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作家魂をみせた映像〜ImageForumFestival1995〜(1995)(本稿は「月刊イメージフォーラム」1995年7月号に"ImageForumFestival1995"の日本作品評として掲載された。同フェスティバルは1995/4/28-5/7に東京・シブヤ西武シードホールと大阪・キリンプラザ大阪で開催された。)スクリーンの上をフィルムが走る。こちらに向かってすごいスピードでうなりをあげて走ってくる。よく見ればパーフォレーションの形状から8ミリフィルムなのだ
和田淳子の映像と身体(1998)(本稿は、1998年4月にかわなかのぶひろ責任編集で刊行された『映像』創刊準備号[イメージフォーラム発行]に掲載された。『映像』はこの号しか刊行されなかったと記憶するが、この25ページに及ぶ「女性映像作家「私の中の私」特集」*はこの時期におけるきわめて重要な特集であった。)*取り上げられた作家は以下の11名(カッコ内は執筆者名)。竹藤佳世(インタビュー)、才木浩美(村山匡一郎)、河瀬(仙頭)直美(深田独)、上岡文枝・三浦淳子・歌川恵子(鈴木志郎康)、和田淳
美術と映像アヴァンギャルド映画からインスタレーションまで(初稿,2009)(本稿は、松本俊夫編『美術×映像境界領域の創造的カオス』(美術出版社,2010)のために書かれた「美術と映像の100年アヴァンギャルド映画からインスタレーションまで」(同書pp.114-137)の未発表の初稿である。書き出し部分や冒頭の章をはじめ、ですます調の最終稿とは全体にかなり異なっており、加筆され注(一部は編集者によるもの)をつける前の初稿もきちんと記録しておきたかったので本サイトで掲載することにした
パイク、電子時代のトリックスター(1997)(本稿は、ユーロスペースで1995-2001年に毎年開催された「アート・ドキュメンタリー映画祭」の第3回(1997年)に上映された『エレクトロニック・スーパーハイウェイ:90年代のナムジュン・パイク』の作品解説として映画祭パンフレット兼ビデオカタログのために書かれた。)“最初の”そして“最も有名な”ビデオアーティスト、ナムジュン・パイク。世界中のめぼしい美術館はこぞって彼の大きな展覧会を開いてきた(日本では1984年東京都
アヴァンギャルドと映画——日本の経験(2004-05,未発表)(本稿は西嶋憲生編『映像表現のオルタナティヴ——1960年代の逸脱と創造』(森話社,2005)の総論の一つとして書かれた未発表稿である。「[I]映像表現とアヴァンギャルド」「[II]日本映画とその外部」という二部構成にそれぞれの総論をつける予定で書かれ、最終的に「アヴァンギャルドとオルタナティヴ——1950-60年代を中心に」という一本の総論にまとめられたものの原形である。)前衛映画は今世紀の初頭以来、いろんな呼び名の
メカスの日記は何を記録するのか?(2002)(初出「現代詩手帖」2002年7月号ドキュメンタリー特集,pp.70-75)ジョナス・メカス(1922-,リトアニア生まれ)の新作日記映画『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』(2000)を見た。50歳をすぎて結婚した彼自身の家族、妻のホリス・メルトン、娘ウーナと息子セバスチャンの成長を中心に構成した、全12章288分、途中休憩を入れると5時間をこす大長編だ。久しぶりにメカスの映像世界を堪能したのだが、瞬間瞬間の断片的イメージが連鎖し
抽象映像をめぐる冒険〜アブストラクト・シネマ小史海外編〜(2022増補版)Part2(初出「月刊イメージフォーラム」1994年4月号「特集アブストラクト映像と幻覚」、pp.70-79。その後の情報や研究をかなり追記。長文につきPart1と2に分載)Part1はこちら。『抽象映像をめぐる冒険〜アブストラクト・シネマ小史〜(1994)Part1』抽象映像をめぐる冒険〜アブストラクト・シネマ小史海外編〜(2022増補版)Part1(初出「月刊イメージフォーラム」1994年4月
抽象映像をめぐる冒険〜アブストラクト・シネマ小史海外編〜(2022増補版)Part1(初出「月刊イメージフォーラム」1994年4月号「特集アブストラクト映像と幻覚」、pp.70-79。その後の情報や研究をかなり追記。長文につきPart1と2に分載)ブラザーズ・クエイの美術学校時代からの親友であり、彼らの会社「スタジオ・コーニンク」の共同設立者・プロデューサーであるキース・グリフィス(1947-)が、自ら製作・監督した『アブストラクト・シネマビジュアル・ミュージックへの招
現代美術と映像の合流、現在からの見直し「ヴィデオを待ちながら映像、60年代から今日へ」展(初出「ecce[エチェ]映像と批評」2号(森話社,2010.3)pp.178-184)今日、現代美術の展覧会を見に行くと、「投影された映像」を使ったインスタレーションがあふれている。少なくとも10年ほど前からのはっきりした傾向だ。現代美術のマルチメディア化、物語や神話への関心、DVカメラとパソコン編集の普及、DLPプロジェクターの急速な技術革新など、多様な要因が絡む現象なのだろうが
夢の野原で語りかける<声>──山田勇男の作品世界(初出「月刊イメージフォーラム」1990年4月号、pp.30-33)先日友人からもらった「3MUSTAPHAS3」というグループのテープがある。国籍不明のエスノ・ミュージックで、曲により英語ありフランス語ありアラビア語ありスラブ系あり、メロディも言語とともに変わってしまう。民族や歴史として「定着」していかない、架空のエスノ感覚、どこでもない国のエスノ文化(!)を感じさせる不思議な音楽だった。この、どこでもない国の郷土感覚というの
先日、1970年代半ばにパリで実験映画を見た思い出として、「コレクティフ・ジュヌ・シネマ」についての記事を書いた。『コレクティフ・ジュヌ・シネマの思い出』コレクティフ・ジュヌ・シネマの思い出「コレクティフ・ジュヌ・シネマ」(CollectifJeuneCinéma、略称CJC、"若い(新しい)映画の集団"…ameblo.jpfacebookでも紹介したところ、意外に関心を持っていただけたのだが、映像作家の狩野志歩さんから「パリに長期滞在した時にお世話になったところです。マルセル
『背吉増剛造×空間現代』七里圭(2022)2022/8/30映画美学校試写室にてガラス。硬質で透明なもの。内と外を隔て遮断しながら、視覚的につなぎ内外を二重化し一体化するもの。このガラスという、物質にして透明な壁は、コロナ時代にあらゆる場に出現したアクリル板の原形、純粋形とも言えるかもしれない。この映画は、ガラスをめぐる禁欲的でコンセプチュアルな思索であり、またガラスへの抵抗でもある。「背」とは、みることのできない後ろ側であり「世界の後ろ側」という言葉も映画内で聞かれた。
安住の地を逃れて—「音から作る映画」プロジェクトの行方(本稿は七里圭編のブックレット『映画以内、映画以降、映画辺境』2018のために書かれた。同書は「音から作る映画」プロジェクトに並行して行われた連続講座を記録したもの)2014年から始まる七里圭の「音から作る映画」という前例のないプロジェクトの成り立ちとその展開を考えようとするとき、この10年ほどの七里圭の試みの数々を一度整理してみるのが有効だろう。たとえば、次のような方向性を取り出してみることができる。(1)『眠り姫』(2
コレクティフ・ジュヌ・シネマの思い出「コレクティフ・ジュヌ・シネマ」(CollectifJeuneCinéma、略称CJC、"若い(新しい)映画の集団"といった意)は、パリの実験映画上映団体(作家集団)で、1975年初めに何度かレアな作品を見に行ったのだが、驚くことに今でも存在しているようで、ネット上でホームページやfacebookのアカウントなどを見つけることができた。CollectifJeuneCinémaLeCollectifJeuneCinéma,
ビル・ヴィオラ水=光の詩学(1998)(本稿はICCでの「ビル・ヴィオラヴィデオ・ワークス」展(1997/11/18-12/27)に関連して「InterCommunication」誌No.24(1998Spring)に掲載され、その後「ICCDOCU-MENTS1997-2000」2001、NTT出版、に再録されたものである)ICCの下記サイトで該当ページがPDFとして全文公開されています。https://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic024/1
このテーマでは、1970年代に見た実験映画・アヴァンギャルド映画のうち、あまり記録されていない作品や作家をメモしていく予定です。
[序]飯村隆彦氏が2022年7月31日に85歳で死去された。毎日新聞の訃報では「1964年、大林宣彦さん、高林陽一さんらと「フィルム・アンデパンダン」を結成。実験的、前衛的な映画の製作、上映を活発に行った。ビデオアートやインスタレーションにも先駆的に取り組み、日本のメディアアートをけん引した。著書に『映像実験のために』など」とあった。私は飯村隆彦作品に関して下記記事にも書いた通り、どこか相反感情を持っていて、ある種の作品を極めて高く評価する一方で、それ故にそれ以降の作品に懐疑的という面が
光の洞窟で──構造映画覚え書(1990、未発表)(本稿は『生まれつつある映像』(1991、文彩社)の1章として書かれたが海外作品論のため収録せず未発表のままとなった)映画史に「ゴダール以降」という区切りが存在する如く、我々は「ウォーホル以降」という次元を想定できるだろう。ウォーホルが「映画」という自明な娯楽スペクタクルの歴史にまったく異質な次元を導入したことは明らかだからである。だが、それは正確には何であったのか?アンディ・ウォーホルの映画について、それが映画の原点への回帰、リ
フィルムという不思議な物質への慈しみ〜奥山順市インタビュー〜(本稿は東京都写真美術館における「光と影の創造者奥山順市展」(1998.7.31-9.27)のために行われたロングインタビューで、同展カタログpp.54-66(英訳pp.67-76)に収録された。奥山順市氏の了承のもとに再録し、併せて近況インタビューを文末に追記した。)■"動く写真"が見たい——奥山順市さんは1998年現在、35年のキャリアの間に70本以上の作品を発表され、内容も多岐にわたるので今日は幾つか話を絞って伺い
影との戯れ〜映画作家・寺山修司〜(初出『寺山修司』太陽編集部編、平凡社コロナ・ブックス、1997、pp.36-41)「僕は自分では映画作家のつもりでいるんだけれども、ほとんど映画監督というふうに紹介されることがない」と寺山修司は冗談めかして語ったことがある。最後の講演となった1983年4月17日のドイツ映画祭での話である(「ドイツ・この不思議な国」「月刊イメージフォーラム」1983年7月号)。実際、寺山修司と映画の関わりは、人が思う以上に長く、幅広く、また国際的だった。2
伊藤高志『零へ』(2021)2022/8/12シアター・イメージフォーラムにて伊藤高志の『零へ』を見るのは何度目かになるが、何回見ても不思議な作品であり、その都度新たな発見のある作品である。72分の長編。まるでアントニオーニの『欲望』(67年)のように、人物の行動や出来事は追えるが、「何」が描かれているのかわかるようでわからない。そういえば、『欲望』の1シーンを想起させるような、無人のテニスコートにボールの音だけが響くシーンもあった(この映画で「音」が果たしている役割はとても大き
小学館の「日本大百科全書」(ニッポニカ)の「実験映画」の項目に書いた文章が、下記のコトバンクの冒頭に全文掲載されていたのでリンクします。実験映画の定義やヒストリーについて事典的に書いた文章では長いものになります。(ベースとなる初稿は1984-85年頃執筆、のち1996年に電子ブック版、98年にCD-ROM版、2002年にweb版のためにその後の部分を加筆したもの。作家の没年は編集部により随時追記されている)※注意同ページに掲載のブリタニカや世界大百科事典(平凡社)の項目は私が書いたも
実験アニメーションの余白に〜<動き>の境界領域〜(本稿は主に「映像表現としてのアニメーション──その今日的な文脈──」(O美術館図録『アニメーション進化論──日本の実験アニメの現在』1988)を下敷きに拙著『生まれつつある映像』(1991)の1章として縮約し書き直したものだったが収録されず未発表のままとなった。なお、より詳しい実験アニメーション論としては「動きとおどろきエクスペリメンタル・アニメーションについてのノート」(「月刊イメージフォーラム」1981年7月号・特集アニメの未来)がある。
『天使』をめぐるメモ〜映画の原理的構造を素材とした「メタフィルム」〜(初出「映画新聞」1985年4月1日号。ミニシアター時代の顕著な一現象であったが、最近再上映されていることもあり、歴史的・同時代的な記録として再掲します)I"『天使』現象"という言葉が出来るほど、『天使』の東京ロードショウ(1985年1月5日-2月11日、四谷三丁目イメージ・フォラーム)は予想外の大反響を呼んだ。ふつうの劇映画のようなストーリーやセリフが全くないこのフランスの実験映画に、毎回立ち見が出るほ
マインド・フィルム〜夢・映画・心のイメージ〜(初出「へるめす」40号、pp.40-47、岩波書店、1992)1なにもイメージのないスクリーン1992年6月末に東京パーンでかわったコンサートがあった。デレク・ジャーマンの映画音楽で知られるサイモン・フィッシャー・ターナーによる「ブルー・プリント・コンサート」。会場ステージには大きなスクリーンが据えられ、場内を暗くして演奏がはじまると同時にスクリーンに映画が上映される。しかしそこでは、ただ青い色が延々と続くだけだ。約80分。
ふっと頭をよぎるイメージかわなかのぶひろの映像世界(本稿は、イメージフォラムフェスティバル2021における「フィルムメーカーズ・イン・フォーカスかわなかのぶひろ特集」のために同フェスティバル・カタログに書かれたもので、その後、2022年5-9月に前橋文学館で開催された「かわなかのぶひろ展日常の実験・実験の映像」に合わせて出版された「日常の実験・実験の映像」<イメージフォーラム、2022>にも再録された)「映画っていうメディアは、ふっと個人の頭の中によぎるイメージみたいなもの、
イメージのダイナミックな相互交換〜『映像書簡』シリーズの特性〜(初出「横浜美術館映画上映会かわなかのぶひろ×萩原朔美映像書簡」パンフレット、横浜美術館、1996)『映像書簡』シリーズは、友人でありともに映像作家である萩原朔美とかわなかのぶひろが映像を交換しながら共作したユニークで重要なシリーズワークである。まとめて上映される機会は少なく、今回は全作通して見られるばかりか新作も制作される点で、貴重で意義深い企画上映会である。本シリーズは今回の新作を含め7作あるが「4」と「5
2022/08/01パトリック・ボカノウスキー『太陽の夢』UnRêvesolaire(2016)日本では『天使』L'Ange(1982)で知られるフランスの映像作家、映像の芸術家パトリック・ボカノウスキー(1943-)による63分の新作長編。何度も見たくなるすばらしい作品である。「ミステリオーソ」という言葉があるが、まさに神秘的で不思議な、そういう映像体験であり映像の世界である。映像が<物語>を語るのではなく、主人公も物語もないまま、名人芸のようなイメージの連鎖そのもの