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過去の更新を再UP『若草山山焼き紹介9若草山焼き後編最終回』昨日の続きです。今回は若草山焼きの後編で、奈良春日野国際フォーラムの辺りまで離れての撮影です。案内所の辺りから見たところです。⑨から来たところを逆に戻り…ameblo.jp前回の続きです。今回は水門跡から城代安藤家菩提寺西方寺までです。下図⑧付近水門跡から南方向です。塀の左側が錦水公園で本丸でした。右側は廃城後に出来た道路です。Google地図です。⑧から会津橋方向は⑧の水門跡から会
速報で投稿しましたが、1/6(土)に5回目の「青春18きっぷ」を使って白浜方面へ「お城巡り」に出かけました。5回目のスタンプを押した「青春18きっぷ」↓朝5時半、真っ暗闇の中、家を出て6時24分に大阪駅から環状線に乗車して、天王寺、日根野、和歌山、御坊で電車に乗換え、「紀伊田辺駅」では目的駅「紀伊日置(ひき)」まで乗る電車の乗り継ぎに待ち時間50分もあるので、「田辺城」(和歌山県田辺市上屋敷)の「水門」を見学する計画を立てていました。「快速日根野行」(「天王寺駅」にて)↓
高校相撲の「聖地」一新卯辰山、改修が完了-北國新聞北國新聞高校のスポーツ大会で国内最古の歴史を持つ高校相撲金沢大会は1915(大正4)年6月に金石海浜で第1回大会が開催された。兼六園球場など会場の変遷を...片岡愛之助さんが座頭永楽館歌舞伎4年ぶり復活へ9月、豊岡-神戸新聞神戸新聞永楽館歌舞伎は、現存する近畿最古の芝居小屋として同館が復元された2008年に始まった。コロナ感染防止のため、客席と舞台、花道との距離を取ると、小...芸術さんぽ岩宿博物館(群馬県
【歴史・戦国時代】犬に喰わせろ!安藤直次公の心中やいかに!歴史探偵さかもとさん岡崎歴史探求班ぶろぐhttps://ameblo.jp/roze31800歴史探偵さかもとさん動画https://www.youtube.com/channel/UC30JLEevGfe_V6riM4vVc5w?view_as=subscriber
7/14~7/16中紀~南紀城巡り2日目続き紀伊田辺城(湊城錦水城)和歌山県田辺市上屋敷3-7慶長5年(1600)関ケ原の戦いの後紀州には浅野幸長が入り田辺には浅野氏重が入った。その後慶長11年(1606)会津川左岸河口に築城した。この時は湊城と呼ばれてましたが元和5年(1619)紀州に入部した徳川頼宜の付家老安藤直次が湊城を改築し田辺城が築かれました。以来明治時代まで安藤氏が城主を務めました。現在は遺構は水門と石垣が一部残っています。田辺城水門石垣水門付近は公園とし
熊野古道紀伊路旅行四日目(平成29年3月20日(月・祝))、熊野古道紀伊路を歩き終えた私、N松さん、Y原さんは、道分け石から熊野古道中辺路に入り、熊野古道中辺路の万呂王子跡へと向かいました。◇須佐神社エリアマップによると、道分け石から熊野古道中辺路に入る正規ルートは、会津川に架かる大師橋を渡って左折して会津川と並行している道を歩き、秋津橋を渡って再び会津川を越え、秋津王子跡へと向かうことになっています。しかし、前回お話したように、今回は秋津王子跡を経由せずに、別ルートとされて
今年(平成28年)の文化の日(11月3日)は木曜日で、飛び石連休になっていたので、11月4日(金)を休暇にして、平成28年11月3日(木・祝)から11月6日(日)の三泊四日で、同業者同期のK井さん、高校の先輩のN松さんと一緒に、熊野古道大辺路を歩いてきました。◇序章熊野古道旅行記では、毎回お話しさせていただいておりますが、世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の参詣道とは、主に以下のものを指します。☆熊野古道・小辺路、高野道(高野山と熊野本宮大社を結ぶ道。高野山から