ブログ記事142件
東大山町の河津桜を見に行こう❗️と、考えて行ってみたら葉桜だった前回。『時期を誤って行った東大山町の河津桜は葉桜になっても素晴らしかった。』そういえばまだ咲いてるのかな?浜松市の東大山町にある河津桜は有名で。東大山の桜(浜松市中央区)-お花見2024-ウォーカープラス浜松西ICから約5分。…ameblo.jp行く途中に神社を発見。帰りに寄ってきました。それがこちら。【白山神社】さま。ちょっとした石段があり建物はその上にあります。なかなかカラフルな拝殿です。由来記による
気になったので登ってみました。「三島神社」。農地の中にポツンと。(静岡県浜松市中央区(旧西区)雄踏町山崎4180)駐車可能。トイレ・自販機なし。周りが比較的平坦な地域で小高い場所に神社があると何かないか気になります。結構長い石段。振り返る雄踏町の景色。創建1233年。(天福元年)1336年宗良親王が井伊道政と共に祈願に訪れている様です。北側奥に気になるもの見つけました。真ん中は役小角像。両脇の従者は…元・鬼。役
龍潭寺のお隣にあります。井伊谷宮に参拝です。最近、手水舎に花を入れているところが多い気がします。井伊社拝殿井伊谷宮由緒明治の初めに宗良親王を祭神として建てられ、浜松市内で唯一「官幣社」となった神社です。宗良親王は後醍醐天皇の第四皇子で、南北朝時代に、井伊道政が治めるこの地を南朝の拠点とし活躍しました。幼い頃から和歌に秀で、準勅撰「新葉和歌集」を編纂したことから、「学徳成就・合格」の神様としてあがめられ、また73歳と当時としては大変長寿であったため、「長寿・除災
令和5年9月1日参拝1番曹源寺で合流した友達と1時間ほどかけて南知多町にやってきました٩("ω")و7月に来た時と同じくとてもきれいな空!車は知多半島の最南端にある師崎港へ〜。ひとりで来てたら船の待ち時間にお詣りしようと考えてた羽豆神社に立ち寄ることになりました。知多湾を挟んだ向こう側で幡頭神社(三河国幡豆郡・式内小)にお詣りしましたが、コチラは尾張国知多郡の羽豆神社の比定社で、両社とも羽豆大明神✨御祭神は建稲種命といって尾張国造の一人です。日本武尊率いる東征軍で旗頭
令和5(2023)年9月2日の月参り井伊谷宮御祭神後醍醐天皇第四皇子宗良親王御由緒明治天皇の命により、明治5年(1872年)に鎮座。翌6年には静岡県でも数少ない官幣社(井伊谷宮は官幣中社)に列せられ創建当時は県内2番目の格式高い神社となりました。(後に三嶋大社、富士山本宮浅間神社に次ぐ3番目となる)御神徳御祭神の宗良親王が和歌に秀で、当時としては大変長寿であり(1311-1385。享年74)、逆境を跳ね除け各地を転戦したことから長寿・除災開運・道開き・交通安全の守護神として信仰さ
井伊谷宮(静岡県浜松市北区)『いいのやぐう』と読む井伊谷宮は、1872年に創建された建武中興十五社のうちの一社であり、主祭神は『宗良親王』のようです▼神社入口▼▲社号標▲▲一之鳥居▲▲御神燈▲▼狛犬▼▼参道▼▼絵馬史料館▼▼手水舎▼▼神社案内板▼▲▼参道▲▼▲▼歌碑▲▼▼参道▼▲二之鳥居・神門▲▼御神燈▼▼扁額▼▼神門・境内▼▲境内▲▼御歌・和歌(参道)▼▼宗良親王殿下歌碑▼▲由緒▲
静岡旅の締めくくりは、ガイドブックに載っていた庭園を見たくて龍譚寺(りょうたんじ)(静岡県浜松市)を訪ねました。予備知識も何もなく訪れましたが、来てみると龍譚寺の歴史はとても古く、寺伝によると奈良時代の733(天平5)年、僧行基(ぎょうき)が龍譚寺の前身の“地蔵寺”を開創したことに始まるそうです。またガイドブックによると、遠江(とおとうみ)の領主としてここ井伊谷(いいのや)一帯を治めていた井伊家の菩提寺でもあるそうで、とても由緒正しい大寺院のようです。駐車場に車を停めて、参道か
井伊谷宮御祭神後醍醐天皇第四皇子宗良親王6月からの御歌御朱印(3ヶ月毎)頂きました。御祭神である宗良親王が詠まれた和歌が書かれています。李花集夏の歌より『山ふかみ世のひと言もきこえぬに何を空蝉なきくらすらむ』『このように山深い所では世情も全く知る事は出来ないのに、蝉たちは何を思ってあんなにも激しく鳴きつづけるのだろうか』更に意訳⬇『あまりにも山深いこの地に籠り空しく過ごす私は世情も全く知り得ず、ただただ嘆き悲しむことしか出来はしないのだろうか
大変ご無沙汰しております…。アメブロの投稿が、去年6月の個展で止まっておりました。これは、私の不徳の致すところでございます。。。去年は本当に展示会の嵐でございまして、、、1年間で実に5回の展示会(個展2回と二人展3回)と、9回のライブパフォーマンスを実施する事が出来ました。これは多くの方々からのご声援・ご協力・ご支援を賜っての事でございまして、その一つ一つに心から感謝申し上げております。。こちらアメブロでは、昨年9月に行った井伊谷宮展のことから順次振り返っていきたいと思います…。昨年
ややこしくなる案内板付き「与市ヶ谷」。花川運動公園そば、長栄寺裏。(静岡県浜松市中区花川町600)駐車場なし。トイレ・自販機なし。與市兵衛さんが住んでいたから「与市ヶ谷」。與市兵衛とは誰?渡辺昌弘の子孫。渡辺昌弘とは?案内板には「南北朝時代の元中三年(一三八六年)台風に見舞われ、白羽の海岸に漂着し本村に移住した」とあります。多分コレ、間違い。定住したのは1386年でいいと思います。「白羽の海岸に漂着した」のは多分1338年。宗良
「久兵衛屋敷跡」。花川運動公園に。(静岡県浜松市中区花川町)公園駐車場あり。トイレあり。自販機あり。この案内表示を知っていても「久兵衛って誰?」となるでしょう。久兵衛には姓があり「渡辺」といいます。渡辺次郎昌弘を祖とする一族の分家。渡辺昌弘とは南北朝時代に宗良親王の東方下向に供奉していた士族。(1338年、白羽の湊に漂着した際に同行していました)昌弘の子・昌三が浜松に住みその後渡辺家がここで領司となり…。ここには“十一代目”とあります
井伊谷宮御祭神後醍醐天皇第四皇子宗良親王御由緒明治天皇の命により、明治5年(1872年)に鎮座。翌6年には静岡県でも数少ない官幣社(井伊谷宮は官幣中社)に列せられ創建当時は県内2番目の格式高い神社となりました。(後に三嶋大社、富士山本宮浅間神社に次ぐ3番目となる)御神徳御祭神の宗良親王が和歌に秀で、当時としては大変長寿であり(1311-1385。享年74)、逆境を跳ね除け各地を転戦したことから長寿・除災開運・道開き・交通安全の守護神として信仰されています。画像は2月の参拝時のもの
令和5(2023)年2月1日参拝井伊谷宮御祭神後醍醐天皇第四皇子宗良親王御由緒明治天皇の命により、明治5年(1872年)に鎮座。翌6年には静岡県でも数少ない官幣社(井伊谷宮は官幣中社)に列せられ創建当時は県内2番目の格式高い神社となりました。(後に三嶋大社、富士山本宮浅間神社に次ぐ3番目となる)御神徳御祭神の宗良親王が和歌に秀で、当時としては大変長寿であり(1311-1385。享年74)、逆境を跳ね除け各地を転戦したことから長寿・除災開運・道開き・交通安全の守護神として信仰されて
井伊社(井伊谷宮摂社)御祭神贈従四位井伊介道政贈正四位井伊新介高顕御由緒南北朝時代(1330~1390年頃)、有力豪族であった井伊家第12代当主・井伊道政と、その息子高顕は、井伊谷に来訪された宗良親王(後醍醐天皇第4皇子)を奉じ尽力した。宗良親王は駿河姫(道政の娘・重子)と結ばれ、尹良親王が生まれる。このような縁を得、吉野朝(南北朝)と深い関わりを持ったことをこの上ない名誉とし、それが井伊家の誇りともなった。勢いを増す足利勢に敗退、今川氏、武田氏といった
ユネスコ世界無形文化遺産に登録今年11月3日に、日本各地に伝わる41件の民族芸能「風流踊」がユネスコ世界無形文化遺産へ登録勧告された記事を見ました。その41件の中には、山梨県上野原市秋山地区に伝わる大塔宮護良親王と雛鶴姫ゆかりの「無生野の大念仏」神奈川県足柄上郡山北町に伝わる宗良親王ゆかりの「お峯入り」が含まれています近年の無形文化遺産の総数が急増していたためユネスコは毎年の審査件数を抑制しているとのことでしたが、無事に11月30日に登録が決定されたそうです。
令和4年10月1日~11月23日にかけて、遊就館にて「宗良天皇と楠木正成公ー英霊との精神的な絆」という企画展が開催されています。こちらの企画は、日本青年協議会としても後援をさせていただきました。展示の主催者は書道家の永山玳潤(たいじゅん)氏と、写真家の廣田(ひろた)勇介氏で、国家の危機に際し私達の父祖たちはどのように生きたのかを南北朝時代に活躍した宗良親王と楠木正成公に求め、そのご足跡を書と写真でたどる展示となっています。↓靖國神社HP新着情報詳細|遊就館|靖國神社明
「粟餅と宗良親王」。新東名浜松引佐JCTの東側エリア“引佐町別所”のお話。(静岡県浜松市北区引佐町別所)宗良親王(1311~1385)が戦いに敗れ同行の井伊家家臣と共に逃げ延びる際にこの別所地区を通ったのだそうです。その時一件の民家からいい匂いがしてきます。それは粟餅の匂いでした。そこで空腹の宗良親王は粟餅を頂きます。画像の粟餅は餡子がついていますが“匂いがした”ということは焼いた粟餅だったのでしょう。餡子は無かったのか‥違
井伊家の菩提寺である龍潭時のすぐ隣りに井伊谷宮(いいのやぐう)があります。御祭神は後醍醐天皇の第四皇子で、南北朝時代に南朝方の征東将軍として、関東各地や信濃を転戦した宗良親王です。親王が伊勢国から陸奥国へ渡ろうとしたときに船が座礁し、遠江に漂着しました。そのときに井伊谷の領主であった井伊家に身を寄せたという伝承があります。更には各地で北朝方の武将と戦った後、親王は井伊谷で亡くなり、同所に墓がたてられました。そういう親王と井伊家との縁により、明治2年に末裔の井伊直憲が井伊谷に宗良親王を
井伊谷宮では9月23日まで、御祭神である宗良親王の短歌集、李花集より抜粋した12首を写真と書で紹介する「写真と書で旅する宗良親王李花集紀行」を開催中。入場無料です。山岳写真家の広田勇介さん(東京都)が、宗良親王が短歌を詠んだとされる場所で撮影した写真15枚と書道家の永山玳潤さん(大阪府)の書12点による展覧会。宗良親王の当時の心境に思いを馳せながら鑑賞させて頂きました李の花✼••┈┈┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈┈┈••✼君がため世のため何か惜しからん捨ててか
『傳正院(浄土宗)』愛知県岡崎市明見町田代(旧額田郡)明見という地名の由来の一つである「北辰妙見尊」が祀られている、旧額田町の傳正院さんに南朝の伝承を探りに行きました。境内の回りは、工事用フェンスに囲まれていて、入場禁止のように見えますが、フェンスにある説明をみると、獣除けのため、フェンス入口を開けて参拝ください…と書いてあります。ご住職の連絡先も明記されているので、電話して入場の許可を取りさらに南朝のお墓の場所を伺いました。本堂左手の墓地の一番上段、左の角に南朝の皇子である「尊良
御朱印南朝の宗良親王をお祀りする井伊谷宮井伊谷宮神社でいただいた資料です。参拝時の記事と隣にある龍潭寺の御朱印も添付しておきます。井伊谷(いいのや)宮のテルテル坊主のお飾『南朝の宗良親王をお祀りする井伊谷宮☆チョコっと北浜名湖へ』7月23日(土)「チョコっと北浜名湖へ」の続きで、最終稿です。前回の記事では、井伊谷の龍潭寺をお詣りしました。『龍潭寺で直虎、直親は並んで眠ってました☆…ameblo.jp大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台になった龍潭寺
7月23日(土)「チョコっと北浜名湖へ」の続きで、最終稿です。前回の記事では、井伊谷の龍潭寺をお詣りしました。『龍潭寺で直虎、直親は並んで眠ってました☆チョコっと北浜名湖へ』7月23日(土)「チョコっと北浜名湖へ」の続きです。前回の記事では、井伊家所縁の古刹龍潭寺の名勝庭園を観賞しました。『井伊直弼も見た小堀遠州作の庭園☆チ…ameblo.jp龍潭寺は井伊家の菩提寺であると同時に南朝方の宗良親王の供養するお寺でもありました。後醍醐天皇の第四皇子である宗良親王は井伊谷の地で
龍神様がいう大きい鳥居の為だけに、私は山を買いました。シングルになりお金もないので、借金をしました。馬鹿だと言われても、私しか出来ないことで『日本が間に合わなくなる』という感覚に沿えば、他に選択肢がありませんでした。神社再建を期限内に完成させた後、祓いをやれと言われ🐉不思議なことに、次から次へと苦しんでいる方達が私のところに現れました。歴史を解き、祓い整えることの繰り返しをするようになっていったのです。林業の知識も何もない私が、龍神様の為だけに得た放置林。宗良親王が伊勢国から目指した山
先日は大変失礼しました。書いている途中の未完成ブログを「公開」に。わずか3字のみで。まったくドジ、すみませんでした。というわけで気を取り直して。静岡県浜松市天竜区の山城・高根城の登城記です。この高地の本郭に、かなりの城の建物が復元されているとか。そして大河ドラマ「女城主直虎」のロケ地にも使われたとか。日頃、たんぼの畝草刈などでお世話になってる高校時代からの山城好きな親友への御礼としてご案内。飯田ICから一般道を南下、静岡県に入って高根城へと向かう。山また山の道をたど
2022年4月16日(土)に、実に3ヶ月ぶりとなる甲州街道歩きの11回目として韮崎から蔦木宿の手前直前まで歩いた旅の記録その9です。当日の歩行ルートは↓の通り、歩いた距離は寄り道を併せて30km弱と思われます。地図を描いた頃とはスケジュール変更のせいで、旅程が変わってしまったので↑の地図は今回の歩きと次回の歩きの序盤の分が含まれています。その8では台ヶ原宿の北の方で旅籠鶴屋跡の「つるや旅館」をしげしげと眺めたところまでをご紹介しました(↓再掲)。街道前方に広がる甲州街道の
駿河姫を祀る「二宮神社」。吾跡川楊やダイダラボッチの足跡の近く。(静岡県浜松市北区細江町気賀8353)駐車場なし。トイレ・自販機なし。神社階段は南側。車で来る場合は北側から近づくと楽です。祀られている“駿河姫”とは南北朝時代に浜松を拠点にしていた「宗良親王」の妃。井伊道政の娘。駿河姫の墓が神社より北方にあります。この神社の“鏡”は駿河姫の持っていた鏡だとか。見えないけど…。ここのホルトノキとナギノキは“細江町指定天然記念物”だそうです。
祭神は、後醍醐天皇の孫であり宗良親王の第三子にあたる「尹良親王」になります。1970年10月に諏訪神社と合祀され「尹良神社」から「川宇連神社」と改名しました。川宇連神社愛知県北設楽郡豊根村坂宇場字御所平69-1
令和4(2022)年3月の月参り井伊谷宮御祭神後醍醐天皇第四皇子宗良親王由緒明治天皇の命により、明治5年(1872年)に鎮座。翌6年には静岡県でも数少ない官幣社(井伊谷宮は官幣中社)に列せられ創建当時は県内2番目の格式高い神社となりました。(後に三嶋大社、富士山本宮浅間神社に次ぐ3番目となる)御神徳御祭神の宗良親王が和歌に秀で、当時としては大変長寿であり(1311-1385。享年74)、逆境を跳ね除け各地を転戦したことから長寿・除災開運・道開き・交通安全の守護神として信仰されてい
南朝川宇連神社愛知県北設楽郡豊根村坂宇場尹良親王の伝説が残る神社。後醍醐天皇の孫である尹良親王、境内にはその像が建てられている。