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図書館で借りてきた♪紙に活字が好み。上橋菜穂子さんの新刊があって嬉しい読み始めると止まらない♪「武蔵野」の風景を書いた国木田独歩さん読んでると景色を見ながら散歩をしている感覚になる。谷川俊太郎さんの詩は読んでいると身体の深い部分からじわぁっと言葉にならない感覚が湧いてくる宝井其角は江戸時代の俳人存在は知っていたけどどんな人なのか読むのが楽しみ。そんなわけで本は宝物。
目次基本情報御由緒御朱印境内案内参拝を終えて地図基本情報神社名:三囲神社御祭神:宇迦之御魂命社格等:村社鎮座地:東京都墨田区向島2-5-17最寄駅:本所吾妻橋駅・とうきょうスカイツリー駅・公式サイト:ー御由緒元禄六年のひでりの際、俳人宝井其角(たからいきかく)が雨乞いの句を詠んだことで世に有名となり、江戸市民に広く知られるようになった。東京都神社庁より御朱印初穂料:300円境内案内隅田川の土手沿いに鎮座。社号碑は「三圍神社」と旧字
松浦の太鼓松浦鎭信…仁左衛門さん大高源吾…松緑さん宝井其角…歌六さん仁左衛門さん(ニザさま)のお殿様、気品、貫禄は勿論、チャーミングで可愛らしい一面も気品溢れる貴人は格調高く、大店のしょうもない若旦那は勘当の身なれど憎めず、そして生まれながらの大悪党は悪の華が咲くと称されているニザさま人間国宝の舞台は見るたびに新しい感動を与えてくれます他に鎌倉三代記三浦之助吉村…時蔵さん時姫…梅枝さん顔見世季花姿繪(かおみせづきはなのすがたえ)三社祭悪玉
斉藤和義–歌うたいのバラッド(2008Ver.)[MusicVideo]15thSingle「歌うたいのバラッド」(1997年11月21日リリース)Download/Streaming:https://jvcmusic.lnk.to/Uta_Utai_no_BalladDirector:高木聡歌うたいのバラッド作詞:斉藤和義作曲:斉藤和義編曲:斉藤和義嗚呼唄うことは難し...youtu.be荻原ゆかという人|荻原ゆか前に少しnote書いていたのですが、改めてちゃ
先(まず)寝入る送り火帰り大の夢…©先寝入る花火帰りや花を夢…©2句とも、宝井其角の「先寝入花見帰や花を夢」のパロディです。これじゃあほとんどパクリと言われれば確かにその通りです。でも、振り仮名の違いは別にして、どこがどう違うか、すぐに分かりますか?太秦をふとまさと読む妻可愛い…©正しくは、うずまさ、です。妻の名誉のために言っておきますが、ワイフはテレビで、あるタレントがそう言っていたのを覚えたのです(たぶんウソでしょう)。そのタレントが、「秦」を「まさ」と正しく読ん
鳥居清長の浮世絵『三囲神社(みめぐり)の夕立』元禄6年(1693)6月宝井其角は三囲神社のそばを通るとちょうど雨乞いの祈祷が行われていて頼まれて一句「遊ゆふた地や田を見めくりの神ならは」すると不思議なことに雨が降り出したというエピソードにちなんだ浮世絵上部に宝井其角と雷神が描かれていますそんなラッキーなエピソードの絵を見るほんの10分前JR上野駅公園口はどしゃ降りの雨と雷あまりのすごさに駅の軒先にはたくさんの人が雨宿り・・すぐ
先日当ブログで「加古隆さんが、片岡仁左衛門に似ている」と書いたが、録画してあったNHK「古典芸能への招待片岡仁左衛門の世界」を見た。やはり、加古隆さんと似ていらっしゃる。苦悩の武士から、遊び男、お調子者の殿様など、様々な役を見せてもらった。💙メインに放送した「松浦の太鼓」は忠臣蔵の外伝にあたる。吉良邸の隣に屋敷を構える殿様の松浦侯は、心を寄せている赤穂浪士がなかなか討ち入りしないので腹を立て・・いきなり、当時の俳人宝井其角が登場したので驚い
(大阪府大阪市JR大阪駅)一掬して百川の味を知れるなるべし松尾芭蕉(『伊勢紀行』跋文)(ひとすくいしてひゃくせんのあじをしれるなるべし)今日は大阪府高槻市のビジネスホテルを10時に出て、12時半くらいまで、大阪市内をぷらぷらとして、13時半の新幹線に乗り、17時頃、横須賀の自宅に戻って来た。今日は平日のはずだが、新大阪駅の新幹線はとてもにぎわっている。どういうことだろう…?いつも私は旅に出ると、だいたい平日の昼過ぎの新幹線に乗って帰るようにしている。そうすると
南座での、「當る卯歳、吉例顔見世興行」の続きは、「松浦の太鼓」です。明日の宝船が待たれる、9月の歌舞伎座に続いての、年の瀬にぴったりの演目。主役が違うと、こうも印象が変わる演目も珍しい。白鸚の松浦公が、井伊大老のように見えたのに対し、仁左衛門は町のおもろーい、社長はんのよう。句会でご機嫌かと思ったら、源吾妹のお縫を見とがめ不機嫌に。其角の言葉には、瞬間湯沸かし器。「なーんで、大切な羽織を源吾めにやったんじゃ。もう、其角のばか、ばか、ばか」。この、駄々っ子ぶり。「御前
先日、平塚・花菜ガーデンで開催されていた「シクラメン展」をブログ記事にしました。私が訪れた同日・同時刻、年下の友人Rさんも来園していたことを知り、まさに「以心伝心」と思ったのですが……。でも、いうほど広くもない園内でのすれ違い。そこに「運命のいたずら」を感じてしまいました(笑)。本題に戻って「(糟屋通り)大山道」「石倉橋」からの急坂を下っていくと「太田道灌公之墓」と刻まれた大きな石標が見えてきます。こちらは道灌公菩提寺の「洞昌院」になりますが由緒が書かれてい
其角さんの「切られたる夢は誠か蚤のあと」をお借りして切られたる傷は浅いか赤穂の武士
其角さんの「雪の日や船頭どのの顔の色」をお借りして雪の日や大石どのの武士の意地
其角さんの「うぐひすや遠路ながら礼かへし」をお借りして大石や遠路ながら敵討ち
其角さんの「豆をうつ声のうちなる笑ひかな」をお借りして吉良を討つ武士の意地なるならいかな
其角さんの「夕立や田をみめぐりの神ならば」をお借りして助太刀や馬場を目指して武士ならば
其角さんの「なきがらを笠に隠すや枯れ尾花」をお借りしてなきがらを寺に移すや赤穂武士
12月14日赤穂浪士討入りに因んだ小唄です。笹竹売りに身を隠した浪士の大高源吾が、前夜、両国橋で俳諧の宗匠の宝井其角に遇い、「年の瀬や~」の発句に「明日~」と付け句する場面で、年の瀬の江戸の風情も表れています。歌舞伎では「松浦の太鼓」(注)として知られています。★お聴き頂けます⇒年の瀬や(小唄備忘録500番その129)田﨑義明(小唄と三味線)赤穂浪士討入りに因んだ小唄です。笹竹売りに身を隠した浪士の大高源吾が、前夜、両国橋で俳諧の宗匠の宝井其角に遇い、「年の瀬や~」の発句に「明日~
…と詠んだ俳人は誰か?「布団着て……」と詠んだ俳人は「服部嵐雪」。名は治助、他の俳号は、嵐亭・雪中庵・玄峰堂・不白軒・黄落庵などがある。江戸生まれで、武家奉公をしたが辞め、専業の俳諧師となるまでは貸家業を兼ねた。芭蕉に学び、宝井其角(タカライキカク)と並ぶ江戸蕉門の双璧と云われる。編著に『其袋(ソノフクロ)』『或時集(アルトキシュウ)』、発句集に『玄峰集』などがある。
(東京都杉並区西荻窪駅)すっかり賑わいの戻った東京…、人がいなかった頃がなつかしくもある。今週末から徳島へ行くのだが、飛行機の予約を取ったら、なんと2席しか空いていない。しかも「真ん中の列の真ん中」という最悪の席…。もうすっかり日常に戻っていたんだな~、迂闊だった。…というか、混み過ぎだろ?徳島にはこれまで何度も出かけているが、今まで満席だったのは阿波踊りに参加した時の帰りの飛行機くらいしかなかった。(荻窪)朝早く起き、9時半スタートの荻窪青丹会へ行く。前回、日
(神奈川県横須賀市馬堀海岸)水うてや蝉も雀も濡るる程宝井其角(たからい・きかく)(みずうてやせみもすずめもぬるるほど)今日は句集の注文を処理し、郵便物を投函、そのまま郵便局で固定資産税の払い込み。そのあと電車に乗って、横須賀中央へ。昨日は一食も食べなかったので、駅ビルの焼肉を食べに行く。一人で思いっきり食べた(笑)。そこからバスに乗り、日帰り温泉施設へ。平日の昼間だが結構な混雑…。サウナに入って、しっかり「整った」。ところで、ドナルド・キ
3/19は用事で伊勢原に行き、日蓮宗の寺院に参拝しました。最初に参拝したのは上粕屋にある冨士山上行寺。御本堂。信敬稲荷社。境内の石像など。其角の井戸。井戸の奥にある宝井其角の墓石など。「遊女嘆きの蘇鉄」元々は吉原遊廓に植えられていた蘇鉄だそうです。池には大きな鯉が泳いでいました。御首題。
昔:上野清水堂近くの名木「月の松」絵はwikipanionより保存したものに改印年月を追記して転載🖼この奇妙な枝ぶりの松は、11図『上野清水堂不忍ノ池』(3月27日ブログアップ)の左手に小さく描かれている松である。枝ぶりが満月をイメージさせるから「月の松」と呼ばれた。松の輪の中には、池の端の町屋、火の見櫓(加賀藩前田家のもの)、本郷台の武家屋敷が見えます。この「上野山内月のまつ」は、廣重のライバル北斎の「尾州不二見原」からヒントを得たという説が
桜🌸の次は藤...藤の花は晩春の季語。藤と言えば江戸時代から梅と並ぶ亀戸天神⛩️の双璧☝️😏👇歌川広重画『江戸名所百景/亀戸天神境内』藤は晩春の季語で、📖万葉集にも多く詠まれている....。『恋しけば形見にせむと我が宿に植ゑし藤波今咲きにけり』山部赤人また、江戸時代の誹諧の宗匠の皆さまは☝️『くたびれて宿借るころや藤の花』芭蕉『水影やむささびわたる藤の棚』其角『蓑虫のさがりはじめつ藤の花』去来『藤の花雲の梯(かけはし)かかるなり』蕪村よござんねぇ~👀に浮かんできます
水曜日の20日から二十四節気の最後の節気【大寒】前節気の『小寒』を「寒の入り」、そして今年辛丑2021年の節分👹は2月2日ここ迄が「暦の上」では『寒の内、寒中』でござんす。そして翌3日が最初の節気『立春』&「初午(はつうま)」が一緒に到来。初午は「うま」といってもお馬さん🐴の日ではなく「お稲荷さん🦊🐺の日」で二月最初の午の日の意味でげす☝️😉初雪や水仙の葉のたわむまでいざいかん雪見にころぶところまで芭蕉さんの有名句二句「いざいかん~」で転んだのは子供じゃなくて大人なんです
今から三百と廿年ほど前のことだ討ち入りを決行する前日の十三日は煤払いの日であった、その夜、宝井其角(芭蕉十哲中一の高弟)は、偶然にも旧知の大高源吾(その俳号を子葉という)と両国橋の上で出くわす、子葉の身なりは煤竹売りのそれで風流人として知られたかつての面影はない、其角には子葉がその身をやつしたかに見えたのであろう、こう発句する年の瀬や水の流れと人の身はとすかさず子葉はあした待たるるその宝船と返した...忠臣蔵の名場面のひとつである、もちろん史実では
年末に大掃除をする習慣は、今の世にも残されている。その習慣を持たない人でも、少なくとも年末には大掃除をするものだ、という感覚だけはある😅いずれにせよ、現代の日本人にとっては、年末の大掃除は、忘年会、除夜の鐘、年越し蕎麦などの年中行事とは次元の異なるものだ。それまでは手が届かなかったところまで掃除して、さっぱりした気分で新しい年を迎える──程度のものだろう。そこへいくと、江戸における師走の大掃除は、折々の節目を飾る年中行事の中でも、もっとも重要な区切りを意味する行事の一つ☝️であった。
二十四節気【寒露(かんろ)】10/8~22秋の冷気によって露も凍る季節の意。北国や山間部では早霜が降り始め、農家では本格的な収穫の時期を迎え、一年の内では最も多忙を極める。残暑はすっかり影を潜め、朝晩の冷え込みがはっきりと感じられる。紅葉前線🍁は次第に南下。秋の澄明な空気の中で、虫は涼やかな鳴き声をあげ、月や星も冴え冴えと輝く。キンモクセイの香りが漂い始めるのもこの頃だ。食卓には、新米や秋刀魚、戻り鰹や秋鮭、イモ類や栗🌰、松茸など秋の味覚が登場し実りの季節を思わせる。深まりゆく秋の喜び
(神奈川県横須賀市長沢)昨日の「池袋谷端川句会」である質問を受けた。その方は、新型コロナウイルスが心配で、今回、句会は欠席しFAX投句のみで参加した。FAXを受け取った会場担当者の方から、質問が書いてあるのですが…。と手渡された。そこには、今回、新型コロナを詠んだ句を二句出したのですが、こういう「時事俳句」は詠んでいいのでしょうか?ある本で、時事俳句は難しい、ということを書いていたので…。という主旨のことを書いてあった。「時事俳句」とは、今起きている