ブログ記事51件
念願の雲見神社さんの参詣を果たして〆た7/3、宿を取った下田で名物の金目鯛料理を頂き明日に備える…翌4日は下田市で寺社めぐり。空は相変わらず鉛色で、大雨の予報も出ていましたが、とりあえず様子を見ながら行動することにして、まず伺ったのが“幕末、開国の舞台”、日本で初めて米国の総領事館が開設され、日露和親条約の交渉の場ともなった、下田市柿崎にある玉泉寺さん(ウィキペディアはこちら下田市観光協会のページはこちら伊豆・駿河観光ガイド『駿河湾百景』の「玉泉寺」のページ
TheAnseigreatearthquakes(安政の大地震,AnseinoDaiJishin)wereaseriesofthreemajorearthquakesthatstruckJapanduringtheAnsei(安政)era(1854–1860).迫りくる危機に万全の対処を!「研(と)ぎて澄(す)まさん大和魂(やまとだま)」令和維新の歌より↓我よりもWareyorimo民のまづしきTaminomazushiki
幕末に比べたら小さいけど伝染病と一緒の地震は気味が悪いです。コロナウイルス対策とは別に防災グッズも揃えておくのがいいと思います。冗談ではなく。---安政の大地震(出典:ウィキペディア)---https://ja.wikipedia.org/wiki/安政の大地震安政の大地震(あんせいのおおじしん/だいじしん)は、江戸時代後期の安政年間(1850年代)に、日本各地で連発した大地震である。世にいう「安政の大地震」は、特に1855年(安政2年)に発生した安政江戸地震を指すことが
新型コロナウイルスが流行するようになってから地震が多いなあと思っていますがここまで続くと偶然とは思えないですよね。日本では伝染病(疫病)と地震が一緒に襲ってきたことは過去にもありました。幕末には大きな地震が連続で起きて、疫病も流行したそうです。まさに国難です。鎌倉時代にも、大きな地震と疫病等が同時に襲ってきたことがあったそうです。世界は治療が必要ですHealtheWorldThere'saplaceinyourheartAn
小石川後楽園その3庭園を歩きます。松こちらにも松九八屋進みます。田と水仙不老水という場所たしかに枯れていません。梅林があります。これは1枚の巨大な岩の橋歩く人を存分に楽しませてくれる工夫があります。神田上水?また奇石藤田東湖の碑がありました。藤田東湖が近くの藩邸に居たときに、安政大地震が起きました。最初の揺れでは助かりましたが、その後に建物内で母を助けて、自らは余震で圧死してしまいました。その死は様々な面で影響を与えました。西郷隆盛も死を嘆いたそうです。
『落日の宴勘定奉行川路聖謨』(吉村昭著講談社文庫)の上巻を読了しました。吉村昭作品を読むのは十数年ぶりくらいでしょうか。かつては熱心に読みまくりましたね。テーマ・人物について徹底的に調査し、ただひたすら淡々と事実について記していく。その乾いた筆致がかえって凄みとなり、読む者に強い印象を与えるのです。本書は幕末に活躍した武士・川路聖謨の生涯を追うというもの。上巻では川路の人となりの表記に加えて、江戸幕府との交易や、日露国境の画定を迫るロシアの使節・プチャーチン及びその一行
「週刊ポスト」が測量学の権威である村井俊治氏の最新の地震予測を特集しています。村井氏「11月中旬、東日本大震災の約2か月前と同じ兆候が現われました。震災以降初めての出来事で、2020年は東日本大震災と同規模の地震が起こる可能性があると危惧しています。」ここのところ、全国各地で毎日のように沢山地震が起きていて、氣になってはいました。●NEWポストセブンより測量学の権威が警鐘「東日本大震災の直前と同じ兆候出現」村井氏が指摘するのは、伊豆諸島にある電子基準点「青ヶ島」の上下動だ。「11月
後楽園ホールへ行くときは、地下鉄水道橋駅(または後楽園駅)を利用するのですが、その道中、東京ドームシティの景色がいつもきれいですご存知東京ドーム、私が上京した昭和62年(1987年)当時は後楽園球場時代でまだ建設中でした。もう30年以上経つのですね東京ドームホテル一度も入ったことありませんプリズムホール周辺及びその内部にはたくさんのコスプレさんがいましたが、なんのイベントだったのだろうかわいらしいコスプレイヤーの方をよく見かけます後楽園ゆ
『かりんとう侍』中島要「生きるってなぁ、いいも悪いも関係ねぇ。起こったことを受け入れて、前に進むこってしょう。どれほど御託を並べたところで、起きちまったことをなしにはできねぇ」旗本の次男坊、日下雄征は気ままな部屋住みの身。義姉に子がないので、婿入りに焦るでもなく、これと言った取り柄もなく、女好きする顔立ちで売れっ子芸者に惚れられても、先立つ物が無いので遊び人というわけでもない。しかも下戸。大好物は幼い時から亡き母が事あるごとに与えてくれた「ささや」のかりんとう…。今で言ったら顔と性格は良い
✨文明開化の音がする✨西洋占星術において、今年の最大のイベントは3/6に《改革.革命の星》天王星が約7年ぶりに牡牛座♉️🐮に移動したことだと思います👀一つの星座に約7年座す天王星が前回牡羊座♈️🐏に移動したのは、奇しくもあの東日本大震災の翌日。これについては天王星が移動したからということよりも“トランスサタニアン”と呼ばれる公転周期の長い星(天王星.海王星.冥王星)の中の天王星と冥王星が妨害しあう緊張状態であったことなど重なった原因があります。。正確には去年に一度牡牛座に入った天王星が
安政の地震に関わる伝説のある「お宮の山/高塚熊野神社」。JR東海高塚駅のすぐ南です。(静岡県浜松市中央区(旧南区)高塚町4708)駐車場あり。トイレ未確認。自販機なし。高塚町の地名の由来となった場所。地域の平坦さから考えると確かに違和感ある高さ。①神主が見た「高い丘を造って人々を救え」という夢で作った山が安政の大地震で近隣の人々を津波から救ったとか②津波の犠牲者を葬るために高い塚をつくったんだとかそんな言い伝えがあります。(地名・高塚の由縁)後者
最近、千葉は微振動が続いています。で、安政の大地震は165年前に6年間続き関東地域を破壊しました。政府の地震調査委員会は2011年7月11日、「東日本大震災の影響によって、三浦半島断層群での地震発生確率が高まった可能性がある」と発表した。三浦半島断層群とは、神奈川県の三浦半島にある活断層のこと。同委員会は、今年1月の段階では、三浦半島断層群でマグニチュード6.6程度の地震が30年以内に起こる確率は「6~11%」と見積もっていた。今回、具体的な数字こそ発表しなかったが、その発生確率がさらに高
1854年3月:日米和親条約1854年12月:安政東海地震1854年12月:安政南海地震1855年10月:老中首座を阿部正弘が降りる1855年11月:安政江戸地震1855年11月:老中首座に堀田正睦ペリー来航以降、老中首座の阿部正弘の混沌がうかがえます。謎なのは、尊王攘夷論者の水戸藩:徳川斉昭と開明的な薩摩藩:島津斉彬がなぜくっついたのか?老中首座の阿部正弘は意思決定しなければならない立場。国家の趨勢を決める重要な立場ゆえ、雄藩との合議を選んだと見られる。日米和親条約締結
現在では目にする事も多くなった防災マニュアル。古くは江戸時代から存在して居た事はあまり知られていません。災害の中でも、今回は安政の大地震について取り上げてみたいと思います。既にその当時、有事用に整えられたマニュアルが存在したらしく、実際震災があった当日から各要所ごとで動いたと言う記録があります。賞賛すべきは決断力です。当日中に対策方針が決まり、翌日には市民に公表されています。たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
昨日のブログの続きです。2.江戸後期の気象変動が明治維新へとつながっていく!5つのテーマの中で最も知られている内容かと思います。江戸の中後期は飢饉が次々と発生し、百姓一揆や打ちこわしが次々と発生します。幕府が弱体化する時期とそれが重なったことが、より事態を悪化させたのだと推測します。天明の大飢饉と天保の大飢饉が発生したことで、徳川吉宗の時には民衆に受け入れられた緊縮政策を、松平定信や水野忠邦の際には受け入れる余力が無かったのでしょう。どうやらこの時期の日本の気象は冷夏
私のランニングコースは一部「熊野古道」を走る。↓松坂王子跡熊野参詣道にある九十九王子の1つ。本来のものは近くの神社に移築され,ここはその跡。↓松坂王子跡の説明書き要するに熊野詣をする人々の休憩所があった場所らしい。↓1つ前の休憩所(王子)への案内標示3.8kmとあるので,ほぼ1里おきにあったのかな↓汐見峠説明書きによると,峠を越えてきた都人が目の前に広がる海原を見て歓声をあげたとある↓峠から海方向の景色海だった辺りは,今
毎月第1・3週の木曜に、「江戸時代の古文書を学ぶ」講座、初級編(10:15~12;15)、中級編(13;00~15;00)を、開講中です。初級編は、江戸時代の諸法令や事件などをまとめた記録類を講読するもの。最初は、講師が解読し、のちに受講生全員で読むスタイル。武家文書が中心です。中級編は、江戸時代の諸記録をテキストに、受講生が輪読するもの(事前に発表ヶ所を割り当てますので、ご安心を)。現在は、安政の江戸地震の記録「地震一件」をテキストにしております。受講生が翻刻解読したものを
こんにちは、皆さん。歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【長崎へ】前回は長崎行きが命じられたところまで。その続きです。幕府が矢田堀、永持に加え勝の三人に伝習所幹部に指名したのにはある理由がありました。幕府はオランダに対しすでに二隻の軍艦を発注していましたが、長崎にある伝習の訓練艦となるスームビング号(観光丸)を含めると幕府が保有することになる軍艦は三艦になります。艦を運用する「艦長候補生」の人選が幕府内で進められていましたが、その一人に
**プロローグ**この日は境内で幕末明治期に関係のあるふたつの碑を眺めていた大久保利武侯爵の篆額をいただく石碑に、安政の大地震の慰霊碑、、大久保利武侯爵は大久保利通卿の三男で、明治期には我が故郷鳥取の知事をされていた方でもあるようだほ〜、徳川家筋の我が街に薩摩ですかあ、、何とまぁ、そんな気もして、も少し調べてみると、、「海外視察のため短期で休職、鳥取赴任できたか不明」ともあった...あら?利武侯爵以前にも新政府側になる長州方などの人選はあったようだし、明治初期の知事の変
江戸幕府が倒れた本当の理由?~災害編~自然災害が江戸幕府を倒したきっかけ?時代の変革期には、天変地異や疫病も時代をうごかすことも。二度目にペリーが来航した嘉永7年に安政東海地震が発生。震源は南海トラフと言われている部分が動いた。推定マグネチュード8.4の巨大地震。その31時間後に今度は、安政の南海地震が発生。マグネチュード推定7。関東から東海そして四国九州に至るまでの地域で、建物の倒壊及び津波の被害多数。安政の大地震幕府はこの被害
さて、歌川広重の「名所江戸百景」を旅するにあたり、みなさまにも楽しんでいただくため、当時のことを少しご説明したいと思います。色んな背景を知ると、浮世絵がまるで踊り出すようにイキイキと動きはじめますよ。このころ、江戸では、歴史的に大きな出来事がつぎつぎに起こっていました。1833年「東海道五十三次」刊行(37歳)1853年浦賀にペリー来航1855年安政の大地震、大火(江戸)1856年「名所江戸百景」を刊行(還暦)
東海道内陸大前震警戒宣言警報注意報【発令注意厳戒安政東海地震Ⅰ【目次】1854年12月23日安政東海地震Ⅱ【目次】❔❔直近前兆!?日本史三大五大地震Ⅰ【参考】なろう小説安政の大地震(あんせいのおおじしん/だいじしん)Ⅱ❔❔❔行方不明探索中❔❔❔安政の大地震(あんせいのおおじしん/だいじしん)Ⅳ安政東…安政の大地震(あんせいのおおじしん/だいじしん)Ⅴ安政南…2018M7巨大地震37回大被害7回位・・パプア・ニューギ…安政
。。。つづき縁談おめでとうございます。身も心も充実し、好機に恵まれるでしょう。まさに実りの時です。目の前のチャンスを掴んでください。数々の試練を乗り越え、勝利を目前にしています。多くの人達があなたを支え、力を貸してくれるでしょう。こちらに来る前に、ご挨拶をさせていただきました神社で引きました御神籤と同じ内容の言の葉を、大國主さまも教えてくれていたのでした。星神出雲族最後の族長、「天津甕星」。「葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることも
好調な日本の株式市場(^^)/筆者も何も問題なければどんどん積極的に日本株に投資して、投資額を増やしていきたいです。そんな日本株に死角はないのでしょうか?景気や金融政策のリスクはもちろんありますが、この小さな島国において一番のリスクはやはり「災害リスク」です。日本ではここ最近、1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震と巨大地震が頻発しております。今後、東海地震が30年以内に70%の確率で、首都直下地震が同じく30年以内に70%の確率で発生すると言われており
【問題】1853年のペリー来航を機に、江戸幕府は安政の改革を行った。この改革の内容として正しいものを、次のうちから一つ選びなさい。1.京都守護職を設置して京都警護を強化した。2.異国船打払い令を緩和して薪水給与令を出した。3.目安箱を設置して庶民の意見を採り入れた。4.江戸湾防衛のため大砲台場を築いた。(田辺塾出題)品川。正答4(江戸湾防衛のため大砲台場を築いた。)1853年のペリー来航を機に、老中阿部正弘は品川沖に大砲台場の構築を命じ、さらに、長崎に海軍伝習所を創設して国防
第15回江戸幕府が倒れた本当の理由?~災害編~皆さんは自然災害が江戸幕府を倒したことをご存知だろうか?時代の変革期には、天変地異や疫病もそのきっかけとなる事がある。二度目にペリーが来航した嘉永7年に安政東海地震が発生。震源は南海トラフと言われている部分が動いた。推定マグネチュード8.4の巨大地震。その31時間後に今度は、安政の南海地震が発生。マグネチュード推定8。関東から東海そして四国九州に至るまでの地域で、建物の倒壊及び津波の被害多数。安政の
埼玉県立歴史と民俗の博物館では現在、美術展示「鯰絵」を開催中です。後期:~10月22日(日)。http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/?page_id=498これは見たい!安政の大地震の後に大量に出版された「鯰絵」は、もろに当時の世相を表しています。ですから、見ておきたいのですが、前期に続いて、後期にも行っている場合ではなくなってきてしまいました。なぜ、時間がこんなにとれないのでしょうか?
東洋文庫ミュージアムでは現在、「安政の大地震—大災害の過去・現在・未来」展が開催中です。〜8月6日(日)。http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/saigai-detail.pdf安政の大地震の発生が、徳川幕府の倒壊を早めた要因のひとつに挙げられるのではないかと思っていますので、幕末好きは見ておくことをお勧めします。僕は、史誠会の例会にしようと思ったほどです。行ったところ、安政の大地震だけではなく、他の災害の展示もけっこうな数ありましたよ。加
六義園の後は、近くにある東洋文庫ミュージアムへ行きました。六義園の入場券を持っていくと200円引きの700円で入場できます。現在は「安政の大地震展」を開催中。ということもあって、1階には熊本地震の復興に向けた展示がありました。2階にあるモリソン書庫。この古書に囲まれた空間はとても落ち着きます。2階には宗教改革500年ということで、キリスト教関係の書物の展示がありました。1600年に発刊された「ザビエルの生涯」という本。1592年に天草で発行されたドチリーナ・キリシタン。
放て火縄銃白河小峰城さくらまつりで甲冑隊福島民報城下町の春を彩る「白河小峰城さくらまつり」のメイン行事「火縄銃演武」は16日、白河市の城山公園で繰り広げられた。白河藩主だった松平直矩(なおのり)の...若戸大橋の下に「幻の島」?古い絵地図に「古城」表記[福岡県]西日本新聞江戸期、豊前国と筑前国のほぼ境にあった島には、福岡藩の出城として「若松城」が築かれていたが、徳川幕府による一国一城令(1615年)で廃城となったという...第50代姫路お城の女王決定魅力PRに意気