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息子夫婦の赤ちゃんが、無事に誕生しました。夫の入院1日前でした。小さくてカワイイ安らかな寝顔を見て…あなたの生きるこの世界が、ずっと平和でありますように✨️と願わずにはいられなかった…私は1人で、東京の病院までママとベビーに会いに行ってきました。さっそく息子が、ミルクをあげる姿を見て、良い時代だなぁ…としみじみ思いました。夫の闘病10年…まだまだ辛いことがあると思う。だけど…久しぶりに私達の心に、大きな希望の光が輝きました。
どんな思いで闘病記録を書いていたか知って欲しい✽2025.11.23…23:45『【義父の闘病16】こんな穏やかな日が続くといいな✽2024.3.13…20:30』つぼみ菜BLOGよりData移行【義父の闘病16】こんな穏やかな日が続くといいな✽2024.3.13…20:30↓貼ってたリンクの画面コピーお義父さんの異常行…ameblo.jpつぼみBLOGにて【義父の闘病16】こんな穏やかな日が続くといいな✽2024.3.13…20:30食べられそうなもの…野菜スープ
長女の統合失調症の記録2018年23歳で統合失調症になった長女3年間の寛解に安心していましたが2022年の年末再発をしてしまい2023〜2024年にかなり長期の入院その間に私立の大学病院から公立の大学病院へ転院寛解と言えるかどうか、、微妙な状態ですがなんとか在宅で過ごせるまで回復し2024年末からは自宅での生活2025年4月〜5月悪性症候群の疑いで緊急入院バルコニーの緑たちすくすく育っておりワンちゃんたちはそれを毎朝眺めるのが楽しみ朝晩すっかり涼しく
最初の標準治療もゴール目前!治療のおかげで発症時と比べて本当に良くなりました✨医療スタッフの方々のおかげです♡母の個室は高層階で風が強いからか1ミリも窓を開けられなくて換気もできないので、少しでも外の空気を吸ってもらいたくて毎日面会に行って敷地内で散歩したり外の空気を吸ってもらっています😊🌳外の空気を吸って太陽の光にあたるって本当大事💓無料でいただける自然の恩恵に感謝です🥹仕事が休みの日は朝と夕方の2回面会に行き、できることは何でもしよう!
2023年8月後半、私は普段通り会社で仕事をしていた。14時〜15時頃、ふと携帯を見ると、母からLINEが届いていた。「父さんが倒れた」母からは、状況が次々とLINEで送られてきた。駅前で意識を失い倒れたこと、意識を失って倒れたことにより顔に傷があること、いまは救急車に母も同情していて、搬送先を探していることなど。その後、父は救急搬送で病院に運ばれた。最初に運ばれた病院で心臓の病気を疑われ、そのまま循環器の専門病院に再度搬送された。その場は母に任せていたため、私は定時ま
先日、とても綺麗な夕焼けでした帰宅途中の車から降りて慌ててスマホで撮ってみました実際の感動は伝わらないかもしれない……でも私気持ちのリセットができた~
前回、大きな課題となった敗血症だったが、その後の培養では菌が検出されなくなり、疑陽性(偽陽性)という診断となった。幸いなことではあるが、最初の2日間の培養検査ではいずれも陽性だったため、今から思うと少し不思議な経過でもある。一方で肺炎も起こしており、当初使用していたスルバシリンには感受性がない可能性があるとのことで、抗菌薬はピペラシリンに変更され、一週間ほど投与する方針となった。また、数日前から血圧が安定してきたため強心剤は終了した。心拍が安定すればペースメーカーを抜去する方針だ
今日は、膵臓の定期検査の結果の日でした。久しぶりの主治医。私の主治医は、若いけど落ち着いている。少し面白いこと言ってくれるけどちゃんと、”大丈夫”って思わせてくれる。今日は、開口一番、「お久しぶりです。…6月以来、ですかね。今日来るの忘れてたんじゃないですか?」だって。忘れる、なんて。そんな事出来る訳ない!「私にとっては大きなイベントですよ。」「ですか。何にもないですよ!」結果にどきどきの私に主治医、あっさり。入室して15
2011年3月11日は、あの痛ましい東日本大震災の日私の家族が大病で手術をし、退院した日震災と家族の闘病あたりまえの日常が、いとも容易く失われる怖さを痛感した2011年何かに突き動かされるようにサラリーマンだった私は、会社を辞めて2011年11月11日に会社を設立私の会社も12年目家族の闘病も12年目被災地の復興も12年目あたりまえの日常が取り戻せる日が来ますように…あの日をずっと忘れない今日もこころ明るく、元気にいきましょう!
今日、在宅医の訪問があったそうです。熱もあるし良くないので病院に行くよう指示があったとのこと。今度こそ素直に入院するかと思ったら、処置して帰宅したと。絶対入院はしたくないって言ったらしい。しかも、中止してから数ヶ月経つ抗がん剤治療をしたいと伝えているとか。私は本人の意思を尊重したい。意味がなくても、副作用などで悪くなって亡くなったとしても、本人の思うようにさせたい。次は金曜日に受診。その時に抗がん剤治療やったらダメか聞こうと思う。あとどのくらい持つのか…なんだかんだ言って、も
連れ合いの闘病関連ではなく、遠距離介護関連の話です。とうとう来ました。老人ホームの月額入居費と、施設管理費と、給食費と、冷暖房費(冬季と夏季では差があり。冬が厳しい所なので)、すべてにおいて値上げするという連絡が来ました。逆に言うと、この3年間のコロナ禍で値上げの連絡が来なかったこと自体、老人ホーム側でものすごい企業努力をしてくれていたということ。ありがとう、老人ホームの運営さん!でも…値上げ幅、結構ずっしり来ます…そうは言っても、入居費自体
連れ合いの闘病関連ではなく、遠距離介護関連の話です。VAD装着者ご本人、またはVAD介助者で親の介護と闘病が重なったらしき人のブログ投稿へレスポンスしようと思ったのですが、その草稿を書き出してみたら、何というか「自分語り」が長くなって「こりゃレスとしてはふさわしくない、失礼だぞ」と感じたので、自分の庭(ブログ)に書きます。自分の庭なので、心置きなく長々と…私の親は5年ほど前、私の連れ合いが重症心不全に陥って補助人工心臓を植え込み手術する前に、北東北の住宅型有料
読んでくださってる方、イイネ押してくださってる方、ありがとうございます前回の続きです。petの結果を聞きに3人で病院に向かいました。受付番号が、770で、ラッキー7じゃん!やっぱ大丈夫かも。とか言って笑う母。いやラッキー7て、7が、3つだったら分かるけどさ。って、アホみたいな会話しながら。なんとか明るく先生に呼ばれるまで待ってました。癌の痛みっていうか、自覚症状ないし、血液検査めちゃくちゃいいし、食べれるし動けるし、絶対大丈夫だよね、元気だもんって何回も何回
2022年12月12ティエドゥールを発足させました。ティエドゥールは宗教とは一切関りがございません。物品の販売や金品の要求等も一切ございません。大切な方の闘病を支えている方大切な方を亡くされた方の為の女性専用の傾聴の場がティエドゥールです。あなたの辛さに心を寄せてくれる人はいますか?ただ黙って自分の苦しさや悲しさを聴いてほしと感じていませんか?私自身の経験からそれを叶えるための場をつくりたいとずっとずっと考えていました。
去年夏から闘病していた夫ですが、今回ストーマを落とすことになりました。(ストーマを落とせるか占っていて、次男には決定前に占い結果を話していました)(カード通りだったので、カードはやはりすごいなと思うのでした)今日から入院なので、前夜は激励会のつもりで焼き肉をいただきました。キャラクターがあったりのどこかメルヘンな『お肉なじかん』でi元気つけられたかな。私がとても気に入ったのは、炭火で自分で焼いたおにぎりです🍙NoWarPleasevia李々佳・・縷々綿々Your
〜当時を振り返り投稿〜【エコー検査】膵臓炎症【膵臓の先生の診察】先生から再び💊カモスタットのお話。↓「前に飲んだとき気持ち悪くて、気持ち悪くて、本当に気持ち悪くて何も手につかなくなってしまったので……カモスタットは……」カモスタット………先生がまたカモスタットの話をされたってことは飲んだほうがいいんだろうなぁ~けど、あの気持ち悪さはやはり耐えられない「飲まなきゃ急性膵炎になって入院だよ!」とか言われたらビビって飲みますけど………私なんて膵臓の働きを助けるお薬なんかで弱音
わたしが1人で母を見ていること…また家には寝たきりの父が居ること。それを知ってる会社の人たち、友人らがわたしをすごく心配してくれてそれだけで、感謝感謝で。介護休暇制度も会社が提案してくれました。わたしは今の仕事について10年ちょい。色々思う事もあったけど人を思う気持ちとか、人間関係はとても良くてあーこの仕事してて良かったなって、、今はものすごく感じます。時々いやいや病を発して何度も「辞めてやる!!」と思った事もしばしばあったけどこういう時に直面した時に会社の対応でい
自分への誕生日プレゼントに藤井風さんのファーストアルバムセカンドアルバム、購入!苦労して、パソコンに取込みそこからスマホに取込みこれで、いつでもどこでも聴けるよ僕らはまだ先の長い旅の中で何かを愛したり忘れたり色々あるけどあーあいつの間にかこの日さえも懐かしんで全てを笑うだろう全てを愛すだろう「旅路」よりそうなんです、状況は日々どんどん変化している。どう変化させるかは自分次第なんですね。すべてを笑う日は必ず来るから。。。散歩途中で出会ったヤギさん。
こんばんわ、バタついております、アリクレハです書いたか書いてないか忘れましたが、また旦那の転勤で首都圏に引っ越してきたのですが、引越し後から私、ずっと忙しいんですけどさて、ついに母の病気が判明しました。簡単に経緯です。8月末、私、LVAの術後実家に帰省。→母の様子がおかしかったので、内科に連れていく。この時本人の自覚症状は、食欲不振。家族の間では、単語の言い間違いや同じ話を何度もする、理解力の低下などがあり認知機能の低下を心配する。9月頭、内科受診。後日胃カメラを勧められ、受けるとピ
4年前、まだ淡路島に住んでいた時に書いたものです。68歳で腰の骨の手術をした母の入院の時に思ったことです。この時はこのあとがんになるなんて思ってなかったなぁそれでも最近、私の中で大きな変化があるのです過去の辛かった出来事を思い出してしまった時にもっとああすればよかったのにこうもできたのではないかと思いがちな私でしたが、そうは言ってもその時できることを精一杯やったやん!よう頑張ったやん!て思って割と早くリセットできるようになったんですよこれってすごいです
誰かと喋ったりしてる時は元気でいられるんだけど1人の時、1人でボーっとする瞬間が駄目ですね。気にせず悲しみにふけった方が良いのかなこの場合?何が正解か分からないから取り敢えず泣いてばっかりなんだけども。なんとなくこうやって自分の気持ちを文章にして自分を客観的に見たりしてみたりしてますが何となく思った事妹のいない世界が辛いんじゃなくて妹が死んだ後の世界を生きていかなきゃいけないのが辛くて悲しくてシンドイのよね同じだろ?ん〜一緒のようで違うんだよなぁ同じような気持ちの方いらっしゃ
癌告知から50日後、何も出来ませんと医者に言われてからだと8日後、妹は旅立ちました面会許可されてから4日後の夜中血圧が下がりましたと病院から連絡ありかけつけるもうね、そんな状態でも1人ずつ交代でなのよ。えーまぢかーって。いやもっと厳しいとこだとそれすら許可が無いわけだからと思うべきか‥‥ほんとコロナ憎しと御家族療養中の方達はみんな思ってるんだろね、私も本当コロナ憎しで、恐らく徐々に持ち直したんだと思う(結果論の推測ですが)一旦皆さん帰って下さい、また何かありましたら連絡しますと言われました
有給使って妹と面会、その後の土日も面会に行きました。沢山喋り続ける体力も無くて少し喋るとうつらうつらとなってしまったり、足をさする手止めるとそれは止めるなと目で合図されたり今も全部覚えてます今でも思い出して怒り?憤り?なんだろう絶対一生覚えとくからな!って思った出来事その日は日曜日でした。割と早め目の午前中に面会に行ったらどうやら清拭なのかな?着替えたり体拭いたりの直後だったらしく兎に角痛みが酷かったみたいで「無理、ゴメン、帰って」って言われてしまいさすったり色々するより帰る方を妹も希望した
もうやれる事はありません妹の癌告知、悪化、亡くなった時、火葬場でのお別れ、どれもこれも辛いけど今も思い出してフラッシュバックみたくなって気持ち悪くったり泣いてしまうのはこの日の事です。胆汁排出の手術の4日後夕方、帰宅途中に母から着信母「家着いた?」私「もうちょいで家〜」母「んじゃ着いたら電話して〜」ああ、駄目なのかなぁって分かったし母にコールバックしたくなかった先生からもう何も出来ません、思った以上に進行が早くて、スキルスタイプで‥そして延命について聞かれたそうです。
二泊三日の予定が長期入院になってしまった事。経過観察と言う名の無治療で痛みも食事取れない状態も改善されないまま面会すらコロナのせいで出来ず‥‥なんかもうかえって個室にしちゃったのもメンタル的に良くなかったのかなぁとか本当未だにモヤモヤしてます(たらればだし正解が分からないし確かめようもないから多分一生モヤモヤなままなんだろな)妹の手術拒否等を母から電話で聞き父母や妹を混乱させるだけかもってのもあったから今まではなるべく口出ししないようにしてたけども流石に不安だし心配だし怖くなって母に【妹のメン
二泊三日の抗がん剤予定が長期になりそうな胆管が太くなるまで経過観察です的診察からは妹もあんまり連絡来なくて、元々メッセージのやりとりはそんなにしない姉妹だったのでこちらからはメッセージ送る事も殆どしませんでした。これも後悔してるけども、それでもどうするのが正解だったかは今でも分からない。前回の先生の説明から1週間後、たまたまとゆーか4人部屋に入ってきた1人の人が夜中ずっとガサガサしてて妹含め三人が体調崩して病院側の配慮で急遽原因の1人以外の三人が個室に移動したそうです(二日間分は個室料取りませ
2回目の抗がん剤は1回目終わって1週間後位だったかな、2泊3日での予定でした。妹もこの抗がん剤の後仕事に行く予定でした。予定でした。今日退院だなって日、私は丁度夏休みで家に居ました。朝母から電話。出ると今日病院から呼ばれたんだけども父が行きたく無い、運転出来ないって言ってるけど行けるか?って事でした。え?え?え?どゆこと?どうも肝臓の数値が良くなくて抗がん剤はしてない、そして病院から呼ばれた。と。よく分からないけども行くしか無いわけで行きました。で、病院。本当は家族は2人までなんだ
癌告知翌日CVポート留置の手術、そしてそのまま1回目の抗がん剤スタートこの時は約1週間の入院でした入院してる間にオリンピックが始まりました。オリンピックとか大好きな妹。楽しみたかったのに多分全然楽しめなかったよね。ゲームも大好きだった、開幕式ドラクエスタート!「見た?」ってメッセージ送ったけど「見てない」って。きっと家で見てたらみんなで大盛り上がりだったなぁって開幕式見ながら若干私も泣いた。最初の抗がん剤からCVポート作るってのあんまり他の方のブログ見ても無かったけどそんなもの?働き
妹の癌が分かってからは色々な方のブログ拝見してました。その中のどなたかのブログで【代わってあげたい】て言葉が一番腹が立った。代われるわけないのにそんな事言うな。の、ような事を書かれてました。そっか闘病されてる本人はそう思うんだってはっとしました。でもさ家族にしたら本気で代われるものなら代わりたいってのあるのも事実なんだよね。いきなり激痛でしんどくてそれでもかわれる?うん代われるよ。見てる方が辛い事もあるよ。闘病されてる方の家族は一度は思った事があるはず私の余命の半