光が命名しました江戸時代から歴史ある橋ですこの一帯は将軍家のお鷹狩り場でした淀橋を渡って神田川遊歩道に入ります川沿いの桜が川に垂れてキレイでした神田川遊歩道近くに[新宿村West]があります劇団の練習スタジオや劇場がありますおやつに丸ちゃん正麺の醤油味ラーメン🍜を作りました😅そらちゃんはお留守番でお
「ちちうえー!」「おお、塩法師丸。どうした?」「あのね、また鞠であそんで欲しいの!」「そうかそうか。また、庭にでも行くか?」「殿。評定のお時間ですが。」「よい。今は塩法師丸との時間が大事じゃ。・・・少し遅れると皆に申せ。」「はっ!」1533年。この頃。大友義鑑は菊池家と激闘の後、大内家に豊後まで蹂躙されようとしていた。勢場ヶ原の戦いである。大内軍は虚報を使って大友軍を翻弄。勢場ヶ原を抜け、大村山へ進撃する。これに血気盛んな吉弘氏直が突撃。死闘となる。氏直は武勇に優れ
徳川家光は、父秀忠と母江与に嫌われて、弟に地位を奪われそうになったけど、乳母春日局の大活躍のおかげで将軍になれた、という物語が、よく語られますけど。春日局は家光を将軍にするために貢献したのは確かですが、春日局がいてもいなくても、家康の目が黒いうちは家光が廃嫡されることはありません。御家騒動を防ぐための長子相続の確立は家康の強い意志であり、これは何があろうと動かせない決定事項です。春日局は、いわば家康の送り込んだ管理官であり、秀忠が変な気を起こさないように監視報告をする役目です。そのとおり
いつもブログを読んでくださり有難うございます。城跡で日本を元気にする為、城跡で地域活性させる歴史エンターティナークリエイターの原一六四です。今回は「戦国大名の家臣」シリーズをお送りいたします。大河ドラマ「麒麟が来る」この先が楽しみですね。遂に明智光秀が織田信長に会いますね。この後、どうなっていくのか楽しみですね。今回は足利家の家臣をお送りいたしたいと思います!!では、張り切っていってみましょう!!【戦国時代に活躍した、もう一人の道三】今回は、戦国時代に活躍し
おはようございます。もうすぐ晴れそうな曇り空で、気温は10.8℃です。新型コロナウイルス(略して「新コロ」というそうです)で、今日から学校が休みになるとか。子供たちは日中遊びに行くのかな?さて将軍シリーズも最終回です。将軍になるための条件ですが、第一に家康の血を引き継ぐ直系男子です。そして将軍家が絶えた時には尾張家、紀州家から同じ条件の後継者を選びます。5代将軍綱吉は甲府徳川家ですが、これは家光の血を引く直系だからです。ちなみに御三家のひとつ、水戸家は含まれません。家康
ぶらり散歩【浜離宮恩賜庭園】浜離宮恩賜庭園は元は将軍家の鷹狩場で何年もの歳月をかけて池や庭を造り今の形になりました。海の近くの庭園なので、水上バスも泊まり海と庭園が一緒に見られるのが特徴です。今の時期は菜の花と梅が満開でした。高層ビルと菜の花という組み合わせもこの庭園ならではですね😊
おはようございます。来週から全国の小中高校が春休みまで休校になるそうで、こりゃ遊び呆けるガキが出そうな気がします。まさか部活はやっているとか・・・。今朝の気温は5.2℃、天気は晴れです。さて毎週日曜日の午前6時からNHKのBSで「葵徳川三代」を放送しています。(もうすぐ終わります)初代から三代までのストーリーですが、皆さんは他の将軍をいくつ知っているでしょうか?そこで僭越ながら私的に有名な将軍を考えてみました。第一位徳川家康(いえやす)初代将軍ご存じ幕