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5月21日の出来事905年(延喜5年4月15日)紀貫之(きのつらゆき)らが『古今和歌集』を撰進。1792年(寛政4年4月1日)島原大変肥後迷惑噴火が続いていた雲仙岳で、山体の一部が崩落。土砂が島原海に入って津波が発生し、対岸の肥後にも被害。dezyleさんのチャンネルが2013/02/12に公開島原大変肥後迷惑シアターhttp://youtu.be/mhyRe45W9QE1809年ナポレオン戦争:アスペルン・エスリンクの戦い。1862年(文久2年4月
昭和十一年(一九三六年)二月二十六日、「昭和維新」の具現を希望する陸軍皇道派青年将校のグループが蹶起し、総理大臣岡田啓介・内大臣斎藤実らの元老・重臣を襲撃した。栗原康秀中尉・林八郎少尉・池田俊彦少尉・対馬勝雄中尉らが率いる約三六七名は首相官邸を襲い、岡田首相の義弟松尾伝蔵予備役大佐を射殺した。岡田首相は難を逃れて脱出する。坂井直中尉が率いる兵二一〇名は内大臣斎藤実を襲撃・射殺、中橋基明中尉らが率いる兵一二二名は大蔵大臣高橋是清を襲撃・射殺、安藤輝三
萬福寺さんから京阪電車で中書島駅下車酒処伏見へ駅前に長建寺さんの石碑駅から北上伏見運河を渡ると左手に史蹟寺田屋寺田屋さん旅籠として今も営業しているそうですが以前来た時は外から拝見しただけで中に入れると知りませんでした史蹟坂本龍馬先生遭難の趾中から出てきた人がいたので様子を伺うと横に入口が有りました資料館のようになっていて見学出来ました寺田屋さんは伏見の船宿寺田屋騒動1862年4月23日薩摩藩急進派有馬新七ら35名が関白九条尚忠と京都所司代の殺
おはようございます。今日は1月23日123の日です。123と言えば「1、2、3、ダー!」「アン.ドゥ.トロア.」なんだかとんとん拍子で、物事が進みそうな印象です。リズムに乗ってすごしましょう。今日は、慶応二年(1866年)1月23日に起こった伏見奉行所による坂本龍馬が襲撃された寺田屋事件があった日です。坂本龍馬出典Wikipediaこの寺田屋事件と呼ばれるのはこれより4年前にも起こっています。こちらは1862年(文久2年)に発生した「薩摩藩志士粛清事件」(さつま
ズーッとバタバタ忙しくしてて録画やYouTube等が溜まってましたTVernhk+等視聴数増やしてささやかな推し活、微々たる推し活、ビビ活しますようやく『ブラタモリ』も拝見しウワサ通りのガッカリ感!(ツヨポンのナレーション聴けることを凄く楽しみにしてました)以前の穏やかで沁みとおる草彅さんのナレーション、陽水さんのファンタジーでネットリ気だる
今年5月の出来事の備忘録ですGW後半家族旅行最終日『伏見十石舟』に乗船後は町をぶらりここまで来たら絶対に立ち寄るのは『寺田屋』でしょそうです坂本龍馬が襲撃された『寺田屋騒動』の舞台日本で初めて新婚旅行をしたのが坂本龍馬と云われ霧島神宮などを参拝しているから九州にも縁がある(↑クリックすると過去のブログ記事へ)
壁に押し付けたまま、同志に刺す様に命じ、共に落命したとされる薩摩藩尊王攘夷派のリーダーは誰か?幕府の政治改革を求め、薩摩藩主の父・島津久光が率兵して京に立ち寄った。同時期、長州・薩摩などの有志が要人暗殺などを企てていた。孝明天皇は久光に浪士鎮撫の内勅を与える。久光は伏見の寺田屋にいた家臣・有馬新七ら参加者を制止するため、道島五郎兵衛らを派遣したが拒否されたため戦闘となる。有馬は道島を壁に押し付け、仲間の橋口吉之丞に「おいごと刺せ」と求
当時の事実上の藩指導者は誰か?薩摩藩士を鎮撫(チンブ)使として寺田屋に差し向けたのは、島津久光である。久光は前藩主・斉彬の異母弟であるため藩主になれず、藩主となった息子・忠義(茂久)の後見役となり、事実上の藩主となった。西郷隆盛・大久保利通ら若手藩士グループ「誠忠組(精忠組)」と提携して幕末の中央政界に進出し、公武合体運動を推進した。
3月1日から1泊2日で、慌ただしく京都旅行へ行ってきました。今回伏見へ来たのは、酒蔵めぐりをしたかったからです。とは言っても地図で見ると範囲が広いので、時間的に回れる範囲が限られますね。新高瀬川沿いに建つ松本酒造の酒蔵です。大正時代に造られた酒蔵やレンガ造の建物は、近代化産業遺産に指定されています。ドラマのロケとかに使われそうだなと思っていたら、当たっていましたね。すごいてっぽう階段ですね。足滑らせたら、どこまでも落ちていきそう。
薩摩藩ゆかりのお寺大黒寺京都には多くの「七福神巡り」があります。毎年1月1日~15日に伏見では、伏見の5つの社寺(藤森神社・乃木神社・御香宮神社・長建寺・大黒寺)を巡ってご朱印を集める「伏見五福めぐり」が行われます。伏見五福めぐりの参拝方法は…①最初に参拝した神社仏閣で色紙を購入②5つの社寺を巡って御朱印を集める③記念品の土鈴が授与✨今回はそのうちの1つ、大黒寺についてのご紹介です💁概要山号:円通山開山:真如法親王宗派:真言宗歴史大黒
魚三楼のランチの後、伏見の酒蔵の並ぶ中を歩き、途中で母へ持たせる土産として日本酒を買い、寺田屋を経て京阪の中書島駅まで歩きました。寺田屋は幕末の寺田屋騒動で有名なところ。現在も寺田屋という旅館です。建物の中も見学できますが、中には入りませんでした。庭には坂本龍馬の碑や像などがあります。中書島駅。京阪で何度も通過したことがありますが、駅に来たのは初めて。酒のまち伏見ということでこんな看板がありました。日本初の市電が走ったところだそうです。
4月以来静岡県より西に行って無かったから今日は久しぶりの遠出。目的地は京都。朝7時ののぞみ号に乗車。何気に乗った号車は満席に近い混み具合。しかし名古屋でガラガラになる。そして9時過ぎに京都到着。久しぶりの京都、3年〜4年ぶり位か。まずは今日の宿泊地へ。京都バス八条口のすぐ前。荷物だけ預けて出発。今日の予定は昼からなので少し時間があるので近鉄で桃山御陵前駅へ。伏見の街の最寄り。約1時間位時間があるので回れるだけまわるつもり。まず最初に駅に近い御香宮神社へ。正面の道に鳥居が建つ
よく間違えられる問題として、『坂本龍馬が暗殺されたの店の名は?』ってのがあります。僕は幕末てんで詳しくないので、間違えただけかも知れませんけど、この頃は尊王攘夷・倒幕派と幕府とのせめぎあいが加速していたため、似たような襲撃事件が多くてややこしいんです。正解は近江屋です。たぶん。これすら間違えてたらごめんなさいね。幕末ほんと興味ないもので。池田屋には坂本龍馬いなかったみたいですし、寺田屋は襲撃こそされましたが逃げてるんです。池田屋と寺田屋はすぐ出てくる店名ですけど、近江屋って出てこな
戦前・戦後、復帰前後の南城市を振り返る復帰50年、地域物産館で写真展-琉球新報琉球新報【南城】南城市地域物産館(市知念久手堅)では1日から、復帰50年を記念した写真展「南城市今昔」を開催している。南城市教委文化課がインターネットで公開...ロシアの駐スイス外交官、ウクライナ侵攻に抗議し辞任|Reuters-ロイターロイター写真は2018年8月、ワシントンのロシア大使館で撮影(2022年ロイター//BrianSnyder).[ジュネーブ23日ロイター]-
さてさて…………史跡【寺田屋(てらだや)】京都府京都市伏見区南浜町263淀川は古くから京・大阪・瀬戸内海を結び、また琵琶湖を経て東海道や北陸へも連なった交通の大動脈であった。【寺田屋】は、その祖百姓伊助が慶長2年に現在の地伏見京橋に移って船宿を開き、出身の寺田村の村名をとり『寺田屋』を号したと伝わる。京へ向う船着場であった伏見京橋界隈は、維新当時大変なにぎわいで、六代目伊助となっていた【寺田屋】も、薩摩藩の定宿であった関係から【寺田屋】は維新史を語るうえで必須とされる『寺田屋事件』の舞
今日は何の日都を板蓋宮へ移す(643)親鸞(浄土真宗の開祖)誕生(1173)足利義政が室町幕府第8代将軍に就任(1449)寺田屋騒動(1862)小学校開校(1869)日本で裁判員制度開始(2009)
*3月1日付記事の続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君は、今回は近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは大久保利通です。本日は、寺田屋騒動と生麦事件のおはなし。あんみつ「しらたま先生、西郷が離脱させられた京都では、薩摩藩が恐れていた大騒動を起こしてしまいました。大久保の狙いは、雄藩が合従して幕政改革のイニシアチヴを握ることでしたが、精忠組の中で、そんなのは手温い、と反発していた有馬新七ら武闘派による暴発です」しらたま
こんばんは!伏見名水めぐりの途中で、寺田屋に寄りました。寺田屋旅館には、宿泊者以外入れないと思ったたんですが、入れそうな雰囲気があったんで、中に入って聞いてみると、昼間は、記念館で夜は旅館になるそうです。と、言うことで中を見学することに。すごい歴史を感じるところですね❗寺田屋騒動当時のまま、残っているのかと思ってしまいそうですが焼失して、再建されたものらしいです。寺田屋寺田屋事件-Wikipediaja.m.wikipedia.orgではでは❗
「荒びなす醜の醜臣打払ひ、肇国しらす御代にかへさむ」本日は、私が尊敬する幕末の尊攘志士、有馬新七先生の新暦のご命日です。有馬先生のご命日ということは、先生が亡くなった寺田屋騒動の起きた日でもあります。有馬先生は、江戸で山口春水の孫である山口管山の門に学び、梅田雲浜や鈴木遺音ども親交のあった崎門正統の士です。薩摩の誠忠派の領袖として頭角を現し、島津久光を京都に擁して、倒幕を図りましたが、久光の放った鎮撫使と寺田屋で乱闘になり、討ち死にされました。義挙に参加した平野國臣は「あ
以前から「カーボン製のロードバイクが欲しい」と言ってたら息子の友人が譲ってくれました。フレームがカーボンなので軽い!オンダフォークのクネクネ感がまた良い(イタリーのピナレロっぽい感じ)自転車の部品を調達して手組したものらしいです。フルクラムのホイールで変速機は105です。で、ちょっとだけ試走してみました。山科川の河川敷を走り六地蔵から外環状線へ伏見の黄桜酒造の酒蔵までやって来ました。この辺りは酒蔵がたくさんあり、大阪湾まで続
昨日久々に四条までバスでお出かけしたら、バスの中、お年寄りがいっぱい。デパートも思いのほか混んでいて、中高年の方々でいっぱい。う~ん、この年代がコロナ感染者に多い理由がなんとなくわかったようなかと思えば、飲食店は若い人でどこも混んでる。学校がお休みの高校生や大学生かなぁ。人の事は言えないけど、やっぱ日本人って甘いな。こんな様子じゃコロナの終息まだまだ先のことになりそう。ということで、今日のブログは12月のお出かけ、伏見の続きです。橋を渡って、川の向こうから月桂冠大倉記念館
思い出の伏見①、②の続きです寺田屋に行った記事をUPすることをすっかり忘れてたー笑酒蔵巡りをして、鳥せいさんで焼き鳥や日本酒を頂いたあと、竜馬通りを歩いて寺田屋までやってきました伏見の船宿で、坂本龍馬が定宿にしていました幕末の“寺田屋騒動(寺田屋事件)”の舞台です。入場料400円を支払い、靴を脱いで宿の中へ入ってみました実は、中へ入るのは初めてなんですまずは2階のお部屋を見学いろんな資料が展示されていましたここが竜馬がいた部屋
こんにちばんは´ー`)ノご訪問ありがとうございます<(__)>心の休憩所「癒し喫茶エコー」へようこそ副料理長、兼オーナーの綾瀬ベル兄です当店は、カフェ巡りやグルメ記事および個人的なつぶやきを癒しをモットーに、気まぐれに更新していく架空のお店ですどうぞ、ごゆっくり2つ前の記事→ルマカフェでランチを頂いた後次の用事まで、けっこう時間があったので伏見エリアを歩き回りました
第2部夜明け(1)そして寺田屋事件が起こった編集委員・宮本雅史産経ニュース文久元(1861)年秋、長門国(ながとのくに)竹崎浦(山口県下関市)の荷受問屋「小倉屋」は晴れて念願の薩摩藩御用達になった。当主の白石正一郎(しらいし・...浴衣めくれば表裏の柄ピタリ職人技伝える小さな博物館朝日新聞1894(明治27)年創業の浴衣製造卸「三勝(さんかつ)」が自社製品の反物や伝統的な染色道具などを展示した小さな博物館だ。空襲で焼けた問屋が多いなか、.旧開智学校の客数急増国宝指
季節に追いこされちゃって♪(*≧∀≦*)ゞ♪ワリと前のん♪今ごろアップ♪(((^^;)・・・3月16日♪土曜日♪たまたま伏見にお出かけ♪大手筋商店街から♪伏見の酒蔵の町並み見て歩いて…濠川に出たら♪古い歴史をカンジる建物♪ココが『史蹟寺田屋』♪水運が栄えた時代♪濠川近くの船宿やったん♪でも♪今ある木造の建物は、幕末当時の寺田屋やのぉて再建…この辺りは薩長連合軍と幕府軍の激戦(鳥羽・伏見の戦い)の戦場になっちゃって、その時に寺田屋も焼けちゃったん…((
【父の日企画】江戸切子特集/世界に一つだけの江戸切子を贈ろうニコニコニュース大場硝子は繊細な文様と色鮮やかな江戸切子が特徴。店頭でも長年にわたり大変ご好評いただいています。当日は普段お取り扱いのない珍しいグラスもたくさん...雪斎の写実的画風絶賛県立美術館でトークショー/三重毎日新聞同美術館によると、雪斎は江戸の藩邸に生まれ、78年に5代藩主になった。中国の絵画から刺激を受けた雪斎は、写実的で色鮮やかな絵画が特徴の「南蘋(なん...作家村松さんと画家笹尾さん静岡
【中古】竜馬がゆく【新装版】3/司馬遼太郎158円楽天【中古】竜馬がゆく【新装版】4/司馬遼太郎108円楽天司馬遼太郎先生の人気作の一つ「竜馬がゆく」の続編です。出だしは、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎が出てきます。そして、尊王攘夷の嵐が噴出した京の町を武市半平太率いる土佐勤皇党が大いに動いていました。しかし、彼等の運命に暗雲が立ち込めだします。そんな中、寺田屋騒動に生麦事件と大事件が次々起こります。そんな中、竜馬は、勝海舟に出会います。この出会い