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2021年1月9日(土)恒例の最上稲荷で商売繁盛祈願祈祷後大客殿のとそ会場へ今年はさすがに樽酒はない昨年の商売繁盛祈願
■南末社最も南より・・・・■祖霊社■金比羅社祭神:大物主神■一挙社祭神:一挙神室町時代より鎮座。■衣手社[ころもでしゃ]祭神:羽山戸神■伊勢神宮遥拝所■祓戸大神■社務所(南西建物)東面。社務所(南西建物)西面。曲水の庭より、社務所(南西建物)北面。■社務所(北東建物)曲水の庭より西面。社務所(北東建物)南面。■亀と鯉■玄関「松風苑三庭園」拝
重森三玲が基本設計を行い、長男、完途(1923-92)により細部の意匠設計、工事監理作が行われた鎌倉風の池泉回遊式庭園。不老不死の仙人の住む仙界、仙境である蓬莱神仙の世界を池中の神仙島、立石の石組にて表わしています。■庭園入口■蓬莱の庭碑明治中期頃より存在した池庭があったものの、当初の姿を失い荒廃。1971年(昭和46年)境内図にも神池は確認できます。蓬莱の庭は、池の掘削を行い、新たに作られたものです。■客殿
初登山で日蓮正宗総本山大石寺へ参詣してきました。12/31の午後大石寺に行き、山内を散策後、ホテルで一泊しました。翌、令和三年元旦、本山を参詣しました。【元旦のスケジュール】8:00広布唱題会11:00御開扉12:10初勤行日本の貧困化の原因は日本政府の緊縮財政にあります。これも、創価学会政治部こと公明党が政権与党に組した時期とほぼほぼ重なっています。つまり、主因は創価学会を始めとする謗法の蔓延があります。また、国の借金の嘘、財政破綻論で会
冬至の21日は星祭りでしたたくさんのお参りありがとうございました皆様の健康を御祈願いたしました来年も障り無く過ごせますことをお祈りしております。マスク着用や消毒など、ご協力ありがとうございました❤️申し込み頂いた皆さまのお札は玄関にてご用意しております。今年は客殿の受付も、感染対策を行いました。
明智光秀ゆかりの寺・・・西教寺の続き西教寺と明智光秀1571年西教寺は織田信長の比叡山焼き討ちの際に西教寺も災禍に見舞われ、その直後に築かれた坂本城の城主になった明智光秀は復興に大きく力を貸しました大本坊で受付・・・本堂など拝観しますお庭本堂の裏側廊下大本坊から書院へ本堂の裏側センリョウが見頃になっています本堂の裏側にある石仏
前回はこちら観音堂です。昇龍と観世音の説明板です。手水舎です。本堂です。明智光秀公と一族の墓です。供養塔です。濃洲妻木(明智)一族と西教寺の説明板です。坂本城主明智光秀の妻・煕子の墓と聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像です。坂本城主明智光秀の妻・熙子の墓の説明板です。聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像の説明板です。坂本城主明智日向守光秀とその一族の墓です。坂本城主明智日向守光秀とその一族の墓の説明板です。名号石です。放生池です。西教寺客殿です。西教寺客殿一棟の説明板です。
前回はこちら光秀公熙子様の等身大パネルです。スマホで光秀公熙子様とのツーショット写真を撮りました。大本坊庭園です。大本坊庭園の説明板です。兼法勝西教寺です。兼法勝西教寺由来の説明板です。客殿です。客殿庭園です。客殿庭園の説明板です。裏書院庭園です。裏書院庭園の説明板です。観覧亭です。続きはこちら
1700年前に創建丹生都比売神社「丹生都比売神社の紅葉は今月末まで」とテレビのニュースで聞いたので来たよしかーし!妖怪あめふらしなMe(T_T)運転中は晴れてたのにポツポツ雨がなので綺麗さMAXで撮れなかったけど、2020紅葉見れて良かった来れて良かった♪てかほぼ散ってる!?(^^;
鹿王院の記事の続きです。客殿のお部屋から見える前庭。客殿の縁側に座って眺める枯山水庭園。時が経つのを忘れそうです。足利義満が書いた扁額の文字。庭園の向こうに見えるのは舎利殿。仏牙舎利が収められた多宝塔が安置されています。仏牙舎利というのは、お釈迦様の遺骨と歯のことだそう。涅槃図や十六羅漢図などもありました。舎利殿に繋がる歩廊。舎利殿から見た客殿。写真は11月21日にスマホで撮影したものです。3連休で観光客は多かったものの、大混雑とまでは言えず、例年の約3割減でした。京
80段ほどを残した地点が客殿周辺。一息入れるところでしょうか?テーブルが据えられ、お茶をふるまうような雰囲気なのですが、息が上がった様子の参拝客を見て、「まだ終わりじゃないんでぇ!」と、愛のムチのような言葉が飛びます。でぇ!の部分は、土地の言葉の語尾ですね。関西弁のやでぇ!みたいな感じでしょうか?左手が客殿になります。ちなみに、登り切った帰り道ならば、「お茶などいかがですか?」という声がかかります。そういうことですね。
篠栗町の呑山観音寺、つづきです。鐘楼堂の写真を撮っている間、かみさんが極楽往生院付近の紅葉を観ていたのですが、時間が経って、陽が登って紅葉のポイントが広がったそうですので、再度、天王院を観に行きました。時刻は10:45頃から。右側の客殿あたりも陽が差し込んでます。美しいです。もうすぐ11時ですが、陽がだいぶん上になってきてました。右側の仁王像の紅葉も陽が当たるようになっ
1日まるまるかけて廊下のワックスがけを終えたら、次は客殿の舞台廊下に比べたら、まだ終りが見えやすいそれでも、結構な量ですね雑巾をひたすら、洗ってくれるおばあちゃんには感謝感謝三回の水拭きでしっかり洗剤と汚れを落とさないといけないので、常にキレイな雑巾が必要なんです二日間の膝痛は、もう、限界に近い膝をつかないと目がくるくる回ったり、腰にきます皆で手分けをして掃除します客殿の台所もやりまーす重労働ですが、皆で楽しい話をしてケラケラ笑いながらやると時間が経つのは早く感じるんです会話
晴れた日は絶好の掃除日和ですいつもは、年末、寒くなってからやるワックスがけ今年は、暖かくて動きやすいうちにと言うことで晴れたこの日は、総動員でワックスをやることにワックスをやるなんて一言で言うのは簡単ですが、、、全ての家具を動かして前のワックスを薬液で擦り落として水拭き3回最後にワックスひたすら、ゴシゴシするのでとにかく膝が痛いワックスを塗った所は立ち入り禁止考えてかけないと、身動きとれません↑長年、カーペットを敷いていたので床の色がすっかり変わっていますね全ての
色づき3分の呑山観音寺、つづきです。天王院表参道を登っていくと、右手に客殿、左手に天王院があります。客殿。客殿の門の前から観る天王院。右側が先に紅葉が進んでますが、参道の奥はまだ青いです。客殿の紅葉。ここの紅葉は、窓ガラスに映る姿もきれいなんですが、もう少し先みたいです。天王院本堂前の参道を進みま
愛知県一宮市の設計事務所菅野企画設計の前嶋です。愛知県豊田市の真宗大谷派明勝寺の伽藍整備工事が10月末に竣工します。業務を依頼されてから、いつの間にか5年の月日が経ちました!!第一期工事は山門、鐘楼、塀の新築、第二期工事は客殿、庫裡の新築と、区画整理事業のスケジュールに合わせて設計と工事を進めてきたため・・・明勝寺住職、副住職そして建設委員会の皆様とは、長いお付き合いになりました。現在は、最後の参道整備工事を行っています。工事は全て、岐阜県中津川市の
鞆の浦のお寺を二ヶ所、ご紹介します。まずは、鞆鉄バスで鞆港で下車すると、見上げれば「対潮楼」があります。こちらのご住職は、秋篠宮様ご夫妻がお見えになった折、ご案内をされました。今から、8年前の事です。沿革創建は平安時代の950年頃、空也による創建と伝えられる。現在の本堂と隣接する客殿(対潮楼)は江戸時代の元禄年間(1690年頃)に建立された。江戸時代を通じて朝鮮通信使のための迎賓館として使用され、日本の漢学者や書家らとの交流の場となった。1711年(正徳元年)に従事官の李邦彦が客
犬に猪に馬を祀ってるみたいですね。(⌒▽⌒)どっかのおっさんを祀ってるみたいですね(^o^)『仏足』仏様の足ですか?(*´ڡ`●)ほんまかいな?(⌒▽⌒)もしかしてどっかのおっさんは大黒天かな?猪が出るんですって!まじ!?下に降りる階段かありました。(*´ڡ`●)龍と鶏が祀られているようですね。(⌒▽⌒)鶏は上かな下かな?下はリアルですよ。中に入れませんが、立派な建物です。(^o^)白峯寺客殿だそうです。\(^o^)/白峯寺を後にして、次に四国霊場82番目の寺の『根香寺』に
令和元年10月、本山では悲しみを堪えながら日顯上人様の御本葬儀の準備に取り掛かってる真っ最中でした。去年10月1日の御経日に住職様が日顯上人様との思いで話しを語って下さいました。日達猊下様が御遷化された昭和54年その頃、住職様はまだ17歳高校2年生・学生部住職様「私共には学生部というのがあってね、ちょうどその日は学校が休みで御経日の時に私が太鼓を叩いていたんだよ。そしたらさ「猊下が所化達の太鼓の叩き方がなっていないから客殿に集まれと仰っている、早く移動して集まりなさい
丹生都比売神社近くの古民家カフェ☕️cafe客殿天野和み処cafe客殿/トップcafe客殿は和歌山県かつらぎ町天野にオープンした古民家の和み処でおいしい天野米を使ったごはんセットとスイーツとコーヒーが飲める店ですwww.cafekyakuden.xyzランチの時間が過ぎていたのでケーキセットを注文。ガトーショコラ🍰あっさりしていて食べやすい。砂糖ケースのウサギ🐰が可愛い。素敵な雰囲気のカフェでした。
愛知県一宮市の設計事務所菅野企画設計の長岡です。川崎市の曹洞宗修廣寺で、客殿と庫裡(住職家族の二世帯住宅)新築工事が完成を迎えます!既設の木造本堂と、新築の木造庫裡を合法的に接続するため、本堂と庫裡の間に挟まれる客殿は、鉄筋コンクリート造の耐火構造で設計しました。ただ、外からみても、中からみても、木造と鉄筋コンクリート造の見分けは・・・つきません!△手前が鉄筋コンクリート造、奥が木造外壁のリシン吹き付けは、副住職の提案で黒色!凛々しい表情になりまし
愛知県一宮市の設計事務所、菅野企画設計の前嶋です。静岡市の真宗大谷派専念寺の客殿・庫裡新築工事が順調に進んでいます。工事は、静岡市に本社を構える鈴与建設㈱にお願いしています。先日、予定通り解体工事が終わりました!!「では、監督さん。図面通りに進めておいてくださいねー。」なんて、『工事が始まってしまえば、設計士は監督に任せきりだろう(^^)』と、思っていませんか?実は私、設計士の前嶋は『施工図面』の山に埋もれています!!※『施工図面』とは、設計図を
麗しの皆さまごきげんよう✴︎長文です✴︎首のながぁ~い白鷺のような雲を目にした朝。大好きな麗しい人こすもちゃんに逢ってきました。前に逢ったのはいつだったろう?このブログの初期の頃にご縁が繋がりこうしてまた逢えたことが嬉しい夏場はふんてぃ(ふんどしパンツ)を身につけることが多い中その日はわたしには珍しく総レースのおパンツを身につけて。↑なんでやねん!まるで彼氏と逢う気分なのでした。トキメキの佳き日丹生都比売
タイトル…なんじゃ?それ??ですよねテーマも『神社仏閣』シリーズに入れようか迷いましたが今回は神社にお詣りは…二の次でして…神さま…申し訳ない会いたい人に会うため、がわたしのやりたかった事です…今回、長いです…お暇な時に…がお勧めです高速を和歌山のほうに走らせているとりんくう辺りを過ぎ泉南のトンネルを出るとこの山ん中は雨だったお天気がころころと変わりながらわたしを丹生都比売神社まで導いてくれる今日は、晴れるそんな自信が約束した時からあった思った通り雨
愛知県一宮市の設計事務所菅野企画設計の野口です。愛知県の真宗寺院で、客殿・庫裡新築マスタープランを進めています。伊藤チームの担当で、私は客殿のインテリアパースを描いています!お客様との打合せ内容をパースに反映させていくのですが、、。チーム内で相談して作成したパースを所長の菅野に見せると、、「お寺の客殿の天井に、網代貼りは相応しくない」と指摘を受け「網代を杉板の敷目板張りに変更しました」さらに、より庭を楽しめる工夫や西日対策も考慮してパースを描き直し
愛知県一宮市の設計事務所菅野企画設計の東松です。茨城県の真宗寺院の本堂・客殿新築工事の現場説明会を行いました。現場説明会では、建設会社に見積り依頼書と設計図を渡し、工事内容の説明と現場を案内します。見積を依頼する建設会社は、役員会で選定しました。公平な見積になるように、1社づつ、1時間おきにお寺へ来てもらいました。今回の現場説明会は、2日がかりで行いました。1日目は本堂新築工事、2日目は客殿です。本堂と客殿を分離して発注するのは・・全体を一社に任せ
それは、突然でした。爆弾が落ちたような、ものすごい音今までのボクの犬生の中で、イチバン大きな音でした。ドーンと言う雷が鳴った途端、真っ暗になる部屋落雷による停電ですもう、一目散に逃げましたよいつも生活している自宅の台所から、お寺の客殿にある台所まで、孟ダッシュここが、ボクの避難所です(炊飯器の下です)雷なんて、今まで全然気にしていなかったのにいきなり、あんな爆音だもの怖かったのもう、心臓止まるかと思ったワン笑わないでよねボクって自分で言うのもなんだけどチキンなの皆
愛知県一宮市の設計事務所菅野企画設計の野口です。今年4月に入社しました。伊藤チームの一員として、本堂、閻魔堂、客殿などいろいろな3Dパースを描いてきましたが・・・最近、作業のスピードと完成度が上がったのを実感しています!最初は、先輩から手取り足取りの指導を受けても、思うように表現できず、苦戦しましたが、、、△栃木県で新築予定の客殿最近は、ひとりでここまで描けるようになりました!できることが増えてくのを実感できて、うれしいです!---------
今日の午前中、客殿和室から変な音が聞こえるので何かと思ったら24時間換気システムがスイッチも入れていないのに稼働していました。スイッチをオフにしようとしたら、液晶画面にエラーが表示されていました。メーカーに修理を依頼しようかと思ったのですが、普段使うこともありませんし、どうしても修理して使わなければならない必要性もありません。なので、いつもお世話になっている電気屋さんに電源オフにしてもらい事なきを得ました。今後どうしても修理しなければならない時が来るまではそのままにしておきます。
高野山のふもと、といっても標高450メートルありますが、丹生都比売神社のある「天野のさと」。随筆家、白洲正子さんも愛した地ですが、神社の宮司さんに素敵なカフェを教えてもらいました。その名も「客殿カフェ」。客殿(きゃくでん)さんが経営する古民家カフェです。もともとは神社の社家の一つで、名字が珍しい、客殿さん。社家は「しゃけ」といって、代々神社に仕える神官の家のことをいいます。かつては茅葺き屋根の大きな家屋であったそうです。今は茅葺きではありませんが、門など