ブログ記事34件
お早うございます🌤️秋も深まりましたね変形性膝関節症の術後なのでうろうろするのは控えていますがちょっとは何時もと違う場所で秋を感じたい🍁🍁と、言う事でこちらに行ってきました毎日が休みの私は平日にお出かけです筑豊御三家麻生家は元首相の麻生太郎の父方ルーツで現在も麻生グループとして幅広く事業を行っているー旧安川邸ー旧安川邸で紅葉を楽しむ広い敷地内の紅葉を楽しんだ後の楽しみは大座敷(和館)からのこちらです💞抹茶と栗ぜんざい抹茶と選べる和菓子雨が上がりし
北九州の父【安川敬一郎翁】嘉永2年4月17日(1849年5月9日)-昭和9年(1934年)11月30日)は日本の武士(福岡藩士)戦前の実業家、政治家貴族院議員、衆議院議員。大正9年(1920年)1月13日、男爵授爵。勲三等瑞宝章。地方財閥・安川財閥の創始者であり国士的な実業家として知られる。号は撫松。玄洋社社員・生年月日:嘉永2年4月17日(1849年5月9日)徳永貿易4男・出生地:筑前国早良郡鳥飼村(現在の福岡県福岡市鳥飼)・没年月日:1934
先ほど記事にした「ブラタモリ北九州市2回目(その2)」官営製鉄所を八幡に誘致してきた人物の一人安川敬一郎のことを調べてみた。詳しくは、次のWikipediaを参照して欲しい。安川敬一郎-Wikipediaja.m.wikipedia.org安川敬一郎が現在の安川電機の礎を作った人だとは直ぐに分かったが、筑前藩(福岡藩)の出身だとは知らなかった。安川敬一郎(やすかわけいいちろう、嘉永2年4月17日(1849年5月9日)-昭和9年(1934年)11月30日[1])は日本の武
10月14日(土)に放送されたブラタモリ北九州市2回目のその2である。先ず、タモリがハイジャン男の出身高校である福岡県立筑紫丘高校の7つ先輩であることをお伝えしてなかった。実は、タモリの同級生のMさん。父上が筑紫丘高校の化学の教員で、ハイジャン男の家のそばがお住まいであった。タモリはよくMさん宅に遊びに来ていたらしいので、何処かで遭遇していたかもしれない。さて、2回目の話題は?何のこと??実は、官営製鉄所の誘致であるが、北九州の門司と八幡が争っていたらしいのだ。それで、圧倒的に有力
えええ、本当⁉︎私のヘタレぶりを知る誰もが一様に驚いていた。ペアじゃなくて、ファンランじゃなくて?北九州マラソンをよく知る人は具体的な反応だった。マチを上げてのイベントなので、北九州マラソンはフルだけでなく誰でも気軽に楽しめるようなコースも用意されているのだ。ペアは、タスキをつないで二人で完走するいわゆるハーフマラソンのキズナVer.。ファンランは3kmと5kmで、お子さん、高齢の家族とも楽しみながら走ったりできる。しかし、私の心ざしは高かった。初めての挑戦だったのにフルマラソン一択を主
先程、東京に戻りました✈️明治期に工業都市・北九州の発展に寄与した人物の1人、安川敬一郎氏の邸宅「旧安川邸」が、北九州の有形文化財に指定、最近整備されたそうで、午後、東京に戻る前に立ち寄りました。広いお庭を眺めつつ、お抹茶が飲めてステキな空間でした。お菓子のご銘は「清流」。安川氏は母校の創立者でもあって、旧安川邸も母校の近くに。近くを通って懐かしかったかったです😊✨https://www.yaskawatei.org/旧安川邸(北九州市指定有形文化財)工業都市北九州市の基礎を築いた企業
7、8月北九州市民は北九州市の施設がほとんど無料で入場できますいいね👍北九州旧安川邸明治期工業都市北九州の基礎を築いた実業家安川敬一郎と一族の住宅です広大な敷地緑に囲まれた洋風の本館、洋館、南蔵北蔵本館の広間には素敵な喫茶室があります日本茶の専門店本格的な煎茶玉露ほうじ茶と和菓子のセットが中心のメニュー館は大きな木々に囲まれて外の世界は見えません街中なのに別世界滝や枯山水のある庭を眺めながら落ち着いてお茶できますhttps://www.yaskawatei
生涯学習市民講座に行ってきました(◍•ᴗ•◍)色んな活動をやってるみたいですが私の休みと合わなくで中々行けないのに今回はコロナで9月にある筈の講座が月曜日に変更になっていて運良くタイトルも興味ある物でしたから早速予約して参加しました。タイトルは「ようこそ!バーチャルツァーへ渋沢栄一の足跡を訪ねて」今大河ドラマで放送されて人気の渋沢栄一さんは北九州でも大活躍されていて八幡製鐵所や門司港には沢山の出資をしたそうです。安
長い時間を要しましたが、「旧安川邸」が無事完成の運びとなりました。戸畑区に新たに名所が生まれました✨小学生時代、この辺りは私の遊び場で、その頃に比べると道も明るくきれいになりました👌見学などの入館の時期や申し込みなどの詳細は以下の通りです。○令和3/4/29(木)〜令和3/5/5(水)まで一般公開○公開は3部制(10時~12時、12時~14時、14時~16時)で、1部につき50名定員。○見学には電話での事前申込が必要です。来場日、希望時間帯、人数(5名まで)、代表者の氏名及び連絡先を
2019年8月16日の福岡県北九州市戸畑・若松の歴史散策の続き。「明治学園80周年記念体育館」の脇を抜け、「八幡製鉄所専用鉄道くろがね線(旧称炭滓線)」の「百田橋」と「北一枝陸橋」を見学した後は、「夜宮公園」に向かいました。明治学園80周年記念体育館・八幡製鉄所専用鉄道くろがね線「北一枝陸橋」・「百田橋」のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12581448845.html「北一枝陸橋」から西の方角に進むと、公園が見えて来ま
2019年8月16日の福岡県北九州市戸畑・若松の歴史散策の続き。「九州工業大学」の続き。九州工業大学(その1)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12541229780.html「九州工業大学」のキャンパス内に展示してある昔の機械は、「旧明治専門学校時代の機械群」として、「近代化産業遺産」に登録されているのか~スゴかばい!「旧明治専門学校時代の機械群」は、まだまだありますよ~♪この機械は
2019年8月16日の福岡県北九州市戸畑・若松の歴史散策の続き。JR博多駅でミッキーマウスラッピングの新幹線を見て、JR九州工大前駅で下車し、中ノ浜公園を通り「唐津道戸畑一里塚跡」を見学した後は、「九州工業大学」に向かいました。ミッキーマウスラッピング新幹線・JR九州工大前駅・中ノ浜公園・唐津道戸畑一里塚跡のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12530390368.html「唐津道戸畑一里塚跡」から、国道199号線を東に進ん
安川敬一郎氏炭価や事故リスクと戦う日本経済新聞石炭業は炭価の変動に揺さぶられる。のちに「小カーネギー」と呼ばれる安川敬一郎が筑豊炭坑界で頭角を現すのは明治20年代に入ってからだ。「20年さらに...【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】鳩山元首相の「地震は人災」ツイート、じつはデマではなかった?ZAKZAK1909(明治42)年に滋賀県北東部でマグニチュード(M)が6・8の地震が起きた。現在の長浜市で震度6、県内全域で震度5~4を記録した。同県では珍しい典型...元
国立大学法人の九州工業大学は今から100年以上前の明治42年(1909年)に私立明治専門学校(明専)として開学した。著者が入学式で真っ先に聞かされたのは、開学時の校長であった山川健次郎先生の教育理念「技術に堪能(かんのう)なる士君子」になれであった。白虎隊士の生き残り山川健次郎先生は兄の浩とともに、戊辰戦争を最後まで戦った会津藩を賊徒扱いする歪んだ史観を打破しようと『京都守護職始末』を執筆し、兄の死後の明治34年、これをもって会津松平家の困窮を救うための手許金を、宮中から下賜されることになっ
月曜快晴(雪)寒暖計四十六度(注・=摂氏7.8度)夜来初雪あり、積むこと二、三寸、旧臘(注・昨年末)来久しく雨なく空気乾燥甚しき折柄、此初雪は啻(注・ただ)に豊年の瑞のみならず呼吸器病者に対して無上の恵福を与ふる事ならん。[中上川未亡人の逝去]午前三田一丁目中上川次郎吉氏を訪ひ母堂死去の弔詞を述ぶ。過日余が訪問せし時、病人元気大に回復せりと次郎吉氏夫人の談話なりしが、是れは死去前の所謂中直りなるべし。腎臓炎の為め心臓非常に肥大し居りたれば、昨暁看護婦が注射の用意を為し居
にほんブログ村株式会社安川電機(やすかわでんき)は、福岡県北九州市八幡西区に本社を置く、産業用ロボット等メカトロニクス製品の製造を行うメーカーです。産業用ロボットで世界シェア第4位を誇ります。独自制御技術でサーボモーターとインバーター世界首位で、産業用ロボットも累積台数世界首位です。概要を見てみましょう。明治鉱業を興した安川敬一郎により、明治鉱業の電気用品の開発・製造を行うことを目的に設立されました。安川敬一郎により設立された会社は、九州製鋼(1934年に日本製鐵に統合)
旧松本邸住宅春の特別公開その2です。まずは「旧松本邸住宅」の歴史を軽く説明します。この建物は明治年間に父安川敬一郎とともに石炭業で成功し、現在の九州工業大学の創立者の一人であった松本健次郎が明治41年~45年にかけて自身の住宅と学校の迎賓館を兼ねて建てたものです建物の設計は「東京駅」や「日本銀行本店」を設計した明治を代表する建築家の辰野金吾が設計しました。日本におけるアールヌーボー様式建築の先駆けかつ本格的な建築物です。オープンテラスからの松本邸です。緑色のパラソルの下でコーヒーセッ
晴寒暖計四十九度(注・=摂氏9.4度)午前朝吹英二氏来宅、旧臘【注・去年暮れ】亡孫会葬の返礼の為めなり。同時中村作太郎来宅、今度永田町の扣邸【注・控え屋敷】に新築を思ひ立ちたるに就き、実地一覧の上大体の指図を乞ひたしとなり。[桜島爆発]薩摩の桜島爆発して鳴動歇まず、交通機関も大障害を蒙りたりと云ふ。俗に寅年は地震多く安政の地震も寅年なりなどと云ふ者あり、悪讖【注・讖=予言】を為さざらんを望む。正午より田中屋に菊池武徳、高窪喜八郎両人を招ぎて新年会を催せり、
快晴寒暖計62度(=摂氏16.7度)この日、・天皇陛下の天長節なので、市内各所にさまざまな飾りがある。とくに二重橋外には大緑門を立て、電気灯をともして、夜にはいってから群衆雑踏で盛況をみせていた。同時に、上野で大正博覧会の上棟式があり、花電車なども出て、こちらもおおいに賑わった。・午後2時、築地明石町の益田宅に行き、安川敬一郎、室田義文らと夜食をともにする。室田氏は、宮中の賜餐に参列したそうだが、陛下の勅語は荘厳で、隅々まで玉音ほがらかに響き渡り、列席の群臣は300
晴寒暖計63度(=摂氏17.2度)この日、・松平直亮伯爵邸の【今年二回目の】虫干し拝見にうかがう。例の広間に数々の陳列あり。【注・詳細についてはここでは省略】・梅沢安蔵が不用品売却の件で来談。・河崎鐐が電気テープ製造工場設立の件で来談。・安川敬一郎氏から、先般わたしが添削した同氏の米国紀行文を印刷して「不具の旅寝」という題名にしたといって一冊、博多帯地一本とともに贈ってくれる。101140030131026
曇寒暖計69度(=摂氏20.6度)この日、・【四谷新宅の】倉庫の整理。・午後、岩溪裳川氏が来宅。新宅祝いといって朝鮮塚掘【注・古墳から掘り出されたもの】の雲鶴青磁茶碗を贈られる。朝鮮在留の友人某氏からもらったものだという。無傷で結構なもの。・今朝、益田氏と話し、9日は朝松方侯爵一行とともに新橋を出、大阪に一泊し、10日に高野山登山となったのでおのことを岩溪氏に話すと、高野山なら仏法僧を使ってなにか送別の詩【注・漢詩】を作ろうといい、仏法僧の対句には、高野山には覇王樹が
快晴寒暖計72度(=摂氏22.2度)この日、・終日、倉庫の整理をする。・夕刻、築地明石町益田宅へ行く。九州の安川敬一郎氏らが来会。来月初旬に松方侯爵一行とともに高野山に登山することの協議をおこなう。101130022730930
曇寒暖計東京81度(=摂氏27.2度)伊香保75度(23.8度)この日、・四谷新宅建設現場へ・午前11時ごろ自動車で高輪の田中屋別宅を行く。清元お若、直次、つぎが来ていたので、お若に青海波を習い、雁が音を語る。直次の四季三葉を聴く。岩下清周、飯田義一、室田義文、山田松三郎が来会し、暑さがはげしいので夜になってから帰る。別室で、室田義文から以下の内談があった。安川敬一郎氏が鐘ヶ淵紡績株を1万株余り所有しているので、それを代表する意味で[室田氏が]鐘ヶ淵の重役
半晴寒暖計79度(=摂氏26.1度)この日、・安川敬一郎氏から来書。「米遊日記」の添削を謝し、かつわたしの贈った歌を見て、五十年前に自分の兄が江戸の勤務に旅立ったときに、その歌の師からの歌、旅衣きくにもみちにふみなれてつもる言葉やにしきなるらんとあったのを思い出したとのこと。また、言葉の不自由な旅行だったので、言葉みやげ(家苞=いえづと=みやげものものこと)はないとして、口をしの旅にしあればふる里のいへつとにせん言の葉もなしとあった。・「香山
晴寒暖計東京80度(=摂氏26.7度)この日、・「米遊日記」を添削し終え、和歌を添えて若松の安川氏に送る。【注・ここでは和歌は省略】・福澤桃介氏が来たので、福澤先生の逸事談を二、三聴く。別記する。桃介氏によれば、現在株価は下がっているが、台湾製糖、鐘紡のほかは買うべきではない。目下の輸入超過から見て、来年は株式の大不況が来るだろう。ただし、地方の電気、ガス事業は最近発展途上の割に価格が低いので、注目株だと思う、とのこと。・午後、仙石貢氏夫人来訪。二時間あまり談話して
晴寒暖計東京76度(=摂氏24.4度)伊香保62度(=16.7度)この日、・早朝、安川敬一郎氏の「米遊日記」の添削をする。・午後、妻といっしょに福澤桃介氏を訪問する。・夕刻、妻といっしょに湯本にいき、帰途、橋本亭で食事をする。・木村清四郎氏が今日伊香保に来たというので、千明館に訪問する。途上、川上貞奴にばったり出会ったが、フランス人の婦人といっしょに金太夫方に滞在しているとのことだった。012280021630803
晴寒暖計74度(=摂氏23.3度)この日、・福澤桃介夫妻が昨日当地【注・伊香保】に来て、わたしが以前滞在したことのある第三別荘にはいった。今朝早朝に来訪、榛名湖見物に出かけるとのこと。・安川敬一郎氏から頼まれた「米遊日記」の添削をする。・三井銀行監査役小野友次郎氏の千枝子夫人が死去とのこと。小野氏は明治27年にわたしが三井銀行大阪支店長だったとき堂島出張所長で、当時結婚したのが京都の医師の娘だった千枝子だった。京都風の美人で5人の子を産み、近年肺を病んでいた。弔問
晴寒暖計東京83度(=摂氏28.3度)この日、・午前6時、伊香保を出発して帰京する。・明治天皇御一周年祭で、諸新聞が懐旧の記事を掲載し、奉悼の情を新たにした。・四谷新宅工事現場に行く。工事はやや進み8月中には茶室を除くすべてが出来上がるので、9月そうそうに引っ越しをする予定。・安川敬一郎氏上京につき、夕刻田中屋で面会。氏は今度、知友のために記念碑を建てる予定だそうで、その碑文のことで高島張輔氏に面会したいとのことなので、紹介状を作って渡した。同氏の米遊日記
晴寒暖計74度(=摂氏23.3度)この日、・午前、池田慶次郎が渡辺驥未亡人の依頼で、松花堂筆普化禅師月下吹笛図、遠州所持黄庭堅の書のマクリを持参する。この書は遠州愛蔵の品だが表装されずに伝わったとのことだが、真偽のほどがはっきりしない。・午後、麻布の天真寺に行き、先日一覧した常慶作宗旦直書附き銘山居の茶碗、如是二字の額、水戸哀公の手びねり楽茶碗銘鵜舟、仁清藤四郎写しの茶入を譲り受ける。なお住職の豊吉東山は同寺の重宝である土佐経隆の十六羅漢を見せ、これはすでに国宝に指定さ