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一応、貨車の研究も模型に次ぐ趣味として掲げている関係で、貨車の写真等の要請があります。今回も濃硫酸タンク車の写真が無いか、というご依頼があり、さっそく探したところ、2007年9月に秋田港で撮影したはず、しかしこの写真群も含め、2007年撮影のネガが一式見当たらない。撮影域が九州から北海道までで重要な写真も多く、真っ青になって探したところ、一日経って「失せ物、出ず」でホッとしましたので、一部をご紹介します。さて、その秋田港、9月30日10月1日(日)に仙台に出張となったので、金曜日夜に名古屋
1984年発行の本に引用されている、ある記事をご紹介します。あくまで引用なので詳細は不明ですが、当時の車や運転免許に関わるエピソードがわかりやすいので、多くの方に読んでいただきたいです。一部、古い印刷状態の関係で読みにくい部分がありますがご容赦ください。今も昔も車に思い入れが強い方々も多いと存じますが、人と車との関わり、という面では(設計や製作などに携わった方々も含め)当時の崇高で普遍的な「愛」を感じます。車との関係はこうありたいものです。ちなみにこの記事が
<元記事>三菱自動車の黒井義博常務執行役員が会見で繰り返したのはこの言葉だった。平成29年3月期決算で燃費不正に伴う損失を余裕を持って計上したためだといい「燃費不正問題の影響は今期で終わり」とまで言い切った。しかし、今回の問題を受け、国内販売の低迷は長期化が避けられない。それを過小評価したまま、問題の“幕引き”だけを急ぐ三菱自の企業姿勢に、批判が集まる懸念もある。以下はこちらhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160623-00000067-san-b