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猛暑の続いた夏も終わり、やっと秋が訪れて朝夕はめっきり涼しくなった。そんなこともあって『太宰府市誌』を何気なくパラパラとめくってみた。すると、古い資料に惟宗資国という気になる名が目を引いた。とっさに頭に浮かんだのは宗助国と惟宗資国は同一人物ではないか、という疑問であった。対馬の守護代だった宗助国は国難ともいえる「元寇」では手勢八十余騎を率いて迎撃し壮烈な死を遂げている。宗助国は合戦時、かなり高齢だったという伝説もある。しかも老体に鞭打って蒙古の大軍に立ち向かい玉砕した
歴史小説作家・司馬遼太郎の「街道をゆく」と「坂の上の雲」を読んで、いつかは訪れてみたいと思っていた壱岐・対馬へ、3/22~4/7の17日間で車中泊しながら一人旅をしてきました。1日目は、岡山県の自宅から山口県まで移動して、道の駅「きららあじす」で車中泊2日目は、九州に入り、博多港から対馬行きフェリーに乗船3日目は、対馬・厳原中心部を観光して対馬グリーンパークで車中泊4日目は、対馬・中央部の古墳、神社、遣唐使・日露戦争の史跡を見学して対馬グリーンパークで連泊5日目は、対馬・続日本10
対馬といえば、避けられないのは、いや、ぜひ触れなければいけないのは、蒙古襲来の際に、絶望的な戦力の差をものともせずに戦った対馬の守護代、宗助国とその家臣たちの奮戦ぶりでしょう。ゴースト・オブ・ツシマ。大人気ゲームの主人公は、「境井仁」。架空の人物ですが、国主宗氏がそのモチーフになっているのは間違いありません。また、実際に史実でも、「境」という名が、宗家と同族または婚姻関係にあった武士にいたようで、リアリティを感じますね。生き残り、ゲリラ戦を展開して蒙古兵と闘う境井仁の姿
城山下山後、アンゴルモア元寇合戦記やGhostofTsushimaの舞台である対馬の小茂田浜神社に立ち寄りました。アンゴルモア(Angolmois)とは恐怖の大王という意味だそうです。小茂田浜神社は、文永11年(1274年)の元寇で元・高麗連合軍と壮絶に戦い、全滅した宗助国と家臣団を祀っています。(現地解説板より)元寇の古戦場(佐須浦)文永11年(1274年)、弘安4年(1281年)と二度にわたる蒙古襲来(元寇)で対馬・壱岐は、酸鼻を極める惨状を呈していたと
蒙古が見たかったけど終わっていました(^_^;)
せっかく島に来たので西側の海を観ようと小茂田浜海浜公園に来てみましたちゃんと駐車場もあったし、海水浴場みたいで整備されてた少し海は荒れ気味で、天気予報も雨になってるのに降ってないのが不思議なぐらいあっち側が釜山みたいで、天気のいい日は山向こうまで行けば見えるのかなテトラポットがかなり近いとこに積んであるから、普段も結構な波が来るんやろうなぁ…たまに高い波がが来て足元まで来ることもある靴履いてるから油断大敵元寇の時に戦った宗助国さんの銅像があったしっかり観光も歴史も学べたので
今ごろ昨年10月の記録です。次はいつUPできる==========/2022(令和4)年10月11日(火)~14日(金)全国旅行支援とは関係なく計画していた、3泊4日で国境の島・長崎県対馬島(2泊)と壱岐島(1泊)へ。ほんと国境を感じる風景、痕跡・遺跡が多い。対馬島は南北80km強あり、島北端からその長さを朝鮮半島へ伸ばすと余裕でプサンに届くという(逆に福岡までは130km強)。島北部から韓国の花火までも見えることがあるらしい。伊丹空港8:00発(10月11日)↓全
何も偉そうに日本の国防について大層に語るほどではないのだけれど日本は本当に多くの人によって命懸けで守られていたのだという事を対馬にくると実感します古くは白村江の戦いの後から始まって昭和20年まで昔はろくな交通機関もない中遠く家族を置いて船に乗りここまで来て石を積み城を作り或いは道を作り穴を掘り砲台を運び必死に国を守ってきてくれた人が大勢いたんだという事に心から感謝しますかろうじて平和が保たれている今の時代に生かしてもらっていることに心から神様に感
新型コロナウィルスにより去年、今年と縮小されて行われたそうです。蒙古勢に立ち向かった対馬守護代宗助国すばらしい。
武漢ウイルスで渡れなかった対馬を訪れて九月十八日から二十日まで、二年ぶりに対馬を訪れた。主な目的は、北対馬の豪族、武末裕雄、聖子父娘が、令和二年十月に小茂田浜神社境内に建立した宗助國騎馬像を観るため、次ぎに北対馬の殿崎の丘で明治三十八年五月二十七日、東郷平八郎連合艦隊司令長官に率いる我が連合艦隊がロジェストウェンスキー率いるロシアバルチック艦隊を撃破した海域を見渡して「海ゆかば」を歌うためだ。これは、文永十一年(一二七四年)十月六日未明、突如、忻都(ヒンドゥー)率いる
この辺りの田畑は、全て柵で囲われている。もちろん🐗対策。元寇戦での犠牲者を祀る。実際の戦闘地はもう少し奥らしい。教科書では、元軍は博多沖で台風にやられて退却したとしか習わない。当然博多の前には対馬壱岐を襲撃している筈だし、実際の被害も凄惨だったらしい。守護代、宗助国。多勢に無勢でも奮戦。合掌。
今朝、起きたら猫が部屋の入口で寝てました。この微妙な段差が枕として丁度良いようです。左側にムスメの部屋があって、猫が通れる幅だけ扉が常に開けてあるのでムスメの部屋からエアコンの涼しい空気が流れてきて過ごしやすいのです。ゴーストオブツシマ大人気のゴーストオブツシマですが、現実の対馬も今、いろいろと熱いようです。文永の役(1274年)から2024年に750年を迎えるにあたって当時の対馬の守護代・宗助国(そうすけくに)の銅像が作られたそうですよ。文永の役で
1泊2日対馬一人旅、2日目対馬最南西端の豆酘崎で新旧の灯台を見学。▼1987年(昭和62年)に建てられた2代目豆酘崎灯台▼1909年(明治42年)に建てられた初代豆酘崎灯台(現在の名称はミョー瀬照射灯)時刻は15時50分です。返却するレンタカーの対馬空港営業所の営業時間は19時まで。対馬空港発の最終便は19時50分です。次が最後の立ち寄り先になりそう。やっぱり最後は大好きな夕日が見たい。日の入り時刻は17時23分。夕日が見れてレンタカー返却ま
対馬2日目は小茂田浜神社大祭をツアーの皆さんと見学。文永11年(1274)10月5日、900艘の艦船に分乗した3万人の元軍が佐須浦に襲来し、守護代宗助国以下主従80騎で防戦に努めましたが、遂に全員が討ち死にしました。小茂田浜神社には、宗助国以下、戦死した将士の霊を祀っています。勝てるはずの無い戦いだが、大陸からの侵略を命を懸けて戦い、討ち死にした宗助国は鎌倉武士で当時では当たり前の事だったが、大東亜戦争までその精神は受け継がれたのでしょう。合掌。兎に角晴天で、10月に行けなかったリベンジは果た
ウェディング衣装サロンの松枝衣裳店総本店、創業100周年感謝の集いを11月13日名古屋にて開催財経新聞松枝衣裳店総本店について松枝衣裳店総本店は、大正7年、呉服・貸衣装業として松枝ことが、職業軍人の妻ながら起業、三代目松枝寅太郎、佐興子の時代に...「猫=魚が好き」なのは日本だけ?ニコニコニュース精進料理は肉類を使わず野菜や海藻などを材料としていますが、これは仏教のこの思想からきています。そのため、仏教が主流であった江戸時代までの日本...<難民>ロヒンギャ15日から
10/7(日)、椎根の石屋根倉庫を後に、小茂田浜へ向かいました。14:25小茂田濱神社着。文永11(1274)年10月5日、大挙して押し寄せた元・高麗連合軍に対し果敢に奮戦するも衆寡敵せず壮絶な討死を遂げた、守護代宗助国以下80余騎を祀っているとのことです。浜にも出てみました。14:40頃浜を後に。旅行・観光(全般)ランキング歴史ランキング
7月から夜中に始まったアニメですが、最初はよく分からず見てました。どうやら、鎌倉時代に起きたモンゴル帝国の日本への攻撃を対馬に生きる人達を中心に描いたものでした。歴史好きとしてはかなり惹かれました。特に史実を元にしてるので。主人公はこちら、朽井迅三郎。架空の人物です。島流しで対馬にやってきた、元鎌倉御家人。元寇に巻き込まれ、異国人との戦いをすることに。少弐景資。九州北部の守護。太宰府の責任者として元寇に対処する。迅三郎に対馬へ援軍を送ることを約束する。対馬の地頭