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地下鉄南北線・河原町駅から歩いて10分ほどの所に宮城刑務所があり、本日は矯正展が開催されていました。私が想像していた以上に、多くの人たちが刑務所に足を運んでいました。明治時代の宮城刑務所。当時はその刑務所で死刑執行を行っていたと聞いたことがある。私が矯正展を訪れた最大の目的は、性格診断である。自分の性格を知る機会だと思ったからだ。受けたのは模擬心理検査である。少年鑑別所や法務少年支援センターなどで活用されている実際の心理検査を体験してもらうために開発されたものである。
11月に宮城刑務所にて矯正展が行われる。最寄り駅は、職業訓練校に通っていた時にお世話になった地下鉄南北線・河原町駅です。仙台で矯正展が行われていたことは昔から知っていたけれど、今年初めて行くかもしれません。最も興味があるのは性格診断である。私は今だに就職活動連戦連敗中の無職(スロニート)である。これからの就職活動するにあたって、その道の人に自分自身がどのような人間なのかを診てもらうことにしよう。私が分かっている性格は、真面目であることとプライドが高いことです。
宮城刑務所と隣接する仙台拘置支所の渡り廊下に繋がっておりますが、宮城刑務所側にある、この建物が刑場です。広島か、ここが次の改築箇所と考えております。木の向こう側に見える建物は霊安室と考えております。
10月4日(火)朝からJアラート物騒過ぎるしかも日本を通り越して太平洋に落ちた範囲が北海道から東京って広くない?(北海道青森以外は後に誤報とわかる)他にも日本の対応に色々不安になるそんな日の買い物帰り3度目の訪問でようやく開いてた過去2回はコロナ禍で閉鎖宮城刑務所にある刑務所作業製品展示場どんなとこでどんなもんが売っているのか知りたくて行ってみたかった場所中の写真は無いけど全国の刑務所作業製品が展示されていた北海道~沖縄たまたま買った
仙台市は青葉区・太白区・宮城野区・若林区・泉区の5つの区から成っています。ある日ふと若林区はどういう理由で命名されたのだろうと疑問に思いました。例えばもし広瀬区にしたら広瀬川のイメージが湧いて来ますが、若林区だとイメージが湧いて来なかったのです。調べると、政令指定都市に成る際、市の南東部を一個の区として設けたのが若林区で、区名の公募の1位は東区、2位は南区、3位は広瀬区、若林区は4位だったそうです。最終的にどういう理由で選ばれたかの疑問は残りましたが、若林区は伊達政宗が造営した若
最近のイザコザで全く気分がノラナクテこりゃウツまっしぐらじゃねてなことで外外外外に出るべやと気持ちにムチ打って(これも良く無いんだよね~)お昼過ぎからちょろ活して来ました遠見塚小学校のさくらがキレイだぁ校門から学校玄関までさくら並木~もう散ってるね帰りミスドあったの思い出して~パンセあったの思い出して~あそだブラタモリで宮城刑務所出てたっけ思い出して~刑務所作業製品展示場休みだっただよね~緊急事態宣言中だもね高い塀レンガ造りなのか
先日の『ブラタモリ』は仙台編でしたね自分の出身地ということもあって、とても楽しく拝見いたしました!皆様はご覧になりましたでしょうか(^^)番組の中で“伊達政宗の幻の城”について紹介されていました。政宗のお城があったのは、なんと現在の「宮城刑務所」(仙台市若林区古城:ふるじろ)なんです。わたくしは小学校5年生まで若林に住んでおりまして、宮城刑務所は近所でした。幼い頃は塀に囲まれている建物が気になって仕方なかったのを覚えています💧そんなわけで、今日は『若林城』について記事を書いてみましたの
来ていただいて、ありがとうございます。今日の文字は4日の「ブラタモリ」は2015年7月18日に放送した「仙台"杜”と都”」の再編集アンコール放送。私は初見でした。この回のアシスタントは桑子真帆アナ。お題は「"杜の都”仙台の秘密とは?」仙台の中心地「定禅寺通り」のケヤキ並木、杜の都仙台にふさわしい風景ですが、これは戦後に植えられたもの。しかし、仙台は江戸時代から「森の都」と呼ばれていました。これは、伊達政宗が武家屋敷に木を植えるように奨励し
皆の者、茂庭綱元にござる。「みちのく・みやぎ矯正展」、盛況のうちに幕を下ろした。今年も我ら伊達武将隊をお招きいただき、誠にありがとう存ずる。会場となりし「宮城刑務所」はその昔、伊達政宗様の居城である若林城があった場所。刑務所の敷地中には、政宗様が朝鮮より持ち帰られた臥龍梅という梅の木があり、今でも春になると花を咲かせておる。“刑務所”といえば、自ら進んで近づこうという場所ではあるまい。されどもこの矯正展、刑務所作業製品の販売や様々の食の模擬店、舞台での音曲や踊りの披露などが催されてお
十月二十七日(日)伊達藤五郎成実である。かつて伊達政宗様が晩年に居城とされた若林城。その後、この跡地に建てられたのは宮城刑務所。本日は茂庭綱元とくの一:畑を率い、この宮城刑務所にて開催されし『みちのく・みやぎ矯正展2019~刑務所作業製品展示即売会』へ出陣致した。ん?この格好は何か?って?会場内のひとつ、刑務官の制服を借りて記念撮影が行えるコーナー。敷地内にある伊達政宗様が朝鮮より持ち帰られた「臥龍梅」、このパネル前にて写真を撮り、その後係りの者が何やら取り掛かって、待つこと1
宮城県は県議会議員選挙が行われております。今回の大雨の被災地では大変な中での選挙となってしまいましたが、県民の代表を選ぶ選挙ですから、なるべく棄権のないようにしたいものです。さて選挙の帰りに宮城刑務所の「みちのく・みやぎ矯正展」に寄ってきました。ご近所ということもあって外からは見慣れているのですが、中に入るのは矯正展だけで、ありがたいことです。うちの奥様は発掘調査で(刑務所は若林城跡)通っておりましたね。この門の中が本当の刑務所です。塀の外側です中も時間と人数制限が
おはようお出掛けしようでも.....雨降ってキタワァ━━━━━━(n'∀')η━━━━━━!!!!すぐ止むだろうな今日は宮刑に行く宮城の刑務所だから宮刑矯正展也宮刑は住宅街の中にある宮刑の逸話東日本大震災より前の地震の時壁が倒れたの駄菓子菓子誰も脱走しなかった刑務官との意思疎通が上手く行ってるんだな後はロス疑惑三浦和義さんが収監されていた中で法律の勉強ばかりしていたんだよ(^-^)何故か知ってるわ.た.し(゚ゞ゚)…クククッお出掛け前にカロリーメイト一
おむかえでごんす。伊達政宗公第二の城、若林城でごんす。いまは宮城刑務所として利用されているでごんす。蟠龍(はんりょう)の松がおむかえでごんす。かの土井晩翠先生のご命名。そしてこれが!ブラタモリロケ地として有名な天然記念物朝鮮ウメ。政宗公朝鮮出兵の折に兜の鉢に植えてお持ち帰りになった元祖、臥竜梅。親木、臥竜梅。オリジナル臥竜梅!こちら若林城跡に残る臥竜梅の子供が仙台藩の養種園(若林区役所)に植えられ、さらにせんだい農業園芸センターに植え替えられたのだ!せんだい農業園芸セ
こんばんは。昨日に引き続き、ハンドメイドのイベントに行ってきました。今日は、太白区秋保と若林区。天気がよくて、秋保地区は紅葉もいい感じで、行きも帰りも渋滞でした笑2日連続ラ・カシェットさんとラ・ネージュさんに会いに行ったのです。左のバッチ、干されたにゃんこさん(ぽっちゃり白猫さん)が眠ってるという。右のバッチは綿毛なのですが、ウニっぽくて。毎度、くすりと笑ってしまう要素が隠れています。そして午後から宮城刑務所の矯正展に行ってきました。今回は、宮城刑務所が会場です。施設見学
皆の者、茂庭綱元にござる。秋とは思えぬ日差しに熱を感じ、些か汗ばむほどの日和。雲一つない快晴の中、我らは「宮城刑務所」へと参った。…収監されるわけではない…。此度開催されるは「みちのく・みやぎ矯正展」にござる。ここでは東北・北海道の刑務所の受刑者が、職業訓練の一環として製作したたんすなどが展示・販売されておる。その売り上げの一部は犯罪被害者の支援にも充てられるとのこと。その他にも刑務所内で食されている物と同じ「れしぴ」で作られた『パン』や『カレー』の出店も多く出展しておった。そし
私の家は宮城刑務所の近所です。刑務所では広報のため毎年「矯正展」を行っております。矯正展では施設の見学の他、刑務作業で作られた製品の即売も行っています。行ってまいりましたのでご紹介しましょう。刑務所です、普段は入れません。(それはそうだ)人気の前掛け、私も愛用しています。各刑務所の工場で作られた製品の即売研修館矯正護身術を行う道場のようです。本日はお買い得品を販売、革靴などが破格のお値段で売られていました。面会待合室本日はトイレとして開放その
施設内ツアー。福島刑務所には、男女別の施設内があります。参加したのは、男子刑務所。奥に見えるのが、入所施設。手前の扉が、外と中の境界。その扉が開いた!と同時に響めき木工品を製作する作業所、食堂、今日の朝と昼のご飯、お風呂、独房内など案内してもらえました。1500人(聞き間違えかも?)くらい、入所されていると言うことでしたが、全く、人気がなく。塀の外では、一般公開でお祭り騒ぎ、塀の内は、ひっそり。違和感の不思議な世界でした。でも。この中を自由に散策できれば、塀の中からみる空は
JR仙台駅の南東約3kmの、仙台市若林区古城この場所の地図を見ると、住宅地の中に何やら不思議な形を確認する事が出来ます実はこの場所こそ、【若林城】という城跡なんです若林城は仙台藩初代藩主・伊達政宗が仙台城築城後の寛永5年(1628)に造営し、寛永13年(1636)までの約8年間を過ごした城です若林城の北と東には南小泉遺跡が広がっていて、南小泉遺跡には古墳時代から集落が発達しており、大型の前方後円墳である遠見塚古墳が造らています後に若林城内になる場所には、若林城内古墳という小さな円墳が
2016年11月28日伊達政宗が隠居城として幕府に願い出て許可され、寛永5年に完成したのが若林城です。元は戦国時代の領主であった国分氏の城があった所と言われています。政宗の晩年は、正月の行事等で仙台城を訪れるほかは、日常生活の大部分を若林城で過ごしたそうです。寛永13年政宗の死後廃城になり、寛永16年に城内の建物は仙台城二の丸などに移され、跡地は薬園などに利用された。明治12年宮城県集治監が建設され、現在の宮城刑務所となっています。若林城は東西に長い長方形をしていて、周囲を土塁と