ブログ記事22件
沖縄剛柔流拳法指導バイデン編令和7年3月15日武明館本部道場https://ameblo.jp/airi-umeda/entry-12890052549.html
令和6年8月17日土曜日の稽古沖縄剛柔流拳法稽古金次郎編
「発信する!尚禮舘空手を沖縄から」師渡口政吉先生の沖縄本来の文化としての「尚禮舘空手」を約束の地「沖縄」に還す為に道場を設立し発信する活動しています。尚禮舘は渡口政吉先生の心技体を正伝し、平川師範は晩年まで20年以上師事しました。恩師との約束を守り、尚禮舘発祥の地沖縄と宮崎で指導を続けています。渡口先生直伝の指導体系をそのまま伝えています。。🟥事務局代表伊覇の沖縄空手インスタグラム🟥https://instagram.com/shoreikankarate_japan?igshid=Y
尚禮舘設立70周年記念式典宮城長順先生慰霊70周年顕彰会渡口政吉先生慰霊25周年顕彰会に参加させていただきました。改めて先人に感謝の気持ちが湧いてきます。式典、前日のお墓参りの時は涙が込み上げ来ました。この様な素晴らしい武道を学べることに感謝し、これからも精進を重ねて参ります。誠に有難うございました。
現在の空手においては、大きくわけて種類の異なる、五つか、六つの三戦・サンチンの形が存在します。そのうちの三つは、新興・那覇手に存在します。三つのうちの一つは、中国・新興南拳を東恩納寛量・師が沖縄に移入させ、さらにその後に高弟の宮城長順・師が中国に渡られて、当時の中国で盛んであった怒責作用を付加させた、剛柔流のサンチンです。さらにこの剛柔流のサンチンも、宮城・師の前期に行われたと思われる、前に進んで、その後に反転して後ろに進み、さらに反転して前を向いて形が終了するサンチン。
空手の歴史については、この本を参考にしていただきたいのですが、実は魔が差して、最近、ある本を購入してしまいました。内容が、あまりにも少なく、得るところが無かったので、消化不良になりました。空手の歴史については、かなり前(十数年前だと思います)に、自分なりに調べたものを、ブログで公開していました。ということで、唐突ですが、過去の連載ブログをまとめて、公総管(クーシャンクー)の箇所を変えて、佐久川寛賀先生が中国から持ちかえった15の形を追加して、再掲します。若干、寸止めの起
先日、DVDを出された佐藤哲治先生が新たに著書『沖縄空手の超接近技法:剛柔流で解く!首里手・泊手のナイハンチ』を出版される。実はわたしも写真提供という形で協力した縁で、この度著書が送られてきた。大変すばらしい内容なので、この記事で本書を紹介したいと思う。沖縄空手の超接近技法:剛柔流で解く!首里手・泊手のナイハンチAmazon(アマゾン)1,650円本書のタイトルにある「超接近技法」とは、空手本来の間合いに基づく技法を指している。よく首里手は遠い間合いから攻撃
懐かしいベストキッド🥋箸でハエを掴んだのは、本当偶然というか、なんというか…✨✨✨ベストキッド2では、沖縄が舞台。そうか、終戦後、沖縄は米国の植民地時代🇺🇸ミヤギさんの実家の道場にあった写真は、近代空手を作り上げた糸洲安恒先生に似てる気がするwwwベストキッド1の鶴の型も、白鳥(ハッファ)に似てる気もするし…でも、実在した宮城長順先生かな?
剛柔流順道舘(宮里栄一先生)範士九段の金城常雄先生にお会いし空手について意見交換させて頂きました。思い返せば今年3月の空手会館開催した剛柔流開祖、宮城長順先生の企画展の初日。そのトークショーで席が隣同士で声をかけた事に始まります。これも宮城長順先生が引き合わせて下さった縁だと思っております。ゆっくりとお話しする中で師は違えどお互いの空手観は似ていました。師を尊敬し舘名を大事にする心は一緒でした。今後共に師から教わった剛柔流を正しく守り伝えて行こうと盛り上がりました。金城先生ご縁を頂
拳聖、武士と尊敬される宮城長順先生。皆から敬いの目で見られるのは単なる強さでは無く武の道を極めたからです。誠実、謙虚、品位、威厳、恥、誇り、和の心を身に付け信条とし人の道を歩きました。宮城先生は義理堅くで戦前借りたわずかなお金を戦後、弟子の渡口先生に頼み車で糸満まで返しに行かれた事があったそうです。空手から何を学ぶか?宮城先生、渡口先生が私達に身を持って教えて下さっています。空手が単なる道具で終わらないように、技と共に心を身に付けたいものです。文章:平川師範編集:ヒロ参加中で
戦後の混乱期、昭和21年頃から宮城長順先生は具志川の田場にあった警察学校で正課として空手を指導します。糸満で鋳物工場をしていた渡口先生は具志川に住む師、比嘉世幸先生を自宅にお呼びし生活を共にしました。その後、宮城長順先生の高弟、医師の神谷仁清先生の土地を借り12坪の道場を建てました。その比嘉先生と渡口先生と二人で始めました道場は、戦後で沖縄県初の空手道場になりました。→比嘉先生と渡口先生の師と弟子との間柄昭和26年具志川にいた宮城長順先生は警察学校が那覇に移転する事を聞き門弟達が
6月に2回目の大阪、名古屋での渡口政吉先生の尚禮舘空手を紹介する稽古会を開催します。→http://shoreikan.jp/?p=1047コザに先生が尚禮舘を開設され今年で65年。師、宮城長順先生が亡くなった年に誕生しました。尚禮舘は伝統ある剛柔流空手で世界に広まって行きましたが年月が立ち先生が亡くなると名前だけで型も精神も解釈も、稽古不足等で未熟な為にバラバラで正しく伝わっておりません。よく世間では有名な先生の弟子だったとか指導を受けたと名乗り、名声、経営に熱心な先生方を見かけます
宮城長順先生をご先祖に持つ方のブログを読ませて頂きました。(ひ孫さんでしょうか)こちらにて紹介致します。今は空手はされてないものの「武道についての心構え」がしっかりと書かれています。【精神世界の鉄人】http://dimity.rssing.com/chan-1280636/all_p53.htmlこの方が今年訪問した宮崎県都城市。私はここに住んでいますが知らない事がまだまだあります。紹介して頂いたブログの文中に出てくる母智丘神社は私達の家族代々のストーリーがありますのでご紹介さ
尚禮舘事務局は、渡口政吉先生の沖縄本来の文化としての「尚禮舘空手」を師との約束の地「沖縄」に還す為の道場を設立する目的で活動をしています。→はじめての方へ。尚禮舘のご紹介→誰も知らない渡口政吉先生の逸話→月刊「秘伝」特集平川樹高師範の紹介ページ→尚禮舘のストーリーと活動記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー✴︎八木明徳先生と私の師渡口政吉先生は宮城長順先生門下の兄弟弟子にあたり、八木先生が兄弟子になります。渡口政吉先生より5才年上でその10才年下に宮里栄一先生がおられま
南海の孤島「琉球」その一武術がこんにち世界各地に広まったのは、少人数で秘密裏に行われた稽古から指導体系を作り、誰でも稽古出来るように一般公開そして集団指導された事にあります。その功労者が剛柔流、開祖宮城長順先生です。そして、戦後すぐ空手普及を始められてコザ市で昭和29年に空手研究所設立し嘉手納基地のマリン部隊に空手を指導された渡口政吉先生でした。宮城先生の弟子、渡口先生に対する指導法は、「十代、二十代の頃には「身体の鍛錬、型の稽古、型のなかに含まれる技を練る稽古」で理論は教えず、三十代に
沖縄剛柔流空手の開祖、宮城長順先生は、学校、警察、刑務所などで指導されていた為、弟子と呼ばれる人は、沢山いました。その中でも戦前、戦後を通して宮城先生の指導を最後まで受け道場を持ち普及、指導された方は数名しかおられません。沖縄剛柔流の系統は今では、渡口政吉先生の尚禮館、八木明徳先生の明武館、宮里栄一先生の順道館から広まっています。共に5才違いで、八木先生が一番年上で、渡口先生、宮里先生の順になります。八木、宮里、両先生は警察官の仕事に就いていましたが渡口先生は宮城先生の構想を実現させる為
「発信する!尚禮舘空手を沖縄から」師渡口政吉先生の沖縄本来の文化としての「尚禮舘空手」を約束の地「沖縄」に還す為に道場を設立し発信する活動しています。尚禮舘事務局代表伊覇@ryoumikuniです。→はじめての方へ。尚禮舘のご紹介→誰も知らない渡口政吉先生の逸話→月刊「秘伝」特集平川樹高師範の紹介ページ→尚禮舘のストーリーと活動記【新しいサイト】剛柔流尚禮舘事務局lit.link(リットリンク)空手坊主平川樹高、SNS、Youtube、ブログ、商品、HPなど、いま見て
空手がきっかけで沖縄の婿となり、もうすぐ40年を迎えます。私達夫婦は、共に渡口先生の晩年の弟子で妻が那覇出身と言う事もあって可愛がって頂きました。よく旧盆で妻の実家に帰ると親戚の長老から宮城長順先生の事をよく聞かされました。子供の頃は銭湯でよく一緒になったみたいで、身体が一枚岩のように四角でガッシリとし、鍛えられた首筋、手首、胸の厚さ、腰、頑健さは目を見張るものがあり、ブーサーマーグシク(武士宮城、武道を極めた人に対する尊称)と呼ばれヒーロー的存在だったとか。この前、沖縄に行った時、外