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一般社団法人浪江町地域文化フォーラムです。3月20日(木)、浪江町地域スポーツセンターにて「第12回浪江を語ろう!—新町通りの記憶を辿る—」を開催しました。編集版の配信をはじめました。・西村慎太郎(国文学研究資料館教授)「幕末浪江大火からの「復興」と十日市」・髙橋洋充(県立福島東高校教諭・丸福食堂長男)「頑張る、働く、人のまち。なみえ」https://youtu.be/I4CqxClALbw------------------------------------
2025年3月20日西村慎太郎です。いよいよ本日「第12回浪江を語ろう!」を開催致します。ほぼ定員に達しており、当日席が若干あります。---------------------------------------------日時:2025年3月20日(木。春分の日)午後1時30分~午後3時30分会場:浪江町地域スポーツセンター会議室(入場無料。現地参加者要予約。定員40名。YouTubeライブ予約不要報告者・西村慎太郎(国文学研究資料館教授)幕末浪江大火からの
稲田堤の「宿場」さんで佐藤さんの誕生日会をした🎉もう出会って20年くらいになるだろうか。みかど寿司で知り合い、そこから今でも時を過ごす友人だ🍺久しぶりにゆっくり飲みに行った🍺✨🍺またこんな時間を共にしたいと思える誕生日会でした🙌佐藤さん、おめでとうございました☺️
昔は宿場でしたここから白山神社に向かって歩きます。文京六中のグランドです。その先には文京区立誠之小学校があります。歴史のある学校ですが、学校の建物は新しくきれいになっていました。(撮影:2024.11.25)
今日は晴れ☀️日中は暖かです春がもうすぐ???ご宿場印の旅もう少し続きます土山宿からバスに乗って次の宿場町近くのバス停(市民病院前)で下車して歩く事20分強50番目の水口宿その昔干瓢の名産地だったそうです今では栃木県が生産No.1ですがここのお殿様(長束正家)が領地替えで栃木へ行きそこで栄えたそうです水口宿交流館にいらした方が旧東海道水口宿について説明してくれました水口宿は三叉路になっています珍しいらしい三叉路の入り口にあったカラクリ時計丁度12時だっ
久しぶりの投稿になりますが、昨年末に京街道を歩いてきました。過去に京都(三条大橋)から東京(日本橋)まで東海道53次を歩きましたが、東海道は実は京都から大阪までプラス4次あることを知り、歩いておきたいと思っていました。京街道大津追分~伏見宿~淀宿~枚方宿~守口宿~高麗橋今回は、東海道と京街道の分岐点である大津の追分からスタート追分は追分駅から徒歩5分くらいのところにあります。下の写真で右に行くと京都(三条大橋)、左に行くと大阪(京街道)になりますしばらく歩くと大宅一里
「しんじくだと思ってたよ」「しんじゅく、ですよ」「しんじゅく、か」「竹下通りは、はらじゅく、だよな」東京下町の喫茶店で、近くの席の会話が聞こえて来ました。「新宿」の言い方で盛り上がっていました。三十歳前後のサラリーマン風の三人組です。上記の「サラリーマン」は、ほんとうに「新宿」を「しんじく」と思い込んでいたのだろうか。そのことが不思議でならなかったのでした。もしそうなら極めて稀有なケースではないだろうか、という気がしました。私は「新宿」を「しんじく」と思っているわけではな
わらじ(*^_^*)安中市で一番おいしい饅頭(*^_^*)by食べたおじさん
今日は2024年12月9日(月)です。昨日はテレビ東京の「Youは何しに日本へ」を見ました。外国人が中山道(なかせんどう)を歩いて旅をします。途中岐阜県妻籠宿馬籠宿を通りました。参勤交代する際の宿場町です。古い日本がそのまま残っていますいいとこです。僕は2009年に行った事が有ります。懐かしいので振り返って見ました。過去記事です。↓===============2009年9月18日の出来事です。9月18日(金)
芥川城創設年代・・・・鎌倉時代後期創設者・・・・・芥川氏形態・・・・・・平城遺構・・・・・・城碑城碑旧家長屋門同付近の教宗寺同宿場の一里塚宿場略史平安時代末期、西国街道の宿場、芥川宿を根城に成長した芥河氏が鎌倉時代に御家人となり居を構えた。南北朝時代には北摂地方国人一揆の中心的存在となり、応仁・文明の乱で吹田・茨木氏と共に東軍に属し戦った。しかし西軍の将大内政弘の軍門に降り芥河氏は衰退し、城
裏磐梯の諸橋近代美術館の後は会津若松を通って下野街道宿場大内宿へ昔ながらのたたずまいが今も残る宿場町国選定重要伝統的建造物群保存地区なんだって江戸時代からつづく古い家何年、何百年建っているのだろう時代が進歩して必死こいて働いて建てた家なんて耐用年数30年って、、、どうなってるんだろう?石段を登って子安観音見晴台からの景色江戸時代の人々も同じ景色を見たんだよね今度は宿場の真ん中の一の鳥居から高倉神社へ水戸黄門が旅をしているような景色
笹沢佐保(71)/流れ舟は帰らず木枯し紋次郎ミステリ傑作選{《末國善己》}<森美夏>「中山道追分宿」(初版・2018/1/31)(創元推理文庫)1404円-東京創元社574p『小説現代(講談社)』(赦免花は散った・流れ舟は帰らず・女人講の闇を裂く・大江戸の夜を走れ・笛が流れた雁坂峠・霧雨に二度哭いた・鬼が一匹関わった・旅立ちは三日後に・桜が隠す嘘二つ・明日も無宿の次男坊
横浜乗り換え。自販機のーーハンカチーフくーださあーい🎶売れまくり?補充してないだけー??やって来たのは京急川崎!すきーです川崎あいのまちぃここをでるぅアーケード街は今日はいかなーいのここなんだった?東海道川崎宿なんぞ準備しとりますとりあえず本部?イベントのチラシないんね??自販機も宿場風?横浜は雨だったんよ中止だろうなぁとおもいつつやってきました演者も迷子:(;´꒳`;):
今日の散歩おじさん地域は10月中旬並みの21.3℃とこの時期らしい気温で、午前中は冴えない曇り空でしたが午後には少しですけど日差しも見られました!さて記事の方は取手宿から藤代宿を目指した「旧水戸街道」歩きの最終回です!前回の記事の最後に載せました「相馬神社」を背に、かつての宿場の方を見るとこんな眺めでして、道の両側に旅籠の建物などを想像すれば、なんとな~く旧宿場らしいと言える風景でした(p_q)相馬神社前で大きく右へカーブしてから150mあまりの所に取手市の「藤代公民館」がありまして、藤代
旅をしてきました。第一の目的は茅葺き屋根が並ぶ宿場の大内宿ですが、1日目は3度目の会津若松城(鶴ヶ城)へ、一度目は30年以上前にドラマで白虎隊を見て感化されて、二度目は15年くらい前に子が中学生の時に猪苗代湖へキャンプに行き観光をして、、、今回は百名城スタンプを押したくて、西出丸から入城、石垣を見るとワクワクすらお城を見ながら口ずさむのは白虎隊のドラマの主題歌だった「愛しき日々」、♫もう少し時が緩やかであったなら〜〜〜〜愛しい日々のはかなさは〜〜♫そこしか知らないので
(旧立合橋をわたる。右手は国道の新橋)旧甲州街道の旅は、山梨県甲州市大和町日影の国道20号線に脇に架かる旧立合橋からです。笹子峠から下ってきたとはいえ、まだ深い谷間の中で下を流れる日川(「ひかわ」「にっかわ」とも)までの高さもかなりあります。日川はラグビーの強豪県立高校の名前で全国区ですが、大菩薩嶺(2,057m)の南、小金沢山や(同2,014m)砥山(1,605m)あたりに端を発し、武田家滅亡の地である天目山あたりまで南流し、そこから西へ向きを変え、この先戊辰戦争における勝沼の戦いの舞台
昨日はお世話になっている近所のお蕎麦屋さん桑名屋さんで開催の「日本芸能と桑名蕎麦」に参加してきました。2階での会食からスタート。揚げたの天ぷらは勿論ですが、珈琲カップでの冷たい茶碗蒸しがすごくお洒落で美味しかったです。最後はやっぱりお蕎麦。食事でお腹いっぱいになった頃、桑名屋さんの宿場のお話しと、お蕎麦についてのトークがありました。桑名屋さんは、チーム平成のメンバーも可愛がってもらっています。宿場なのに、だんだん保土ヶ谷もマンションばかりで面影がなくなり寂しいです。昔の帷子町に表札
こんにちは♪袋井店です開店時間前に郵便局に行きました袋井駅前に噴水⛲️があり炎天下の元でしたが涼を感じることができました東京と京都を結び古来から人と物や情報が往来した「東海道五十三次」の西からも東からも27番目の宿真ん中の宿場が袋井でした「東海道五十三次」ど真ん中の袋井店には暑い毎日にも涼を感じる商品がたくさん入荷しています袋井店におでかけください♪アップルハウススタッフ募集中!↓応募はこちらから!!https://job-gear.net/abuchi/
ゆのです青春18きっぷで「元取れなくてもさらにシンプルに」と思い(2022年3月11日撮影)名古屋駅発着基準で中津川駅を挙げてみたいと思います中津川駅の駅周辺ですが、そのうちの一つが旧中山道の中津川宿です中津川宿は、江戸日本橋を出発して板橋宿から数えて、中山道四五番目の宿駅であります「中山道宿村大概帳」によると、江戸へ85里12町8間、落合宿へ1里、大井宿へ2里半の位置にありました江戸方より淀川町・新町・本町・横町・下町と続き、本町に本陣と脇本陣があり、主に苗木藩領への売出が多か
せっかくの大内宿なんで、ビールをいただきました。ノーアルやけど、、、(笑)このお餅は同伴者様のオーダーです(笑)水分補給ができました(笑)
7月4日先日寝坊で延期した取材にでかけました。元は5年前に日没コールドになった場所なので、それなりに山深いところでしたが...。涼を求め、標高900mの御嶽山にのぼったら自宅と同じ暑さに辟易したのと同じことに。これからの取材は、始発作戦か乗り鉄や散歩を兼ねて夕方近場に方針を変えないと無理ですわ。近代日本の産業革命に貢献した「教科書に載ってる人」渋沢栄一氏が一万円になるというので深谷に行ったの、なんと2021年なのでした。お札って決まってから、随分時間がかか
旧甲州街道の旅は、大月市街を背に新大月橋をわたった先、旧道と国道20号線が合流する地点からです。この辺りはモータリゼーション勃興期におけるドライブインの雰囲気を残したレストランが残っています。おそらくは甲州街道の旧国道20号線と、富士山道だった旧国道139号線がこの付近で合流していて、中央自動車道はおろか、今の国道も整備されていない時代に、ここは甲府盆地、富士五湖方面の分かれ道だったのだろうと思います。その頃から、富士五湖はドライブのディスティネーションだったのでしょう。ちなみに鈴鹿サー
香取神社に参拝香取神社にやってきました。500年ほど前に創建されています。拝殿です。この日は3月3日でした。北越谷駅のすぐ近くまで来ています。(撮影:2024.3.3)
小江戸大江戸レースが近づいて来たので少し焦っています。足の傷は未だ治っていませんが、傷部を包帯でガードして長距離走に出かけました。今日は東方向に旧山陽道を走りました。可能な限り古道に沿って進みます。昔の宿場で云うと、防府市の宮市宿からスタートして、富海宿・戸田宿・福川宿・徳山宿・花岡宿・久保宿・呼坂宿の7宿場を通って高水をゴール目標にしました。出発してすぐに「浮野峠(うけの)」を越えて富海宿に向かいます。その後も、椿峠、赤坂峠、温田峠とアップダウンを繰り返し徳山宿へ。徳山宿までの25kmは
外呑みで晩酌兼晩ごはん西調布の旧甲州街道にある居酒屋の「宿場」さんへここに来るのは久し振りだが、相変わらず旨いお通しはタケノコ煮肴はピーマン肉詰めフライとタコワサ酒はレモンサワー美味しく頂きました
(大椚一里塚跡)旧甲州街道の旅は、桂川と鶴川の支流仲間川に挟まれた尾根に取りついて、尾根上に出た大椚一里塚跡から、野田尻宿へと向かいます。標高203.2mの鶴川宿と、標高354.2mの野田尻宿の標高差は151mで、大椚一里塚の標高は310.7mですから、3分の2以上高さを稼いだわけで、あとは楽勝かと思いきや、尾根道の登りはまだまだ続きます。左にカーブしながら右に廿三夜塔(陰暦二十三日の夜に月待をした記念の塔)、続いて左へカーブしながらそのさきで左に石塔群や道標、右に道祖神と、ちいさな石塔や
高札場の直ぐ東に隣接する関郵便局。ここで、面白いポストを見つけちゃいました。書状集箱って(笑)うちのポストもこれにしたい(≧∀≦)ノ宿場散策って面白すぎです(*´▽`*)
それでは、木曜日の競馬、今年最後のJRA開催日を振り返りたいと思います。当日は18日から始まった望んでない11連休の最終日。5時半過ぎに起床し、ホープフルSの各馬私見を執筆。『2023年ホープフルS(G1)☆各馬私見☆』12月28日はホープフルS!G1恒例!今年最後の各馬私見でございます!1枠1番ゴンバデカーブース松山弘平2戦2勝馬。ここまでの2戦は文句なしの勝ち…ameblo.jp書き終えてちょろっと朝酒したり。(///∇//)8時過ぎに再び寝室へ。12
昨夜はパチスロで大儲けしたという沼袋高殿下に「宿場」にてご馳走になりました♪(´艸`)宿場西調布店(西調布/居酒屋)★★★☆☆3.17■予算(夜):¥2,000~¥2,999tabelog.comこちらのメニューのなかから我々がチョイスしたのは~鰤!生たこ!白子ぽん酢&小松菜おひたし!おひたしはお替りもしました!白子をもう一丁!醤油焼き!お酒もたんまり飲みました!銘柄は失念(笑)!めぬけ西京焼き!レギュラーメニューのなかから肉豆腐