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この差はなぜできた!?江戸の将軍は15代続き、鎌倉の将軍はわずか3代で断絶!ニコニコニュース鎌倉幕府の将軍の嫡流がたった3代で途絶えてしまった原因は、「鎌倉右大臣」としても知られる3代将軍・源実朝に実子がなかったためでした。実朝は兄・頼...水谷千重子初座長公演『水谷千重子50周年記念公演』の共演者第一弾が発表千重子ファミリーも出演http://spice.eplus.jp/とんち尼将軍一休ねえさん」.□原案二葉菖仁/□脚本二葉森乃介/□演出二葉慶太郎□出演水谷千
皆さん、こんにちは。いつもありがとう。図解日本史シリーズ、続いて聖徳太子の政治です。p.24ポイント聖徳太子という表現が出てくる時点で、少し古い本だということがわかりますね。遣隋使については、次の記事をぜひ熟読しておいてください。東大教室(対等外交という発想①)東大教室(対等外交という発想②)東大教室(対等外交という発想③)東大教室(対等外交という発想④)東大教室(対等外交という発想⑤)東大教室(日本史)春期講座(大
➏厩戸王(聖徳太子)が隋の煬帝に対等外交を求めた最大の理由を説明せよ。(40字)■関連記事東大教室(演習2にかかわる解説)東大教室(対等外交という発想①)東大教室(対等外交という発想②)東大教室(対等外交という発想③)東大教室(対等外交という発想④)東大教室(対等外交という発想⑤)【演習2】解答例を追加しました【後生畏るべし】““論述の基本・解答編1(はじめに)””■「理由」を問われた時【再掲示】論述答案の文末表現★解答例は↓の先にあります。↓
皆さん、こんにちは。いつもありがとう。東大教室(17東大日本史本試Ⅱ問題)などでも紹介した1994年度東大日本史本試・第1問(ブログ上では東大教室(演習2にかかわる解説)、2016年度東大教室テキストの問題番号)。詳細な解説は掲載したのですが、何と解答例がありません。そういう方針を気まぐれに採ったのか、それとも単に忘れたのか、今となっては記憶が定かではないのですが、多分、後者です。申し訳ありません。当然のことながら、読者から「解答を!」という要望が届きました。僕が作成
➎冊封体制下において朝貢国(藩属国)が享受することのできる利益を、政治・経済両面から説明せよ。(100字)■関連記事➊日本史の基本15(2-4邪馬台国への道)➋「東大教室(対等外交という発想①・②・③・④・⑤)」→冊封体制にふれているのは、東大教室(対等外交という発想①)➌テーマ「日本史コペルニクス」→冊封体制にふれているのは、日本史コペルニクス17(3日目の講義⑥)★解答例は↓の先にあります。↓↓↓↓↓■解答例政治的には
7-1遣唐使の派遣と新羅・渤海中央集権的な国家体制(律令体制)が整えられるなかで、政府がとった政策を、まず対外面から考えてみることにしたい。➊遣唐使(けんとうし)の派遣630年に最初の遣唐使派遣(はけん)。大規模な使節が派遣されたが、8世紀以降、新羅(しらぎ)との関係悪化により、危険な南路(なんろ)(東シナ海を直接横断するルート)・南島路(なんとうろ)(帰路(きろ)に利用、南西諸島(なんせいしょとう)を北上するルート)を航海した。*最初の遣唐使については、「東大教室(対
皆さん、こんにちは。東大教室(日本史)前期テキスト・演習2(p.12)にかかわる解説「日本はなぜ中国との対等外交を発想したか5現実と建て前」です。「日本はなぜ中国との対等外交を発想したか」の最後になります。これで、いくつかの論点を正確に説明できるようになるはずです。お疲れ様でした。☆★☆★☆5現実と建て前7世紀、大化の改新・白村江の戦い・壬申の乱などを経て律令国家を形成した日本は、702年の遣唐使以降、8世紀を通じてほぼ定期的に遣唐使を派遣した➊。そこに
皆さん、こんにちは。東大教室(日本史)前期テキスト・演習2(p.12)にかかわる解説「日本はなぜ中国との対等外交を発想したか4世界の相対化」です。ようやく最大の論点に到達しました。過去問の研究がスムーズになるだろうと思います。☆★☆★☆4世界の相対化倭の対等外交要求とこれに対する隋の対応については、これで一応の説明はつく。ただ、それでも疑問は消えない。遣隋使のみせた姿勢が、東アジア世界を律してきた伝統的秩序と大きく隔たっていたからである。倭を天
皆さん、こんにちは。東大教室(日本史)前期テキスト・演習2(p.12)にかかわる解説「日本はなぜ中国との対等外交を発想したか3東アジア情勢の変化」です。ここでは、受験生が確実に理解しておくべきことを説明します。また同時に掲載した表は、「第1回遣唐使」のところが特に重要です。熟読して、次の解説に備えてください。☆★☆★☆3東アジア情勢の変化589年、中国における統一王朝隋(589~618)が成立し、東アジア情勢に大きな変化が生じた。隋は、6世紀末以降、高句
皆さん、こんにちは。東大教室(日本史)前期テキスト・演習2(p.12)にかかわる解説「日本はなぜ中国との対等外交を発想したか1奇妙な要求」です。まず、基本的なことを確認します。☆★☆★☆日本はなぜ中国との対等外交を発想したか1奇妙な要求7世紀初頭(607)、推古天皇のもとで倭(日本という国号の成立は7世紀後半頃)は2度目の遣隋使を派遣した。その際、使節が持参した隋(中国)への国書には「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」と
皆さん、こんにちは。僕の手元に、東大教室(日本史)前期テキストが届きました。事務手続き上のことはわからないのですが、受講生の皆さんにも、まもなく届くだろうと思います。テキストを眺めながら、1題だけ、新たな解説を加えたほうがよいかなと考えました。それは演習2(p.12)で、授業であつかう予定ではない、自習(自力救済)用の問題(1994年度東大日本史本試・第1問)です。次のような問題でした。演習2朝貢外交と対等外交要求設問Aは、問題冒頭に記したテーマが事実上の解答