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2025年2月17日、JR川崎駅周辺の寺社巡り散歩をして来ました。まず、川崎駅から徒歩約5分の浄土宗寺院の一乗山教安寺に行って手を合わせてきました。ご本尊は阿弥陀如来だそうです。次に約7分程歩いて善光寺関東別院の天台宗寺院の観行院に行って手を合わせてきました。ご本尊は阿弥陀如来坐像だそうです。大黒天にも手を合わせてきました。続いてすぐ近くの浄土宗寺院の金砂山大徳寺に行って手を合わせてきました。ご本尊は阿弥陀如来立像だそうです。続いてすぐ近くの東田公園隅に鎮
平成の三四郎、古賀稔彦さんの墓参りです。古賀稔彦とは1967年福岡県出生・佐賀県出身。中学に進学と同時に上京、東京・世田谷の「講道学舎」に入門し、弦巻中学、世田谷学園高時代に数々の全国大会を個人・団体戦で制覇。日本体育大学進学後”平成の三四郎”の異名をとり、1987~1992年全日本選抜体重別選手権をはじめ、1989年・1991年の世界選手権を連覇。1992年のバルセロナ五輪では、大会直前の大ケガを背負いながらも金メダルを獲得、両手を広げ雄たけびを上げ、日本中の感動を呼んだ。その
鎌倉から、川崎に移動しました。今回は、川崎駅より10分ほどのところにあります宗三寺に参拝です。六地蔵尊本堂宗三寺鎌倉時代初期、玄統によって開山された。当初は建長寺を本山とする臨済宗の寺院であった。後に当地は佐々木高綱の所領となったため、佐々木家の菩提寺となったが、次第に寺運衰微してしまった。その後、天正年間(1573年-1592年)に後北条氏の家臣の間宮信盛によって中興された。間宮信盛は佐々木高綱の末裔ではないが、同じ佐々木一族だったことから中興したという。この中興時
ダイエットカウンセラー五十子です。10月は川崎もイベントやお祭りが多いです。店長は薬局関連のイベントのお手伝い私は東海道宿場祭りのお手伝い。宗三寺で昔の遊びコーナーを手伝ってたんですが、大人もこどももにぎやかにあそんでました。独楽やベーゴマは上手に回せると大人もこどももどや顔(笑)けん玉や羽根つきお手玉、ダルマ落としと外国の方も多くて興味津々で遊んでましたね。妖怪パレードや人力車、渡し船もでていてにぎやかでした。帰って
潮田神社の次は川崎区に移動して砂子にある瑞龍山宗三寺に参拝しました。境内には大きなテントが3張り💦御本堂。六地蔵さま。石仏など。御朱印。
2022年5月22日参拝神奈川県川崎市川崎区の宗三寺さんへこちらのご本尊の阿弥陀如来様は唐仏の中国風の仏像とのこと。御朱印は快く直書きして頂けました。
「4月10日13時からBBQやるから来れない?」というレジェンドグループ國武会長からお誘いをいただいて、夕方から用事があるのにもかかわらず即効で参加の返事をしました。それくらいBBQ好きだったりします(笑)(コロナの影響で2年以上ぶりということもありました)で、よくわからず行った場所が…お寺…そうなんです。「寺フェス」というイベントでした。寺フェスとは(サイトから引用)日本全国には、神社が8万8千、お寺は7万5千を超える寺社があります。明治時代以
1月18日の初観音中島の八幡神社の次にはちょいと買い物義母の特養で着る洋服をしまむらで買い込む😅京急大師線の港町駅から川崎へ戻り、最後の観音巡りの宗三寺へ〜京急川崎のホームの真ん前にある宗三寺の山門川崎宿と宗三寺の由緒書本堂曹洞宗寺院の宗三寺は瑞龍山宗三寺と号します鎌倉時代に有った禅宗勝福寺を起源とするもので、玄統により開山した建長寺を本山とする臨済宗寺院でした戦国時代、小田原後北条氏の家臣間宮豊前守信盛が中興開基、末吉村宝泉寺第4世僧白山を招き中興開山し、曹洞宗に改宗
昨年は秩父観音霊場も結願出来て、沢山観音様にはご縁頂いたので、今年の初観音に御礼と本年のご挨拶を〜東海道神奈川宿の寺社も捨て難かったんだけど、川崎大師方面に所用が有ったので、その界隈を詣でてから用事を済ませる事にしました先ずは京急川崎駅の真ん前の宗三寺へ〜その次はバス🚌で移動して徒歩で石観音へ〜その次は川崎大師前にある明長寺そして川崎大師へ初詣参道沿いの馬頭観音様にもご挨拶観音界隈を彷徨っていると偶然弁天堂に出会しました次には遍照寺遍照寺のお向かいの八幡神社にもご挨拶散々歩い
京急川崎駅からすぐ近くの宗三寺https://tesshow.jp/kanagawa/kawasaki/temple_kawasaki_sosan.html古くは間宮氏館と呼ばれ、戦国時代、北条氏に仕えていた間宮信盛が居を構えていた場所。北條氏が滅ぶと、間宮氏は徳川家康に使える。その後、江戸時代までにこの地はお寺となりました。幕末の間宮林蔵(樺太とロシアの間の間宮海峡を発見した人)や、杉田玄白(解体新書で有名)は。この間宮氏の子孫だそうで。この間宮氏館が築かれなければ、い
江戸周辺散歩東海道川崎宿を歩く③=川崎宿探訪完結編=この人相のあまりよろしいとは言えない船頭さんの渡し船に乗って「川崎宿へやってきました。「川崎稲荷」~「真福寺」~「一行寺」~「宗三寺」と旧東海道にそって参拝し、御休み処「東海道川崎宿交流館」で「川崎宿」を俯瞰してみることに。◉東海道川崎宿交流館館内にはいくつかの展示室があります。案内人はこの人「飛脚の六」さん。◉1階:受付前にある「万年屋」の部屋。畳に座ってガイダンス映像を見ることができます。
江戸周辺散歩東海道川崎宿を歩く②=川崎宿の1=◉川崎宿入り口から川崎宿を探訪します。東京から六郷橋進行方向左手を歩き、川崎側へと渡り終えると「六郷の渡し跡」の説明板と「川崎大師の灯籠」があります。ここで道を左手にとると「大師道」、川崎大師へと続きます。道なりに右へと進み、六郷橋の下をくぐると「川崎宿」入り口です。<川崎大師燈籠><川崎大師本堂>◉川崎宿入り口に「六郷の渡しと川崎旅籠街」という説明板があり、江戸名所図会の挿絵も紹介されています。川崎
かわさき宿交流館の、前の道を入ると、一行寺。しかし、門は閉ざされていて。交流館の案内によると、「別名閻魔寺といわれ、閻魔様の座像があります。境内には川崎最初の寺子屋を開いた浅井忠良の墓と、富士講の西川満翁の墓があります。」それに隣合わせるように、宗三寺。これも、案内を見ると、「鎌倉時代に創建、勝福寺が前身といわれています。境内には川崎宿の遊女の供養塔と、波多野家と青木家の墓石の頭部中央に『烏八臼』と刻まれた、いまだ解明されていない墓石があります。」この宗三寺、駐車場も広く、中に入る
先月の最後の金曜日、病院帰りに寄った所をちらほらと。ここは宗三寺。由緒書き。お参りしてここを離れます。「川崎宿」の字を見て、『旧東海道かわさき交流館』へ行きたくなりました。藤田まことさんの「てなもんや三度笠」を思い出したのは私だけ???昔の移動は今より大変そうですねUFO信じる?信じない?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう正体が分からなきゃ、全部UFOでしょ???信じる信じないは無いと思うが。。今日は家でのんびり過ごします。夜更新ありまーす
みなさまこんばんは🙋やっと週末が🎵気持ちも身体もルーズになる週末という言葉の響き❤️ですね朝景はだからやっぱり手抜きバージョン😁今日はなんの日❔「旧正月」「春節(中国,台湾など)」「1994:NASA,月探査機〔クレメンタイン〕打ち上げ」ですね😅今日のコーデやっぱりワンピース❤️今日のトピックス😃今日は叔父の三回忌でした❗木魚良い音しますね😆ちなみにお寺で出たお茶菓子❤️なかなかいけるお味でした❗思い出の一枚それではそろそろおやす
1月12日、川崎の宗三寺へ。https://tesshow.jp/kanagawa/kawasaki/temple_kawasaki_sosan.htmlこの地は元、間宮豊前守信盛が居を構えていた跡地。間宮氏館なのです。戦国時代、北条氏(後北条氏のこと)に仕えていた間宮信盛が居を構える。ただ間宮氏は本拠が笹下城(現在の横浜市磯子区)であり、ここは代官所的な館城だったそうで。別宅だったんですな。北條氏が滅ぶと、間宮氏は徳川家康に使える。その後、江戸時代までにこの地は
東海道川崎宿交流館のすぐぞばにあるお寺。曹洞宗のお寺で宗三寺という。京急川崎駅のホームから目の前に見えるお寺である。賑やかな町中にぽっかり時間が止まったような雰囲気である。モノクロームにすら感じる境内を歩くと、墓地入口の六地蔵に手向けられた花がほのかに色を添える。歴史。中世前期、河崎荘と言われていた頃、宗三寺の前身といわれる勝福寺があった。戦国時代には、この地を治めた間宮氏により宗三寺は再興された。川崎宿の飯盛り女といわれる遊女たちの供養塔もある。歴史の闇の部分。苦界に生き、死し