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くさせんり繁忙期の奥の手、過去に入線しては手放したNゲージ鉄道模型車両回顧ネタ。毎度、解像度低めの画像で恐縮でございますカトーさんのキハ52首都圏色初回ロット有蓋貨車1両を従えて2000年後半製作の600×900mm小型レイアウトを走る風景画像撮影2001年1月20日気動車+貨車、いわゆる混合気動車(列車)ミキストじゃありませんか!かつて国鉄宮之城線などで見られた混合気動車を模型の世界で再現した姿になりますカトーのキハ52首都圏色は1999年の登場。一般色の翌年に製品化されまし
鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋基地へ立ち寄り、航空機展示広場を見て回りました。天気予報では雨だったのですが、この時だけ奇跡的に雨が上がってくれました。引き続き、鹿屋航空基地史料館のほうへ移動して、屋内展示を見ていくことにしましょう。入館は無料で、2階の展示室から見学しますが、海軍航空の歴史を主に展示していました。まずは「海軍精神」コーナーで、必勝の信念、旺盛なる責任感、敢闘精神、愛国心についての解説がされています。海軍精神は、スマート、ステディ、サイレントの3Sが基本だ
その後は…残念ですが…山野線を乗り通さず…宮之城線に乗り換え…たつもりで…数時間前に通った宮之城へ…鉄道記念館や外の鉄路を見たりし…川内方面行に乗り換え川内へ…高速バスに乗り換え夜の鹿児島中央に到着しました。
昭和62年(1987年)に全線廃止となった鹿児島県の宮之城線宮之城線は川内市(現薩摩川内市)の川内駅から大口市(現伊佐市)の薩摩大口駅をまでを結んでいた国鉄の路線ですその路線の駅のひとつ「薩摩永野駅」その跡に建てられた「永野鉄道博物館」行きましたね『ラッセンが好きっ!な記念館①』ピカソより普通に~「ラッセンが好き!」多分関係は全くないと思うけど・・鹿児島県薩摩郡さつま町にあります「永野鉄道記念館」に行ってきまし…am
薩摩大口駅は、国鉄・宮之城線(川内~薩摩大口間の66.1㎞/1987年廃止)、JR九州・山野線(1988年廃止)の駅でした。私は居住していた2000年度には、すでに廃止から12~13年が経過していました。すでに当時、人口減少の流れが止まらない状況でした。現在の伊佐市に相当する地域(大口市+伊佐郡菱刈町)の人口は、1990年「3万6146人」→2000年「3万3508人」→2020年「2万4453人」と推移しています。薩摩大口駅の跡地の一部に建てられた、大口のランドマーク的な存在だった「
こんばんは☆彡とみたゆう子/蒼い風まさかのまさかとても貴重な硬券入場券を手に入れました筑後小郡(ちくごおごおり)駅(福岡県小郡市)旧国鉄甘木線の駅(現:甘木鉄道小郡駅)今から55年前に発売された券福岡県南部の都市小郡市の代表駅なのに早い頃から無人駅化されました。福岡に急行で直行できる西鉄小郡駅は1日約1万人と圧倒的に利用客多く都市を結んでないローカル線だった甘木線の駅として、利
10月11日(金)4日目です。本日は昨日途中で終わった宮之城線の残りと南薩鉄道、日南線串間駅、妻線を予定しています。宮之城線入来駅跡からスタートです。集落の中にあります。SLの形をした建物がありましたが、後から建てられた施設で集会場のような感じでした。転轍機と信号が保存されていました。上樋脇駅跡です。行き止まりの路地にありました。ホームだけ残っていました。所々食われてはいますが、、、ホームがあると線路が頭の中で見えてきますし、ジョイントを渡る音も聞こえてきます。黄色の彼岸花が枯れ
10月10日(木)3日目です。本日は赤瀬駅から肥薩線に入り、山野線と宮之城線の廃線跡を訪ねる予定です。山野線は少ないですが、宮之城線は痕跡が多いので、全て消化は厳しいと思われます。最初に訪れたのは坂本駅です。八代からR219はまだ未開通部分があり、日奈久温泉経由で行くことになりました。駅舎自体は大きな損傷を受けていないようです。上が今回、下が2018年5月まだ水害前の時のものです。但し駅前ロータリーは綺麗に更地になっており、相当被害があったものと思われます。ホーム側に出てみました。駅
ピカソより普通に~「ラッセンが好き!」多分関係は全くないと思うけど・・鹿児島県薩摩郡さつま町にあります「永野鉄道記念館」に行ってきました永野鉄道記念館|さつま町公式ホームページ旧永野駅跡地にあります。昭和62年宮之城線廃止に伴い、駅の跡地を記念館として整備しました。車両や踏切、線路など懐かしい鉄道機械が展示、保存してあります。鉄道記念館所在地:鹿児島県薩摩郡さつま町永野884番地2www.satsuma-net.jp
出水市に暮らしている頃から国鉄宮之城線跡は関心があったけど今日偶然にも通りかかりました。永野鉄道記念館。以前、雨降りの中近くを通った際には見つけきれませんでした。解説の看板。横壁にも永野鉄道記念館の表示。当時の改札口かな。永野駅はスイッチバックの駅だったのでこのような表記になるのかな。駅舎内から。記念館内の展示品の解説。先に展示品を見ていたので納得しながら読みます。推測ですが最寄り駅のものを集めたと思われますが路線を知らない人から見ると混乱するだけです。(笑)歴史ある地図み
こんばんは❕…さて、今日もネタに困る我。。だったんですが。。…ちょうどいぃところにシャルロッテさんが。。…ってことで、久しぶりのこのネタで。。汗゛💦…今は亡き。。宮之城線「佐志(さし)」駅。。…1986年9月14日。。*
1泊2日北薩摩一人旅2日目川内駅で薩摩川内名物「ちんこだんご」をいただき、九州新幹線の撮影を終えると時刻は14時45分この後は蘭牟田自然公園に行く予定でした。※鹿児島県観光サイトHPよりが、天気予報通り雨(かなりの土砂降り)に。土砂降りの雨の中、公園に行ってもね。予定を変更して国鉄宮之城線の廃駅巡りをしながら鹿児島空港に戻ることにしました。宮之城線はかつて川内市(現薩摩川内市)の川内駅から大口市(現伊佐市)の薩摩大口駅までを結んでいた国鉄
先日入手したJR九州バス設立20周年記念3台セットに入っていた北薩線のJR九州バス西工58MC。鹿児島市街地から旧・宮之城線が走っていた宮之城を結んでいます。私も以前、くさせんり師匠と宮之城線廃線跡を巡りましたが、私にとってイメージが強かったのは南国交通のバス。そんな理由で、私の地元・九州のお気に入りのバスコレをご紹介するシリーズ。今回は南国交通編です。南国交通は鹿児島市に本社を置く事業者で、鹿児島市を中心に川内、出水などに拠点を持ち、鹿児島市から
何だか、最近悪いことが多い・・・・。こんな時は、楽しい思い出を思い出そうと。楽しかった高千穂のトンネルの駅。南阿蘇鉄道高森駅。北里柴三郎記念館世界遺産・三井三池炭鉱万田坑跡。宮原坑跡。国鉄宮之城線針持駅跡。水城跡(太宰府市)。佐賀空港にて。楽しかった旅を思い出します。
師匠のこちらの記事を眺めつつ・・・。弟子は同型の南国交通日野レインボーのバスコレを手元に置いて師匠と巡った南国交通の営業所、停留所を思い出すのであります。福岡コロナ警報の発令、熊本県へのまん延防止発令で、県外の外出も再びできなくなりました・・・・・。
昨日届いたAmazonの荷物。開けてみると、弟から私への誕生日祝いでした!なにかなあ~!?おお、全国レールウェイマップル!現在も運行している鉄道だけでなく、戦後~現在の廃止路線も記載されているのが嬉しい!これでライフワークの産業遺産・廃線跡巡りがますます楽しめそうです。↓九州の廃線跡:御来欧音が訪問した場所又は車両国鉄勝田線(志免駅跡)国鉄佐賀線(筑後川橋梁)国鉄矢部線(黒木駅跡)国鉄宮原線(北里橋梁跡)長崎本線本川内駅
宮之城線はかつて鹿児島県にあった全長約66kmの国鉄の路線で、大正13年10月20日に川内町樋脇間が開通したのを始まりとして昭和12年12月12日には川内大口間が全通しています。そして、昭和38年9月30日まで川内大口間に鉄道郵便が存在していたことが確認されています。その川内大口間の鉄郵印は不思議なくらい見かける機会がなくていつかは手に入れたいと長年思っていましたが、つい先日ヤフオクに出ているのを見つけたので頑張って落札しました。大口で接続する山野線(水俣栗野間)にも一時期
川内と大口を結んでいた国鉄宮之城線の駅で、昭和62年に同線は廃線となり駅の施設は撤去されたが、跡地には説明板があり輪軸が置かれている。
川内と大口を結んでいた国鉄宮之城線の駅で、昭和62年に同線は廃線となったが、駅舎は現存し記念館になっている。
樋脇駅は川内と大口を結んでいた国鉄宮之城線の駅で、昭和62年に廃線となったが、駅舎が現存し記念館となっているが、特に何も展示されていない。
楠元駅は川内と大口を結んでいた国鉄宮之城線の駅で、昭和62年に廃線となったが、木造駅舎や分岐器などが保存されている。
今回は、ローカル線がテーマです。特集には九州の地方交通線もあり、楽しみです。国鉄勝田線(志免駅跡)国鉄佐賀線(筑後川橋梁)国鉄矢部線(黒木駅跡)国鉄宮原線(北里橋梁跡)国鉄宮之城線(薩摩永野駅跡)国鉄大隅線(鹿屋駅跡)国鉄志布志線(今町駅跡)国鉄甘木線→甘木鉄道国鉄伊田線・糸田線・田川線→平成筑豊鉄道国鉄松浦線→松浦鉄道国鉄湯前線→くま川鉄道国鉄高千穂線→高千穂鉄道→廃止→
ガッキーとメガネの結婚宣言よりも田村正和氏の逝去の方が心に染みた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。ガッキーと言えば『パパとムスメの7日間』であり、田村氏と言えば『古畑任三郎』『さよなら、小津先生』、そして隠れた名作『総理と呼ばないで』だと感じる世代のリトマス博士です。20年くらい前のドラマって面白かったなと感じます。さて、そんな結婚話で思い出したのが、鹿児島県にあり2017.1.2に訪れた旧国鉄宮之城線の薩摩永野駅の風景。友人のM下くんが仲人協会にて知り合った同郷の女性と結婚するという
宮之城線廃線跡を巡る今回の旅。既に薩摩川内市内に入った楠元駅にやって来ました。楠元駅も1987年1月10日、宮之城線の廃止に伴い、廃駅となりました。この度でおなじみになった転轍機と転轍機標識。こちらもお約束の腕木式信号機。こちらもお馴染みになった電車用と思しき動輪。こちらの木造の建物は、当時の駅舎そのものだそうです(移設されています)。さて、宮之城線廃線跡を巡る今回の旅は一旦ここまでで終わり、この後は急遽思いついた旅がまだまだ続きます・
宮之城線廃線跡を巡る今回の旅。宮之城から更に薩摩川内方面へ約15キロ、樋脇駅跡にやって来ました。樋脇駅も1987年1月10日、宮之城線の廃止に伴い、(当然ながら)廃駅となりました。まずは目を引く動輪。私が身長170センチちょっとで、同じくらいの直径でしたので、恐らく1750mm。D51以降のボックス型動輪なので、旅客用サイズであれば、C57?C61?もしかして、宮之城のC57-124号機でしょうか?鉄道記念館になっている、この建物はまさに当時の駅舎のよう
国鉄宮之城線の廃線跡を巡る今回の旅。いよいよ、線名の由来となっている、宮之城駅跡にやって来ました。現在は鉄道記念館・物産館・バスターミナルを兼ねた立派な建物が建っています。中には土産物店・待合所・定期券売り場・南国交通トラベルが入っており、廃線後もこの地が交通の要衝であることを示していると思います。制帽やタブレット、ランタン、サボ等が展示された鉄道記念館。お、タブレット閉塞機!何故か58654号機の形式入りナンバープレートも展示。
宮之城線廃線跡を巡る今回の旅。薩摩永野を出発し、廣橋→薩摩求名と進むと、次は薩摩鶴田駅でした。薩摩鶴田駅跡は鶴田鉄道記念館になっていました。地域の通学や通勤の足としてはもちろん、昭和30年代には鶴田ダム建設のための資材輸送の為に専用側線も設置されました。しかし、1987年1月10日、宮之城線の廃止に伴い廃駅となりました。残念ながら内部は見学できず。485系特急電車から外されたと思しきシートが目を引きました。宮之城方面。薩摩永野方面。
さて、今度は薩摩永野駅の特徴であったスイッチバック(シーサスクロスポイント)を見学します。実際にあった場所からは少し移動しているそうです。ポイントを動かす転轍機も保存。腕木式信号機も3基残されています。上り・下り・スイッチバック用で3基だったのでしょうか?連結器だと思うのですが・・・。針持駅に置かれていた物よりも大きめの動輪。電気機関車用でしょうか?残る大物は・・・・?車掌車ヨ8000形ヨ8958が保存されています。
次にやって来たのは、薩摩永野駅跡です。スイッチバック式の有人駅であった為、シーサスクロスポイントが保存されていることで知られる駅です。ホーム跡が保存されています。ホーム上には薩摩永野の他、廣橋、薩摩求名の各駅の駅名標が保存展示されています。踏切遮断機と警報器が4セットも保存されています。構内踏切があったのか、それとも近くから移設したのか・・・。保守用のモーターカーがまとまって保存されていました。これでもエンジン付き?(笑)駅