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11月28日(金)、門司&下関の旅最終日早起きして、6:00に朝食です。早めに支度して7:45にチェックアウト。最初の目的地へ向かいます。赤間神宮山口県下関市阿弥陀寺町4-1朝早く来たので、駐車場は空いていました。駐車場から撮影関門海峡を見守るように碇が置かれています。道向こうに大鳥居せきまるポスト発見♪歴史博物館前にもありましたね。ポストは市内の5か所に設置、それぞれデザインが違うそうですよ。(後3か所は市役所、下関郵便局、勝山郵便局)境内案内図を載せておきます
2011-10-20豊田町西市字大石の豊田湖畔に安徳天皇の伝説御陵墓がある。安徳天皇の御遺骸は遠く北浦の海にまで流されていたようで、豊浦の領主、紀ノ民部大輔満季から、沢江浦の漁師が底引き網で天皇の御遺骸を引き上げた旨の届出があったという。そこで宝剣もともに引き上げられたものと思い、義経の指揮所からは網ごと運ぶよう命じた。ところが、豊浦郡の地吉(今は豊田湖の湖底)まで来ると、御遺骸を納めた駕籠が急に重くなって動けなくなった。駕籠が動かぬのは霊がなすところであろうと、その地に御陵を築い
先日、神戸にある「水天宮」さんに行きました。当社の鎮座する天神山は、神奈備山と称し、古来より長田神社が祀られていたと、伝えられている。伝承の真偽はともかく、この山は神聖なる神の山として人々に認識されている。治承4年(1180)6月、平朝臣清盛の政策により、人皇第81代安徳天皇を奉じ、平家一門のゆかり深きこの福原に遷都したが、僅か半年足らずで京に還御し、その後、安徳天皇は平家の都落ちにより壇の浦で崩御された。その幼くして崩御された天皇を尊崇敬慕する人々により、大正3年、久留米鎮座の水天宮に
国立能楽堂に於いて三曜会の特別公演を観覧した。テーマは「平家物語」である。能の舞台に描かれる源平の興亡は改めて壮絶であると感じ入った。人間国宝・野村万作と、その子・萬斎による狂言「川上」も、さすがの貫禄であった。94歳とは思えぬ万作の静謐にして深い存在感と、萬斎の冴え渡る芸の切れ味が交錯し極限まで昇華させていた。まさに生きる伝説と当代随一の名手の共演であり、その一挙手一投足に息を呑んだ。ちなみに「川上」に登場する地蔵菩薩とは南朝最後の帝・自天王の朝拝式が今なお続けられる奈良県川上
こんばんは。マグニチュード7、6東京も揺れました。部屋の安徳天皇様と阿波内侍の絵が左右に揺れていました。津波逃げてとテレビで言っていますが、冬の夜中に北海道、東北地方のお年寄りはすぐに逃げられるでしょうか?悲しい。涙が出てきます。皆さんが助かります様に。お祈りします。
詰まらないブログにお越し頂きまして、在り難う御座います。お陰様で在ります。感謝で在ります。金二つ合掌礼拝弥勒菩薩様、その深い慈愛で衆生をお導き下さいませ、金一つ弥勒菩薩眞言オンマイタレイアソワカ二十一返金二つ合掌礼拝水天宮御祭神天之御中主神(主神)安徳天皇高倉平中宮(建礼門院、平徳子)二位の尼(平時子)三礼三拍手一礼天之御中主大神様の大前に畏み畏み白す祓い給い清め給え神ながら奇しみたま幸い給え三唱天津祝詞一礼皆さん、詰まらないブロ
先月末の札幌水天宮の様子です。紅葉の時期はとうに過ぎ、木々は少し寂しい感じがします。
安徳天皇渡りガニのボイルアイナメの刺身註)星空文庫に掲載済みの小説の転載です。明日からはフイクション怪奇小説「渡る、渡らぬ根元橋」を掲載します。
安徳天皇を祀る赤間神宮を訪れる。(鎮座地)山口県下関市阿弥陀寺町(祭神)安徳天皇鎮座地に注意。阿弥陀寺町になっているが、かっては阿弥陀寺という大寺院があったところである。安徳天皇は阿弥陀寺の中の御影堂に祀られていた。1185年の壇ノ浦の戦いで、入水して亡くなった悲劇の天皇である。8歳だった。御影堂は1191年には建立されていた。明治の神仏分離で、阿弥陀寺は廃寺になった。御影堂は安徳天皇社と呼ばれたが、1875年に赤間宮へと改称。そして1940年に昭和天皇の勅により、赤間
最近歴史の深掘りが流行っていますね。わたしも2005年から神社参り敢行してますが尚氏の話も調べたりしました。お墓にもいきました、尚氏は源氏の血が入っているのはご存知ですか?私の前世で先祖は工藤茂光という人物でした。(なぜわかったか?の経緯はまた)その工藤茂光は、源頼朝の御家人で伊豆を統治しておりました。河内源氏の源為義の子である源為朝は弓の名手で乱暴狼藉を働くので伊豆に流されてこの工藤茂光に伊豆大島に配流されますがそこでも、人を煽動したり争いや一揆のような
24日早朝6時から美馬市の宿を出発して一路剣山へ向かいます。山道を1時間半ほど走ると剣山が見えてきました。リフトは9時からなので、徒歩で登ります。劒神社へ向かいます。劒神社の上手に登山道の入口があります。人一人が歩けるくらいの狭い道です。中腹に大剣神社があります。主祭神は素盞嗚命と安徳天皇。御神体として巨大な岩が祀られています。背後に見える大きな岩が大剣岩(おおつるぎいわ)と呼ぶそうです。登山の安全、厄除け、開運招福などのご利益があるそうです。剣山にはあちこちに異
こんにちは。狛(高麗)犬と一緒に高麗神社の付近を散歩していた安徳天皇様。今は辛い食べ物を食べてみたり、色々な場所に行って人間界を体験、見ている安徳天皇様。もしかしたら神社で盆踊りを踊るかも♪「浴衣に着替えてわっしょい♪わっしょい♪」藤さん、桔梗姫、阿波も一緒に色々な場所に行って体験しています。藤さんは白色の藤の花桔梗は青色の桔梗の花みんな、天使。ブログを見ていただきまして、ありがとうございます。
こんばんは。安徳天皇様が「踊りたくなるぅ♪」「やった~、やった~!」と言われています♡聞いて、可愛い♡と今は思いますが、数年前の私がまだ安徳天皇様と縁があるのを知らない時に、部屋の上から男の人が犬と一緒に走る音が聞こえて寝ていたので、起きたら「やったー、やったー」「またやろうね!」と犬に言っている声が聞こえてきて、怖いから私の愛犬と犬と一緒に泊まれるホテルとか、旅館に連泊して逃げていた時があって…今思えば安徳天皇様だったんだ…と💧その時は、平清盛さんの南都の
…入水したが助けられ、帰洛後出家して大原の寂光院に隠棲した女性は誰か?「建礼門院」は、平清盛の娘で徳子。高倉天皇の中宮、安徳天皇の母である。壇ノ浦の戦いで安徳天皇と共に入水したが、海中より助けられ京都に帰還。その後、東山・長楽寺で出家し、大原の寂光院で高倉・安徳両天皇と平家一門の菩提を弔う日々を送った。『平家物語』灌頂(カンジョウ)巻で後白河法皇が大原の女院を尋ねる場面は有名。寂光院は尼寺で、山号を清香山、寺号を玉泉寺。本尊は鎌
P679て、\其/の\子として華洛にあらん事、\冥の照覧憚\あり。\また何の益かあらんや。\承元四年の恨みは深しと雖も、\人界に生を受くる事は、\父母の恩報じても報じ難し。\一旦の恨みに依て、\永く不孝の身とならんこと罪深し。\されば同じき遠島へ流れん」と、\度々関東へ\申させ\給ひければ、\惜しみ\奉りながら、\力なく流し\奉りけり。\内々に皆父を恨み\給ひけれど、\誠の時は、\いろはせ\給はねど、\父の\御罪に遠国へ下らせ\給ふぞ哀れなる。\庁使万里の小路の\御所へ参りければ、\御叔父\土
菊水千鳳さんの素晴らしい神事。鎮魂の儀から興味深く読ませていただきました。安徳天皇の言葉にはこれからの活躍を期待させられますね。いつか、成長されていく安徳天皇を新たに祀られる神社ができますように
⛩️出世明神⛩️埼玉県の日高市にある⛩️高麗神社⛩️こまじんじゃ別名を、出世明神と言われています🤗✨✨新嘗祭これからですね~高句麗から渡来その昔、朝鮮の高句麗から渡来☀️御祭神は高麗若光さんでこの辺りに居住してました😃✨✨1300年紀年ですって〜🌳天下大将軍地下女将軍なので〜よーく見ると⬆️高麗神社…ちっちゃい字で高句麗神社…になってますね😁🌈🌿水天宮🌿御祭神は安徳天皇さまがお祀りされています🌈かなりの急坂を登るので😣(この小山の⬆️)今回は
第1794話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーですプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッセージを広めなければ
まずは本殿で祀られておりますご祭神安徳天皇様にご挨拶に参ります今日は昨日と違って晴天☀️そして先帝祭という祭事が行われておりました!安徳天皇の御命日は旧暦3月24日ですが、明治改暦に際し新暦5月2日と定められました。御陵前祭はこの日に当たり安徳天皇阿弥陀寺陵で執り行われます。また午後には赤間神宮にて先帝祭前日祭・平家一門追悼祭が斎行され、全国平家会の参列があります。Wikipediaより今気付きましたが全国平家会ってあるんですね🫢!?て事は…おおーー!!源氏会もある!!そしてその
初めて来た赤間神宮まるで竜宮城の様です実は下関に滞在したのは2日間でした到着した日は天気も悪く、あと余り体調が良くなかったのでホテルで休みました次の日はフライト✈️帰る日赤間神宮の後は福岡空港から帰ります夜の便ですからゆっくり見る事が出来ます赤間神宮についたら天気も良く☀️あと何か祭事をやってました祭事がある日にぶつかるという事は歓迎してくれてるサインです✨少しホッとしました…💦赤間神宮について補足しますねご由緒第八十一代安徳天皇を祀る赤間神宮今から800年昔の
こんにちは!Scoti-manです。2025年10月29日午前2時頃にリリースされたCK3の最新DLC「AllUnderHeaven」。前回は、867年シナリオで平安貴族の一角・伴氏を復活させるチャレンジをしました。CK3律令制日本伴家の復活チャレンジ①|WNHシミュレーションゲームの部屋今回は、1178年シナリオ、鎌倉幕府で有名な源頼朝で、実際に幕府を開いてみたいと思います。挑戦する実績はこちら↓難易度カテゴリーは「普通」。バージョンは1.18.1.1(C
唐戸市場に到着京都の寂光院を訪れたご報告も兼ねて、先ずは赤間神宮にお参り。唐戸市場からすぐ近くなので駐車場から歩いて向かう。三か月前にお参りした時とは違い晴天空の青に映える陸の竜宮城とも呼ばれる水天門安徳天皇阿弥陀寺陵の門1185年の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇が埋葬されたと伝えられており、西日本で唯一の天皇陵である本日の目的はお参りの他に唐戸市場で美味しい魚を食べることと、フェリーで門司に渡ること。車だといつも関門橋もしくは関門トンネルで門司に行
さて、「長楽寺」を訪ねた続き。昨日書いたように、「平家物語」で有名な平清盛の娘・建礼門院が、壇ノ浦の合戦で平家が敗れた後、この寺で出家をしたことで知られている。そして時が流れ足利幕府の時代になり、この寺は足利幕府の将軍・足利尊氏から始まり、歴代将軍の庇護を受けて栄える。8代将軍・足利義政の時代には、義政が東山殿(現在の銀閣寺)を築くとき、その庭を作った相阿弥は、前もってこの長楽寺の庭で、そのための試作としたという。この「長楽寺」が、現在、秘仏の八臂弁財天や寺
🌿サロン澄音〜すみね〜カウンセラーのkiyomiです京都大原の寂光院紅葉がかなり進んでました🍁少し前から、鞍馬山に行きたくて鞍馬口から、鞍馬寺→木の根道→奥の院→西門→貴船神社と行きました!山を越えていくので楽しい前に旦那さんが亡くなった後に行った時は逆ルートで♡当時は走ってたからかそんなに気にならなかったけれど…今回は、最初のケーブルカー使える部分の登りが1番しんどかったです笑🌿そして貴船神社を出てから車で大原にある寂光院へここは綺麗にお手入れ
朝ごはん今日はこのきものまずは下関グランドホテルへつぎは赤間神社檀ノ浦の戦いで幼くして入水した安徳天皇をお祭りした神社です波のしたにも都ありと言われた言葉どうり竜宮城のような神社です点心頂いたあと長府庭園へ幕末期に西運長の屋敷跡を整備したところですこのあとリーガロイヤルホテル小倉で式典です約1000名近くがつどうパーティーでした
祈りの山旅祈り次回行事予定のお知らせ(当会は会員制などではなく、どなた様でもご参加自由、入会金なども不要です)参拝行事の一覧をこちらにまとめております↓『参拝登拝行事残席状況のお知らせ』参拝登拝行事残席状況のお知らせです。詳細、お申し込み方法などはリンク先のブログ記事をご参照下さい。(文中敬称略にて失礼します)11月15日(土)龍神さま祀られ…ameblo.jp詳細、お申し込み方法などはリンク先のブログ記事をご参照下さい。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(文中敬称略にて失礼し
阿(あ)ひ見ての後能(の)古(こ)ゝ路(ろ)尓(に)くらぶ連(れ)者(ば)む可(か)しハもの越(を)おもハざりけ里清盛公(きよもりこう)の女(むすめ)安徳帝(あんとくてい)の国母(ははぎみ)なり一門(いちもん)亡(ほろ)びて後(のち)尼(あま)となり大原(おおはら)の寂光院(じゃくこうゐん)尓(に)入世尓(に)ありし時阿(とき)の玉(たま)の臺(うてな)尓(に)引替(ひいかへ)草(くさ)の菴(いほり)尓(に)住(すみ)たまふ御舅君(おんしうとぎみ)後白川法皇(ごしらかはほうわう)此(こ
ロングライフパンという長期保存できるパンがある。長期保存と言っても、パンの缶詰のように年単位のものではなく、最長90日だという。そのロングライフパンを製造しているのが、パネックスという工場だ。このパネックスと言う会社。本社は岐阜県可児市にあるという。工場は長野県と山口県にあるらしい。パンの個包装の袋にこんなふうに書いてある。山口県は下関市。HPを見てみると、伊那市にある長野工場だけでなく下関工場でもアウトレットパンの販売をしているという。にわかに
第1785話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーですプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッセージを広めなければ