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昨夜、仕事から帰ってきて、家に入ろうとした時、自分の影が黒く玄関に映っていた。不思議に思って後ろを振り向くと、そこには驚くほど明るい満月が輝いていた。月明かりって、こんなに明るいんだ。最近、私はドビュッシーの歌曲と向かい合っている。その中に、《月の光》ClairdeLuneという曲も入っている。ドビュッシーは歌曲で《月の光》を2曲残している。私が今取り組んでいるのは〈艶やかな宴1〉FêtesGalantesIの《月の光》。この間亡くなられた恩師の三林先生が、ずっと昔
晩秋の本番ふたつ、無事に終わりました昨日11月28日は、サントリーホール・ブルーローズにて《Liederwald》でブラームス作品96を歌わせていただきました。一緒に音を考え、感じ、創り上げたピアニストの児玉淳子さん、共演者の皆さま、お世話になった皆さま、そして客席で聴いてくださった皆さまへ、心より感謝申し上げます。ホール前には美しいクリスマスツリーが輝いていて、冬の訪れを感じるひとときでした🎄そして今日は、町田・薬師池公園「四季彩の杜秋遊び2025」にてM&MBOSSAPRO
11月ももう終わり、秋の色も静かに移り変わってきていますね箱根に一人旅をしたことは前回のブログで書きましたが、先週末は日帰りで長野にも行ってきました。ピアニストとの合わせです。思いきって長野まで足を運んで、結果、行ってよかった。心から集中できる、とても良い合わせになりました。そして、長野の景色が美しかった。前回は真冬でしたが、秋の長野も良いですね。高台から見おろす街並み、菅平高原や志賀高原のほうまで遠く続く山並み、その上に重なるように広がっていた紅葉の色。ほんの短い時間でした
11月に入りましたね。今年もあと2ヶ月かと思うと、え、もう(@_@)?って感じで焦る今日この頃ですさて、皆さんはこの連休、いかがお過ごしでしたでしょうか私は、昨日11月2日は、川崎市役所周辺で開催された「みんなの川崎祭」かわさきジャズ『かわジャズLIVE!Rainbow』にてM&MBOSSAPROJECTとしてボサノバなどを演奏してきました歩行者天国になった大通りを正面に見渡すトラックステージで歌うという、とてもユニークで素敵な体験でした。トラックステージの後ろを車
気がつけば秋も深まってきましたね。皆さんいかがお過ごしでしょうか?さっき、帰り道、すごく綺麗な夕暮れの景色を見ました。思わず高台に向かったら、沢山の人たちが夕暮れの景色を見ていました。穏やかにそよ風が吹いていて心地よかった。今日の気分の曲はStrangeMeadowlark(NormaWinstone)VeraCruz(MiltonNascimento)夕暮れの中で聞いてた。このところ少し間が空いてしまいました。ここ
今でもダルトン・ボールドウィン先生の笑顔を思い出すレッスンの時も本番の時も手紙にもいつもEnjoy!って書いてあった先生はいつも笑顔でそう言ってくださったいつも私を励ましてくれて先生と過ごして嫌なことなんて一つもなかったいつも愛にあふれていた幸せだったし今でも幸せな気持ちになる先生と音楽の中で沢山旅した行ったことない場所も時代も神話の世界も多分いろんな国の様々な歌い手の人ひとりひとりに先生はそうやって向かい合ってきたと思う素晴らしいピアニストだ
今回の「リサイタルに寄せて」の連載も、ひとまずこれで一区切りといたします。そもそもどうしてブログに書こうと思ったのかというと、今回のリサイタルで作ったパンフレットは、私にとって宝物のような存在になったからです。プログラムノートを一緒に作ってくださったMさん、ブラジルの歴史や地理、人々や暮らしなどから詩について教えて下さった日向ノエミア先生に心から深く感謝しています。それからこのプログラムは実際合わせてみないと、先が見透せないものでした。共演者の皆さまに感謝してます。私一人では決してできなかっ
ミルトン・ナシメントのEncontrosedespedidas今回のリサイタルプログラムの最終曲でした。私がこの曲に出会ったのは、心が少し苦しかった時期でした。どうしようもないことで悩まなければならないことが沢山あって、そんな時に偶々この曲を教えてもらいました。曲自体の美しさもさることながら、歌詞を読んだときに、何か心が救われたような気がしたのを覚えています。「駅のプラットフォーム」を舞台にした詩。人が行き交い、留まってくれる人もいれば、さっさと通り過ぎてしまう人もいる。少しの間
今回のプログラムの中でも、かなり早い段階から入れていたのが、シコ・ブアルキとジョビンの《Euteamo(エウ・チ・アモ)》です。タイトルはポルトガル語で「あなたを愛しています」という意味。その響きからして、すでに深い愛の告白のようです。この曲に出会ったとき、私は直感しました。「声楽家として、どうしても歌いたい」と。歌詞は、大人の愛の葛藤そのもの。「あなたを愛しています」と告げながらも、愛するがゆえの不安や、別れの影を同時に抱えている。どうしてあんなにも愛し合ったのに別れられるのか。そ
「フェリシダージ(AFelicidade)」は、日本では「悲しみよ、さようなら」という邦題で知られています。でも原題は「幸福」。歌詞では、幸福は羽根のように軽く、風が吹けばすぐに消えてしまうものだと歌います。幸せって何だろうと、私はよく考えます。人はいつも幸せでいられるわけじゃないし、たとえ幸せの中にあっても、それに気づかなければやっぱり幸せとは言えないのかもしれません。前向きに生きることが大事だと分かっていても、私はいつもそうできるわけではありません。けれども、もし明日が来ないかもしれ
モンサルヴァーチェの《黒人の歌》は、ポリリズム(複数のリズムが同時に重なり合う音楽のあり方。)でピアノが打楽器を奏でています。キューバ音楽の打楽器、コンガ、ボンゴ、クラーべなどそれぞれの楽器が違う声を持ちながら、一つの大きなうねりとなって生き生きと動いている。キューバ音楽のパーカッションの豊かさが、この曲にも描かれているようです。表向きは2拍子ですが、その中にいくつものリズムが生きていて、不思議な多層感があふれています。ピアノを弾いて下さった吉田純さんとは、「どうやってリズムを立
昨日からなんとなく、ある曲を聴いていた。夏が過ぎて、空気がひんやりして爽やかな日。耳に届いてきた色は、夏の間に聴いていた時とは違っていた。あの時はセルリアンブルーのような、明るくてきれいな青に思えた。でも今日は、どちらかというと深い緑を帯びたブルー。森の中の影のような色だ。同じブルーでもこんなに変わるなんて。次に聴いたときはまた違った青に見えるのだろうか。音楽の中に色が見えることがある。共感覚というよりも、ただのイメージなのだと思う。和音の響きやリズムの質感で色が変わったりする。
私は小さい頃、祖母に抱っこしてもらいながら寝るのが大好きでした。祖母は温かな声で、電気を消した暗がりの中で、子守唄や、桃太郎や浦島太郎などの昔話をしてくれました。あの時間は、今思うと本当に幸せで、温かい時間でした。祖母の柔らかい声と温かさが今でも心に残っています。息子が生まれたのは、大雪の日でした。初めて病室で息子を抱きながら窓の外を見たとき、大きなぼた雪がふわふわと舞い降りていた光景を、今でもはっきり覚えています。スローモーションのように空からゆっくりと降りてくる雪を見ながら、私は歌をそっ
「ニンゲ、ニンゲ」と繰り返す子守唄は、南米の歌曲の中にもよく登場します。私自身も2016年にニースを訪れ、翌2017年にはピアニスト、ダルトン・ボールドウィン先生と共に南米プログラムでリサイタルを行いました。そのとき出会ったのが、ブラーガ作曲の子守唄、そしてヒナステラ作曲《五つのアルゼンチン民謡》の中の子守唄でした。ボールドウィン先生はこうおっしゃいました。「君の子どもを抱っこするように歌いなさい」と。私は二人の子どもの母親です。もう成人して社会人となりましたが、赤ん坊の頃に抱いたぬ
「チェーヴェレ」という言葉には、かっこいい、粋な男、魅力的な人物――そんな意味が込められているそうです。けれども私がこの歌を思うとき、そこに描かれる男は単に「粋」や「ハンサム」ではなく、もっとワイルドで、そして強い情熱を心に秘めた人物なのではないかと思うのです。歌詞の中で、その男は月や闇や歌を切り裂きます。しかしそれはあっけなく消えてしまう。これはどういうことでしょう。もしかしたら「満たされない心」や「届かない思い」を象徴しているのかもしれません。「粋な男」というと、日本の
「プント」という言葉を初めて知ったとき、正直なところ私は「これは何?」と思いました。調べてみると、プントとはキューバの農村で歌われてきた伝統的な歌のリズムなのだそうです。曲のタイトルに出てくる「プント・デ・ハバネラ」。私は最初「ハバネラのリズムなのかな」と考えましたが、実際のリズムはハバネラとは違っていて、やはり「プント」なのだと共演者のMさんと話をしました。この歌に描かれているのは、ムラータ(混血の少女)。白いワンピースをまとい、歩きながら踊るその姿が描かれています。少女の肌の色と白
先日、家族が「テラリウムを見たい」と言うので、近くにあるテラリウムをたくさん扱っているお店に行きました。小さなガラスの中に苔が植えられ、そこに小さな人形や可愛らしい置物が置かれていて、ひとつの箱庭が作られていました。テラリウムはとても面白いと思います。本当に小さな空間の中に自然があり、時間が経つと少しずつ苔が育って風景が変わっていく。きっと長く見つめていたら、その小さな世界もまた、ゆっくりと表情を変えていくのだろうと感じました。今回リサイタルで歌ったモンサルヴァーチェの《ピアノの中のキ
🌿御礼宮地里実ソプラノリサイタル「ブラジルの風を追いかけて」昨日は杜のホールはしもとでのリサイタルでした。お越しくださいました皆さま、また応援の言葉を届けてくださった皆さま、本当にありがとうございました。おかげさまで無事に終えることができました。まず、共演者の皆さんに心から深く感謝いたします。モンサルバーチェやヴィラ=ロボスのソロでは、吉田純さんが私の心を自由に歌わせて下さいました。強い信頼関係がないと出来ない事です。アンサンブルではラヴェルの難しい室内楽の他クラシックを飛び越えた
リサイタル、いよいよ明日となりました。今回のリサイタルを開催したいと思ったのは、昨年の夏ごろのことでした。なかなかホールが見つからない中で、ようやく杜のホールはしもと、を押さえることができました。その後共演者の宮地さんと、どういった内容で演奏会を作っていくかを協力して練り上げてきました。ここまで作ってきた共演者の皆さまにも感謝の気持ちでいっぱいです。この一年はあっという間でしたが、元気に明日を迎えられること、そして共演者の皆さんと良いチームワークで音楽を作ることができたことを、本当に幸せに
私は最初、この曲をギターで歌っていました。ギターの音に寄り添って歌うとき、コード進行の美しさや、色合いが移り変わっていく瞬間にただただ心を奪われました。ボサノヴァ特有のリズムとともに、その響きはどこまでも繊細で、哀しみを帯びながらも柔らかい光を放っているように思えました。けれども、あるときパンデイロと歌ってみたとき、不意に自分の中の何かが変わるのを感じたのです。声楽家として、私はずっと「音程を持つ楽器」と歌ってきました。ピアノ、ギター、チェロ、フルートなど。しかし、パンデイロはリズムだけ
子どもの頃、家にあった『映画・音楽全集』のレコードを何度も聴いていました。その中で心に強く残っていたのが「カーニバルの朝」でした。明るいはずのカーニバルに、なぜこんなにも悲しい響きが重なるのだろう。そう子ども心に思ったのを覚えています。今回リサイタルで、この曲をポルトガル語で歌えることは、私にとって大きなご褒美のように感じます。実は最初、この曲をフランス語で歌っていたことがありました。フランス語はそれはそれで美しいのですが、やはりポルトガル語で歌うと、言葉とメロディが自然に重なり、私の心の中
ブラジル音楽を歌うようになってから、M&MBOSSAPROJECTで一緒に演奏しているもう一人のMさんと、さまざまな曲に取り組んできました。その中で気づいたのは、「夜明け」という言葉が繰り返し現れることです。たとえば今回リサイタルで演奏する、《Lamento》の中にも、そして《カーニバルの朝》にも夜明けが描かれています。今回リサイタルでは歌わないけれど、《EstradadoSol(太陽の小径)》など、他の曲にも夜明けのイメージが出てきます。ブラジルの音楽の中で「夜明け」は、喜びとと
ヴィラ=ロボスの《MelodiaSentimental》は、《アマゾンの森》の中でも特に愛され、クラシックだけでなく幅広いジャンルで歌われ続けている作品です。タイトルの《MelodiaSentimental》は、日本語に訳せば「感傷的なメロディ」となります。でも「感傷的」って一体どんな気持ちなんだろう、と考えていました。月の光は満遍なく地上を照らしています。恋をしているとき、その月の光のように好きな人と「会いたい」と思う気持ちは、とても自然なものだと思います。昼間は忙しく過ごしてい
ヴィラ=ロボス《アマゾンの森》より第一曲目《Veleiro》。タイトルの《Veleiro》は「帆船」そのものではなく、「舟を操る人」と訳すのが正しいと先生から教えていただきました。そこから、この歌は単なる風景描写ではなく、舟を操る人の心情に寄り添った歌なのだと理解が深まりました。アマゾンの大河を一隻の舟が進んでいく私にはそんな情景が浮かびました。川面は絶えず波打ち、水面には光がきらめく。ピアノには複数のリズムが流れる「ポリリズム」となっていて、まるでその揺らめきを音で描いているように思
帰り道、ふと空を見上げて月を眺めていました。綺麗な満月。ハーヴェストムーンです。昨夜は寝室の窓から皆既月食を見上げていました。だんだん月の光が小さくなって、光がなくなると赤銅色になっていきます。いつも見ている月は平面に見えるのに、月食の月は球体が浮かんでいるように見えて、月が近く感じました。月を見ていると、自然といろいろなことを考えます。平安時代の人々は、月を見て短い言葉に和歌を託しました。そのわずかな言葉の中に広い世界が広がり、読み解いた人がまた自分の言葉で返すことが風流とされてい
いよいよリサイタルまで1週間を切りました。今日は相模原市のホールを借りて、ホールリハを行いました。杜のホールはしもと、ではありませんが、とても良いホールでした。スタッフの方々がとても親切で、しかも響きが素晴らしい空間でした。これまで練習室で合わせてきた私たちにとって、広いホールでの響きは大きな発見。チェロやフルート、ピアノと歌声が混じり合い、ホールいっぱいに広がる音の伸びは、まるで生きているかのように変化し合っていました。細やかな表現が空間の中で立体的に響き合うのを実感できて、とても幸せ
2014年11月、ダルトン・ボールドウィン先生と共に、すべてラヴェル作品によるリサイタルを行いました。そのとき、今回も共演してくれる鈴木美穂さんと一緒に、フランスのニース夏季国際音楽アカデミーに参加しました。室内楽のクラスでは、チェリストのフレデリック・オーディベール先生に師事しました。この《マダガスカル島民の歌》を持っていったとき、先生はとても驚き、そして喜んでくださいました。「僕はこの曲が大好きなんだ!」と。彼はチェロの冒頭を弾きながら、「アフリカにはこういう音楽があるんだよ」と
高校生の頃、某音楽大学の夏期講習の際、大学図書館で偶然出会ったのがラヴェルの《マダガスカル島民の歌》でした。私は当時、音楽高校のピアノ科に在籍していましたが、自分の能力に絶望してしまい、そんな時、先生の薦めもあって声楽科に転科したばかりでした。歌うことの方が好きだったから、すぐに声楽科に慣れて行きました。その選択は間違っていなかったと、今では思います。それからピアノもある程度弾けることは、今の私に大きな力となっています。当時の先生方に深く感謝しております。図書館でラヴェルの歌曲に耳を傾け
そして翌年の2017年、ルーテル市ヶ谷ホールにて宮地里実ソプラノリサイタル―色彩豊かな南米音楽を開催し、アルゼンチンとブラジル作曲家によるプログラムで歌いました。先生と共にリサイタルを行ったとき、ダルトン・ボールドウィン先生が寄せてくださったプログラムノートをここに記します。先生の言葉の一つひとつが、今も私の心を支えています。プログラムノート【ダルトン・ボールドウィン氏からの手紙】1953年、フランスの偉大なバリトン歌手、ジェラール・スゼーと一緒に。私達は色彩豊かな歌曲
アンティーブの街を散策し、待ち合わせ場所の駅に戻ると、サングラス姿の先生が車で迎えに来てくださいました。にやりと笑って。別荘はジェラール・スゼー(1918-2004フランスの偉大なバリトン歌手)が所有していたもので、半島の先にある美しい庭園と地中海を見渡せる邸宅でした。家の中には二台のピアノがあり、手前のピアノで合わせをすることになりました。その前に先生は手作りのバナナケーキを出してくださり、それが本当に美味しかったです。まさか先生の手料理をいただけるとは、と感激しました。お部屋は正面