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いわゆる、一年浪人、二年浪人とかの経験はそんなに珍しいものではなかった。当時、京都市内の寺町二条に府立第一中学(現在の洛北高校)の自習学舎があり、浪人ばかりの予備校といってよい。あまり勉強は進まなかったが、教師には優秀な先生が居られた。英文学の寿岳文章、漢文では哲学者、三木清の弟さん、歴史には茶道の西堀一三、この先生は戦時中にしては面目躍如たる所があった。東条英機が時の首相であった(昭和16年10月東条内閣が成立)が、「英機(英国の飛行機)が来れば、東条(どうしよう)」なんて駄洒落を飛ばさ
関西学院大学構内に入ると清新な空気を感じました寿岳文章展はここで行われています時計台かつては図書館であり現在は大学博物館ヴォーリズ設計関西学院大学とのつながりや若い頃の苦学の様子がジーンと伝わってきました学ぶ、知る、調べる、作る、書くという強い意志が寿岳先生を一生突き動かしたのでしょうなされた仕事の奥深さがすごいです寿岳先生を導く出会いがあり影響を受け道を極めていきましたそして今なお和紙を調査するうえでその時代の重要な資料となり著作からも教えてもら
寿岳文章展ー領域なき探求:英文学、民芸、和紙研究ー昨今、寿岳先生の全業績を検証する研究が活発に行われています。英文学、書誌学、民藝運動、そして和紙研究・・・。寿岳先生の世界は深くて広いんです。和紙関係の本を読むと、励まされ、良い方向に導いてくれそうな気持ちになります。関西学院大学博物館(西宮上ヶ原キャンパス時計台)2023.10.10▶前9時30分~午後4時30分休館日日曜日、祝日(但し11月3日金曜日、11月19日日曜日は開館)
紙漉き風景寿岳文章『紙漉村旅日記(1944)明治書房』に、われらが新潟県湯之谷村を訪れた記録がある。紙漉きの季節は12月から4月までで、楮の皮剥は女や子供がする。以前は剥いだ皮を雪で晒したが今は苛性ソーダか苛性灰で煮熟しゃじゅくする。漉き手は男女を選ばず能率主義だが女と二十前の男がよいとされる。湯之谷村では3件回ったが、そのなかには二十歳くらいの娘が懸命に働き経済の中心となって一家を支えていた。また、十五六歳の少女が大判の枠を処理していたが、けなげを通りこして痛ましいものがあった。東
全日本体操個人女子の芦川うらら休日に群馬県前橋市まで行ったついでに、当地の古書店を紹介してもらい訪ったのが山猫館書房で、久しぶりに趣味が合いそうなお店でつい長居をしてしまった。戸板康二:句集良夜(1992)三月書房句集や歌集も揃っていて珍しい戸板康二『句集良夜(1992)三月書房』は良い買いものでした。春昼やたがわぬ猫の腹時計戸板康二狭い店内にみっしりと古書が詰まっている感じで、攻略するには時間を要しますね。機会があったら再訪したい。寿岳文章:紙漉村旅
美濃こうぞちりとり後まるめたもの煮熟後やわらかくなったこうぞを水中で甘皮を含む白皮と黒皮に分ける左甘皮入り右黒皮には一部甘皮がくっついている甘皮入りこうぞをビーター(大きなミキサーのようなもの)でほぐす繊維が長くやや黄色い紙を漉く簀の上に紙ができています乾燥機に貼り紙を乾かす甘皮入り和紙ができましたあたたかみのある色合い黒皮から作ったとは思えぬほどきれい厚みは4匁ほど障子紙よりやや薄めですさて次は残りの黒皮で紙を漉きますつ
過日購入した📚️五木寛之さん2冊「百寺巡礼」山陰、山陽最初の三佛寺投入堂鳥取県にある麓までは行ったが、とても登れそうもない断崖絶壁にお堂が立てられている一畑薬師は娘の目が心配された時に娘と義両親と御参りした娘の目の不調は一時的なものだったのか改善したご利益に感謝その娘、成人してから三佛投入堂に参拝したことがある一畑薬師にもお礼参りに行かないとね👀吉村昭氏の「三陸海岸大津波」は以前から購入予定にしていた一冊だ1970年に中央公論社から発刊されたものが文庫化されている
表題のシンポジウムが開催されると主催者の一人でもある友人から案内をいただきました。京都府向日市のホームページの趣旨を引用します。英文学者であり和紙研究でも知られた寿岳文章(じゅがくぶんしょう:1900-1992)は、向日市の西向日住宅地に1933(昭和8)年、居宅“向日庵(こうじつあん)”を建て、そこを拠点に理想の書物の制作に取り組み、また日本全国の伝統的な手漉紙(てすきがみ)の産地を、妻静子とともにめぐり調査しました。寿岳が集めた紙は、80年前の日本で漉(す)かれた紙を網羅し
10月16日(土)9:30~12:30オンラインで参加できます。(無料、同時通訳あり)InternationalSymposium20thCenturyWashiJugakuBunshoThepersonandHisWorkSaturday,October16,2021,9:30AM-onwards(Japantime)【国際シンポジウムのお知らせ(英語版)ForForeigners】https://jugaku.sakuraweb.com/in
私は2月24日(水)近くの文化資料館で開催されている「寿岳文章人と仕事」展を見に行きました。寿岳文章先生は明石群押谷村(現・神戸市西区)生まれで、結婚してからは京都に住んでおられたのだそう。英文学者、随筆家、書誌・和紙の研究家で民芸運動家。ダンテの神曲の翻訳やウイリアム・ブレイクの研究・翻訳、正倉院の古紙調査では主導的役割を果たされたそうです。奥さんの寿岳しづさんも「若草物語」の翻訳家でご夫妻そろって、すごいです。文化資料館エントランスロビー寿岳文章の仕
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→表の庭から裏に続く小道。柘植(?)と苧環に挟まれた砂利道。これでも、かなり刈り込んだのだが、他人には、これから始めるのかなと思われてしまう。悔しい!暮れるのが早い。6月末から始めた(自分にとっては)大掛かりな溜まっていた枝葉の型付け作業も、十月中旬には峠を超えた。その間、大概は暑さを避け、夕方五時過ぎから作業を始めていた。気が付くと七時を回っている。さすがに暗くて、既に灯り始めている街灯が頼りだったりする。それが、九月の下旬ころには、徐々に作業の開始時間を五時前に