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確か、江戸時代も多かった❓最近、大きな地震か多くて……。何か悪いことが起きそうで……。変な宗教というか、教えというか、そういうのも流行りそうで……。(不安をあおって、宗教系のやつに勧誘とか……)江戸時代を舞台にした本が好きで、図書館で借りる本の中に必ず入っている江戸時代系。本を読んでいてわかっていたことは、江戸時代も地震が多かったということ。特に、1855年からの5年ぐらいかな❓日本のあっちこっちで、大きな地震が起きています。そういう年回りなのよということで、最近地震が多いね。何
昨日の「道具屋」に続いて、「揺れるとき」の高座本を作成しています。何とか、今夜中に完成させたい。・・でも、何度聴いても(読んでも)、いい噺です。師匠との約束。この噺をずっと受け継いで行きますよ。
「安政の大地震」もっと自由にみなさん、おはようございます!新しい1週間の始まりです心機一転年度後半に向けてスタートですさあ、今日「10月2日」の國史を学びましょう!「安政の大地震」安政2年(1855年)午後10時ころ、江戸で発生被害家屋約2万、死者約1万と言われますこの地震で「水戸の両田」が亡くなります戸田忠太夫と藤田東湖藩主・徳川斉昭のブレーンでした藤田東湖は水戸学南朝正統論の大成者です地震の日、東湖は母を助けて一旦、外へ出ました
【かぎや餅店】赤井家住宅のある通り、少し離れたところにあります。伊賀のお土産は、たいていここで購入。店構えがタダものではありません。聞けば、江戸時代から350年以上続く老舗。老舗といっても庶民的で、売っているものの種類の多さにびっくり。和菓子だけでなく、赤飯、あられ、煎餅、ピーナッツ、さきイカまで。またお値段が控えめなのもうれしい🤗店内で、イートインもできるようです。店先の含蓄ある言葉!肝に銘じます。かなり年配のご主人は17代目当主。朝から遅くまでお店を切り盛り。年季の入っ
下段は、上段の変体仮名や異体字等を常用体に改めたとしていますが私にはわからない部分もありますので・感じたことを記載するとき、おかしなことを記述するかもしれません下段のみ拡大します不二とは富士山のことで大地震前に富士山に異変を感じていたという事です(前兆現象)重要です我入道村(がにゅうどうむら)は狩野川河口
東京・上野公園内、上野大仏。東叡山寛永寺の管轄。で、上野大仏は現在、“顔”だけである。↓1660年、3.6mにも及ぶ釈迦如来坐像が造立されたという。これは、安政大地震で破損したものの、修復。その後、大正12年の関東大震災でまた破損。そして、第二次大戦による金属供出で腕や胴体が無くなったものの、顔だけが残され、昭和47年にレリーフ状に保存される事になったという。上野寛永寺将軍家の葬儀歴史文化ライブラリー/浦井正明【全集・双書】楽天市場1,870円上野公園
ふるさとで元永定正、生誕100周年展美術作品など107点国史跡「旧崇広堂」31日まで伊賀毎日新聞伊賀市出身の美術作家、元永定正さん(1922~2011年)の生誕100年を記念した「一寸さきは光~伊賀が生んだ美術の滑稽(こっけい)」展が1日、国史跡「旧崇広...【2022年9月23日】五穀豊穣祈る相馬宇多郷の神楽舞相馬市歴代の中村藩主は、藩内の各郷に豊作や降雨をもたらす雷神社を祭って、社前で五穀豊穣を祈り神楽を奉納するよう奨励していたといわれ、現在も約20の団体が...
「安政の大地震」惜しい命を容赦なくみなさん、おはようございます!昨日は、素晴らしい秋晴れでした少し暑かったですね神社参拝はされましたか?10月になり大きな変化を感じますさあ、今日「10月2日」の國史を学びましょう!「安政の大地震」安政2年(1855)午後10時ころ、江戸で発生被害家屋約2万、死者約1万と言われますこの地震で「水戸の両田」が亡くなります戸田忠太夫と藤田東湖藩主・徳川斉昭のブレーンでした藤田東湖は水戸学南朝正統論の大成
けっこう前にいった時のものです。2013,4年頃だったか。平和観音のこと。平和観音は、栃木県宇都宮市大谷町にあり、大谷石でつくられた観音様です。平和観音は宇都宮市の中心街から約8キロメートル西方に位置する大谷町にある。太平洋戦争の戦死者を追悼するため、終戦後間もない昭和23年(1948年)から6年かけて大谷石採石場跡の凝灰岩層壁面に総手彫りで彫られた像高88尺8寸8分(26.93メートル)。と、「8888」にかけているので気になったことです。
東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」にやってきた駅を出て明治通りぞいに10数メートル山手線駅名で目白・目黒は有名ですが江戸五色不動尊にはその他、目黄・目赤・目青があります目黄不動尊のひとつ「永久寺」五色とは密教の陰陽五行説由来し重んじられた青・白・赤・黒・黄でそれぞれ五色は東・西・南・北・中央を表すそうです最初に四神相応の四不動が先行し、後年に目黄が追加されたとして語られることもあるそうですそのため、江戸川区平井にある「最勝寺」を目黄不動することもあるそうです
前回は→その③番外編【1】~解説~シリーズの本筋から少し外れてしまうので、番外編【1】【2】としました。奇抜な説とは思いましたが、気が付いたので不思議な事実関係について述べて行きたいと思います。なお私はオカルト信者でも何でも有りません。ありのままの記録を分析しているだけなのですが不思議な点と線を感じます。これを全部読んで下さったとしたら私が感じた事が伝わるのかな?と思いましたので記します。~以上~『時系列順に三つの地震を並べて行きます』ディアナ号で来航したプチャーチンは嘉永7
(日本橋近くの魚河岸でもクラスターが発生しました)ウクライナに対するロシアの軍事侵攻が始まりました。この事態に対し、1853年から1956年まで続いたクリミア戦争と区別して、クリミア危機と呼称するようです。さて、このクリミア戦争とほぼ同じ時期に、現在の冠状病毒パンデミックと同様、我が国は初めて経験するコレラ菌によるパンデミックに苦しんだのです。まず最初に当時の日本の歴史を振り返ってみましょう。1854年から1860年まで、安政元年から7年までの安政年間は、かって
千葉周作、千葉道場ゆかりをめぐる神田お玉が池跡の回で一度訪問した『神田お玉が池跡散策』時は幕末千葉周作の剣術道場「玄武館」や玄武館跡を訪ねてみる|紙飛行機と風見鶏のブログ(ameblo.jp)(東大医学部へと繫がる)「種痘所」があった…ameblo.jp繁栄お玉稲荷神社繁栄お玉稲荷神社は、近隣にあったお玉が池のほとりに勧請した稲荷神社になります太田道灌の崇敬をはじめ、寛正元年(1460年)足利義政による祈願、さらには文禄4年(1595年)伊達政宗の参詣等多くの崇敬を集
続きをお待ちしておりました♪『お勝手のあん』シリーズの最新刊です。今回は災禍から始まる少し重たい内容から始まります。あんちゃんが生きていた時代は幕末で、安政の大地震。そして、今巻では品川宿が颱風の高波を受けて呑み込まれてしまったところから始まります。紅屋も水に浸かり、二回はかろうじて壁と屋根が残っているだけ……。畳も布団も泥水で使い物にならない状態そんな中でも蔵にしまっておいた米等で炊き出しをして状態なのですが、紅屋には三部屋分の新しい畳がはいり、新しい布団が用意さ
おー、今まで何十冊も紹介してきた光人社NF文庫に、戦記以外のものがあったとは!じつは俺の一生の興味は3つのことに絞っている。このブログでおなじみの戦争、60年代の音楽、そして江戸時代だ。江戸の地震とは題材としても興味あるが、光人社NF文庫のコレクター?としても入手して読まねば。著者の永沢さんは他には何冊か戦争関連の本を書いていらっしゃるよう。江戸時代の最終盤の数年の間に地震が相次いだことは知られているが、その中でも被害の大きさでは群を抜いていたのが江戸の安政大地震。安政2年10月2日、
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「青天を衝け」見てますかぁ〜えいたろう、感想が遅れてるぞ〜ってもって第5話の感想ぉ〜承伏できぬと呟く栄一から始まりましたが、栄一の動きとしては、迷信的なものに「承伏できぬ!」とハッキリ言うなかなかのイケメンでしたね。お祓いをするってきた山伏さん?に問い詰めてたもんなぁ塞ぎ込んでいた姉を立ち直らせたのは栄一。これはさすが!!一方、世の動きは鎖国が解け、アメリカのみならずイギリスやロシアと和親条約を結ぶ状況に、斉昭は御立腹!「切ってしまえ!」と恐ろしい発言。
いつのまにか工事の囲いが外され出現外堀通りにある・・・白亜の洋館順天堂大学A棟(研究棟)だそうです。そのまま坂を水道橋方面に下ると「神田上水懸樋跡」石碑江戸時代、神田上水はこの付近で木樋にて神田川を越え、日本橋方面へ給水していたそうです。水道橋駅方面江戸時代、台地を削り作られた渓谷この先に「神田上水懸樋」があったそうです。それで、水道橋この付近に吉祥寺もあったそうですが、明暦の大火後、吉祥寺は駒込へ移転。門前の人々や寺関係者の一部は吉祥寺の土地があっ
第5話も凄〜く面白かった勿論、吉沢亮君目当てで見始めたけど脚本、演出、演者さん達の演技力音楽、全てが本当に素晴らしい💙何度も言ってるかもですがw吉沢君の演技が本当に素晴らしい喜怒哀楽の感情豊かな渋沢栄一翁を見事に演じていますまだ15.6歳位ですかね?弁の立つ少年と言う感じが良く出てる第5話は栄一の姉様の縁談が破談になる話と江戸の大地震の話が中心インチキ修験者を論破して追い返す栄一君!圧巻でしたスカッとジャパンを観てる様だったと言ってる方々もおられましたね
「クリエイティブ折り紙・妖怪と干支と可愛い動物たち(山口真/ソシム)」より「九尾の狐(Thenine-tailedfox)」折り紙用紙サイズ:7.5cm四方4枚大河ドラマ「晴天を衝け」見てます。第1回の子供時代、藍染めではありますが、麻の葉紋様を着ていて、竹籠に放り込まれてましたね。第5回では、栄一の家に「オサキ憑き(狐憑き)」問題が発生。世の中的には、疫病(コレラ)が流行りアマビエが貼られ、下田などに津波(安政東海地震)。栄一の家には「修験者」集団が訪れ、
1300年前から続く厄除け祈願…毎年3月の『初午大祭』線香で身を清めて祈祷三重・伊勢市松尾...tokai-tv.com伊勢市の松尾観音寺では創建された1300年前から、毎年3月の最初の牛の日を「初午」として、厄除け祈願が行われています。10日は午前8時の開門...あの日の私・未来の私歌の力で福島を勇気づけたい三重県伊勢市・歌手小椋あかりさん(32)毎日新聞母は原発事故で放出された放射能を怖がりました。先に避難した母を追って2012年、三重県伊勢市に移住。勤める市
作成日:2021.3.11(2021-No.24)***2月のバイクツーリングは2回・365Kmで、******今年に入って、累計は5回・550Km。******72歳の私にとっては、まずまずの実績、かな?***===今回は、2月二回目「南紀・由良方面行き」の報告===<安政の大地震絵図>東北大震災からさか上ること約150年、安政の東南海大地震後、大津波が襲う(1854年)。村人達に高台への避難を伝え、多くの命を守るとともに、それ以降、
合掌いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!今から10年前の3月11日、東日本大震災が起こりました。後年、ホロスコープを見ましたが、Tスクエアができていました。3つ星があり、1つの星に対して、90度と180度を作る並びの事です。8度までオーブを許容する人でしたら、財運・幸福・拡大の木星-制限・課題の土星-審判の冥王星というトランスサタニアンが2つも入る状態でTスクエアを作っていると解釈できま
藤田東湖護母致命の処これは以前の写真です。ここは徳川斉昭の側用人であった藤田東湖が安政2年(1855)の大地震で、母を助け、自らは絶命した地です。また、藤田東湖とともに水戸の両田と呼ばれた戸田忠太夫も、この地震で命を落としています。水戸の三田では両名と武田耕雲斎となります。藤田東湖と戸田忠太夫の墓の篆額は、徳川斉昭が書いており、徳川斉昭を支えていた両名が突然亡くなった哀しみの深さが分かります。説明文のみの場でしたが、静かに祈り、この地を去りました。
前記事では、様々な分野でご活躍なさっている占い師、霊能者による「東京五輪開催の見通し」についてご紹介しました。引き続き、月刊ムー2月号の記事からご紹介しますが、今回は、松原照子さんの『大世見』からです。全文というわけにはいきませんので、最後の部分だけご紹介します。(転載開始)2021年の開催時期に、新型コロナウイルスの流行はどうなっているのでしょう。世界各国で収まっているとは、とうてい思えません。春までに特効薬とワクチンが完成して、各国にいきわたっていなければ、オ
平野庸太朗(石黒忠悳)11歳の時、すなわち安政2年(1855)の10月2日、安政の大地震が起こった。その時に浅草観音の雷門が潰れ、風神雷神が門から外に放り出されたエピソードが記録されている。それはこうである。「地震が鎮まってから、また風神雷神を元の門のところへ戻そうとしたら、風神の方は容易に運べたが、雷神の方はどうしても動かない。皆が困っていると一人の老婆が現れ、「わらわがやりましょう。」と云い取り掛かると、不思議にも雷神は軽く持ち運ばれた。観る者不審がって、いったいどこの婆さんかと尋ねると
きょうは、少し足を伸ばして、有田郡広川町の広八幡神社へ、初詣を兼ねて行ってきました。浜口梧陵さんゆかりの神社なので、一度訪れたいと思っていました。とても大きなお社で、立派な神社さんでした。正月なので、神主さんや巫女さんもいらっしゃいましたね。梧陵さんは、安政の大地震の時、稲わらを燃やして、村人と高台へと導き津波から救った方です。その時、この広八幡神社へ、難を逃れた村人を集めた逸話が残っ
新型コロナと地震は別々の現象ではありません。おそらく大雪も新型コロナと一緒だと思います。今は映画に夢中になっている場合ではありません。誰かに映画を勧めた人は、勧めた相手が映画館で感染した場合治療の費用を全額負担してください。それが常識です。人に勧めたら責任を負わなければいけません。青森県東方沖でM6.3の地震岩手で震度5弱津波被害の心配なし12月21日(月)2時23分頃、岩手県で最大震度5弱を観測する地震がありました。震源地は青森県東方沖で、震源の深さは約10km、
千束稲荷神社から浄閑寺へ向かって歩いています。三ノ輪まで来ました。この辺りで土手通りと明治通りが合流します。土手通りは、見返り柳やあしたのジョーの像があった道です。三ノ輪は台東区の北端に当たります。都電の行先表示でお馴染みですね。かつて音無川が流れていた道でお稲荷さんを発見。音無川は石神井川を王子で堰き止めて流していた用水路で、石神井用水(下郷用水)とも呼ばれていました。この川沿いに浅草まで続いていた土手が日本堤です。浄閑寺に到着。ここから荒川区(南千住)になります
現在では目にする事も多くなった防災マニュアル。古くは江戸時代から存在して居た事はあまり知られていません。災害の中でも、今回は安政の大地震について取り上げてみたいと思います。既にその当時、有事用に整えられたマニュアルが存在したらしく、実際震災があった当日から各要所ごとで動いたと言う記録があります。賞賛すべきは決断力です。当日中に対策方針が決まり、翌日には市民に公表されています。たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/歴史交流会メンバー募集