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どもー。今日は雨そして、新しい職場への初出勤日。転職のたびに思う、「次はいい職場でありますように」なんせ今日初日なので、また慣れてきた頃に仕事のことは書きますね。今回は、父の介護にあたって無理無く動けるように働くことが目標ですということで、前職在職中の末期、やらなければならないいろんな事が重なってなかなかできずにいたことのひとつ。父を連れて銀行に行くこと。今年は父の掛けていた定期預金が満期、実家に掛けている保険の満期が重なって、少しでも父の頭がクリアなうちに連れて行かないとと
どもー。世の中GWでしたが、私は仕事でした。デイサービスは日曜日休み。(最近は年中無休もありますが)祝日関係なーしこの間、父の施設に行ってきました。コロナが落ち着いたといえ、高齢者施設入所者はワクチン接種が続いています。5回目?か?「打ちますか?」と聞かれて、みんなどんなもんかとたずねたら、ほぼ打つらしい。じゃあ、父もお願いします。施設の方で打ってもらえるのでありがたい施設長に問診票の記入をしてほしい、と言われていたので週末に行ってきました。前だったらのらりくらりどう
ご覧頂きありがとうございます家の近くで綺麗な夕陽が見られました今日は介護サポートについてお話をしたいと思います。あなたの親御さんはお元気ですか?それとも、サポートを受けていますか?我が家は母が怪我をしてしまい車に乗れなくなりました。それからというもの私が送迎をしてあちこち用足しをしています。ある日、お天気が良かったので☀️お布団を干しにいきました。その夜、ぐっすり眠れたようで「とても気持ちよかった!」と。とても嬉しい気持ちになりました。何気ないことに感謝されるとあ
どもー。お久しぶりです。休職中だというのに何故だかバタバタして更新出来てません近況としては、漢検受験に向けてブログ書く間も惜しんでテスト勉強してました。並行して新しい職場の子達と書類書きつつランチ会断捨離のつづき今回は準2級を現役女子高生の長女と受験。かなーり難しく(感じ)、終わったら燃え尽き症候群でしばし放心してました。合否は…どうでしょう長女は余裕っぽい。と、最近落ち着いているかのような実親介護ですけど、母の特養に介護保険証更新の書類を実家の片付けついでに持って行ったり
先日、父の命日でした。亡くなって早3年。今年は何も法要がなかったので、1人つらつら最期の日々なんかを思い出したりしながら、お墓参りに行ってきました。実の父親が認知症になる、というのは中々辛いものがあったけれど…介護職とはいえ、やはり仕事では何ともないことでも、親のこととなるとそうは行かず、は数多くありました。それでも、大きな後悔なく振り返れるのは、最期、に際して3つの事が解決していたからかな、と思います。ひとつめ。ゴールを決めておく。父の最期は必ず私が看取る。と決めていました。医師
はなまるこです♪2021年7月31日~ブログを始めましたやっと、節約に目覚め、自分に合った方法を模索中です8月の食費は、1万円台に納まりました出だしは、順調のようです戸建て持ち家、ローンなし。ローンは無いですが…貯金を使いきってしまった、パート主婦です(--;)欲しい車の資金、将来のお金の為に、節約を楽しみながら、日々頑張っています。よろしくお願いします※訳あって、フォローは非公開にてさせてもらっています♪全然、大した理由ではなく…ちょっとIDを変更したいのですが、変更で
どもー。今日は…朝からまるっと一日、新しい仕事のオリエンテーションでして…。いっぱい詰め込まれすぎて脳が沸いておる出勤日も結構近いうちに設定されたまあでも、やるしかないよね。先日届いた父からの月1宅急便デイサービスに行くようになっても送ってくるというマメさ。その段ボールがですね。ていう…。シュール。コレ、実際ある工場です。「チャーリーのえのき工場」分かる人には分かる。さて、毎日のデイサービスであれこれ手伝ってー、と仕事もらったりして張り切ってやってる父。昨日、福祉タ
どもー。心理的虐待の話、長いですがお付き合いありがとうございます。長過ぎてなかなか介護の話に行きつかない、という…。母親の異常さを悟る。高校3年生の冬、友達が映画の試写会に当たったから一緒に行こう、と誘ってくれました。土曜日学校が終わって午後から繁華街にある映画館へ。終わったのは日の暮れる頃。所持金¥230でバスに飛び乗った…はいいけれど、乗り慣れないバス、行き先が終着は一緒でも経路違いに乗ってしまいさあ困った!なるべく家に近付ける所まで行って降車し、残金は¥20。空は真っ暗、
どもー。今週火曜日からデイサービスに通い始めた父。初日、2日目とパニック電話があったり、物忘れ症状が酷かったりしたけれど、木曜日の祝日は自分を取り戻し地域の行事に参加(したかどうかは不明)。金曜日には「デイサービス楽しんでくる」と前向きなメールが来たり、私の折り返し電話に対して私を気遣う発言が出たり、と。昨日土曜日も電話来たりしたけれど、落ち着いていた。今日日曜日の朝なんて「今日一日気を引き締めて充実感のある一日を過ごす。お前も無理すんな」というようなメールが来て、正気なのかそうじゃ無
昨日、父は朝の私のおはようメールに対して「今日はデイサービス楽しんできます」と返信。帰宅して私のおやすみメールに対して「デイサービス楽しかった」と返信。日付変わって今日、私のおはようメールに無反応。午後になって「電話くれ」と留守電。折り返し掛けるも出ず。その後電話があって「メール見ようとしたら電話してしまった。」と。元気やで大丈夫やぞー。って、さっき私に電話の催促したこと忘れてる…。でも、「なんか用だった?」と聞かずに切った。これが短期記憶障害というやつか。その後「先程の電話
どもー。また記事アップ出来なくなったよ。真っ白だよ。今日の父は、というか昨日あれから「便が出なくて最悪のことになったらどうしよう」電話が来て、うんうんと傾聴してたら一方的にしゃべって電話切られた。聞いてもらったら気が済んだのか。その後「便が出た」メールが届いて落ち着きました。そして今朝は、私のメールに対して「デイサービス楽しんでくる」と返ってきて、調子はよかった様子。今日はこのまま終わるか⁈さて、いつかのランチは、麺やはなびさん。ViewthispostonInsta
今日も朝から父はパニック。「金庫の鍵が無くなった」だと。デイサービスの施設長が電話してきてくれました。一応、祖父の使っていた金庫はあります。けれど、そこに何が入っているかは分かりません。昨日の夜は「便が出ない」から病院行かねば、とパニックになってひと騒動。毎日何か彼の中で起きてパニックになっています。さて、続き。よかったらお付き合いください。育児放棄なのか。私が中学校に入ると、部活が忙しく、友達との付き合いもそれなりにあって母親との思い出はほぼ無い、という記憶です。三者面談
昨日は父の認知症の薬をもらいに行くための病院受診日。民間の付き添いサービスを使っての送迎&付き添い。「私の友達」という体で行ってもらって無事ミッションクリア!毎日勉強です‼︎今日もお付き合いいただきありがとうございます。強制参加。ってなんだよ、ですが物心ついた時には両親の出掛ける先にもれなく同行する、という状態でした。毎晩母は夕食後(祖母が料理担当)に喫茶店やマクドナルドに行く人でした。ええ、不健康に太ってました、母も私も。(母はその後施設でダイエットに成功私は肥えたまま…ヤバ
どもー。今日は朝から洗濯しまくって掃除からの子ども達の美容院…なのにグループホームの人から電話っ。(父はまだお世話になっていないけれど、ここの責任者の方が地域に住む認知症の人を援助する会のスタッフもしてるので、懇意にしていただいています。)後々介護記事はまとめたいのですが、ほんと毎日何が起きるか分からん。今朝はそのNさんからLINE。「認知症の薬が足りなくなったとパニックになり電話してきた。この前Nさんが来た時持って帰ってしまったんじゃないのか?って言ってる」って。んなわけない
時々、実母の声が聞きたくなる。私のスマホの中にある去年の5月末の母の声。病院から抗がん剤の副作用について話しを聞きたいと言われ、本人了解のもと録音されたもので、担当看護師さんのご厚意で母の死後、送ってもらったのだ。20分ほどだけど、お話が好きな母らしい明るい声。副作用は辛い、夫の食事の世話が辛い…私の事も話してる。90過ぎた姑を看る娘がいろんなアドバイスしてくれる、娘と一緒に行くランチが楽しい。ゴールデンウィークは娘と一緒に芝生の丘でお弁当を食べた、もうリラックス出来て本当に楽しかっ
夕べ、ご飯を母に持って行ったときタッパーをいくつも並べている。お昼ご飯を自分の好きな時に食べられるよう、惣菜を何種類かタッパーに入れ冷蔵庫に入れてやっている。そのタッパーだ。前は手作りしたものばかりだったが安価でおいしく、真空パックされている煮物を発見してから半分はその真空パック惣菜だ。全部同じタイプのタッパーに分けて母の冷蔵庫に入れているので母にはどれが私の手作りでどれが買ってきたものか、わかっていない。最近、「お昼ご飯用」ではなくなり、3日分はあるはずなのに
母が亡くなって四十九日も終えた。少しづつ日常を取り戻しているけど、泣かない日はない。母の4年10ケ月の闘病中、最初の癌宣告から緩和ケアでの最後の余命宣告も、私1人で聞いてきた。その間、私の家で暮らしたこともあるし、母を連れていろんな所へ行った。何をしても、何処に行っても母との思い出ばかりで…涙がでる。母の強い希望で、葬儀は家族だけで、誰にも知らせなかった。ただ、母はダンスを趣味としていて、資格も持ち、自分の教室を持っていたので、そのダンス関係への挨拶を頼まれていた。しかし、これは辛か
実母が亡くなって10日以上過ぎた…お葬式は母から言われた通りに家族葬で、誰にも知らせなかった。癌が再発した時に母と姉と私の3人で友の会に入ってる葬儀場を訪ね、家族葬を行う場所などを確認していた。まだ、生きている自分の葬儀場を見に行く…どんな気持ちだったろう…そして、通夜ぶるまいの仕出しは自分の好きな寿司屋に頼んでね…と、これは入院中に言われた。強いな…葬儀のお金、保険、年金のこと、今後のお金の管理についてなど、全て私に相談、説明してくれていた。しかし、お金のことよりも心配していたこ
22日朝8時、実母は亡くなった。弟の到着を待って、家族全員揃ったところで、安心したように、静かに亡くなった。癌は苦しんで亡くなる、そう思ってる人がいると思うが、全く違う!実母は最期まで痛みのコントロールが出来ていた。ただ、癌によるだるさ、しんどさはあったので、ギリギリまで調整してもらった。眉間にシワを寄せて苦しむ顔もなかった。そして、驚くことにしっかりしていたのだ。日付が22日に変わり、家族を呼んだ方がいいと看護師に言われてからも、もうすぐ弟が来るよ!と何度も声をかけた。少し目を開く
こんな時間……2時過ぎから目を覚ました実母は、苦しそうに胸をさする。ナースコールでレスキュー、ずっと身体をさすりながら、○ちゃんよ、わかる?と問いかけると、うなずく。ずっといるよ、大丈夫大丈夫!声をかけながら身体をさするも、ため息を何度もつく。看護師も一緒に身体をさすってくれる。再度、レスキュー。中々眠れない感じ。痛くないけど、きついみたい。のどかわいた…と言う。久しぶりにきちんと話した。3日前から食べてないし、飲み物もほぼ口にはしてない。看護師が小さな氷を口に入れると嬉しそ
今朝は自宅に帰らず、そのまま病院にいる。昨日の朝、6時に自宅に帰った時に、浪人の弁当を作り、風呂を済ませ、夕飯も温めるだけにしてきた。テーブルの上にお品書きを残したので、冷蔵庫を見ればすぐわかるはずだ。主人も浪人も本当に協力してくれる。主人は中学を卒業してからすぐに、父親を食道がんで亡くしている。実母三週間を医師に宣告された時、主人にラインで報告し、好きにさせてほしい…ごめん、と入れた。主人からは、好きにしろ、気にするな!任せろ!と返信がきた。本当に家族に感謝してる。先週の土曜日は
今日も病院。実母は昨日より少ししっかりした顔にみえた。右胸に水がたまってきてるので、昨日までしていた脱水対策の点滴はもうやらない、中々いい対策はないけど、ゆっくりいきましょう…とドクターに言われる。複雑…微妙…。ドクターが短く説明して、早々に病室をでたあと、私も実母も沈黙。頭はしっかりしてる母は今の説明を聞いてどう思っただろう。私は悲しくて悲しくて…涙がとまらなくなってしまった。そして、母に…私はお母さんとこうしていられて幸せ、姉弟の中で私が1番幸せよ、お母さんありがとうって…泣き
昨日、実母の口からトイレに行くのが辛い…と。看護師に相談して管をいれることになり、更に紙パンツではなく、テープ式のオムツを買って来てくださいと言われた。私も出産の時に管入れたけど、それ自体は抵抗ないけど、実母はオムツに反応、更に、もう、ここからは娘ではなく、看護師の仕事となり、とうとうデリケートな部分に人様の手を借りるという、頭のしっかりした実母には辛い展開。どんなに健康な人でも、ある程度の年齢になれば必ず人の手をとること、それは自然な流れ。何も悪いことではないと話した。悲しそうに、そ
実母は衰弱している。酸素もついた。左腕からは常に薬が流れ、しんどい時、食事前やトイレに行く時は更に薬を入れるレスキュー。右胸のポートからは1日2回、点滴で痛み止めを入れる。そして、酸素。トイレに行く時は大変だ。しかし、このトイレも毎回私が抱きかかえるので、実母の力が無くなってきたことはわかっている。先週まではまだ自分の力を出していたが、今はほぼ私に委ねる。人によっては食事も吐くので、いらないという人も。しかし、実母は何とか少しでも口に入れようとする。昨晩は私がシチューを持ってきたの
実母入院から9日目。今日も病院に泊まり。今晩の夕飯は全く食べてない…嘔吐を繰り返し、次第に食べられない。消化器系が癌の為に細くなり食べ物がいかないかもしれない…と。水分は大丈夫で、オレンジジュース、ヤクルト、アイスクリームは食べた。今日の夕飯は今までで1番食べられなかった。夕飯後は一点をジッーと見つめてる。何か話していても、私が泣きそうになる。看護師から、いよいよの最期について話したいと言われた。私は、姉も一緒にとお願いした。なぜなら、現実をもっと受け止めてほしいから。な
早朝帰宅して、家の事を済ませ、夕方4時過ぎに再び実母病院へ。病室に入ると、実母は…あ〜きた!と本当に嬉しそうに手を出した。寂しかった、私を待っていた…と。何か泣きそう。私が帰宅してる間に2回吐いたらしく、飲み薬は腕にささったままの注射に変わっていた。その説明をしたいからとドクターに呼ばれる。かなり弱ってきたこと、等の説明のあと、おそらくあと三週間くらいだと言われた。もう、本当に時間はないと覚悟はしていたつもりだけど、必死で涙をとめた。そのまま看護師さんから、立ち入ったことを伺い
今日、実母は入院した。姉にも前日から来てもらい介護タクシーに同乗してもらう。私は自家用車で病院へ。15時過ぎに姉が帰る。その後、実母と話していると、夜が不安、心細い…と。一昨日から下痢便があり、自宅でも始末が大変だった。看護師さんは気持ちよく対応してくれるから大丈夫なのに、頭はまだしっかりした実母は心配なのだ。勿論それだけでなく、寂しいのだ。私は16時過ぎに実母の病院をでて、姑の特養へ。姑はうらやましいくらい顔色もよく、元気すぎて困る、と何回も何回も言っていた。大好きなキ
毎日いろんなことがありすぎて……先週金曜日に実家に泊まった時、実母はまだ何とか1人でトイレにいけた。食事も食卓について一口だけでも食べた。しかし、今日、様子は一変していた。昨晩は下痢便が続き、父も大変だったようで、今日、実母は私に自分のことが何も出来なくなった、情けないと言い泣き出した。更に下痢便でトイレ、私の手がなければ便座から立ち上がる事が出来ないのだ。今日は午後から診察だったので、姉と2人で病院へ連れて行くも、車椅子、ほぼ歩けない。本当に急に弱る。そして、入院が決まった。看
実母は腹水がたまってお腹の張りが強い。先週から利尿剤がでた。実母は血圧が低いので20ミリから。朝、利尿剤を飲むと、しっかり尿がでる、少しだけどお腹の張りにも変化が!食事量も気持ちだけ増えた。血圧測定、尿の回数を記録して、看護師さんに報告をした。激しく嘔吐する日もあるし、体調は日々変化する。身体はだるさもあり、毎日ステロイドを飲んでいる。もちろん、麻薬のタペンタ、カロナールも飲んでる。食事は僅かなのですっかり痩せてしまった。顔のやつれた感じはないのが救いだ。昨日は、身体全体をマ
昨日は実母の退院後初めての診察。退院から約2週間、食事も僅か、メイバランスで栄誉をとってる状態。病院へ行く準備をしていると、実母は…化粧もしてない…と一言。女性はいつまでも女性なんだ。そういえば、緩和ケアに入院中も化粧セットを持ってきてた。私は実母に化粧をしてあげた。何度も鏡を見せながら化粧をしていると、実母の顔も明るくなった気がした。病院では看護師の皆さんが、実母の化粧や口紅を褒めてくれる、実母は娘がしてくれたと嬉しそうに話す。看護師さんに感謝だ。有難い。実母の体力は落ち、車椅子が