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御陵めぐりに参加してきました。教科書に載っている「仁徳天皇陵」がコースに入っていたのです。ですが当然空から見ない限りあの形を目にすることはできません。それでも「御陵」について学ぶことができました。「仁徳天皇陵」=「古墳」だと思っていたのですが、「御陵」は古墳とは別モノだそうです。「りょう」は「みささぎ」とも読むのですよね。124代分あるわけですが、全てスタイルは同じ。見分けがつかなくならないように最初に看板を撮影。以前奈良を訪れた際に立ち寄った開化天皇陵。観光地
高屋神社(羽曳野市古市)河内国古市郡大阪府羽曳野市古市6-12(P無し、社前道路は狭小の一方通行で停め置き不可、近隣コインPもなし)■延喜式神名帳高屋神社の論社■旧社格村社■祭神饒速日命広国押武金日命(第27代安閑天皇)羽曳野市古市の狭小住宅密集地内に鎮座する社。窮屈に狭小境内に、かつての式内社とは程遠い姿で収まっています。◎社伝によると第28代宣化天皇(536~539年)の勅命により創建されたとしています。創建由緒は不明。◎当社はこの辺り一帯に居住した高屋連が祖神を
☆安閑天皇古市高屋丘陵(高屋築山古墳)河内国古市郡大阪府羽曳野市古市5丁目6(P無し、周辺停め置き不可)世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」のうちの「古市古墳群」内、最南端に築かれた古墳。第27代安閑天皇の治定墓。全長122mの前方後円墳。15m幅の周濠有り、外堤は地形変化が激しく不明瞭。宮内庁管轄のため未調査。中世には墳丘に高屋城の本丸が設けられていたようです。したがって著しく墳形は変化しているとのこと。周辺から出土した円筒埴輪や須恵器から、6世紀初頭に築かれたと推定され
誉田八幡宮から、。。。北側、ネットで囲まれてて写真撮りにくい。西側に拝礼所があります。到着。旧170号線が前を走ってます。『日本書紀』によれば、生没年は466―535、534一35在位。名は勾大兄、おくり名を広国押武金日天皇という。継体天皇の第一子、母は尾張連草香の女の目子媛。同腹の弟に宣化天皇がある。🙏退散します。天皇陵・皇后陵リンク集第1代神武天皇陵第2
JR天王寺駅の向かいの近鉄大阪阿部野橋駅から南大阪線の準急に乗車して古市駅へ向かう。🚊大阪阿部野橋駅から20分で古市駅に到着した。🚉古市駅は羽曳野市役所に近い羽曳野市の玄関駅で、今回の目的は、この駅の南にある高屋城跡へ行くことだった。🏯駅を出て駅前の国道170号線を南へ歩き、近鉄南大阪線と長野線の一大車両基地の古市車庫を陸橋の上から眺めて長野線の線路もオーバークロスすると、安閑天皇陵の正面に出る。この安閑天皇陵が、戦国時代には河内国の守護所の城郭の高屋城にな
20.5/10sun.14:05-18:40蕃所山古墳から東、応神陵前交差点を東御陵西側は築造時は二重濠で前方部の外濠?民家に囲まれて前方の緑誉田丸山古墳が清々しい円墳、直径50m、5世紀前半築造丸山古墳西側から応神天皇陵拝所への参道応神陵前交差点から歩いたのは前方部右側応神天皇恵我藻伏岡陵(誉田御廟山古墳)前方後円墳、墳丘長425m、5世紀前半築造欽明天皇20年(559年)創建と伝わる誉田八幡宮の神域として護られ御陵として治定され、埴生と生態は貴重北側の道を挟んで、
20.5/10sun.14:05-18:40近鉄古市駅西出口から西に白鳥交差点を南へ近鉄長野線を渡って東側に安閑天皇古市高屋丘陵(高屋築山古墳)前方後円墳、墳丘長122m、6世紀後半築造ササン朝ペルシャ時代のガラス碗が出土北に戻って、近鉄長野線を渡り左折右折して下西浦橋を渡り近鉄古市検車区沿いに右折、四辻を左折西浦北交差点を右折して国道沿い右に小白髪山古墳前方後円墳、墳丘長46m、6世紀前半築造墳丘軸を清寧天皇綾と揃える陪墳方墳から円墳、小さくても前方後円墳まで陪
古市(羽曳野市)探訪記第2弾をお送りしたしまっす近鉄古市駅から向かったのは安閑天皇陵徒歩10分程度の距離でしたね🎵お馴染みの宮内庁の制札です6世紀初めに高屋丘陵の北端に築造された墳丘長122㍍の前方後円墳🏔️考古学上は高屋築山古墳と呼ばれていますこちらは残念ながら今回の世界文化遺産には登録されておりません(画像お借りしました)正面からでは形がわかりませんので空中から見るとこんな感じこちらの古墳は室町時代後期に墳丘に高谷城が築造されてしまったので本来の形が変わってし
昨日、水曜日の仕事あがりランは再び古市古墳群へこの日のミッションはまだ行ったことのない安閑、清寧天皇陵と久しぶりの仁賢天皇陵をクリアすること3つとも世界遺産リストから外れた古墳安閑天皇陵はおなじみの日本武尊白鳥陵よりさらに南にあるので古墳群を走る時もアプローチが面倒でいつも置き去りになってました大和川山の向こうは入道雲大阪は昨日、梅雨明けさっそくの夏らしい空ですねー東高野街道を南下応神天皇陵は横目に見ながらスルーして安閑天皇陵へここは古市古墳群とはいえ世界
先日(7/6)『百舌鳥・古市古墳群』が世界文化遺産に登録されました!\(^o^)/===========================「仁徳陵」世界遺産に=百舌鳥・古市古墳群の登録決定-国内23件目・ユネスコ-AmebaNews[アメーバニュース]https://news.ameba.jp/entry/20190706-528/※アゼルバイジャンの首都バクーで開催している国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は6日、日本が推薦した国内最大の前方後円墳である仁徳天皇陵
昨夏、いるるは大阪府羽曳野市にある安閑天皇陵の参拝に行ってきましたこの天皇陵の参拝は今回で2度目になります参拝目的は「古墳カードGET」にありました前回の参拝の時の記事こちらの記事の方が写真は綺麗ですよhttps://ameblo.jp/12201791/entry-11752183548.html安閑天皇陵石標ですあの森に安閑天皇が眠っていますというか天気が悪いな~少しだけ空が明るくなった古墳カードですこちらは御陵印です
儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。そんな「制覇の道」・・・天皇陵をできるだけ回ってみる天皇陵編も実施中です。(ちなみに皇室の場合、「覇道」ではなく「王道」の象徴のような存在ですので、天皇陵編のタイトルは<王道の男>です)10月7日~9日の三連休で大阪に行ってきました。宿が取れたので、とりあえず行ってみて・・・ノープランな旅をしてきました。そのノープラン旅行の二日目・・・大阪府にある古市古墳群の天皇陵をレンタサ
こんにちは~西琳寺を後にして、次の目的地に向かいました一緒に行った友人が、子供の頃この近所に住んでいたらしく・・・。ある日、学校の帰りにいつも通学路にあった森が気になって、グーグルマップで調べてみたそうなんです。マップには何の記載もなく・・。そして、グーグルアースで見たものは・・・鳥居でした鳥居だけしかわからず・・。鳥居があるから神社なのか、神社ならどうして名前が載っていないのかずっと気になっていたので、この日、西琳寺を出て、確かめに行く事にな