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『夢ぞ見し』「長門守の陰謀」収録映画をちょっとお休みして読書をしました藤沢周平さんの作品はほぼすべて、読んでいると思うのですが特に、ぴりっと小粒の短編が好きなんですこの『夢ぞ見し』は実は何年か前にもアップしているのですがぜひもう一度、ご紹介させてください趣きのある藤沢先生の文章を削って、削って、申し訳ありませんが・・お話昌江は御槍組に勤める夫・甚兵衛と二人暮し十八で嫁入りそれから、十年経ったが子供はない甚兵衛は寡黙で無愛想で
皆様、こんにちは。週末もあっという間に終わり、明日からまた平常ダイヤですね。学習センターでは今日も引き続き講習会が行われているらしいですが、私は早めに参加して良かったです。さて、昨夜は大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」を観ました。もちろん、録画です。いつも昼に再放送を視聴するのですが、昨日はその講習会に参加していたので。連続ドラマって、一度見逃すと次から続けるのが難しくなったりしませんか?特に私は元々あ
今回は美濃の家督争い恐ろしい世の中ですね。いよいよ斎藤道三として登場です!頭を丸め出家しました。益々迫力、凄み凄いパワーです。本木雅弘さん!(☆∀☆)道三の悲しみと怒りの深さも混乱状態の様子も凄く伝わってきました。父として悔しさもあったでしょうね。それにしても母が異なる兄弟争いあんな方法で暗殺するなんて。高政の本心は「道三は我が父に非ず」の気持ち道三に対する確執はかなり深くなっていたのですね。又々板挟みの十兵衛世の中を平らかにする目標があるのに
天正6年(1578年)3月13日越後の龍・上杉謙信・急死す。その直後より上、二人の養子が家督をめぐって1年余り、激しい抗争を繰り広げた。その越後の内乱を「御館の乱」と呼ぶ。上杉家を二分し、まさに血で血を洗う「仁義亡き戦い」を繰り広げた二人の養子とは上杉景勝(実父は長尾政景)と上杉景虎(実父は北条氏康)。武勇にも家格にも優れた二人の養子。景虎25歳、景勝24歳年齢もほぼ同じであった。しかも、謙信公は後継者を決めぬまま急死したため、家督争いが起こるのは必然であった。生涯
今回は「大友二階崩れの変」についてお話ししよう。大友とは、九州で名の知れた漢大友宗麟の家の事。その宗麟が、まだ父親の家督を継ぐ前のお話しです。ここからは、宗麟ではなくてその前の名前義鎮(よししげ)として紹介する。戦国の世から続く家は数あれど、既に戦国時代において、当主の代が20代に達していたという事は、ここ大友家だけが珍しいという訳でもない。源頼朝が遠く九州にまで人をやり、そこに住まわせて・・・・。土地の者達を治めながら、外敵からの守りも固めていた。それらの
【問題】戦国期に信隆と信応による家督争いが発生した上総武田氏の分家とは次のうちどれか?【選択肢】河窪氏真里谷氏油川氏下曽根氏【正解】真里谷氏【解説】上総国に土着した武田氏は、庁南城の本家と真里谷城の分家に分かれ、後者は真里谷氏を称した。戦国期には信隆と信応(のぶまさ)による家督争いなどが発生し衰退した。
愛しさに身も心も満たされて・・・・・私はその夜、信長様にすべてを委ねた。「ん・・・・・・」心地よいけだるさを覚えながら、目を開く。信長「・・・・・・もう起きたのか?まだ夜明け前だ」「信長様・・・・・・」(そうだ、私、この方と・・・・・・)激しく奪われた身体が、まだ火照りをとどめている。幸せに満たされて、私は信長様の胸に鼻先を埋めた。信長「・・・・・・どうした?」1:なんとなく、です2:まだ、こうしていたい♡3:あったかいですね「まだ、こうしていてもいいですか?」信
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【問題】≪難問≫大永3年(1523)に起こった近江京極氏の家督争いでは、次のうち誰と誰が争ったか?【選択肢】高延と高吉高知と高成高或と高厚高通と高徳【正解】高延と高吉【解説】北近江に勢力を持っていた京極家中では、大永3年(1523)に高清の跡目を巡って争いが起こり、浅井亮政らに推された高延(高広)が勝利し、高清と弟の高吉が尾張国へ追放された。