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1月29日月曜日〜その2(写真)5枚組CD『澤田隆治が選んだ爆笑!漫才傑作選②』。かしまし娘正司歌江師匠、宮川左近ショウの暁照夫師匠、澤田隆治プロデューサーのサイン入り。(写真)10枚組CD-BOX『上方漫才名人伝説!⑨』。かしまし娘正司歌江師匠、横山ホットブラザーズ師匠のサイン入り。(写真)昭和から平成に移る頃、吉本興業の初代マネージャー竹中功さんに頂いたカセットテープ。かしまし娘師匠の音源を何度も聴きました。(写真)菊水丸コレクションより、S35年5月23日〜24日、京座で上映
上方芸能資料館わっは上方で開催されてる成瀬国晴原画展が面白い。懐かしい芸人さんが沢山登場します。
11月25日金曜日〜その1315時35分、加茂駅着。15時39分発の電化列車大和路快速に乗り換える。(写真)今から42年前、岡山県新見市での晩秋の興行で、17歳の私は天童よしみさんのギターを弾いていました。ご一緒した宮川左近ショウの暁照夫師匠のお供をして、近くの喫茶店へ入った時に「芸人は、なりをちゃんとしとかんとあかんよ。別にスーツ着なあかんのと違う。普段から小綺麗にしとかなあかんの」と、芸界のいろはを教えて下さったのです。其のお言葉を思い出したのは、電車の中が混んできた頃、OL風の女性が
5月1日日曜日〜その10(写真)2枚組CD-BOX『極付この節この一番!!〜名浪曲・関西節編〜』〜「森の石松」宮川左近ショウ(H15年5月29日日本コロムビア)を再生。他の外題はモニター済み。(写真)通販のカタログで見て、当時はコロムビアより『河内家菊水丸河内音頭秘蔵コレクション』①〜⑩を10年かけて制作中ゆえに、担当の好田輝之プロデューサーから、2枚共にサンプル盤を頂いた次第です。亀田製菓サラダうす焼を摘みながら、HDDをチェック。
今日は、横山ホットブラザーズさんの事をブログに書いたのですが。何だか音曲漫才のテーマ曲もいい物が多いなあと思い出したので、ブログに書いてみたくなりました。玉川カルテット、かしまし娘、フラワーショウなど、覚えていました^^宮川左近ショー(宮川大助・花子の大助さんの師匠)は知らなかったのですが、左近ショーのメンバーの一人(三味線の方)暁照夫さんが、弟子の暁光夫さんとで「暁照夫・光夫」というコンビで活躍されていたのは見たことがあります。テーマソング集には入っていませんでしたが、私の好き
10月21日木曜日〜その10『NHKテキストこころをよむ「お笑い」のチカラ』を読む。P89に大阪の寄席小屋は漫才ブームの前までは道頓堀角座が最高峰だったと書いてある。確かに、手元の資料を見るとプログラムもバラエティに富んでいる。(写真)S50年2月下席、中トリに浪曲の春野百合子師匠、しばりが桂米朝師匠、大トリに宮川左近ショウの師匠方。(写真)S50年3月上席、河内音頭の鉄砲博三郎師匠、桂枝雀師匠、中入後には、浪曲の真山一郎師匠、大トリがフラワーショウの師匠方。(写真)S51年8月上席、
5月26日水曜日~その17(写真)14枚組LP-BOX『日本浪曲大全集第二集』(暁教育図書)を聴き終えました。「次郎長伝石松の最期」先代広沢虎造「木曽の旅笠仲乗新三」松平国十郎「おさん茂兵衛」寿々木米若「赤城時雨忠治関宿落ち」四代目宮川左近「め組の喧嘩」浪花亭綾太郎「鼠小僧分銅伊勢屋」先代日吉川秋水「勧進帳安宅の関」三代目吉田奈良丸「紀伊国屋文左衛門戻り船」梅中軒鶯童「義士伝殿中松の廊下」四代目吉田奈良丸「雨の田原坂」浪花家辰造「会津の小鉄血煙稲荷山」京山幸枝若「義士伝大石
5月19日水曜日~その1122時、夕食。献立は、トマトキノコリゾット、キーマカレー、サラダ。ホットのねじめびわ茶を飲む。(写真)12枚組LP-BOX浪曲『元禄忠臣蔵』を聴き終えました。(写真)請求券&抽選券が現存しますので、色紙と金杯が欲しいので、ローオンレコード加藤精一会長のご長男でカト―プレジャーグループの加藤友康社長にお送りしようかなぁ(笑)。(写真)私のコレクションには、初代京山幸枝若名人が題字とサインを記しただけのローオンレコードのよせ書き色紙がございます。他の出演者に存命
5月18日火曜日~その5Tropicana100%パイナップルを飲む。『レディ・ジョーカー上』を読み、10時半から15時まで二度寝。『レディ・ジョーカー』を読み、16時より17時半まで三度寝。首のストレッチ。四股10回。体重67・1キロ。飲料は、カルシウムの多いミルク、ピルクルRichMild、農協39品目の野菜&フルーツ、松谷化学希少糖含有シロップレアシュガースウィートを加えたアメリカン珈琲。八千蜜国産純粋蜂蜜を口に含む。HDDに録画した大相撲中継をチェック。(写真)12
3月16日火曜日~その11再び、地下資料室へ降りる。(写真)コレクションする宮川左近師匠の販売音源を全て聴き終えて、棚へ戻しました。ちなみに、漫才の大助花子の宮川大助兄さんは、左近師匠の門下です。大相撲中継を見る。
3月15日月曜日~その1(写真)2枚組浪曲CD『THAT'S浪曲ショー!!!宮川左近ショー』~「瞼の母」(ミソラレコード)を聴きました。(写真)三味線暁照夫師匠のご子息で大阪府高槻市の濱田剛史市長からご寄贈を頂いた、左近ショー時代の雪駄と手拭いです。(写真)S55年8月31日、大阪市北区芝田の新阪急ホテルで開催『暁照夫後援会発会・新作発表記念パーティー』での引き出物の暖簾も濱田市長から頂戴しました。私は偶然にも、此の会で河内音頭をご披露された生駒一師匠のギターを弾いています。三味線
3月13日土曜日~その17(写真)続いて聴いたのは、浪曲LP盤『殿中松の廊下』宮川左近ショー(ローオンレコード)です。(写真)カセットテープ版。(写真)これは、八尾市本町に存在したリクエストタイムの東野正行さんに頂いた私家版CD。
3月13日土曜日~その1620時、夕食。献立は、パンチェッタとエリンギのトマトソーススパゲティ、フルーツトマトの甘酢漬け、アボカドナムル、粒マスタードのキャロットラペ、ベビースピナッチと玉子のサラダ。デザートに、福砂屋のカステラ、ホットのねじめびわ茶。(写真)浪曲LP盤『桃中軒雲右衛門/花の講道館』宮川左近ショー(ローオンレコード)をモニター。(写真)カセットテープ版も買っています。(写真)S55年10月25日~26日、岡山県新見市民会館で開催『演歌・民謡夢の祭典』で、初めて宮川左近シ
3月13日土曜日~その15(写真)浪曲LP盤『赤城時雨忠治関宿落ち/桃中軒雲右衛門』宮川左近(テイチクレコード)に針を落としました。A面の名人芸を堪能。B面がトリオ浪曲漫才。(写真提供・暁光雄さん)宮川左近ショーの宣材。(写真)菊水丸コレクションより、宮川左近ショーの師匠方の手拭い。
3月13日土曜日~その14(写真)浪曲LP盤『やくざ船』宮川左近(S41年キングレコード)を聴きました。(写真提供・暁光雄さん)浪界での大看板の宮川左近。四代目を継がれた後、浪曲が斜陽となり、三味線暁照夫師、ギター松島一夫師と宮川左近ショーを結成。浪曲漫才として、一世風靡されました。
3月13日土曜日~その1(写真)昨春、ステイホームに入ってから続ける、河内音頭の節と外題の源流で有る浪曲研究。とにかく、時間を無駄には使いたくないのです。ボーッと一日を過ごすのは、完全終息してからと決めています。扨て次に聴くのは、四代目宮川左近師匠の音源です。
3月9日火曜日~その15P100に、S57年7月22日、道頓堀の今井でそばを食べてから、角座で宮川左近ショーを見て、中心の宮川左近の身体がひどく衰えていた…と記している。(写真)S60年4月11日、大阪市中央区北浜東の府立労働センターで開催された『アフリカ難民救済チャリティー寄席』でご一緒した宮川左近師匠。お亡くなりになられる前年。
先週の木曜日にツイッターですゑひろがりずのお二人が、大坂の府立上方演芸資料館の砂川捨丸さんの鼓の写真を紹介されていたのを見て驚いたと同時にとても懐かしく思いました。すゑひろがりず三島@SUEmishima南條がこのショーケースの前でよく鼓眺めてたのう!https://t.co/9m6TBzvT9o2020年10月29日18:49わたしは子どもの頃は両親共働きの鍵っ子の一人っ子だったのでテレビが友達で毎日アニメやお笑い番組をよく見ていました。砂川捨丸さんはそのこ
トップホットシアター、コマモダン寄席もその9からだらだらと。途中、こだま・ひかりからお笑いスタ誕まで脱線したが、元に戻す。1976年11月とその10で推定した。その頃の宮川左近ショウや平和日佐丸・木村栄子という看板クラスは今さら語るまでもない。ここ2組に千里万理がいれば、客は入るに違いない。千里万理は老若男女通じるしゃべくり漫才だったので。こだま・ひかりはまだ若手。大木という屋号を書いてもらえない。講談は旭堂南右のように、旭堂の屋号を書いてもらえるのに。
2002年1月、浪花座さよなら公演のポスター。3日目まで所感を書いたので、4日目の29日について。29日。2番目に梅小鉢が出てる。細かすぎてで知ったのだが、この子らいいよなと思っているし、生で見たみたいコンビである。モノマネネタ以外のをテレビで見たことがあるんだが、記憶に残っていない。大人になってから見たものは、なかなか記憶に定着しないものである。中入り後、北野誠、森脇健児はいいとして、新野新って。放送作家が寄席でピンで漫談かい。松竹って、懐深いんか、な
上方落語の将来を担ってらした桂吉朝さんがお亡くなりになって今日で14年。ご存命ならこの方が米團治か米朝になっておられたことでしょう。吉朝さん亡きあと、お金を払って聞きたいと思う噺家さんがほとんど見当たりません。門下の吉坊さん、佐ん吉さんぐらい。当代の米團治という人は還暦を過ぎても喧しいばかりです。35年前と何も変わらない。吉朝さんが今お年を重ねていらしたらどんな高座であったかと思われてなりません。漫画トリオや宮川左近ショウの物まね、中島らもさん率いる「リリパット
最近車の中で聞いてるCDです。爆笑!漫才傑作選です。かしまし娘、上方柳次柳太、平和ラッパ日佐丸、宮川左近ショウ、フラワーショウの5組が入ってます。かしまし娘のテンポの良さ、照江さんの三枚目キャラギターと三味線の音曲漫才上方柳次柳太の漫才も面白い。『板前修業』お鮨のツウの食べ方ネタを下にして舌の上にネタの下を乗っけて舌の上でネタの下を味わう修業には皿洗い20年、吸い物作るのに20年だから一代目二代目と店はつづくオチも有り。当時の人気漫才というのがわかります。
宮川左近ショウ
男の和服が好き色っぽい振り返ると、それに目覚めたのは、子供の頃見た暁照夫さんの着流し姿(右の方)シュッとしてはって、しなやかで、すきがないけっこうROCKだと思うのですソロきめて「なんでこんなうまいんやろ」ってかっこいーーーーー大きい指輪もステキだ~他にも・・・僧侶、噺家、力士(通勤時)・・・ちなみに断然五右衛門派ウッチーの切り抜き発見色々な和服を経て愛してやまない鈴木研一様に出逢えたという・・・昔は『布!』って感じの衣装を着用し
昭和52年1月正月興行の角座。いつもの正月興行に比べると若干豪華さに欠けるような感じがしますが、それでも演芸のトリでかしまし娘が出ています。弟子の正司敏江・玲児も看板が大きくなり、師匠と並ぶほどの勢い。落語は笑福亭鶴光の一本だけ。「オールナイトニッポン」をやってる頃ですね。かしまし娘、宮川左近ショウ、トリオ・ザ・ミミック、サムライトリオなど音曲もの同様にトリオが多いのも松竹の特徴。トップには浮世亭三吾・十吾。けっこうええとこまで上がって来たのですが、看板にならずして平成
昭和51年8月に京都の南座で行われた松竹の演芸興行。歌舞伎を主に行う劇場ですが、時々演芸もやっていたそうです。その時の関係者用出番表。角座でもこれだけのメンバーが揃うのはあまりないのでは?と思うぐらいの豪華メンバー。二番目にアナーキーな噺家、笑福亭福笑が出てますね。この人の独演会にはよく行きましたが、落語であれだけ爆笑を取るのは凄いです。ただ好き嫌いはかなりあるでしょうけど・・・下ネタ満載の「珍宝堂綺譚」は凄いですよ。横山たかし・ひろし、トリオ・ザ・ミミック、若井ぼん・はやと
今回は昭和51年8月の道頓堀角座の出番表。観客向けのチラシではなく、関係者や劇場向けのモノ。上の段から順に上席、中席、下席となります。演芸の最後には二代目博多淡海の新喜楽座があります。●上席以前にチラシで紹介したので割愛。(記事はこちらへ)●中席さすがお盆興行!豪華メンバーですね。なのでトリはもちろんかしまし娘。モタレに若井ぼん・はやと。縦の二重線は中入りで、中入り前に音曲、浪曲を持ってきて、中入り後に奇術の出番という編成は松竹の定番ですね。中入り前にベテラン宮川左
昭和50年2月下席、道頓堀角座のチラシ。トップに宮川左近門下の宮川大助・小助。大助は今は宮川大助・花子で活躍し、小助は現在の宮川青丸。虎キチで有名だった桂春蝶(二代目)が中入り前の出番。今は息子が三代目を継いでいます。浪曲の春野百合子は小文字で書いている三味線の大林静子と48年間コンビで活動したそうです。「進ぬ!電波少年」のケイコ先生が平成15年に弟子入りし春野恵子として活動。中入り後は場内がざわつくことが多いので演歌や奇術が多く、今回は奇術の一陽斉正一。弟子に吉本で活躍
昭和50年の角座のお正月興行。これまたスゴイ豪華メンバーですねぇ!トリはもちろんかしまし娘でまだまだ現役バリバリ。テレビの仕事も忙しく、正月やお盆などの書き入れ時にトリを飾る大看板。モタレはその弟子の正司敏江・玲児。ちょうど離婚した頃かな??どつき漫才で有名で、敏江ちゃんのパンチラが楽しみでね(笑)そんな敏江師匠も70歳を越えました。玲児さんは2010年に70歳で死去。落語は大御所桂春団治。男前の三遊亭小円と見事なお顔の木村栄子ハン。栄子ハンの毒舌が面白くてね。しかしこの年の