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香取神社に参拝香取神社にやってきました。500年ほど前に創建されています。拝殿です。この日は3月3日でした。北越谷駅のすぐ近くまで来ています。(撮影:2024.3.3)
小江戸大江戸レースが近づいて来たので少し焦っています。足の傷は未だ治っていませんが、傷部を包帯でガードして長距離走に出かけました。今日は東方向に旧山陽道を走りました。可能な限り古道に沿って進みます。昔の宿場で云うと、防府市の宮市宿からスタートして、富海宿・戸田宿・福川宿・徳山宿・花岡宿・久保宿・呼坂宿の7宿場を通って高水をゴール目標にしました。出発してすぐに「浮野峠(うけの)」を越えて富海宿に向かいます。その後も、椿峠、赤坂峠、温田峠とアップダウンを繰り返し徳山宿へ。徳山宿までの25kmは
【宿場】忘年会♪(2023年12月上旬の記録)宿場で仲良しさんたちと忘年会(´▽`)◎お通しコースです(´∀`*)◎ルービーごくごく◎吉四六ごくごく親割り作る係ですヽ(*^ω^*)ノ私の作るお酒は基本濃いです♪◎お刺身(´▽`)◎瑞兆ごくごく◎寄せ鍋めっちゃ豪華です(´▽`)◎バターポテト追加オーダーヽ(*^ω^*)ノほくほく!!◎ねぎぬた追加オーダーヽ(*^ω^*)ノちょこっとまぐろ入り!◎なんらかのお魚追加オーダーヽ(*
外呑みで晩酌兼晩ごはん西調布の旧甲州街道にある居酒屋の「宿場」さんへここに来るのは久し振りだが、相変わらず旨いお通しはタケノコ煮肴はピーマン肉詰めフライとタコワサ酒はレモンサワー美味しく頂きました
(大椚一里塚跡)旧甲州街道の旅は、桂川と鶴川の支流仲間川に挟まれた尾根に取りついて、尾根上に出た大椚一里塚跡から、野田尻宿へと向かいます。標高203.2mの鶴川宿と、標高354.2mの野田尻宿の標高差は151mで、大椚一里塚の標高は310.7mですから、3分の2以上高さを稼いだわけで、あとは楽勝かと思いきや、尾根道の登りはまだまだ続きます。左にカーブしながら右に廿三夜塔(陰暦二十三日の夜に月待をした記念の塔)、続いて左へカーブしながらそのさきで左に石塔群や道標、右に道祖神と、ちいさな石塔や
高札場の直ぐ東に隣接する関郵便局。ここで、面白いポストを見つけちゃいました。書状集箱って(笑)うちのポストもこれにしたい(≧∀≦)ノ宿場散策って面白すぎです(*´▽`*)
それでは、木曜日の競馬、今年最後のJRA開催日を振り返りたいと思います。当日は18日から始まった望んでない11連休の最終日。5時半過ぎに起床し、ホープフルSの各馬私見を執筆。『2023年ホープフルS(G1)☆各馬私見☆』12月28日はホープフルS!G1恒例!今年最後の各馬私見でございます!1枠1番ゴンバデカーブース松山弘平2戦2勝馬。ここまでの2戦は文句なしの勝ち…ameblo.jp書き終えてちょろっと朝酒したり。(///∇//)8時過ぎに再び寝室へ。12
昨夜はパチスロで大儲けしたという沼袋高殿下に「宿場」にてご馳走になりました♪(´艸`)宿場西調布店(西調布/居酒屋)★★★☆☆3.17■予算(夜):¥2,000~¥2,999tabelog.comこちらのメニューのなかから我々がチョイスしたのは~鰤!生たこ!白子ぽん酢&小松菜おひたし!おひたしはお替りもしました!白子をもう一丁!醤油焼き!お酒もたんまり飲みました!銘柄は失念(笑)!めぬけ西京焼き!レギュラーメニューのなかから肉豆腐
『江戸一口ばなし』ー今野信雄●宿場つぶして我が家を断絶✪現在の副都心新宿も、もとは元禄11年(1689)に甲州道中につくられた宿場町でもある。というのも甲州道中の起点は日本橋だが、初めての宿場が日本橋から四里八丁もある高井戸だった。もともと旅人は少なかったのだが、それを浅草の商人たちが5千6百両の運上金を積んで新しく宿場にし、飯盛り女をおいて品川、板橋、千住と並ぶ江戸四宿の一つにしたもので、土地は信州高遠藩内藤駿河守のもの。そこで内藤新宿と呼ばれたのだが、さかり場となれば必ずゴロツキが
12月6日は朝から快晴中央自動車道経由で岐阜県中津川市馬籠へ木曽路はすべて山の中である。で始まる「夜明け前」の作者島崎藤村の生誕地馬籠は、中山道の43番目の宿場町。2005年2月13日の山口村の越県合併により長野県から岐阜県中津川市に編入されました。若いころに東京駅から大垣行の普通夜行列車で早朝名古屋駅に降り、中央線に乗り換えて落合川駅で下車そこから馬籠~馬籠峠~妻籠のルートを2回ほど歩いたことがありました。今は外国人に人気のルートらしいです。馬籠宿入口の桝
11/12には杉戸宿を歩いてきました。凄みのある見返り狛犬に会えました。詳細はこちら『日光街道杉戸宿を隅から隅まで』日曜日は朝9時から地域の合同防災訓練が行われた。しかし冷え込む予報なので、高校グランドでの各種訓練は中止。班ごとの防災ミーティングのみとなった。班長の職務を果…ameblo.jp大落古利根川(オオオトシフルトネガワ)。江戸時代以前の利根川の本流で東京湾に注いでいたそうです。来年は利根川の歴史など勉強したいと思っています。近津神社。花塚の石碑。富
現場帰りに北牧宿。水路と常夜灯と看板があるだけで、風情がどことなく出る。水路が石積みだとさらにいい。#渋川市#北牧宿#宿場#三国街道
映画スパイダーマンファーフロムホームがふざけててつまらなさそうだから、録画した映画殿利息でござるを見よう、何か超高速参勤交代の映画の雰囲気がして同じ監督なのかもしれないな、何かコミカルそうで面白そうだ、何か宿場の話しなのか、この宿場では殿様の武士がこの宿場街道を通るらしく、その武士を宿場の者達がお金を出して世話をして、次の宿場まで届けないといけない風習があるらしく、貧しい農民や商人が多いので、馬を調達するお金がなくてお世話をする事が出来ずに夜逃げをする者も多いみたいだ、本当にこの悪しき風習を何と
娘が決めたカフェで食後の休憩です。満席だったんですが、直ぐに席が空いたので時間のロスが少なくて助かります。店内は勿論、古民家風で落ち着いた感じでマッタリ出来ますよ。僕は「いずみや町歩きブレンド」を注文。あまり熱くなかったので、直ぐに飲み干してしまいましたが、まぁそれなりに飲みやすかったです。抹茶の好きな娘は、抹茶ショコラテリーヌを注文。美味しかったみたいで、食後なのに一瞬で平らげてました(笑)
両親から教えて貰って、この越後屋の投じ蕎麦が食べたくて奈良井宿まで来た様なものなんです。親が言うには、ここの投じ蕎麦が今までに食べた中で一番美味しいらしく、物凄く楽しみなんです。折角きたので、店内の写真も。で、メニューをみても投じ蕎麦が無い(;∀;)店の主人に聞いてみたら、投じ蕎麦は12月からしか出してないらしい…無茶苦茶ショックです(*T^T)娘は大好きな五平餅があって喜んでますがね…無いものはしょうがないんで、きのこそばを頼みました。優しい味で美味しかったですけど、やっぱ
こんにちは🍀ミキトモですディズニーのお土産の定番巾着いつも買ってしまう巾着小物を仕分けるのにぴったりな巾着活用方法は色々ありますねそんな中私の和柄の巾着の活用方法私が持っている和巾着は2つひとつは〈左側〉御朱印帳袋⚠️さらに濡れ防止にダイソーのチャック付ビニールケースに御朱印帳を入れて持ち運びます⚠️もうひとつは〈右側〉御朱印で頂く冊子や御城印保管ファイル甲州街道御宿場印保管ファイルを入れて保管していますこちらは家で保管東海道宿場印もあるけど
愛知ウォーキング城巡りクラブ夏の勉強会に参加しました。今回は二部立てで、ひとつは東海道などの街道講座。愛知県で東海道というと名鉄有松駅前に残る有松宿が有名です。観光地としても人気があります。でも有松宿は江戸時代の東海道の宿場ではなく、宿場と宿場の間にあった『間の宿』(あいのしゅく)という大きな商店街みたいなものでした。だから東海道五十三次には数えられていません。東海道の宿場の地図を見てもやはり有松宿はありません。その理由は宿場ではないからなんですね。など、マニア
奈良井宿「夏の日」奈良井宿の夏の日は照り付ける強烈な光が、古民家の庇の影を強くし、コントラストの高い風景になっています。この宿場の西の端に「鎮目神社(しずめじんじゃ)」が有り、毎年8月の11日から12日にかけて例大祭が行われるのを楽しみにしています。昨年まで新型コロナ対策で祭礼を縮小して行われていたようですが、今年は本来の形で開催されるようです。時間が止まってしまったかのようなレトロ感満載の木曽路の宿場風景に懐かしさを覚えていました。奈良井宿には「杉の森」という地酒が有って、
座頭市1989年2月4日(土)公開居合い斬りの得意な按摩・座頭市と五右衛門一家との戦いを描く。あらすじ牢を出たばかりの座頭市は、漁師・儀肋の家にやっかいになった。その小さな漁村では五右衛門一家が賭場を開き、市もつきに任せて遊んでいた。跡目を継いだばかりの若き五右衛門は宿場一体を仕切るために八州取締役に取り入ろうとしていた。大勝ちした市を撫然とした五右衛門一家が取り囲むが、女親分のおはんが取りなした。帰り道で市は刺客に襲われるが、得意な居合い斬りで片づけた。市は旅先で絵を描く浪人と知り合い
5周年5周年と準備に追われていますが、チーム平成の学生部も相変わらず大活躍です。明日は保土ヶ谷東口でこうど市開催。今回KIKCAFEはお店でも提供中のダイシもち麦を販売予定です。前回は告知がほぼない雨のこうど市ですが、明日の天気予報は晴れ。タウンニュースにも掲載されたので、ちょっと期待です。記事の中にはKIKCAFEの名前も・・・・「ごうど市」3年ぶり復活保土ケ谷駅東口で2日に開催|保土ケ谷区|タウンニュース江戸時代から昭和20年代まであった旧東海道の宿場市をルーツとす
JR武蔵野線の新座駅から野火止用水沿いの遊歩道をそぞろ歩き、新座市歴史民俗資料館、平林寺、睡足軒と巡ったところで此度の散歩はおしまい…だったのですけれど、ついでに立ち寄ったところをもうひとつだけ。平林寺の門前を通る道には、新座駅行、朝霞台駅行、志木駅行と3本のバス路線が走っておりまして、単に帰路と思い描けば新座駅に出るのが便利なのですが、何とも本数が少ないのですなあ。新座あたりを走るバス・ルートは基本的に、昔から走っている東武東上線の駅と西武池袋線の駅を結んでいるわけで、JR武蔵野線の駅は
使用機材紹介OLYMPUSOM-DE-M1XPENTAXSMCTAKUMAR28mmF3.5MIR-1B37mmF2.8OLYMPUSG.ZUIKOAUTO-S55mmF1.2Kenko19-35mmF3.5-4.52023年5月30日長野県小県郡長和町和田和田宿を歩いていると昔の宿場時代の建物だけではなく昭和レトロとでも言うような建物も多く存在する。空き家や廃墟化した家も点在しており新しい家は通りの奥の方にある感じでカフェの看板も幾つか
使用機材紹介OLYMPUSOM-DE-M1XPENTAXSMCTAKUMAR28mmF3.5MIR-1B37mmF2.8OLYMPUSG.ZUIKOAUTO-S55mmF1.2Kenko19-35mmF3.5-4.52023年5月30日長野県小県郡長和町和田今日は午前中田植えをして午後から和田宿へ行ってきた。先々週の美ヶ原の撮影の帰りに通って一度歩いてみたいと思っていた。昨日は1日中雨だったが今日はスカッと晴れて蒸し暑かったが所々に休め
←クリックしてご覧ください→過去の平成16年から令和元年の一言木曽11宿宮ノ越の宿場巴淵巴淵長野県木曽郡木曽町日義木曽川上流木曽川下流木曽川が巴状に渦巻く渕であったことからこの名がある。巴御前がここで水浴をしたという伝説が残る。散策マップJR宮ノ越駅改札口駅ホーム渡線橋作業車両義仲橋木曽義仲館義仲館正面木曽義仲と巴御前玄関館内館内ホール日照山徳音寺長野県木曽郡木曽町日義寺標徳音寺入口参道の三十三観音山門徳音寺は、長野県
阿智村から中山道馬籠宿へ、到着がおそくなったので早歩き、そば、五平餅、そば饅頭、あとさらに、五平餅、五平餅、五平餅の予定でしたが笑、溢れていた観光客もいなくなって、どこも閉店の時間。五平餅のこり三周はお預けです笑店舗でなく住宅としてお住いのお宅もあってご苦労もあるかと思うので、売らない、貸さない、壊さないという思いで残されていて、次回はゆっくり建物も見て、江戸の気分をもっと味わいた
4月12日(水)曇り朝起きるとどんよりとした空模様。午前中には降り出しそうです。今日で4日目です。元気に出発!今日の立ち寄り地は関宿場です。そこまでは旧東海道に拘らず進みます。あんまり言いたくないけど、三重ドライバー運転がお上品でないですね。横道からの右左折で止まらないですね。朝だから殺気だっているんでしょうか。関宿場に向かう途中。何をアピールしたいんやろ?関宿場西追分。ここは保存に力を入れてますね。素晴らしい!なんたって、大嫌いな電線が無い!再現された高
「下街道」を歩いてきました。今回はJR土岐市駅から瑞浪駅までです。JR中央西線土岐市駅から出発です。岐阜県東濃地方は愛知県境から多治見市・土岐市・瑞浪市・恵那市・中津川市と続きます。JRの駅名も多治見・土岐市・瑞浪…と、なぜか土岐市駅名だけが「市」とつくのです。特段な理由でもあるのでしょうかね。土岐川を渡って、旧街道「下街道」に合流するのですが…少しだけ戻ったところに「鈴木家」があります。ここには中山道大湫宿本陣(今は取り壊され学校となってい
小倉と長崎を結んだ長崎街道の宿場で、街並みはすっかり変わってしまっているが、佐賀藩と蓮池藩の藩境石が残り、宿場の入口を示す構口に標柱が建っている。
早いもので3月も終わり。人事異動や入社式など新しい環境になる人も多いかと思います。KIKCAFEも3月は久々に盛り上がった感じがします。私も沢山の出会いや再会がありました。3月最終日の今日もまたまたユニークなお客様が来店しました。海抜0から世界七大陸高峰に挑んでいる吉田智輝君は、KIKCAFEのお客様としては有名でしたが、2022年にエベレスト登頂を果たした西川史晃さんが来店されました。西川さんの夢は「歩く旅を復活させる」こと。車や公共交通が発達して歩くことを忘れてしまった私達、そ
上尾宿は愛宕神社を通り過ぎ、上尾駅に向かう。道も広く、高層マンションが立ち並んでいる。駅近くに氷川鍬神社があり、その正面に本陣があったということだ。比較的小さな宿場で、今は何も残っておらず、残念だ。神社の先にある遍照院には薄幸の遊女お玉や山崎武平治の墓がある。江戸時代に郷学の学舎を氷川鍬神社に作ったとある。宿場には、遊女達もいたに違いない。庚申塔を見て進む。今回は庚申塔が多いような気がする。昔のものとして残っているのは庚申塔だけに近い。愛宕神社