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【44】善阿弥は作庭に従事した山水河原者に属する。作庭技術に優れ「泉石の名手」と称され、東山殿(のちの銀閣寺)を造営した足利義政に同朋衆(ドウボウシュウ)に取り立てられた。室町殿、相国寺塔頭・蔭涼軒(インリョウケン)(いずれも現存せず)などの作庭に従事した。
室町幕府3代将軍・足利義満は当初は父・義詮から受け継いだ三条坊門殿(三条坊門万里小路〈マデノコウジ〉殿)を御所としていたが、永和4年に室町殿(北小路亭・花の御所)を造営してそこに移った。義詮義満ここは、元々は光明上皇・崇光(スコウ)上皇の仙洞御所である。菊亭と、義詮の花亭があり、義満はこの2つの邸宅を合わせる事で新たな御所を建立した。義満が当・御所を建立して以来、足利氏の家督者は「室町殿」と呼ばれる様になり、足利政権は「室町幕府」と
<第98代長慶天皇>1368年即位。(北朝方)足利義満。1369年楠木正儀〔南朝から北朝方につく〕。1378年足利義満〔花の御所〕「室町殿」。(書道)尊円入道親王〔青蓮院流〕。(華道)二条良基「菟玖波集」。(能楽)観阿弥、世阿弥。楠木一族-縁戚関係-服部一族。
勝元はこの時代きっての文化人です。いわゆるインテリでした。彼が禅宗に帰依し、石庭で有名な竜安寺を建立した話は有名ですが、同時に勝元は和歌の達人にして、絵筆をとっても一流でした。死去する一年前には医書まで著しています。また、ある人が勝元を招いて饗宴した際、鯉の料理がでました。すると箸をとった勝元が一目見て、「これは淀川の鯉ですね。鯉は酒に浸す際に箸を入れると汁が濁ってしまうが、淀川の鯉はいくら浸しても濁らない」といったほどのグルメ。このほか、