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ほんとうの・このくにのかたちはじめにその17アマテラスその10ひじかたすいげつつづき訂正追加宮下文書を追加し、帝王日嗣の作を竹内家とした。帝王日嗣宇宙のできる前?竹内家宮下文書孝元天皇の時代(79年より前)武内宿禰ホツマツタエ景行天皇時代(222年より前)大田田根子帝紀、本辞、先代旧辞欽明天皇時代539年より前天皇記、国記、本記推古
真・この国のかたち序その3スサノヲその1出雲からほんとうの・このくにのかたちはじめにその3スサノヲその1イヅモからひじかたすいげつつづき記紀だけしか知らない方は、何がどうなっているのかわからないことだらけで、また年代もつじつまの合わないことだらけで、話が全くかみ合わないことになってしまう。そこで、この文章を読んでいただく方に、まず示しておきたいことがある。年代と系図を整理しておきたい。詳しくは、私の
論考竹内文書、宮下文書菅総理の姓の考察現在見られる、日本書紀を始めとする六国史などは、御所内に散逸してたものを、徳川家に幽閉された後西帝が、皇室を蔑ろにする徳川幕府に対して、京こそ体制側なのだと、閉じ込められた怨念で、書き纏められたものである。これらは勿論漢字で書かれている。しかし、漢字で書かれたものだけの通史が正史ではないのである。富士浅間神社所蔵のものを「宮下文書」といい、茨城大神宮伝承を「竹内文書」と云います。〈旧事本紀〉と〈旧事紀〉は筆写で伝わっている間に、時の体制へ
さていよいよ富士吉田旅のレポも最終回となりましたはあ(´д`;)アァ今回は多分異様に長い記事になりそうなんでお急ぎの方はパスをして下さいな多分訳わかんない事を妄想的に書くと思いますんで(; ̄Д ̄)ヤヴァイヨまとまるかも分からないのでm(__)m今回のメインとなる大明見小室浅間神社古宮の境内には分らないことがが多すぎて調べるのが嫌になっていました(´д`;)アァネット上ではこのエリアのレポートがいくつか出ていたんですがほとんどがスピリチァル系の方々で精霊がいた神
北口本宮冨士浅間神社様をお暇した後30分位で明見(あすみ)地区にある不二阿祖山太神宮様にお邪魔しました道中Gナビが最短コースではあるんでしょうが山越え畑の中や狭い住宅地帯の中通っていいの?って悩んだ位の軒先を通ったり舗装はされているのに穴だらけのとんでもないルートを指示して下さいやしたw途中なんでこんなところに東京ナンバーが来るんだ?と住民に白い目でみられたりしながらw前回もそうだったかなあ・・・帰路に使った大明見小室浅間神社のある鐘山通り明見第一派出所の交差点か
#アキエゲートの追及④トンデモ宗教イベントを政府ぐるみで支援させたのは、例のアノ人?https://note.com/ishtarist/n/n10e2b52e5b89さんより転載◆いきなりですが、まとめ今回の記事、かなり長くなるので、140字以内でまとめます。ほぼ全省庁が後援する「Fujisan地球フェスタWA」は、「300万年前世界支配した富士王朝復活」を謳うトンデモ新興宗教「不二阿祖山太神宮」の宣伝イベントだった。政府を後押しし憲法の政
暑い!その上蒸します!いつもなら晴れていれば遠く富士山が臨めるわが町ですが、そのシルエットすら望めません。しかし雲はないので富士山を見に車でぶーーん。とはいえ、、近くに行くにつれ青空に雲がもくもく。富士山、すっぽり雲の中です。富士山北東本宮小室浅間神社(大明見)金目の龍に愛嬌のある眼の神馬さまがおられます。こちらに伺ったのは実はこちらの神社、某古文書の発見と大き関わりのあるところでして。「宮下文書」そのお話を禰宜さんにたくさん伺ってまいり
ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。前回からの続きです。河口湖畔の小海公園を出て、冨士御室浅間神社に向かいました。富士山の周辺には、浅間神社という名前のつく神社がたくさんあります。一節には38社あると言われています。その中で比較的有名な神社は9社あるそうです。冨士御室浅間神社も、その中の一社です。富士山は、昔から神様の住む霊山です。昔から、信仰されてきた山です。富士山は、特別なんだと思います。圧倒的に美しいし、なんだか自然の畏怖を呼び起こされます。古代の人
800年(延暦19年)噴火続き手元の資料、著書の中には宇津湖(宇宙湖)などなく「有史時代には山中湖だった」との説がある古文書に「宮下文書」が登場しますが「宮下文書は信用しがたい」という方がいます(学者の方々はまったく信用していません)空想と現実が入り混じっているようでまるで伝説のようです素人ですので状況の真贋は置いておきましてここでは富士山の噴火が、いかに凄まじいものだったかを記憶に留めておけばよいのではな
2016年1月不二阿祖山太神宮ツアー12018年11月不二阿祖山太神宮ツアー2地から風がわきおこり天から光がふりそそぐ不二阿祖山太神宮ツアー不二阿祖山太神宮渡邉政男大宮司の書籍【世界最古】不二阿祖山太神宮もうこれ以上はない日本根本の秘密ふたつとない天祖の山「不二阿祖山太神宮」が伝える地球(ちだま)と大地震災害のことムーとアトランティス~LastChance~未来を紡ぐ覚醒のVision2019年5回シリーズ渡邉大宮司の講演会超プレミアムセミナー歴史は
三和導代さんと不二阿祖山太神宮へ杓子山の麓にある不動湯で1泊♨️冬枯れ真っ只中🍁12月14日土曜日不二阿祖山太神宮渡邉大宮司のラスト講演会東京飯田橋ヒカルランドにて12/14土曜日13時〜17時http://hikarulandpark.jp/shopdetail/000000002136/
天皇皇后両陛下を乗せた車が走る並木道。雪化粧をした富士山が、悠然と浮かび上がっています!両陛下は3日、昭和天皇陵と大正天皇陵へ。このYouTubeを見ると武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)のラインに富士山があるのがよくわかります。武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)は、東京都八王子市長房町にある皇室墓地。大正天皇陵・貞明皇后陵・昭和天皇陵・香淳皇后陵の4陵が造営されています。富士山がバッチリ見えますね。富士山といえば富士王朝です。大山守皇子が富士山王朝の象徴である『阿祖山太神宮』の大宮司
失われた福音−『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける衝撃の暗号解読【内容紹介】アメリカで大論争を巻き起こした問題作。初邦訳!2016年最大の衝撃!「イエスには妻と子供がいた」神格化されたイエス像を打ち砕いた推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける古文書が、英国図書館に眠っていた。それは、古代シリア語で書かれた『ヨセフとアセナト』。添え状には、「この秘密に触れることは、命を危険にさらしかねない…」と書かれていた。旧約聖書の登場人物に見せかけたこの物語には、ミステリアスなシンボル、謎
高樹沙耶逮捕報道の中、安倍昭恵が小池百合子との対談で「日本を取り戻すことは大麻を取り戻すこと」宣言昨日発売の「週刊現代」(講談社)11月12日号のトップ特集に小池百合子氏と安倍昭恵氏の対談記事が掲載されていた。いま、一番注目を集めている政治家である小池都知事と、その小池氏とは関係が微妙ともいわれる安倍首相の夫人で、何かとお騒がせのアッキーの対談。いったいどんな展開になるのか、と興味津々で読んでみたら、アッキーがなんとこんな衝撃発言をしていたのだ。「いまは大麻に興味があるんです」
⛤✨✨『神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑』『神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑』『男水門』(おのみなと)で兄・彦五瀬命(ひこいつせのみこと)が崩御された後、さらに二人の兄神を失いながらも、神武天皇一行は『熊野』へと上陸された。『記紀』に記されている『熊野村』、『熊野神邑』は当社の鎮座する地域であると伝えられています。『熊野の神邑(みわのむら)』。。。「此ノ地方ナルベシ」『此ノ地方』。。。『記紀』の『神武東征』の物語は、この後さらに軍を南に進め熊野『紀伊半島熊野地方』へと向
この投稿をInstagramで見る*本日不二阿祖山太神宮にて4回目の講演会を無事に終えることができました。都というのはすべてという意味サンスクリット語は太陽の言葉富士アイヌ!!初めて聴いた超プレミアムセミナー歴史は国家の最高機密vol.12月16日(土)"古代史から見た日本の古さ”●メソポタミア・シュメール文明と日本●世界遺産信仰の山、富士山の歴史vol.24月13日(土)"考古学から見た日本の古さ"●日本の海底遺跡とムー大陸沈没からみた日本の古さ●縄文時代の土
画像の出典:Wikimedia_Commons[PublicDomain]&Pixabay新興宗教「不二阿祖山太神宮」と深い関わりがあるイベントに、昭恵夫人、国会議員らが顧問として名を連ね、主要官庁のほとんどが後援団体になっているその異常さ2019/08/1510:10PM安倍政権の闇/*政治経済,政治経済,日本国内,竹下氏からの情報――――――――――――――――――コメントのみ転載OK(条件はこちら
渡邉大宮司と三和導代さん竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ2016年1月、富士ミステリーツアーを企画した際に初めて不二阿祖山太神宮に参拝させていただきました。以後、取材でお伺いさせていただくこと数回渡邉大宮司による講演会ヒカルランドにて3回〈2018年7月、2019年2月、6月〉不二阿祖山太神宮会館にて講演会2回〈2019年4月、8月〉2018年11月にはマコモWS&ツアーも企画させていただきました。宇宙YURAI☆不二阿祖山太神宮ツアー地から風がわきおこり
「シャンティ・フーラ」よりの転載https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=208579転載はじめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー新興宗教「不二阿祖山太神宮」と深い関わりがあるイベントに、昭恵夫人、国会議員らが顧問として名を連ね、主要官庁のほとんどが後援団体になっているその異常さ竹下雅敏氏からの情報です。冒頭のなすこさんの4コマ漫画をご覧ください。漫画だけで、新興宗教「不二阿祖山太神宮」の異
日本最古の不二阿祖山太神宮。。富士山の鬼門にあたり噴火を抑えるべく再建中。。
数日前からツイッター鍵アカにしてるのでスクショで。笑で、その↑雲写真がこれ↓。なんか、不思議な日本みたいな形の雲だなぁ〜と眺めてたら、二つに分かれてラブラブチックになった。笑2016年5月12日の9:09amだって。笑☆この富士山と上のラブラブ写真、似てない??笑で、その日の夕方がこれ↓☆巨大シップ!😳で、昨日気になったのが宮下文書のサクヤ姫。え?サクヤ姫って、浮気疑われて自殺してるの??😱↑この辺りの考察もまとまってきてるのでまた、折を見て。笑
中華文明の原初神の伏羲は三皇五帝のトップの天皇(てんこう)とも呼ばれたとされている。この原初神の伏羲は縄文人であり、宮下文書の中の支那震旦国皇代暦記によると日本列島から中国大陸に移住して文明を中国大陸に移植したとの説がある。実は元々、超古代の東アジアには縄文人が広く活躍しており、漢民族は未だ現れていなかった。すなわち、この縄文時代の日本出身の伏羲が天皇(てんこう)と呼ばれていたことになる。そして、この伏羲の子孫の人々、例えば秦の始皇帝の一族の秦氏は再び日本列島に帰化(渡来)していた。宮下文書
いつも応援クチコミ✨訪問&リアクション&コメントありがとうございます✨スピリチュアルが苦手なかたはスルーお願いします。..【とおてみよ】.うぬの目は何を視ておる先人の書いたる物か、偶像か??.先人の文に何が書かれておる!.竹下文書か??宮下文書か??日月神示、古事記か?聖書か?祝詞か?般若心経か?真言か?説法か?.何が書かれておる!.空海が釈迦がキリストがマリアがアマテラスがスサノオがニニギがニギハヤヒがセオリツがコトシロヌシがオオクニヌシがヤ
太安萬侶は、「古事記」のことを、「王化の鴻基」とよぶ。「天皇による統治体制づくりの基礎」という意味だ。日本には古くから、たくさんの人たちの営みがあったのだろうが、それらを文字化した記録というのが「古事記」以前はほとんど残っておらず、かつてあったはずの、「王化」以前のこの国の形について知ることは、文献面からは困難と言っていい状態である。それでも過去の探索を諦めたくない人たちは、信頼性の低い、空想まがいの秘史、秘伝承の類を渉猟することとなる。そういったものにのめ
ああ、なんだか堂々巡りをしているなあ…そう感じたのは、5月25日に駿河國からきたOちゃんのたっての希望でやはり駿河國からきたRちゃんと三名にて久しぶりに富士古文書とも言われる、『宮下文書』に出てくる、クニサヅチが祀られている『高座山』の高座神社に行くことになったからなのです。高座山は不二高天原の本拠地とされている『大明見』からは『タカザス山』わたしの住んでいる忍野村からは『コウザ山』と呼ばれています。17年前に移住した時、竹内文書とか、九鬼文書とか、なにしろ、
「カレイドスコープ」よりの転載http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-6061.html転載はじめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー新元号「令和」の本当の意味と超古代の復活と日本の未来「令和」の「令」とは、最初の「ア」と最後の「ン」の間にある「ウ」のこと。つまり、最後の「ン」の前の「リセット」のこと。(※この記事は、メルマガ第291号のダイジェストです。全文はメルマガでお読みください)「令」
ご訪問下さりありがとうございます✨下記のブログを書いたのは10月ですが、この頃から思っていた事をちょっと動いてみようと思いました天皇即位式にあたって、ここで即位式やったらいいのになぁと思っていたんですね不二阿祖山大神宮HP不二阿祖山大神宮は、太古の昔ここに富士王朝があり、天皇一族の祖先が住んでいたと宮下文書には記されています。そして、天皇一族がここに住まなくなってからもここでしばらく天皇の即位式は行われていたそうです。即位式は無理でも、この平成から令和へ変
大好きな人生と旅の師匠三和導代さんの「第5回超古代縄文セミナ―」が開催されます〜師匠は今年もエジプトからはじまり西アフリカへと〜まだまだ旅は続きます🛩三和師匠はオンムセティのアビドスで一瞬行方不明になったらしいです〜何してたのかな😆
不二阿祖山太神宮渡邉大宮司の次回の講座は太神宮で行われます(^^)http://hikarulandpark.jp/shopdetail/000000002136/今度は三和導代さんと渡邉大宮司の2ショットを撮らなきゃっ❣️参加されたお客様が重鎮ばかりでした。(知識レベルの高い方々)