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きょうは国鉄(JR九州)宮田線が1902年に開業した記念日です。1989年12月23日に廃止されました。駅の写真が出て来ないので筑前宮田駅の入場券です。
2024年2月23日(金)突き当たりの交差点を右に曲がって、宮田バス停に向けて歩く。タイミング悪く信号待ち。県道21号福岡直方線を歩く。宮田バス停🚏まで200m弱か?宮田は2017年4月路線バス乗り継ぎ以来か?『宮田で時間つぶし博多~小倉路線バス乗り継ぎの旅3』4月16日(日)宮田バス停…というよりはバスセンターと言った方がいいかも。私がここで下車する時に、福丸から乗車した老人が整理券を取り忘れたらしく、ここで整理券…ameblo.jp以前にこの辺りで食べたラーメン屋はあるのか
2024年2月23日(金)天皇誕生日筑前宮田駅跡からJR九州バスの宮田バス停に向かうアナログ。行き当たりばったりで裏道残りようなところを歩くが、左手に線路跡のようなものが見える。県道428号線に出る。その先の八木山川に架かる太蔵橋から県道74号線に変わる。太蔵橋から川沿いに少し歩いたところ。信号機下の裏側になっている看板の更に下に鉄道の橋台の痕跡が見える。筑前宮田から先には筑豊炭田関連の線路が多数あるようで、アナログが筑前宮田駅跡から見えていたのは六坑という場所に繋がる線路だったよ
2024年2月23日(金)天皇誕生日筑前宮田駅跡まで来たが、この辺りは痕跡がなさそうだから、もう少し先へ歩いてみた。なんか線路がありそうなってた場所があるから近づいてみる。まずは反対側から。アナログが歩いてきた宮田線廃線跡が見える。そして、気になる方向を見ると…これは間違いなくホーム跡だ!駐車場になってるところに線路があったことは容易に想像できる。画像奥の方へ行ってみた。こうして見ると、緑色の看板の建物辺りに駅舎があったのだろうか?更にその先にも線路跡がありそうだが、ここで宮
2024年2月23日(金)天皇誕生日住宅地の裏側にあるような宮田線廃線跡を歩くアナログだが…前方にいるのは猿!?横を向きながら走っている猿のように見えるのだが。住宅地の裏側にも宮田線の遺構が残っている。結局、“猿”に見えたのは、切り取られた木の枝だった。それにしても、残った木の枝は変わった形をしているが、もし本物の猿であればアナログが近づいている間に動いているはずだ。“猿”の謎が解決したところで、アナログはここからサルことに🤣しばらく歩くと、今度は犬釘を発見!これまでいろんなと
2024年2月23日(金)天皇誕生日川沿いの道を歩いていたが、次第に川が離れていた。交差点の先は未舗装路。未舗装路の入口にここが宮田線跡と言わんばかりに枕木がある!しかし、この枕木が現役時代からのものかは疑問である。1989年12月に廃止された宮田線。廃止から35年が経過した枕木が残るものなのか?ここからが宮田線跡を存分に楽しめる区間であった。ガードレールの下が用水路。もちろん、下の橋台をチェック。橋台がレンガ積み!これは宮田線の遺構に違いない!ここに信号機でもあったのだ
2024年2月23日(金)天皇誕生日勝野駅を出発した頃に比べたら、周囲の見通しがよくなってきた。すると、また記念碑を発見。記念碑が多いような気がするが。勝野駅からウォーキングをスタートして1時間が経過した。昔は炭鉱、今は工業団地で栄えているといったところか。名もなき交差点を直進する。少し下って川沿いを行く。先の方には住宅地が見え、宮若市の中心部に近づいているようだ。この民家ギリギリに宮田線はあったのだろうか?最初は何の落書きかと思った。ひょっとしたら、子ども達がサッカーのゴ
赤線が今回歩いた宮田線跡。2024年2月23日(金)天皇誕生日画像のトラックが写り込んでいる辺りが磯光駅跡のようだ。その場所まで移動した。道路横に道路があるのは奇妙な感じ。アナログが立っている辺りは駅前広場でもあったのだろうか?ただ、「磯光駅跡」を示す案内板とかがなくて、普通にここを通りすぎてもここに駅があったとかは全然気づかないだろう。水路があったから、ここに宮田線の痕跡が見られるかと思ったが、何も痕跡は残ってなかった。筑前宮田駅跡に向けて引き続き歩いた。やがて、名もなき交差
2024年2月23日(金)天皇誕生日鶴田舞鶴橋交差点を右に曲がって、宮田線跡に近づくアナログ。画像奥に見えるガードレールがそれだ。分かりにくいが、竹林の手前にある交差点を右に曲がる。やっとここから宮田線跡を歩くことができる。宮田線跡の道をしばらく歩くと記念碑があるが、宮田線とは関係なさそう。見通しのよい直線道路。磯光駅跡がこの辺りのようだが…このフェンスの意味が分からない。最初は防火水槽か磯光駅跡かと思ったが、ただフェンスが設置されただけにしか見えなかった。
2024年2月23日(金)天皇誕生日気になる線路跡の状態がチェックできて納得したアナログだったが…道路に戻ってウォーキングを再開しようとしたら…なんじゃこりゃ~!!一瞬、変な虫が付いたのかとびっくりしたが、後にググってみたら、これはオナモミというそうだ(何か変な名前)画像はほんの一部で、実際は相当数アナログにこのオナモミとやらがくっついていて、取り除いたと思ったら、まだしぶとく残ってたりしていて、取り除くのにしばらく時間を要したそして、ようやくウォーキングを再開。遠
2024年2月23日(金)天皇誕生日次第に福北ゆたか線からは離れていく。画像左側に宮田線跡があるが、地形的に宮田線跡が見えない場所があった。宮田線とは関係ないが、あそこのバス停🚏が気になって、カメラをズームさせる。宮若市乗合バスのようだが、いわゆるコミュニティーバスか?しばらく歩くと、宮田線跡が近くに迫ってきた。アナログは線路は残っているのか?バラスト(砂利)は残っているのかがどうにも気になる。道路と交差していた場所からはロープが張られて入れなかったけど。そこで、廃線跡の状態をチ
2024年2月23日(金)天皇誕生日『勝野駅』の駅名板を見つけたところでウォーキングを開始。トイレがあった場所の反対側の出口に出て…ウォーキングスタート。駅前でまた肉離れにならないためにも念入りのストレッチを済ませた。しばらくすると緩く右にカーブ。アナログが歩いているところが宮田線だったのか、道路の左側が宮田線跡なのかは分からなかった。それよりも、雲行きが気になる。四つ角を左に曲がってみる。立入禁止の場所は宮田線跡なのか?その反対側に宮田線跡がある!しかし、ガードレールで中
今日は久しぶりの廃線跡ウォーキングでJR宮田線跡(5,3km)を時折小雨が降る中歩いた。何年も前から計画を立てていたが、約3年前の肉離れや新型ウイルス、その他いろいろタイミングが合わず、なかなか宮田線跡ウォーキングができなかった。5,3kmと、これまでの廃線跡ウォーキングに比べると比較的短めだが、楽しみながらウォーキングができた。詳しくは後日改めてブログで。
きょうは国鉄(JR九州)宮田線が1902年に開業した記念日です。廃止は1989年12月23日です。駅の写真が出て来ないので筑前宮田駅の入場券です。
1973/03九州SL撮影旅行1973/03/29若松機関区での撮影に満足し、計画していた若松1430-1459中間を変更して直方に移動したらしい。前回最後のコマからの推察で、若松1155-1246直方735に、ギリギリだか乗ったのではないかと書いたが、乗り遅れて駅で次を待ち、若松1252-1338直方627Dで移動した可能性の方が大きいと思う。直方着ホームが写りこんでいるので、到着後すぐ96の貨物を撮ったらしい。停車中に列車の前に(機関車逆向きだが)回り込んで、出発を撮っ
JR化後の平成元年に廃止されました、勝野~筑前宮田間を結んでおりました宮田線の廃線跡の話題をご紹介しておりますが、前回では、宮田線の沿革及び上の画像にもありますように勝野駅の先にあります今も残ります橋梁、そしてそれから先の廃線跡区間をご紹介しておりました。これら区間も、廃止から32年を経過しておりますが、路盤が残っている所が多く、かつて鉄道が通っていた証が今も残されております。特に画像1の橋梁がその時を残しておりますので、時代を感じさせる部分ではないかとも思います。しかし、
今から32年前になります、国鉄→JR化後の平成元年まで、上の画像1の勝野駅から、画像2の旧筑前宮田駅間の5.3キロの間に、宮田線と言う路線が存在しておりました。この宮田線は、勝野~筑前宮田間わずか5.3キロでありましたが、この路線自体は、筑豊地区有数の炭鉱でありました「貝島炭鉱」からの石炭積み出しのために、明治35年に九州鉄道の手によりまして貨物線として開通した路線であります。その後明治40年には、鉄道国有法によりまして九州鉄道が買収・国有化されまして、路線名も当初は「筑豊
昭和51年の3月、一浪して希望の大学に合格。ウキウキ^^最高な気分の中、SL撮影に行ってきました。「えっ、SL?」、「すでに1月に追分駅の入換え作業が終了したはず」と言われそうですが、筑豊の炭鉱の専用線で細々と走っている所がありました。そう貝島炭鉱です。専用線は当時国鉄宮田線(すでに廃線)の終着・筑前宮田駅と六坑と呼ばれる採掘場を結んでおり、通称「アルコ」&「コッペル」と呼ばれるCタンクの外国製のSLが走っていました。撮影日は丁度45年前の今日、3月26日。ハイ、証拠の入場
勝野駅手前で撮影、後方には筑豊本線があります午後の上り列車を順光線で撮影しました前回の撮影場所から徒歩で移動しました
キハ23の水鏡を撮影列車待ちの間は、鉄ちゃん同士の撮影談議近くの方は名古屋鉄道の写真を見せていましたカメラはペンタクスの中判が並んでいた記憶がありますキハ23の普通列車には多くの乗客がいました
臨時の団体列車を撮影車両はキハ40単行水鏡の撮影ができることから、多くの鉄道ファンがいました私も立ち並ぶ三脚の隙間から撮影した記憶があります水鏡の手前はこのような風景です
磯光駅舎とホーム全景鉄道模型に出るような風景です駅舎の正面磯光駅の駅名表に時代を感じさせます改札口です最後は木製の駅名表です磯光駅を撮影後、徒歩で筑豊本線に向かい列車を撮影していますが当時の写真はなぜか捨ててしまいありません
磯光駅を出発する直方行き普通列車筑前宮田駅から磯光駅まで一区間乗車意外と乗降客が多かったと思います
改札口を撮影駅舎のつくりが昭和の風情が出ていました冬の柔らかな日差しを受けています
筑前宮田駅に到着したキハ47普通列車ホームには立派な屋根がありました当時は多くの鉄道ファンがいましたホームの後方からの撮影右側には側線跡も見えます半逆光での撮影