ブログ記事20件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6横浜米軍機墜落事件-Wikipediaja.wikipedia.orghttps://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=1654事故から35年。青葉区の母子3人が亡くなった横浜米軍機墜落事件って?-はまれぽ.c
どこのテレビもオキナワのオの字も言わなくなった!まぁコロナとウクライナが優先なのかなぁ・・・当日はNHKが返還50周年式典を生中継していました。岸田首相も沖縄会場でマイクの前に立ちましたが、まあ通り一遍の挨拶だけでした。50年前「日本国万歳」と三唱の音頭をとった佐藤栄作総理だが、「核抜き本土並み」などとウソで固めたお題目唱えてそっくり返っていた姿が目に浮かびます。当日夜NHKスペシャルで「沖縄返還史」を放送していました。そこでアメリカの高官が、沖縄返還交渉は我が国にとって最高の外
6月30日。宮森小学校ジェット機墜落の日。(写真はキレイに咲いていたくちなし)事故ではなく、事件だと思います。思い出すのは、事件を聞き取りをした若者たちが作った舞台。ふくぎの雫。このオリジナルの歌「想い花うむいばな」が、琉舞と共に切ないのです。想い花ふくぎの雫ハーフセンチュリー宮森ハーフセンチュリー宮森宮森小学校60年youtu.be検索すると出てくるありがたさ。(著作権的にアウトでありませんように)
こんばんは😊ホルンの順子です🎵アウトリーチ3日目は遠野市立宮守小学校でのコンサートでした🎵小学校へ向かう途中、宮沢賢治さんの銀河鉄道のモデルになった「めがね橋(宮守川橋梁)」を通りました✨とてもいいお天気で気持ちよかったー✨運良くちょうど電車も通って😆コンサートでは、小学生が目をキラキラさせて演奏を聴いてくれて、私達の演奏に合わせて校歌も元気に歌ってくれました🥺可愛かったー💕全員マスクをしての鑑賞ですが、一生懸命聴いてくれているのが目の表情や体の動きで伝わって、私達もとても嬉しい気
9月2日・・沖縄ではお盆の最終日・・いわゆるウークイまぁそれくらいは私も知ってます・・・この日私は那覇空港に13時前に到着・・そのままレンタカーでうるま市へ向かう予定・・先方との待ち合わせは2時半・・レンタカー借りるのに時間かかって・・早々に諦めましたけど・・・何かお土産を・・・いつもの食パン・・今回はにしかわにしよう・・おもろまちに向かう道が混んでて断念・・ウークイは道が混みますとLINEメンバーが言ってたけど・・・ホントだった・・・いつもの乃が美で
おはようございます。月が改まりましたね。7月1日付九電本店前テント通信を転載します。青柳行信です。2020年7月1日(水)。明日、木曜日ひろば・テント開設・新型コロナウイルス対策として午前11時から午後1時2時間。場所:九州電力本店前福岡市中央区渡辺通2丁目1-82地図:https://tinyurl.com/y8lbfute☆原発とめよう!九電本店前ひろば第3361目☆呼びかけ人賛同者6月30日まで合計4528名。原発とめ
1959年米軍機が「沖縄宮森小学校」に墜落---52年後今度は米軍ヘリが墜落2012年製作/日本配給:ゴーゴービジュアル企画監督:及川善弘出演:長塚京三、須賀健太1959年6月、米軍機が沖縄県石川市に墜落し、宮森小学校の学童11人を含む17人が犠牲となった「宮森事件」を題材にした人間ドラマ。ある日、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した。52年前、宮森事件に遭遇し、友人の死を目の当たりにした過去を持つ良太は、再び米軍機墜落の現場を目撃したことで、胸中にかつての悲劇がよみがえる。
おはようございます。昨日はアクセスありがとうございます。_(._.)_昨日はまあまあです。昨夜は何時もの時刻に就寝しましたが、起床は7時前です。5月16日(土)の朝です。さて、今日のニュースは「これでした!!」以下、(まいどなニュースさん)から転載です。”「五+六+七=一八」小学校の校区内に立てかけられた“コロナ標語”がSNS上で話題になっている。「すごい公式だ。看板の手作り感も好き!」「これを考えた子供………売れっ子ライター予備軍かもネ」「やっぱり子供の脳って凄いや」と、こ
第28回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品60年目の宮森―失われたピースを探して―10月11日(金)27時45分~28時40分事故の記憶、そのパズルを埋めていく思いを追った1959年6月30日、沖縄県、現在のうるま市にある「宮森小学校」に、米軍のジェット機が墜落する事故が起きた。事故は18人の死者と200人余りの重軽傷者を出し、戦後の沖縄の歴史で最大の被害を出した航空機事故となった。その事故から、今年で60年。番組では事件を風化させまいと立ち上がった当時の「宮
おはようございます。本日7月13日付九電本店前テント通信を転載します。青柳行信です。2019年7月13日(土)。【転送・転載大歓迎】●韓国の李・元栄(イ・ウォンヨン)水原大学教授<生命・脱核シルクロードの報告会>明日、下関会場7月13日(土)17:30~19:30場所;下関・細江カトリック教会ホールご案内チラシ表:https://tinyurl.com/y43eohzp裏:https://tinyurl.com/y23k63pe※福岡会場7月14日(日)
僕は末期がん❤️、、転移肺がん、原発頭頸部がん、頸部郭清術、リンパ節節外浸潤、、さらに動脈浸潤、、いま、、前立腺がんも、、若いのにあり得ない、、勘弁してくれよ、、状態なのだ、、、今日は沖縄、、宮森小学校米軍機墜落事故、、焼けて亡くなったこどもたち、、手を合わせて合掌、、
1959年6月30日、沖縄の宮森小学校に米軍機が墜落し、子供達の命が奪われました。記事の中で、福原節子さんは、給食のミルクを飲もうとした際に響いた地響きに、「戦争が始まったんだ」と思ったとあります。小学生でもこのように思う状況が当時の沖縄にあったということに、ハッとさせられます。ボクは小学生の頃、数年をこの宮森小学校で過ごしました。当時もこの事故のことはきちんと語り継がれていて、小学校で平和教育も受けました。今日で事故から60年が経ちます。しかし、米軍基地の状況は何も変わりません。いったい
この投稿をInstagramで見る60年前に起きたうるま市宮森小学校ジェット機墜落事件の追悼パフォーマンスが6月21日(金))に行われました。プロデュースを担当した知人にご招待いただき、北谷高校の有志とハーフセンチュリー宮森により、『フクギの雫」~忘れたい忘れてはならない~を沖縄市民会館大ホールに観に行った。“屋嘉節”から始まったステージ。沖縄戦の後、捕虜収容所が沖縄の金武町の屋嘉などにあり、約2千人がそこで生活を余儀なくされ、そこで生
『沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&ABook』(沖縄県作成パンフレット)沖縄県HPへ目次へ第2章:米軍基地の現状と日米地位協定Q7米軍基地に起因する事件や事故について教えてください。A沖縄県では、米軍基地に起因する事件・事故が繰り返されている状況です。なかでも、一歩間違えば人命、財産にかかわる重大な事故につながりかねない航空機関連の事故は、沖縄の本土復帰(昭和47年)から平成28年末までの間に709件発生しています。昭和34年(1959年)には、沖縄本島中部の石
忘れてはならない戦争の悲劇沖縄県宮森小学校米軍機墜落事故日時:1959年6月30日午前10時40分ごろ場所:沖縄県石川市宮森小学校状況:アメリカ軍のジェット戦闘機が整備不良で故障し操縦不能となり宮森小学校に墜落。小学生12人(墜落で11人死亡)、住民6人が死亡。重軽傷者210人。小学生の1人は火傷の後遺症で23歳で死亡した。この悲劇を後世に伝えようと遺族たちが本の出版を予定している。現場(小学校)にいて生き残った方は、黒こげになって死んだ生徒(小学生)を見たそうです。この墜落
1959年6月30日に旧石川市の宮森小学校や周辺住宅地に米軍戦闘機が墜落した事故やその後の遺族らを取材した記者を招いた座談会が16日、うるま市立石川地区公民館であった。「NPO法人石川・宮森630会」が主催。元記者らは、先生が負傷児童を運ぶ現場やわが子の遺体を見て泣き叫ぶ親の様子など惨事を振り返った。前原署で一報を聞いた元沖縄タイムス記者の池原善福さん(84)はいち早く宮森小に駆け付けた。警察の規制線をくぐり抜けると「現場はまるで爆撃に遭ったようだった。教頭は血だ
前回の記事で、佐賀県神埼(かんざき)市での自衛隊ヘリ墜落事故で家を失った住人が、ネット上で罵声を浴びている事実を書いた。落下してきたヘリコプターが直撃した家にたまたま一人で居た11歳の女の子が奇跡的に軽傷だけで助かったのだが、佐賀新聞の報道によれば、この子は心に大きな傷を負ったらしく、父親の話では「大きな音には敏感になっており、恐怖心を持っている」、「精神的な問題が気がかり」とのことである。一歩間違えれば死んでいたかもしれないのだから、父親が自衛隊を「許せない」と言うのは当たり前なのだ。
沖縄蔑視デマを流し続けている捏造新聞こと産経新聞が自身が撒いたデマを謝罪している。産経新聞が沖縄2紙に謝罪「米兵が日本人救出」記事で「確認不十分」「行き過ぎた表現」2018/2/813:11@jcast_newshttps://www.j-cast.com/2018/02/08320768.htmlより抜粋。産経新聞は17年12月9日配信ニュースで、沖縄県で1日に自動車6台の多重事故が発生した際、在沖縄海兵隊員が日本人を救助した後に後続の自動車にひかれて意識不明の重体
ネットで確認したところ、1959年の6月30日というのが、宮森小学校への墜落事故の日時ですね。キューバ革命は同じ1959年の1月1日ですが、あまり関連はないでしょう。【1959】というのは、テンキーでは激しい墜落の衝撃を想起させます。
GK(ゴールキーパー)クリニックinうるま市昨日12月30日(金)18時より石川町の宮森小学校にて第5回出張GKクリニックを開催しました。初の中部開催ということもあり、どれだけの選手が集まってくれるのか心配していましたがなんと20名を超える参加がありました。県内ではキッズフェスティバルやガールズフェスティバルやサッカークリニックなど増えてきてますが、GKクリニックは0に近いんじゃないでしょうか?フィールドプレーヤー同様とっても大切なポジションなのでハートが率先してGKク
まだ不時着(墜落)から間もないというのにありえない・・・本当に住宅の上がオスプレイの通り道になってるなら安全な場所に引っ越た方がいいかもしれません。何十年前の宮森小学校の二の前にならないうちに・・昔仕事で普天間に行ったときただならぬ騒音であまりに驚き腰抜かしたことがありました学校の授業中や保育園のお昼寝タイム等・・この辺は子供を育てるのに大変な地域ではないでしょうか・・?我が息子はかなりのビビりで掃除機の音やエアータオルでも大変でした