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「英勝寺&寿福寺(神奈川・鎌倉)」英勝寺は以前、竹林で大混雑する報国寺の代わりの穴場として、ガイドブックで推薦されていた。確かに良い竹林があり、尚且つ、北条政子&源実朝の墓がある寿福寺と隣り合わせなので、一気に攻略すべき場所かと。どちらもいい感じのお寺だ。そして今は大変空いていて、ゆっくりと楽しめる。
この日、最後の札打ちになります矢上の観音寺から北加瀬の壽福寺まで歩きます750メートル11分の道のりですが、雨降ってるのでもう少し掛かったかと思います川崎市幸区北加瀬の壽福寺の寺号票山門お地蔵様鐘楼堂と愛らしいお姿のお地蔵様手水舎准秩父三十四観音霊場の幟旗と正面に本堂壽福寺の縁起は前回、浄土宗寺院巡りで来ているので、そちらで確認して頂ければと思います↓回向柱とお手綱本堂雨なので扉は閉まり気味ですが、拝観する時はお堂を開けて下さいました本堂扁額如意輪観音菩薩と地蔵菩薩
烏森稲荷神社(目黒区上目黒3-39-14)(主祭神)蒼稲魂命(倉稲魂命)(社格等)ー(旧上目黒村宿山組の鎮守社)(沿革等)創建年代不詳。由緒について①下馬引沢村(世田谷区下馬)の新堀新左衛門が寿福寺境内にあった稲荷神を移した、又は②宿山稲荷講が新橋烏森稲荷を参拝した時に狐が白い馬になりついてきたので祀ったとするものがある。旧別当寺の寿福寺が明治8年に本堂等を焼失したため当神社の由緒も不明な点が多い。*新編武蔵風土記稿「上目黒村」【稲荷社】除地5畝15歩。小名宿山組に
仙谷山壽福寺せんこくさんじゅふくじ準西国稲毛33観音霊場準西国稲毛33観音霊場巡礼❗️仙谷山壽福寺へ第4番の壽福寺ですが…京都·奈良の有名なお寺のような大物感(変で失礼かもですが)あるお寺でした壽福禅寺壽福寺、壽福禅寺と言えば鎌倉五山のアノ壽福寺をついつい思い出してしまいますね山門までの参道…とにかく大物感スケールが大きなお寺…ちょうどツツジが美しい時期でした山門あれ、指が写ってしまった境内の気がなんというか高波動で…歩いているだけでメチャ気持ちが良
ということで鎌倉ツアー、銭洗弁財天でお金を洗ってお参りした後は、鎌倉駅方面へ戻って寿福寺へ行ってきました。場所はこちら。https://maps.app.goo.gl/BqEhY9yCmsP3RmDQ8寿福寺は、1200年源頼朝の妻である北条政子が頼朝の死後、頼朝の父である義朝の旧邸跡に明庵栄西を招いて創建した臨済宗建長寺派のお寺で、鎌倉五山第三位になっています。栄西が書いた「喫茶養生記」という本が寺の宝物になっているそうです。さらに、創建した北条政子と息子の実朝の墓といわれるお墓
鎌倉在住の先輩からグループLINEにお散歩のお誘いこの季節鎌倉といえば『明月院』の紫陽花なんだけど『鎌倉市観光協会HP』明月院はめちゃくちゃ混んでるらしいので今日は穴場のお寺さん巡り13時鎌倉駅に到着🚃激混みの小町通りや鶴岡八幡宮とは逆方面へ最初に行ったのは『寿福寺』さん山門からの景色が素敵一歩入ると空気が違うね観光客誰もいませんwこの場所に大田道灌さんが
北条政子の供養塔が鎌倉市の寿福寺と安養寺にあります。(寿福寺政子供養塔)寿福寺は源頼朝の菩提を弔うため、頼朝没の翌年(1200年)建てられました。鎌倉末期から南北朝時代の造立と考えられる五輪塔が、丘陵を削った崖面の「やぐら」内に納められています。(安養院政子供養塔)安養院も頼朝の菩提を弔うために建てられました。1225年に建てられた長楽寺が前身です。南北朝期に建てられたと考えられる宝篋印塔の基礎には、「一位政子御法号安養院殿如實妙観大禅定尼嘉禄元年七月十三」と彫られて
5月25日(月)、愛知県から帰省中の義姉夫婦とお出かけしてきました。義兄のリクエストでやってきたのは⋯栄久山寿福寺長崎県佐世保市江迎町長坂276『逆さ紅葉』で有名なお寺ですが、新緑も綺麗なんですってこの日が公開される最終日ということで、ギリギリ間に合いました♪ず〜っと階段が続いてそうです我々は車で駐車場まで上がってきましたが、参道にはお地蔵様が並んでいるようですね。『水かけ地蔵まつり』というのが有名なんですね。子供たちが木彫りのお地蔵様を神輿に乗せて嘉例川へ運び、お地蔵様を川
通りすがりに…
昨日は友達と『大人の遠足~行ったことのない鎌倉を歩く~』でした。元々は高尾山か奥多摩か青梅辺りに行こうかって話が、熊のニュースで心配になり行く先変更。アクティブからガラッと変えてのんびり散歩がてら鎌倉を選んだのに...蓋を開けたら高尾山よりハードな山歩き遠足になりました私が銭洗弁財天に行きたくてショートカットに化粧坂なるルートを選んだのが発端\(__)私が家に着いた時の総歩数は驚異の22,542歩。←半分は山疲労困憊です。鎌倉滞在時間は短いのに長いブログですがお付き合いください2
こんにちは(^^)今日は暑いですね🌞まだ5月というのに、この気温にはまいってしまいます💦先週の土曜日に東京に住む娘が鎌倉にやって来ました。夕方、お友達と横浜で待ち合わせして音楽コンサートに行くみたい🎹久々に鎌倉でランチをして新緑を見ながら散歩しました😊鎌倉、扇が谷に有る古民家レストラン「SASHO」さんでランチしました。昔、財界人の別荘を受け継いでレストランにした「佐生」さん。完全予約制で、ゆったり食事が楽しめます。メニューは、すき焼きとシャブシャブの2種類からどちらかを選びま
神仏習合時代は別当や俱僧が神主の上におり、鶴岡八幡宮寺を統括していました。鶴岡八幡宮は明治維新に伴う神仏分離令により別当や俱僧の支配(鶴岡八幡宮寺)から脱却しました。その時俱僧の中から僧籍(※)を捨てた筥崎博尹(はこざきひろただ)が初代宮司に就任し、寺領を失い困窮する鶴岡八幡宮の立て直しに尽力しました。※俱僧神社でお経をあげる僧。神仏習合だった江戸時代は神職も戒名の刻まれた仏塔が一般的で、寺内に営まれる事もあれば寺外に営まれる事もありました。そんな中、有力大名であった保科正之
寿福寺こちらには北条政子と北条実朝のお墓があります知らずに歩いていたら丁寧な看板があり知りました写真ほど明るくなく誰も通っていなかったためすでに冒険気分にーのぼりきった場所に墓地があり北条政子と実朝のお墓は崖沿いのやぐらにありましたこのやぐらがお昼でも結構コワイですドキドキしながらおそるおそる近寄りこここにあの!日本人ならほとんどの人が知っている北条政子さまと実朝さまが!!というワクワク感もあいまって足をかくんかくんさせながら🦵🦵さらに近づきお参
穴澤天神社を一通り見て、次は境内のこの階段から山に入って行く。8段程登った所の足元に、右に進むと、目指す小沢城跡である旨の案内が転がっている。山の中を少し登ると、今まで登って来た坂が天神坂という名前である事が、辛うじて読み取れる木製の標識と稲荷の祠が建っている。この周辺一帯が小沢城址であるようだ。小沢城は「新編武蔵風土記稿」によると、鎌倉時代初頭には既に存在していたそうだ。源頼朝の重臣として活躍した稲毛三郎重成の子で、この辺りを支配した小沢小太郎の居城だったとの事。丘陵地
こんにちは。鎌倉雪ノ下AtelierJasmineの元松尚美です。ゴールデンウィーク始まりの4/29。孫っち1号くんと2号くんを連れて、ぶらり散歩。川喜多映画記念館〜永勝寺〜寿福寺〜正宗永勝寺さんに白藤を見に…白藤も見頃。曇り空がちょっと残念…竹林ではたけのこがニョキニョキ。そして寿福寺さんへ。苔が美しく🥰そこからぐるっとお散歩。鎌倉駅西口から小町通り方面へ…そこで‼️レア体験。あの刀の正宗紹介│正宗工芸美術製作所鎌倉時代に相州伝を完成させた刀匠「五郎入
お花を観れるタイミングは難しい咲く時期天気予定🗓️特に天気には泣かされるだから毎年観れるとも限らないから行ける時は行く・・精神昨日は友達と鎌倉散歩尼寺英勝寺さん昨年秋に藤棚を増やしたと聞きどんなかなっておー♪房も長く元気!ガラスに映る藤棚お高そうなカメラを持った方がこの画角で撮られていたから真似してみたwキレイ〜✨たけのこも竹に成長⤴️立派な山門
さて、寿福寺をランドマークとして、ここからいよいよヤマスタスタンプラリーの鎌倉ハイキングスタート!と勇み立ち、寿福寺脇から山道に入ろうと試みるも…………ん?「進入禁止」?どうも私有地っぽい。とは言いつつ、ちょっと失礼して進入させてもらい、様子を伺ってみた。柵を挟んですぐ隣にも何やら遊歩道っぽい物が見える。あ、成る程!お寺の境内を抜けて行くのか!と、寿福寺の総門を潜り、境内へ。本堂であろうか?建物に突き当たる手前で左にクランクして進む。下の地図の「寿福寺」の福の字の辺りが
2月からの公演ラッシュが一段落して、やっと時間に余裕が出来た。陽気もいい。と言う訳で、去る4月22日、久し振りに山歩きに出掛ける事にした。例によってヤマスタのスタンプラリーに乗っかってみる。今回は『鎌倉ハイキング』。下の地図をご覧頂ければ分かる通り、こちらは厳密なコースが決められているという感じではないようだ。ある程度コースは決まってはいるが、順路は特にない。チェックポイントに番号が振ってあるが、それも私が付けた物で、「この順番で回れば効率が良かろう」という思いで決めた
じゅふくじ壽福寺2026年午歳准秩父34観音霊場十二年に1度の御開帳…1番〜11番参拝を終えて第2弾巡礼開始❗️13番岩屋堂参拝後は14番壽福寺へ❗️壽福寺に到着しました壽福寺と言えば鎌倉五山の壽福寺の印象がとても強いです山門何やらお空が騒がしい境内へ一言、「素晴らしい」威風堂々、荘厳かつ綺麗なお寺です❗️准秩父午年開帳観世音菩薩霊場の赤い幟…何度見ても興奮しますね鐘楼本堂…よく見ると…寺額の位置を修正している模様…お寺の方に「どうぞお上がりください
源氏山公園と寿福寺2009年12月2日の鎌倉散歩をご紹介しています。2009年12月2日の鎌倉散歩➉をご紹介しています。銭洗い弁財天を見学の後、紅葉に誘われて源氏山公園に回りました。▲源氏山公園風景公園の散歩道を歩きながら、紅葉を楽しみました。▲園内の源頼朝像紅葉に囲まれて源頼朝像が現れました。なるほど「源氏山公園」ですか。▲源頼朝像にズームイン凛々しいお顔ですね。▲源氏山公園の遊歩道を歩く▲遊歩道から時々見える鎌倉の風景遊歩道の隙間から時々見える風景は、やは
準西国稲毛三十三所札所巡りで寿福寺を訪れた時に、寿福寺が多摩川三十四所札所の札所1番を兼ねることを知る。多摩川三十四所観音霊場も午年の今年が御開帳。開帳期間は4月18日から4月28日と、準西国稲毛よりさらに短いが、この機会に巡拝することにした。札所1番・寿福寺は門前からツツジの花が美しい。多摩川三十四所のガイド本と御朱印帳表紙を購入する。準西国稲毛の巡拝は事前に行程を調べていたが、多摩川は初見。案内図を見ると、準西国番外の玉林寺が多摩川札所29番を兼ねていて、途中に札所2番・長松寺、札所2
準西国稲毛三十三所観音霊場の札所巡り。川崎市中北部から東京都稲城市に至る地域で、西国三十三所に倣って準西国稲毛三十三所観音霊場が開かれる。今年は12年に1度、午年の御開帳。開帳期間は4月18日から5月2日と短いが、何かの御縁と思い、巡拝してみる。地元の札所4番・寿福寺からスタート。山門前の牡丹やツツジがとても美しいお寺。札所巡りのガイド本と御朱印帳表紙を購入する。寿福寺から番外札所の玉林寺まで歩く。観音堂の横のテントでお茶とお菓子のお接待を頂いた。近くのバス停から小田急線の読売ランド前
イメージ図鶴岡八幡宮は、明治維新を迎えるまでは神仏混淆の宗教施設で「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれていました。上の画像は、幕末に記者として来日していたイギリスの画家チャールズ・ワーグマンが描いたスケッチをイラスト化したもの。参道の奥には仁王像を安置する仁王門があり、周辺には仏教施設が建ち並んでいましたが、1868年(明治元年)に発せられた神仏分離令により仏教施設は悉く廃除されてしまいました。仁王像(イメージ図)神仏分離による廃仏毀釈の運動により、鶴岡八幡宮の多くの仏教建築や仏像が失われました
鎌倉駅から歩いて10分ほどでしょうか「寿福寺」があります。私はことある事に訪問しております。大好きなお寺のひとつです。↑総門も立派です落ち着いた佇まいのお寺で、総門を入ると石畳でまっすぐ本堂へと続いています(途中に中門があります)。ものすごく渋いです。でも数年前にご住職が変わられ、お寺の雰囲気が大きく変わってしまったため最近は疎遠になっちゃっていました。前ご住職は怖い存在でしたが色々教えて頂けて、ご朱印も全てその場の手書きで達筆でした。鎌倉五山をはじめ、弘法大師、三十三観音、十
2026年3月20日(金)長崎県佐世保市江迎町で開催中の「肥前えむかえ繭玉まつり」を訪れました。かつて平戸往還の宿場町として栄えた町並みに、福を招くとされる色とりどりの繭玉が軒先に飾られています。なかでも寿福寺では、繭玉とともに彩られた花手水が来訪者の目を楽しませ、歴史と季節の美しさが調和した風景が印象的でした。にほんブログ村
今日は朝から晴れて暖かな一日になりましたね~青空も綺麗でした遊歩道を歩いて壽福寺に行って来ましたマメザクラが綺麗なお寺なんですが見頃が過ぎていました大きな椿の木。。。綺麗に咲いていました目黒川を散歩。。。黄梅が咲いていましたスノーフレーク。。。ヒヤシンス。。。好きな花ですが以外と咲いているのを見かけないんですよね木蓮が綺麗な場所も。。。オオアラセイトウ。。。ピンクの木蓮と木瓜の花。。。椿。。。ピンクの木蓮
東急東横線の中目黒駅より歩いて10分ほどのところにある、寿福寺(じゅふくじ)です。中目黒駅と池尻大橋駅の間の住宅街にある寿福寺は、オカメザクラの名所として有名です。満開のオカメザクラ。ピンク色に染まる参道。石畳を埋め尽くす、ピンク色の花びら。参道を進みます。満開のオカメザクラが彩る美しい参道。山門です。本堂です。1615年に創建された、歴史のあるお寺です。本堂からも、オカメザクラのトンネルが見えます。
くしゃみや鼻ムズムズは花粉のせいかな〜と思ってましたが昨日から喉が変風邪?鼻も出るしでもね〜今日は晴れて気温も上がるみたいだし出かけよう〜🚃行き先はインスタで見かけた場所目黒の寿福寺の前のおかめ桜のトンネル🌸🌸🌸え?タイトルは桜神宮なのに?と思うでしょ?でも目的地は寿福寺でついでに帰りは桜神宮は寄ろうかな〜ってくらいだったんです田園都市線で池尻大橋に行く予定だったけど混んで座れなかったから先に手前の桜神宮に変更桜新町で下車して徒歩6分…と反対方向に進む私カツオ君、ワカメ
雛飾りつつふと命惜しきかな3月3日は、私に好きな俳人の一人、星野立子(たつこ)の命日です。立子は、俳句の巨人と言われる高浜虚子の次女です。虚子は生前、「立子が男だったらなぁ」と語っていたと言います。それほど、虚子も認めた才能豊かな女性だったようです。そんな立子が雛祭りを題材に、50歳の頃詠んだ句が冒頭の句です。立ち雛立子が華やかな雛人形を飾りながら、これまでのことやこれから先の生きていくことへのおぼろげな不安。揺れ動く、心の中の葛藤が詠まれているように思いま
朝のさくらの散歩で寿福寺のオカメ桜の様子を見て来ました。沢山の花が咲き始め見頃に成っていました私事ですが今日3月3日から1週間の予定で入院しますのでブログを休みますいつもご訪問頂きまして誠に有り難う御座います