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桜庵の箏日記~力まず、ぼんやり~日曜日担当、箏・三絃大好き「桜庵」です。今日の題は、「力まず、ぼんやり」です。何のことでしょう?箏や三絃演奏の心構えです。私が、最初に箏や三絃を教えていただいた先生は、短期間でしたが、初代の富山清琴(先生)に三絃を習い、大変感動して帰って来られました。その記憶もあって、「地歌・箏曲の世界~いま甦る初代富山清琴の芸談~」(勉誠出版)という本を購入して読みました。いろいろと、
好きなものができると、ずっと好きでいつづける、僕はそんな性格かもしれません。たとえば一度好きになった音楽はずっと好きで、それが演歌でもクラシック、シャンソンでも、あるいは浪曲や長唄であっても。どんなジャンルでも、心にとどくものかどうか、とどいてこそ「本物」だという気がします。学生時代、習いはじめた邦楽は長唄でしたが、長唄同様その調べに心奪われたのが、地唄でした。地唄というのは、長唄などの江戸歌に対して、上方を中心に栄えた三味線音楽です。僕はとりわけ初代富山清琴(とみやませいきん
地歌(地唄の書き間違えではない)の「たぬき」たぬき吉村輝章狩人山村友五郎このコンビで何回か上演されている。今回も、たのしく、息のあった舞踊。たぬきの尻尾のように、帯を垂らすのもいつも通り。吉村さんの、表情、しぐさがなんとも言えずかわいく、たぬきなんだな。もちろん、とてもお上手な方だから、そうみえるのだろう。一方、山村友五郎さんは、一見真面目そうなんだけれど、こちらもそこのところがおかしい。地唄=女の情念みたいな印象だが、こういうものも、
玉三郎の「雪」は、梅津貴昶の振り付け。富山清琴が、三味線と唄で、ご子息の清仁さんが琴。琴や三味線は、基本的に弾き語り。先代の清琴さんは、目の不自由な方であった。武原はんさんの舞とともに、今でも目に浮かぶ。玉三郎は、ゆっくりな動きと視線で心象風景を描き出す。玉三郎の世界が出現した。最近の玉三郎は、芝居よりも踊りで舞台に立つことが多い。2月は久しぶりに名月八幡祭の美代吉。追善演目に付き合うから演じるの?鳴神の雲の絶間、鏡山の尾上、妹背山の山の段(定高)とかを、もう一度見たいなあと、
昨年、邦楽器と声楽の演奏会で、深海さんの演奏を聴いて、ファンになってしまった。正月の芸大ブラスの演奏会にいったら、今日のイベントのチラシをいただいたので、早速申し込んで今日にいたった。曲目は、以上の通り。お祝い事のお花がいっぱい。結論から言うと、素晴らしい演奏会であった。秋風幻想ご自身が作曲されたもの古曲を、現代風にアレンジして箏でこんなこともできるんだということをしめしている。いくら、現代風になっても、箏の格調は、崩れていない。すごい。根曳きの松古典。人間国宝の
箏の波ぶんです。思う所あって、図書館で本を借りてきました。『地歌・箏曲の世界いま甦る初代富山清琴の芸談』人間国宝・初代富山清琴は、盲目の地歌・箏曲演奏者として“日本の伝統芸能「地歌・箏曲」の価値、失われつつある「芸」の保存と伝承のあり方を体現した”と称される方です。この本はそんな初代富山清琴によって昭和41年に刊行された芸談『清琴地うた修行』を復刻収載すると共に、地歌・箏曲とはなんぞや…ということが分かり易く解説されています。実はこの本を借りるの