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見やすくする為にリンクを貼ります。全てアメブロの記事です。寝台・夜行・その他『#なつかしの写真夢空間』夢空間昔の撮り鉄画像から夢空間です。探した感じ多分枚数的にも多くないので一回しか撮影した事がないです。さようなら入っているの…ameblo.jp『#なつかしの写真能登489系?』急行「能登」489系能登と北陸は12月31日の終夜運転?の時に一度しか撮影した記憶がないです(;´`)普段は終電の関係もある…ameblo.jp『#なつかしの写真銀河』枚数が少なくこれからも載せることは
富士はやぶさ?EF651112昔の撮り鉄画像から1枚、多分富士はやぶさ?の写真がだと思います(;´`)撮影時間帯やここでの寝台の撮影は富士はやぶさと銀河しか撮影した事がないので...EF651112は何処を探してもこの一枚のみで、撮影した記憶はあってもどれで撮影したかまでは思い出せません(;´`)2008年で18時前...ん〜...わからない...多分時刻を調べれば出てくるのかもしれませんが(;´`)最低でも同じ日に撮影した画像があれば良かったかなー探
投稿ネタ繋がりで銀河も再アップします。富士・はやぶさEF6645昔の撮り鉄画像から1枚富士・はやぶさEF6645です。撮影日にちを調べると2008年の画像っぽい?です。富士・はやぶさも銀河よりか撮影回数は少なくないですが枚数があまりないです(;´`)銀河・富士・はやぶさ・北斗星・カシオペア・北陸・あけぼのっと撮影はしていますがあけぼの以外は時間的なものもあり撮影回数自体は片手で数えられるほどしか撮影してません(;´`)以上投稿ネタ「なつかしの写真」でし
本日のお題:この時間がずっと続けばいいのにって思ったことある?今この時間がずっと続けばいいのに…と思ったこと、私は何度もあります。鉄道旅好きの私は、もう間もなく楽しかった鉄道旅が終わろうとしているときには、いつもこんな気持ちになります。例えば、西日本・四国・九州や北海道などの鉄道旅からの帰り道に、JR東日本エリアに戻り、JR東日本標準仕様の駅名標や車両(特に首都圏で活躍するE231・233系など)を見ると、旅の終わりを実感して何だか寂しくなるというか、もうちょっと列車に乗っていたい気分にな
本日のお題:車内放送でグッとくるフレーズいまや、普通列車だけでなく新幹線や特急列車でも車内の案内放送は自動放送が当たり前になり、車掌さんなどの肉声によるアナウンスは貴重なものになりつつあります。そんな中でも、たまに車掌さんなどの乗客に対する心遣いを感じるアナウンスに出会うと、いつもは必要な情報以外は聞き流しがちな社内放送にもグッときたりほっこりした気分になったりします。電車で通勤通学していた頃、朝の電車でターミナル駅に着く直前に「本日もお元気でご活躍ください」などとい言ってもらえたり、帰り
本日は2月7日であります一般的な鉄道ファンの皆様でしたら、「ニーナ様」ことEF6627号機を思い浮かべることでしょうしかしくさせんりの手元にあるEF66の画像は「富士・はやぶさ」牽引時代のJR西日本所属機のみそもそも「ニーナ様」に出会ったことが無いんですすでにバレバレかもしれませんが、くさせんりにとっての「ニーナ様」と言えば…もちろん立花のデロクマルことD6027号機でございます残念ながら近年は荒廃が著しくビニールシートに覆われ…半年前に見に行った後の近況は知る由もな
本日は先日KATOから発売になったEF651000後期形JR仕様が入線しました当初65PFは結構いるのでスルーしようかと思いましたが1107号機のナンバープレートと富士ぶさのヘッドマークつきということで、65PFの富士ぶさ代走が再現出来るということで急遽入線1118号機用スノプロつきのスカートASSYも購入して1107号機仕様にあれから16年以上経つのが早いですね前回品のJR仕様と比べると車体色が前回品のほうが色褪せた雰囲気、今回品が出場直後な感じについでに貨物の2000番台復活国
前回に引き続き、東京駅発着、そして九州へ向かう最後のブルートレインだった「富士はやぶさ」の最後の2日間の撮影の思い出です。2009年3月14日。ちょうど15年前の今日は、前日に東京・大分・熊本の各駅を出発した上下それぞれの最終「富士はやぶさ」がそれぞれの終着駅に到着し、東京駅発着のブルートレインの長い歴史に幕が下りた日です。そんなこの日、もちろん私も上り最終「富士はやぶさ」の撮影に出かけました。この日はまず早朝に自宅を出発。「富士はやぶさ」撮影の前に上野駅に寄り、この日上野着の上り列車
1か月ほど前に、最後の東京ー九州間のブルートレインだった「富士はやぶさ」に廃止2か月前にお別れ乗車した時の思い出を書きましたが、15年前の今日から明日にかけては、その「富士はやぶさ」の最後の列車が東京・大分・熊本の各始発駅を出発し、翌14日にそれぞれの終着駅に到着して長い歴史の幕を閉じた、ブルートレイン好きの私にとっては忘れられない2日間です。もちろんその2日間は私も「富士はやぶさ」の最後の姿を目に、心に焼き付けるべく、最終列車の見送りに出かけました。今回と次回は、その時の思い出を記したいと
2009年3月に姿を消した東京ー九州の最後のブルートレイン「富士・はやぶさ」。廃止が近づいた頃、電気機関車を交換するJR下関駅には多くのファンらが詰めかけました。最終列車出発から13日で15年。当時の模様を振り返ってみました。下関駅に入線するEF6648がけん引する寝台特急「富士・はやぶさ」。最晩年は14系客車の帯色がそろわないなど寄せ集め感がありましたが、2列車併結の12両編成はかろうじて往年の貫禄を保っていましたEF6648が切り離されたあと、入れ替わりで関門トンネル
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、今回で最終回です。完成したばかりの姫路駅高架ホームでの運転停車に始まり、下り「富士はやぶさ」とのすれ違い、さらに普段は旅客列車で通ることのできない「北方貨物線」通貨体験と、深夜に目が覚めたおかげでわずか1時間半足らずの間に貴重な体験を3つもすることができて興奮冷めやらぬ中、高槻駅を通過したあたりで再び眠ったものの、定刻に「富士はやぶさ」が名古屋駅に到着したところでまた目が覚めてしまいました。気がつくと最後の九州発着ブルートレインの旅
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、上り「富士」乗車編その4です。門司駅で無事ドッキングを果たした「富士はやぶさ」は、関門トンネルを抜けて本州に上陸します。下関駅でのEF81からEF66への牽引機関車のバトンタッチ風景の撮影は、昨日いい位置から見ることができたのと、下関発車前後の(乗車していた)3号車と客車最前部の12号車との往復が煩わしいこともあり、今回は参戦しませんでした。下関を発車したところで、乗車前に小倉駅で購入しておいた駅弁「上等かしわめし」で本日の夕食と
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、上り「富士」乗車編その3です。18:04、上り「富士」は定刻に中津駅を発車。これから東京駅まで、16時間弱の最後の九州発着ブルートレインの旅が始まります。この夜の宿となるのは、3号車オハネ152005のB寝台1人用個室「ソロ」の10番個室でした。「富士はやぶさ」の「ソロ」と1人用A個室寝台「シングルDX」の一部個室で使用されていたルームキーには、当該車両の車番をテプラで印字したシールを貼った木札がキーホルダー代わりに付いていま
15年前に長年の活躍に幕を下ろした東京駅発着の九州行ブルートレイン「富士はやぶさ」に廃止の2か月前にお別れ乗車した時の思い出、今回からは関東への帰りに乗車した上り「富士」号乗車の思い出編です。東京駅から「はやぶさ」にお別れ乗車して博多駅へ。その後は北九州エリアでEF81・ED76牽引の貨物列車をはじめJR九州の特急・近郊型電車、そして朝夕の門司駅・下関駅での「富士はやぶさ」の機関車交換や分割併合作業の撮り鉄などで過ごした2日間もあっという間に過ぎ、住まいのある関東へ戻る時間が迫ってきました
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、今回も続きます。北九州での2日目となる2009年1月11日は、7時頃に宿泊先の小倉駅前のビジネスホテルをチェックアウトし、西小倉駅でED76牽引の貨物列車1本を撮影してから門司駅へ移動しました。門司駅へ向かった目的はもちろん、昨日に続いて同駅での機関車交換シーンを撮影することと、前日は撮影できなかった「はやぶさ」と「富士」の分割シーンの撮影です。8時少し前に到着した門司駅では、「富士はやぶさ」到着までまだ1時間近くあるためか「富士
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出。前々回の記事までは、東京駅から乗車した「はやぶさ」に乗車して博多駅に到着したところまで書いてきました。今回はその続きです。博多駅でもっと乗っていたいという思いを抱きながら「はやぶさ」を見送った後、その日の日中は西小倉駅や黒崎駅などでED76やEF81の牽く貨物列車をはじめ、883・885系の特急「ソニック」、813・817系の快速や普通などの撮影を楽しみました。16時半頃に一旦撮影を切り上げ、宿泊する小倉駅前のビジネスホテルにチ
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、下り「はやぶさ」編の最終回です。「富士はやぶさ」は関門トンネルを抜けて九州に上陸し、8:51に5分遅れで門司駅に到着。ここでは下関からのワンポイントリリーフを務めたEF81から九州内の牽引機を務めるED76への機関車交換に加え、「はやぶさ」編成と「富士」編成の分割作業も行われるので、「富士はやぶさ」到着後の門司駅4番ホームは下関駅以上に撮影や見学をしようとする人々で賑わっていました。到着後すぐにホームに降り立つと、ホーム先端付近で
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、その5です。私の乗る「富士はやぶさ」は本州西端の下関駅に近づき、東京駅からこの列車を牽引してきたEF6643号機も間もなく任務を終えようとしていました。下関えき到着まであと10分を切ったところで、同駅での機関車交換シーンの撮影に備えて再び1号車のデッキ付近へ移動。やはり皆考えることは同じというべきか、デッキは一刻でも早く撮影のベストポジションを確保しようとする人で埋め尽くされていました。8:37、「富士はやぶさ」は下関駅に5分遅
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、その4です東京駅を発車した「富士はやぶさ」は、人身事故の影響によるわずかな遅れを引きずりつつも、快調に西へ向かっていました。運転士交代のため運転停車した米原駅を6分ほどの遅れで発車したのを確認したところで就寝し、翌朝は広島駅を発車した直後ぐらいに目を覚ましました。広島の次の停車駅岩国駅をやはり5~6分ほど遅れて発車したところで、1号車前方のデッキ付近の通路へ移動しました。その理由は、この先の徳山駅発車後に開始される車内販売で販売
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、その3です。発車前の「富士はやぶさ」を駅撮りしたりこれから始まるブルートレインの旅にわくわくしているうちに18時が近づき、「富士はやぶさ」の東京駅発車も間近になりました。しかし、実はこの日17:20頃に川崎駅で人身事故が発生し、その影響で東海道・京浜東北線が運転見合わせとなっていました。当然その影響は「富士はやぶさ」にも及ぶわけで、せっかくのお別れ乗車の旅が出だしからつまづくかと思われました。結局は正式な運転再開(18:20頃)
15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、その2です。自宅を出て一旦大船駅に立ち寄り、同駅に掲出された感動的なブルートレイン惜別ポスターを見た後、東海道線に乗って東京駅へ16時過ぎに到着。といっても乗車する「富士はやぶさ」の入線まではあと1時間ほど間があるので、一旦改札外へ出て(ここまではPASMO利用だったので)、八重洲口の大丸東京店で車中での弁当や飲み物などを物色しながら時間をつぶしました。17時を回って入線時刻が近づいたので駅へ戻り、「富士はやぶさ」が発車する10番
あと1か月ほどで、東京駅発着の最後のブルートレインだった「富士はやぶさ」がその長い歴史に幕を下ろしてから、早いものでもう15年の年月が経とうとしています。私は、2009年3月の「富士はやぶさ」廃止が近づくと、ほぼ休みごとにいろいろな場所でこの列車を撮影するようになりました。最終日に撮影したものも含めてその頃に撮影した写真を今改めて見ることは、視覚障害者となった今ではかなわぬことになってしまいましたが、その時の思い出は今も鮮明に心に残っています。一方私にとってブルートレインは、「乗る」ことも
ブルートレインけん引機のEF66形、瀬戸内色の115系電車、広島色のキハ40系気動車ー。2008年師走の下関駅では寝台特急「富士・はやぶさ」が健在で、今も活躍する国鉄形車両も旧塗色で運行されていました。下関車両管理室(現下関総合車両所運用検修センター)から出庫してきたEF6650。上り寝台特急「富士・はやぶさ」のけん引機で、この先で列車の到着を待ちました関門トンネルを抜けて下関駅に到着した「富士・はやぶさ」のけん引機EF81410EF81410が切り離された後
国鉄時代に最多308両が製造されたEF65形電気機関車。中でも1970年代後半まで増備が続いた1000番台(PF形)には「1111」という興味深いナンバー機も出現しました。「カートレイン九州」をけん引するEF651111=小郡(現新山口)駅、1990年EF651111は78(昭和53)年6月29日付で製造され、東京—下関間のブルートレインけん引機だったEF65500番台(P形)の置き換え用として東京機関区(当時)に配置されました。その後、東京区の機関車無配置化
東京と九州を半世紀以上にわたり結んだブルートレイン。最後まで残った寝台特急「富士・はやぶさ」には14系客車が使われ、電源供給を行うスハネフ14、15形は10両が配置されていました。基本的には共通運用だったと思われる両形式ですが、車端部の異なる形状から、ある程度決まりのようなものがあったのでは…と、最近気になり始めました。当時撮影した写真などから連結位置などを考えてみました。下り「富士」編成の最後尾12号車に入ったスハネフ14形=2009年スハネフ14形は1971(昭
こちらも、はや15年の写真当時の京浜東北線の主役209系走るンです、と揶揄されましたが、結局、まだ走ってます。東海道筋では、211系が走っておりました。185系の踊り子送り込み回送。ブロックパターン塗装のリニューアル車でした。修学旅行臨には183系が使われてました。ブルトレ末期の所謂フジブサ。裏被りしたのは、209系500番台牽引機はEF66-49。クーラーを載せていない原型ですもうかなり昔のような感じですが、まだ15年前です
2006年夏、東京から一晩かけて東海道・山陽本線を山口県まで下ってきた寝台特急「富士・はやぶさ」。ブルトレ末期、それぞれ6両という短い編成ながら、併結区間では堂々12両が連なり、かろうじて往時の面影を残していました。瀬戸内海の入り江に沿って走る戸田ー富海間の四郎谷で待っていたこの日、曇天だったせいか周囲は深い青色に染まり、少しだけ幻想的な雰囲気になりました。九州へ向かう青い流れ星が鉄路を去ってはや13年。晩年の姿にも懐かしさを覚えるようになりました。早朝の四郎谷を行く「富士・
14年前の今日はこんなことをしてました!『2008年夏の青春18きっぷの旅[1回目]①残りわずかの勇姿を見送る。』お待たせいたしました。8月7日にやっと青春18きっぷの旅を開始いたしました。まずは東海道線で西進し、ある私鉄を訪問する旅。今日は道中の道草撮影の写真を公開し…ameblo.jp
2009年3月13日に下関駅で写したEF66-49です。
15年前の今日はこんなことをしてました!『メインは何だったんだか…』お久しぶりです。昨日、中間テストも終わったので、これからはまたマイペースに更新していきますね。昨日はテストも終わったことですし、ちょっと大回り乗車してきまし…ameblo.jp