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宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆宰相歿して二十年、能く人主としてこゝまで其の言を追信せしめるのは何の道を以てするかと歐陽修が蘇子容に問うたことがある。(4343'23)
”こころを磨く言葉-⑤安岡正篤”『運命を変える』立つということは、自分の精神・生活の場を一定することで、人間、どんな性格・どんな境遇のもとでも、先ず、年の三十にもなれば、なにかにならなければ、或いはなにかをしなければ、納まらなくなる。★初年期と中年期の節目に、自分の立場を確立せよ『論語』のなかでも最もよく知られている言葉に「吾レ十有五ニシテ学ニ志ザシ、三十ニシテ立ツ。四十ニシテ惑ワズ、五十ニシテ天命ヲ知ル。六十ニシテ耳順イ、七十ニシテ心ノ欲スルトコロニ従ッテ、矩ヲ踰エズ」
新装版干支の活学/安岡正篤Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}Amazon(アマゾン)で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}楽天市場で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}★★★★★四回目。巻頭の言葉に干支を学ぶ意義、目的が端的に示されている。本来の干支は占いではなく、易の俗語でもない。それは、生命あるいはエネルギーの発生・成長・収蔵の循環過程を分類・約説した経験哲学ともいうべき
今日は京都綜學院の日。テーマは戦後の首相が教えをいただいた安岡正篤さんのお話。安岡先生は戦前に東洋思想から日本のことを考えていた人で。戦争があってからは表立って出てくることはなかったそうです。それでも今でも伝わる言葉はたくさんあって。自分を省みるために色々な言葉が伝わってきます私は京都綜學院に行き始めてそろそろ2年が経ちます。そのたびそのたびに自分のことを考えられるのが本当にありがたい。この時間を大切にしていきたいですねおかげさまです!あれ
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆帝は卽座に拒否して、李沆が昔彼は君子でないと云つたぞと。(4343'23)
安岡正篤師の心に響く言葉より…「あれは器量人だ」という言葉が通俗用語になっておりますが、これは人間の具体的存在を器という字で表現しているもので、人間の大きさ、深さを量る言葉として用いている言葉であります。あれは頭が良い、よく出来る。けれども人を容れない。人を用いる量がない。深みがないなどといわれる人があります。度量、器量ということが良く考えられなければならないわけです。もう一つ人物の応対辞令という言葉がありますが、応対という
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆帝は深く首肯されて、在位中終に此等の輩は擧用されなかつた。彼死して後二十年、或人が眞宗に梅詢の登用を進言した。(4343'23)
*【#騙されるな】「自民党が何を一番恐れているかおわかりだろうか?」...それは、これまで政治に関心がなかった人々が、日本の現状のあまりのひどさに目覚め、投票所に足を運ぶことだ。…pic.twitter.com/t1Q4kYdRzC—HiroshiMatsuura(@HiroshiMatsuur2)October4,2023この3S政策は日本の戦前の反ユダヤ文書にも頻繁に出て来るもので、トルーマンの言葉ではありません。この「3S政策」をGHQの謀略だとデマを
並行読みの中、10月に入って立て続けに読み終えた本があります。稲盛和夫氏の「生き方」も、その一冊です。言うまでもなく、一代で京セラを築き、日本航空の再建にも力を尽くした方です。「生き方」の最終章近くに、こんな一節があります。「天が決めた運命もおのれの力で変えられる。善き思い、行いを重ねていけば、そこに因果応報の法則が働いて、私たちは運命に定められた以上の善き人生を可能なのです。それが立命である」実は、これって安岡正篤さんの言葉だそうです。素晴らしい
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆帝は、たとへば如何いふ人物がそれに當るかとつきこんで尋ねられた。彼ははつきりと答へた、梅詢、曾致堯の如き者がさうであります。(4343'23)
縁尋機妙とは、言うまでもなく安岡正篤の「縁尋機妙多逢聖因」からとられたものである。ノーベル賞をとられるような人も、やっぱり出会いが大事だと言われる。人との出会い、本との出会い、そんなことのつながりで人生は良い方向へいく。私も年賀状等に、「縁尋機妙多逢聖因」の言葉は使わせてもらったことがあり、本書を読んでいて共感する部分が実に多かった。大村さんは、母の言葉、妻・文子さんとの出会いと献身的に夫を支えてくれたことに感謝されている。就職するときに、一番安い給料のところを選ばれたエピ
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆眞宗位に卽かれて、或日彼に治道の急務を問はれた。彼答へて曰く、浮薄新進、事を喜(この)むの人を用ゐざること、是れ最も先にすべきでありますと。(4343'23)
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆後人知らずして遂に輕々しく改めんと欲す。此れ其の害粉々たる所以なりと評してゐる。(4343'23)
おはよん~(^-^)v上期の振り返りと下期の成すべきことの確認のための会議~幸福な人生とは、その人が一生の間にどれだけ「幸せだ」という感情を持つ事ができるかによって決まるもの。こう考えると、順風満帆の時もそうでない時も、その時、「どう感じるか」が重要になってくる。つまり、いま、この瞬間をどう思うかなのである。今を幸せと感じられれば、人生は「いま」の連続体なのだから、一生が幸せなのである。哲学者安岡正篤先生の言葉を引用しましたが、若者にその真意が伝わっただろうかと思う
ふ『政財界の指南番・安岡正篤』-須田耕史●総理の指南役について-⑦佐藤と岸は五つ違いであった。したがって安岡から見ると佐藤は三つ年下ということになる。その佐藤は交友が始まったころから、何かと安岡に敬愛の念を示し、助言を求めてきた。「実は、先生。こんどケネディ大統領を訪問することになりましてね」「ほう」「そこで何か、ご指摘いただきたいのでありますが」「ケネディねぇ」「もっとも先方は、私との会見にそう長い時間は割けないといっとるようでありますが」ケネディは昭和36年1月、アメリカ
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆故に藥を用ふること孟浪(いゝかげん、無責任)人を殺すに至らず。且つ其の法度小害無きにあらず。ただ其の利多きのみ。(4343'23)
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中国の『後漢書』費長房(ひちょうぼう)伝にこんな話がある。当時、汝南(じょなん)の町に壺公(ここう)と呼ばれる一人の薬売りの老人が住んでいた。壺公はいつも夕方、店を閉めると店頭にぶら下がっている小さな古びた一個の壺の中に、ヒラリと飛び込んで身を隠してしまう。このことは町の誰一人として知る者はいなかったのですが、ついに費長房という役人に見つかってしまった。費長房は面白半分に、ぜひ一緒に連れて行くようにと頼みます。壺公はしぶしぶ承諾し、ある日の夕方、費長房を連れて、壺の中にヒラリと飛び
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆正に老醫の如し。病を看ること極めて多し。(4343'23)
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆且つ租宗の時、變を經ること多し。故に立つる所の法度極めて是れ穩便なり。(4343'23)
縁尋機妙/大村智Amazon(アマゾン)Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る★★★★★先日の致知45周年記念講演会&パーティー参加者へのプレゼントが登壇者の大村智先生の本。縁尋機妙多逢聖因良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく様は誠に妙なるものがある―これを縁尋機妙といういい人に交わっていると良い結果に恵まれる―これを多逢聖因という。人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うこと
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆劉元城も、此れ大いに言を失するに似たり。然れども深意あり。(4343'23)
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆勝手な思ひつきの意見などを輕々に採用して施行したりなどすれば、却つてどんな害をなすかわからんと語つてゐる。(4343'23)
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆國家にはちやんと制度が備はつてゐる。(4343'23)
安岡正篤の言葉だそうです。私が読んでいるメルマガで話されていたのですが、意味は、有名になると、あちこちに気を遣うようになるので、注意が散漫になり、実力が出せなくなる、という事ですこれは、もっともな話だな、と思いました。昨今の政治や芸能界を観ていると、本当にそう思うのですが、所謂、人の上に立つ立場になると、初心を忘れてしまい、傲慢になることは多いものです。これは、私くらいの歳の方は気を付けたいところです。経営者でもサラリーマンでも、50歳を超えてくる年齢になると、それなりのポジションに付
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆事實彼は下らぬ時局便乘の利口者と多く口をきかなかつたばかりでなく、自分は重位に居りながら、國家の爲に一向何のお役にも立たないが、たゞ方々から盛に持ちこんで來る革新案なるものは一切取上げなかつた。(4343'23)
『政財界の指南番・安岡正篤』-須田耕史●総理の指南役について-⑧佐藤栄作がケネディ大統領を訪問したのは、昭和37年10月である。総理に就任する2年前のことだ。佐藤の名は、まだアメリカでは知られていない。折しも、米ソ間は一触即発の緊迫した関係にあった。ソ連がキューバにミサイル基地をつくりかけ、アメリカはソ連艦船の海上封鎖にふみきっていた。キューバ問題で沸きかえるホワイトハウスは、佐藤を迎えても、ゆっくり話し合っている暇(いとま)はない。予定の通りケネディとの会見は、短い時間で終わるかに見
今より五十五年前、明治百年時において各識者が「私の尊敬する明治人」と題し短い所感を述べている。非常に面白く、参考になるので以下紹介したい。この本は『明治の評価と明治人の感触』と題し、昭和四十二年に動向社という出版社から出版された。本編は明治時代や明治人へのエッセイ風文章であり、武藤貞一、長谷川如是閑、安岡正篤、正力松太郎、武者小路実篤、賀屋興宣等、錚々たる執筆陣である。そして巻末に「私の尊敬する明治人」が収められている。その結果を上位のみ集計してみた。一位西郷隆盛(南洲)十五票。二
宋名臣言行錄より二宰相の典型李沆そんなことはどうも私には出來んのだ。馬君に宜しく言つて呉れ。(4343'23)
『知命と立命』安岡正篤●果断・果決の字義植物の栽培でもそうだ。植物というものは放っておいたら、どんどん枝を出し葉を茂らせて派生してゆく。ところが、あまり派生して枝葉が茂ると、木の生命力は衰える。そこで枝葉を幹に結び、根に蓄えるために剪定ということをする。いったい植物には根に帰する、つまり幹に精力を蓄積させようとする働きがある。それでその働きに乗じて植木屋・栽培家はチョキチョキと枝葉を剪定する。いい果物を生(な)らそうと思えば、間引かなければならない。鈴なりに生(な)らしては駄目だ。そ