ブログ記事29件
運航終了2年を過ぎて「また客船で仕事してみない?」元ぱしふぃっくびいなすの乗組員で、今はクルーズ会社に勤務している方からのお誘いがきっかけで、今、客船で仕事をしています。お声をかけてもらったのが、父を見送り、さあこれからどうしようかと思っていたとき。当時勤務していたホテルの仕事も順調で、転職は全く考えていなかったのですが、両親ともにお世話になった、介護施設の総支配人から、父の葬儀が終わった後に、「これからはお嬢さまのやりたいことをされるのが一番じゃないですか?」(なぜだか私のことを
ロシアのマヨネーズ事情みなさんはマヨネーズ好きですか?今日はロシアのマヨネーズ事情をご紹介します。実はロシアはマヨネーズ消費量世界ナンバー1なのです。マヨネーズ発祥はヨーロッパ。おいしいものに国境はない。徐々に広がり、ロシアにまで広がりました。その後、モスクワのレストランのシェフがマヨネーズを使った料理が評判を呼び、その名が知れ渡るようになったのだとか。日本から近い外国ということで、韓国や台湾と並んで、ウラジオストクもそのひとつ。日本から近いヨーロッパ、シベリア鉄道の発着駅
ロシアパラムシル島とアトラソフ島上陸作戦「秘境に強い船」「他の船とは違って、アドベンチャーな企画が楽しい船」客船ぱしふぃっくびいなすは、こんな風に認知されていました。間違いなく、それは、2005年7月『秘境千島列島・カムチャッカクルーズ』が最初のきっかけだったはず。日本船で初めて千島列島のパラムシル島とアトラソフ島に上陸し、手つかずの島内を散策するという、パンフレットを見ているだけでワクワクがあふれた企画でした。北海道を離れ、どんどん北上していきます。少し離れただけなのに、こ
客船「PACIFICVENUS」は、穏やかな波のリズムに乗ってジブラルタル海峡を航行しています。この海峡はわずか14キロしかなく、左舷にはモロッコの山々がかすかに見え、右舷には霞んだ岩山がそびえ立っています。歴史的にも重要なこの場所は、船旅の中でも特別な魅力を放っています。大西洋に出ると波のリズムが大きく変わります。風と波の力強さを感じながら、新たな航海への期待を胸に抱きます。次の日、大西洋の水平線から太陽が昇ります。ふたりのエトランゼ(異邦人)は、その美しい光景の中、感動に満ちた
人をひそかに恋していた人魚パルテノペ。彼を誘惑できなかったことで、なんと自ら命を絶ってしまう。悲しみに包まれたパルテノペの亡骸(なきがら)がナポリの岸辺にたどり着き、世界一美しい海辺になったという。古代ナポリが「パルテノペ」と呼ばれていたのは、この人魚の悲恋伝説に由来しています。地中海の輝きが美しい、ナポリの海岸線が見えてきます。客船「PACIFICVENUS」は、輝きの中を、ナポリに入港します。青い海と青い空が広がり、太陽の光が波の上に踊る姿に、心は和み、幸福感に包まれます。
びいなす日本一周クルーズ今年もあっという間に5月中旬。とても気持ちの良い季節になりましたね。陸上で生活していると、改めて日本の四季を感じることができます。客船ぱしふぃっくびいなすでは、毎年「春」と「秋」に、日本一周クルーズをしていました。日本の美しさを再発見の旅、また10日前後とのんびりとクルーズを楽しむことができる、びいなす定番クルーズで、発売と同時に完売になることもありました。しかも、ロイヤルスイートやスイートから部屋が売れていく。リピーターさんの中には、部屋番号指定の方も多
与論島「人探し」大作戦夕食前の7階プロムナード、専属バンドの生演奏をバックに、オープンな雰囲気で乗組員とのふれあいイベント『ふれんどしっぷナイト』で、あるご夫妻とお会いしました。ご主人のリフレッシュ休暇を利用して、前々から気になっていたクルーズ、そして寄港地が与論島ということで即決申込みをされたそうです。「実はね、新婚旅行で与論島に来たのよ」と奥様がちょっと照れながら教えてくださいました。20数年が経ち、もう一度与論島に行って、当時お世話になった民宿の方に会いにいくのも一つの目的
「同じ風景を見て、同じ時間を過ごそう」──そんなふたりにとって、素晴らしい冒険が始まります。夢を胸に、私たちは世界一周の船旅へと歩み出します。それは、新たな扉を開く瞬間です。この旅の前提となったのは、かつてのヨーロッパ自転車の旅でした。33年が経過しています。その時の経験が新たな夢を抱かせてくれたのです。横浜港から神戸港へ、真っ白な客船「PACIFICVENUS」が未知の冒険の伴侶となります。太平洋をさらに西へ進みます。私たちは様々な国を巡り、新たな
フェリーと客船の違い客船ぱしふぃっくびいなすが運航終了後、会社からお声をかけてもらい、系列のフェリーで仕事をすることになりました。今日はそのお話。客船からフェリーに職場が変わっても、同じ船だし、乗船されるお客様をおもてなしすることができると感じ、入社しました。私がお世話になったフェリーは乗組員が総人数50人いるかいないか。そのうち女性乗組員は私を含め4人だけ。客船と比べたら船も小さいし、定期航路だからまあそんなものなのかもしれません。フェリーというと、トラック運転手が多いとい
第2の家族がいる、奄美大島へ今日は、奄美大島にいる、私の第2のファミリーの話を紹介したいと思います。第2のファミリーといっても、親戚でもなく、血がつながっているわけでもないのですが、客船ぱしふぃっくびいなすが寄港するたびに、時間が許す限り、お出迎え、お見送りをしてくださる方がいらっしゃます。ますは、このAファミリーとの出会いから。2005年、入社して初めて奄美大島名瀬港に寄港した際、岸壁で行われていた物産展で、お土産の黒糖焼酎を物色しているときに、声をかけていただいたのが縁で、
森ちゃんとyoutube『びいなすTⅤ』みなさん。びいなすTVってご存知ですか?コロナ渦で緊急事態宣言発令で、クルーズも中止、私たちも自宅待機となってしまいました。そんな中、クルーズ再開を心待ちにされていらっしゃる皆様と繋がっていたいという気持ちから、youtube番組『びいなすTV』を開設しました。開設といっても、りっぱなスタジオがあるわけではなく、週に1度、クルーズディエクターの森ちゃんと、日本クルーズ客船東京支店の小さな会議室を借り切って、録画をしておりました。船長やクルー
入社試験日2005年1月中旬。入社試験会場は、日本クルーズ客船株式会社東京支店の当時のオフィス、銀座4丁目。営業と予約で7~8人がオフィスで仕事をされていて、世界一周などのダイナミックな業務の割には、人数少ないし、地味なオフイスだなあというのが第一印象。スエズ運河かなあ、壁に貼ってある、客船ぱしふぃっくびいなすの大きなポスターがドーンと目に入り、なんだか遠い世界の夢物語のような仕事だなあとも感じておりました。入社試験には20人位だったかなあ。男女比率は2対8。どう見ても私が一
クルーメスの話今日は、乗船中の乗組員の食事についてお話ししましょう。「あらいいわね。あなた達もレストランと同じ食事を食べているんでしょ?」お客様との雑談中、よくお話しに出た会話。ちがーう!ちがーう!!私たち乗組員は、専用の食事場所があります。船により呼び方は異なるようですが、客船ぱしふぃっくびいなすでは、『クルーメス』と呼ばれていました。それぞれの部署で業務時間が違うので、メスに行く時間も様々。朝食6時~10時昼食11時~14時夕食17時~21時が基本。
びいなすで仕事をするきっかけ「なんでこの仕事を選んだんですか?」「どうやったら船で仕事ができるんですか?」クルーズのことを知らなかったら、船の仕事の選択はなかなか思いつかないと思います。私の場合は、いくつかのショートクルーズを家族と経験していたので、こんな職種もあるんだなあと思ったものです。<2004年オーストラリア・ニュージーランド・南太平洋クルーズ>に家族と一緒に乗船したのが、客船ぱしふぃっくびいなすとの出会い。世界のホテルを見に行くという名目で当時仕事していたホテル
客船ぱしふぃっくびいなす船内探検①このブログを通して、初めて客船ぱしふぃっくびいなすを知った方もおられるかと思います。今回は、客船ぱしふぃっくびいなすの船内を一緒に探検してみたいと思います。まずは客船ぱしふぃっくびいなすの概要から・・・就航は1998年4月。総トン数は26,594トン全長183.4メートル幅25メートル航海速力18ノット乗客数620名客室数238室ちなみに総トン数は『重さ』ではありません。『容積』です。間違わないでね。それでは、5階からは行ってみま
新しい趣味との出会いクルーズ中に開催される講座や講演に参加されたことがきっかけで、新しい趣味を見つけ、それからの日常生活を豊かに過ごしていらっしゃる方も少なくありません。「終日航海日にじっくりと取り組めることがしたい」と水彩画教室に参加したお客様がいらっしゃいました。初めての『船で好きな場所を画く』という課題を、講師の先生が大変褒めてくれてそれが嬉しくて、徐々に水彩画の魅力に取りつかれていったそうです。クルーズ歴10年。これまでの作品を1枚ずつデジカメに保存されていて見せていただ
暴露本に100万円!!「クルーズの裏話を本にしない?」いつものように、客船ぱしふぃっくびいなすの7階クルーズデスクオープン時間でお客様の対応をしていたところ、予想もしていなかったお話しがありました。男性でおひとり参加、秘境クルーズには毎回乗船されていた、リピーターのひとりです。「ほら飛行機のキャビンアテンダントが、今だから話せる嫌な客とか、困った話とか裏話とかをまとめて本にしている、あれ」そうおっしゃりながら、鞄の中から、銀行の名前の入った封筒を取り出し、ボーンと私の目の前に
客船ぱしふぃっくびいなすT船長船上での仕事以外に、旅行会社や企業から、クルーズの話をしてほしい、とか、びいなすの話をしてほしいなど、講演をすることがあります。旅行会社独自でもクルーズ相談会はされていますが、乗組員が話をするというだけで参加人数が増えたり、その後クルーズに申込まれる方も多いとのことで、効果があるそうです。あるとき、旅行会社からの依頼で、新宿の有名高層ホテルで行われた説明会がありました。この日、講演をするのはT船長。私は船長の付き添いで参加することに。世界一周クル
約130名の外国人クルーの母国フィリピンマニラへ2016年の秋、ボホール島、ボラカイ島、ハンドレッドアイランドなどの手つかずの美しいフィリピンの島々そして大都会マニラに寄港するクルーズがありました。フィリピンといえば、本船で仕事をしている約130名ものクルーの母国。そのクルーズ初日から、彼らの様子の様子がいつもと違い、いつになくテンション高めであることに気がつきました。それは、他の日本人オフィサーも同感で、早朝の時間の業務のときでも、これまでにないような元気で返事も明るく、まるで
慰霊としてのクルーズ今年終戦から78年となりました。今年の8月15日も、船上でその日を迎えました。この日が近づくと、いつも思い出すことがあります。客船ぱしふぃっくびいなす乗船中、あるご高齢のご主人から1枚のメモ書きを受け取りました。ご乗船のお客様の実兄様が、太平洋戦争で戦死され、近く戦没者巡礼団の一員として追悼式に参加予定でしたが、現地の治安が悪化したため、止む無く中止となってしまったそうです。<2015年アジア周遊クルーズ>でインドネシアのベノアを出港し、フィリピンのプエ
バヌアツの一日<2016年オーストラリア・ニュージーランドサザンクロスクルーズ>で、バヌアツ共和国ポートビラに寄港したときの出来事をご紹介します。「バヌアツ?!それどこ?」日本ではまだ知られていないこの国は南太平洋の島国のひとつ、約80もの島々から成り、イギリスとフランスの共同統治から1980年に独立したまだまだ若い国。船から見えてきた第一印象は、鬱蒼と茂ったジャングル!といった感じ。この日は、寄港時間の早朝から雲ひとつない晴天に恵まれました。岸壁に行くと、そこには日本人
無事、コモド島での観光を終えた夜の出来事。「○○さんの股下をコモドドラゴンがくぐったみたいよ」「〇〇さん、コモドドラゴンに噛まれたって、知らんけど」そうなんです。真実かどうかは別として、夕食時、お仲間でテーブルを囲みながら、いろいろな話が飛び出してきました。話を聞いた私は、確認もあるので、その〇〇さんのところに真実を確認に行ったこともあります。クルーズが長くなればなるほど、外からの情報がなかなか入ってこないこともあり話に尾びれがどんどんついて、いつの間にか、とてつもなく大き
インドネシアコモド島にだけ生息している、その名もずばり、コモドドラゴンをご存じですか?小さいもので全長70㎝、大きなもので5メートルほどもある、オオトカゲ。アジアクルーズ中のひとつの寄港地で、2度寄港しました。そのときのエピソードを紹介します。自由行動はだめ。散策には現地のレンジャー隊なしでは観光できない島。そう、この島にはコモドドラゴンが至る所にいるので、いつ遭遇するかもしれない非常に危険な島なんです。コモド島には大きな船がつける岸壁がないので、客船ぱしふぃっくび
今日は『クルーズの食』のお話をします。客船ぱしふぃっくびいなすでは、1日3食の食事、就寝前にちょっと小腹がすいた方のために、お夜食、そのほかにも6時~9時アーリーモーニングティー9時~11時モーニングティー14時~16時アフタヌンティー16時~18時サンドイッチバー珈琲、紅茶、ジュース類は終日無料で提供されていました。初めてのクルーズが世界一周というお客様がおられ、早朝から就寝まで船内イベントに参加、普段の生活ではそんなに召し上がらないのに、夜食まで召し上
我が家のクルーズの出会いは、2001年12月にクリスマスワンナイトクルーズをしたこと。船の名前は、飛鳥。初代飛鳥です。その年の9月頃に、用事があって旅行会社に行ったとき、店頭にあったパンフレットがそれで、確か一人3万~4万円程度だったと思います。両親への感謝を込めて、プレゼントをしました。晴海港を17時出港し、クルーズ用に持ってきたワンピースに着替え、クリスマスディナーやイベントを楽しみました。華やかな雰囲気と、あの飛鳥に乗っているという高揚感。この日の夜、『海彦』へ。有
「赤道には目印に1メートル毎に、海の上に赤いポールが浮いてるんだよ」入社して初めて赤道を通過する日、ある航海士がこっそりと教えてくれました。「まさか!でもひょっとしたら」そんな複雑な思いが交錯し、その瞬間、誰にも見られぬように、望遠鏡を持って上階からその*ポールを探したことがあります。赤道周辺の海域というと、うだるような暑さの中、荒波をかき分けて航行するというイメージがあったのですが、これは全くの勝手な想像であったことに気づかされます。現実は、特に、赤道の前後の約10日間の海は、まる
TBS系列のテレビ番組『マツコのしらない世界』から本船への撮影依頼が舞い込んできました。「あのときマツコさんと一緒にスタジオにいた航海士は乗船していますか?」など、放送から1年経った今でも問い合わせや、中には「会ってみたい!」なんてご要望を伺うこともあります。テレビの影響力は本当にすごいです。さて、撮影依頼は、『豪華客船の世界』の第2弾で、今回は華やかな客船を陰で支える、縁の下の力持ちの男性乗組員、そのなかでも“イケメン”指名の特集番組とのことでした。ゴールデンタイムの大人気番組撮
2015年から5年間、雑誌「クルーズ」で連載を担当することになりました。2か月に1度の割合で発行されたので、1年6回、合計30回を担当。仕事中はなかなか書く時間がなく、移動中の新幹線の中とか、港で待っている間とかに大体の構想を考えて、休暇中に書き上げる...というサイクル。とにかく締切を守らないと。先方に迷惑をかけないように・・・一度締切日が迫っていて、母の入院も重なり、疲労から帯状疱疹になったことがある。売れっ子作家さんのような心境。「読んだわよ」とか船上で感想をい
沈没した「タイタニック号」を見に行く潜水艦ツアーの悲しい事故のニュース。船から約500メートルあたりで、潜水艦の残骸があったとのこと。ご冥福をお祈りしたいと思います。世界一周で、カナダのハリファックス寄港のとき、タイタニック沈没地点を航行し、花をたむけたことがあります。季節は6月頃だったかな。氷河なんてなかったし、見渡す限りの大海原。あれほどの悲劇があったとは想像できないような、静まり返った海、少し灰色っぽい色をしていたことを覚えています。ハリファックスには、タイタニック号で亡く