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唯一無二三月大歌舞伎。昼の部の掉尾を飾るのは。仁左衛門の『御浜御殿綱豊卿』。まだ観たことがなく。この写真の衣装は何だ?と思っていた。なるほど、合点。こういう演目をやれる人が居なくなったな。颯爽としていて、気品を失わず。厳格さの中に洒落っ気を醸す。もう独壇場だ。
福生不動尊の参道両側に古い石灯籠があり、以前より気になっていました。大正11年建立の福生不動尊の歴史からすると明らかに古い石灯籠。境内の大きさからしても少し大き過ぎます。今回その石灯籠に刻まれた文字を調べてみたところ次のようなことが、おおよそわかってきましたので記しておきます。西側の石灯籠にはこのような文字が武州増上寺有章院殿尊前正徳六年丙申年四月晦日豊州岡城主従五位下内膳正源○中川○久忠武州増上寺とは東京港区にある増上寺のことで、江戸時代は徳川家
家康の父は広忠、祖父は清康です。三河の田舎大名(国人領主)だった松平家の通字は「忠」か「康」だったんです。このどちらかに、その時点で目上の大大名から貰った一字を乗っけます。これは偏諱を賜る、と言います。徳川家康は、もとは松平元康でした。皆さんご存知の通り、今川義元から一字を貰ったものです。今川は足利将軍家の親戚なので、源氏の通字である義を頭に乗せてます。元康が今川から独立したとき、元の字を捨てて「家康」と名乗ります。家はどっから持ってきたか。もちろん「八幡太郎義家」からです。彼は新田の子
芝東照宮のすぐ近くに、増上寺あり徳川家ゆかりのお寺さんですから、ここへも行ってみましたよ門前を潜ると左手に観音様。息子は、力は入っているみたいだけど、よく分からない。木の方から来ている気もすると言ってました。こちらにも、観音様バックには、東京タワースカイツリーが出来た現在では、お江戸の風水のバランスが変化してしまったのだとか読経が聞こえ、法要が始まりました写真撮影は、ご遠慮下さい。と在りましたよ息子「仏さま(仏陀の方です)が光って視えたよついでに、おじいちゃんも視えちゃった黒い服