シベリアから11年ぶりに帰国した瀬島龍三は、防衛庁商戦の戦力として伊藤忠に迎えられた。1958年4月、防衛庁は伊藤忠が代理店契約を結ぶグラマンを次期主力戦闘機に内定した。ところが河野一郎が再検討を要求し、逆転でロッキードに決まった。水面下で右翼の児玉誉士夫が動いていたのだ。59年春、米軍の地対空ミサイルの性能データが、防衛庁から伊藤忠に流出した。米軍の抗議で防衛庁が調査すると、データの出どころは空幕調査課長の原四郎だった。陸軍士官学校で同期だった瀬島から頼まれて資料を貸したのだ。責任を問われた原