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陽気に誘われてドライブ。安土。かの織田信長の最後の城。いや、城址。前から行きたかったんだけど、ほぼ登山なのでヨチヨチ歩きの自分には無理。麓から見上げたのみ。ただの小山。取り敢えずまあ、近くに行ったってことです。城が有れば完全に見えるであろう場所にまで行った、と。なんもないとかえって感慨というものは湧かないね。と思いきや、信長の郷なる展示館には原寸大の天守ならぬ「天主」の上層部分の復元模型。なんじゃこりゃ。すごい豪華。当時の世界最大の木造建築物で、その一番豪華な部分である
休暇村近江八幡をチェックアウトし、さて何処に行きましょうか?休暇村近江八幡の朝のブログです。『休暇村近江八幡の朝食と朝のお散歩』昨日まで滞在した休暇村近江八幡の朝の様子です。朝の部屋からの眺望です。目の前に広がるびわ湖と沖島の景色です。朝はやはり朝風呂がいいですね。弱アルカリ泉(p…ameblo.jpこのブログの続きです。休暇村のある海岸沿いから近江八幡の中心部近くの平野部までやってきました。先日登った繖山が見えます。右手の山で頂上に観音正寺、観音寺城跡がありまし
安土城跡②安土城考古博物館安土城跡を登る前に、安土城考古博物館へ。JR東海道線の線路を挟んで考古博物館と安土城跡があります。秋です大河ドラマ『どうする家康』のパネル展示がされていました。等身大?とりあえず隣にならんで中は、安土城だけではなく、滋賀の城の発掘や復元について。先日行った小谷城跡も詳しく書かれていて、復習安土城跡は、調査整備20年計画として、1989年から2005年まで大規模な発掘調査が行われたそうです。そもそも安土城は、織田信長が天下統一の拠点
佐川美術館を後にした私たちは、一路次の宿泊地近江八幡方面へ向かいました。しばらく琵琶湖のほとりを進みます。八幡城址という標識が見えてきました。しばらく行くと、小高い山の上に城壁のような物が目に入りました。この時私たちは安土城址を目指していました。八幡城址という存在は知らなかったのですが、翌日行くことになります(後ほど)その後近江八幡の町を抜けて、隣の安土へ。この山の頂上に安土城があったそうです。ここで、城跡入山料700円を支払います。ここから結構険しい石段が続きます。わずか3
利休にたずねよを読んだ時に作者のことを検索していたら安土城の小説があることを知り読んでみました。安土城は歴史上は安土桃山時代の有名な城ですが築後数年で焼失してその後は捨て置かれてしまった城なのでイメージがが湧きませんでしたが、昨年の琵琶湖旅行で安土城址を見に行ってそのスケールの大きさに驚きました。この本は安土城の建築を信長から命じられた棟梁が数々の苦難を乗り越え、自分の組の職人や石垣づくりや木の扱いに秀でた他の集団も率いて前代未聞の巨大な城を建てる過程が描かれています。その後の焼失に至る過
安土城天主信長の館‼️滋賀県安土暑い中行って来ましたNHKの「歴史探偵」でやっていました天主の最上部5階と6階部分が復元されています豪華絢爛‼️天主の近くまで登れます安土城天守閣の再現めっちゃ綺麗‼️屋根の上には金のシャチホコ天主閣の中です大きくはないですが煌びやかです‼️外壁には金箔10万枚使用してるらしい安土城の模型ですいいものを見せていただきました信長の館の隣にある安土城考古博物館にもよりましたちょうどいいタイミング【どうする家康】キ
安土城跡に行って来ましたこの猛暑なので、朝から石段登り始めたけれど本当ーーに暑かったこの石段(写真の所はまだまし)をバランスの悪いムスメさんをサポートしながら登りましたので多分普通の3倍くらい時間がかかりましたムスメ登山用ステッキを使っての、足の置き場や体重のかけ方を教えながらでしたが最後まで泣き言を言わずに天主まで登り切りましたムスメやっぱり根性ある〜あとは歴史オタクは強いわでも下りはやっぱり危なくてムスメには大変過ぎるので介助しながら下りました登りより時間はかかりませ
竹生島から彦根港に戻った後、途中昼食を済ませて、安土城址へ向かいました。ここは、今までにも何度か近江八幡を訪れる際に、ずっと、主人が「立ち寄ってみたい。」と言っていましたが、時間的な問題から、なかなかその機会がなかったところです。織田信長の安土城址と摠見寺信長の安土城址と摠見寺の公式ホームページwww.azuchi-nobunaga.com拝観料(700円)を納めて入山すると、目の前には威圧的なまでの石段が続いています。事前に調べている際に
安土城址行ってきました~安土城跡入山料700円安土城は天正4年(1576年)から織田信長が約3年をかけて完成京都にも近く、琵琶湖そばの為水運もあり、越前・加賀や上杉ににらみをきかすのに良い場所だったとも言われています。実際には防衛策に乏しく、政治的な意味合いの強い城だったとも。天下布武を象徴、知らしめる存在であったようです大手道跡の石仏築城の際に石材として使われたものです。いくつもありました。「博士ちゃん」でもやってましたね。あえて、わざと、人が踏む場所に使ったという
ラスト一日は有効期間ギリギリで再度滋賀へ行きました。まずは安土城址へ。博物館など関連施設は少し離れていてレンタサイクルが便利ですが月曜休館なので徒歩で往復しました。2023春近江路:安土城址-停車場遍路のよろず旅メモ戦国物で散々出てくる安土城ですが、現在は天守はじめ建物はありません。急で粗い石段が続くので結構な運動量です。JR安土駅前の信長公安土山を目指します。手前の水路まで来た入口に到着先へ進みます案内図天下布武の幟を立てて作業中?の芝刈りロボ@安土城址上り口pic
息子の成長高2になる息子は高校を卒業したら一人暮らしをしたいとそれに向けて私も甘いけど息子も私には甘えてしまうので長女夫婦とこで一人暮らしに向けていろいろ準備をしたいということで別れて暮らすことになりました私は一人暮らしになりましたが息子の養育費を稼ぐために仕事を増やしたり節約など家計管理がうまくできるようになったり息子と別れて暮らすことは寂しかったですがお互いの成長に繋がったのではと思っています近くに住んでるのでちょこちょこ
こんにちは〜😊今日は兄のいる滋賀県へ朝から、安土城跡に行ってきましたー😁運転中から目がショボショボする…😢あと黄砂に花粉にPM2.5で目の前が黄色か真っ白…朝6時に家出て、あんま渋滞に巻き込まれずに2時間半………足場も結構キツイということなので登山の格好で行ってきました〜(・∀・)入山料700円×3人で😊石仏ところどころにあったね羽柴秀吉邸跡の横の椿綺麗だったので代表してここを撮ってみました😊石階段はまだまだ上まで続きつつ……織田信澄邸跡、森蘭丸邸跡黒金門跡桜(ま
何カツン2022年お疲れ様上田竜也プロデュース慰安旅行in熊本くまもんの扱いずいぶん雑でしたねこの写真がパワースポット馬刺したくさん食べて子豚レースに興奮して(笑)ヘリコプターからの阿蘇山噴火口に絶叫して絶景のパワースポット温泉部屋争奪戦(笑)露天風呂付きのお部屋争奪戦に負けた亀ちゃんが行ったルナ天文台で興味津々の亀ちゃんキラキラしてたお星さまの美しさと同等運転する姿はもちろんたくさん食べる姿お腹いっぱいになって寝ちゃう姿たくさんたくさんありがとうございま
小学生のころから行ってみたかった安土城址教林坊で紅葉を満喫したあと、安土城址へ!思っていたより天守閣への道のりは、きつかった!天守まで毎日登城するのは、なかなかの労働ですね。。。天守まで、きっちり石垣、石段が組まれていました信長の安土城への思いが、感じられますさすがの権力天守があった、山頂からの景色天守は6階建てだったので、もっと高い所から眺望したんですね現在は埋め立てられているので琵琶湖が遠いですが当時、安土山は琵琶湖に面していたので、とっても美しい景
安土城跡。資料館の天守閣展示されてるのを見たかったんたけど今は閉館中。チッ。あの新しいもの好きな信長だぜぇ。独創的で豪華な初の天主を持った城。1576年築城。このとき信長は43歳。1579年、住み始める。放火で燃えてからもまだ城としてあったわけだけどたった9年で廃城。本能寺の変は1582年だから数年しか住めなかったわけよ、あの豪華すぎる城に。宣教師にバベルの塔と言わしめたあの城に。✪✪✪✪✪✪ということ
①安土城址●1980年代・2000年の二度登城ご存じの通り、安土桃山時代に信長により築城された、初の地下1階地上6階建ての巨大城郭建築。本能寺の変の後まもなくして原因不明の失火により焼失。天主台大手道大手道に敷設された転用石体壊して以降、もうあの大手道を上ることは叶わず、以来足が遠のいてしまいました。②安土城天主信長の館●2000年・20
22/07/10(日)米原市から甲賀市PASSO;えっさ81才ナビ;リコ82才山陽→九州→日本海→北海道→東北→中部→紀伊半島→四国→九州→山陽→近畿2021/03/03岡山県浅口市ひとりで出発2021/07/18宮城県石巻市・仙台市新潟しらびそ山岳会の旧い先輩瑠璃子押しかけ道中163才になった↓きょうの走行ルート図62km米原市から水口センチュリーホテル-Googleマップ8.00米原市PASSO出発くもり24→28℃琵琶湖東岸に広が
ゴールデンウィークの岩国城に触発されたのか、夫が「組合会報のコラム(順番に回ってくる)の題材、滋賀のお城にする!」と言い出しまして。シャッター要員として、五月は毎週末お城巡りに駆り出されていました。以下、記録として何枚か写真を残しておきたいと思います。【安土城】ヒィヒィ。安土城は礎石を残すだけですが、ところどころに残っている石垣がかつてここにお城があったことを教えてくれます。緑がきれいで空気もおいしいのですが、とにかく石段の段差がきつい!ちょっとしたハイキ
安土城は先日ブログにあげたので少しだけ。薪能に行ったりしているので總見寺までは何度も行ってましたが、安土城趾までは実は小学校か中学校の郊外学習以来に行きました。膝は笑いましたがそのご褒美の絶景。登った甲斐がありました。ボランティアガイドさんのお話を聞かせて貰ってなので、更に気付きが多く面白かったです。最初は肌寒かったのですが、段々汗ばむほど。いい運動になりました。その後、魚石さんで昼食。お弁当の様式でしたが懐石料理のような一品に昼間から日本酒が飲みたくなって困りました。
今回のお出かけは内容が濃すぎるので、はなから2回に分けようとしている魂胆ですみなさまおはようございます!三重県津市で六角形のエステティックサロンを経営しながら歴史をこよなく愛する香月です5時半に起きれたら行こうって決めてたものの、寝る前にしっかり行きたいところをリサーチこういう時ってホントぱちっと目が覚めるんですよね洗濯干して早々に出発して向かったのはこちら三重からだと1時間半くらいの安土ですそう。信長さまのお城幕末も戦国も、もっと前の奈良の時代も好き
★2日目関ケ原古戦場関ケ原ウォーランドとゆうトコには原っぱに合戦のジオラマ(?)があっておもしろかった。合戦時の布陣等わかりやすかった。人形には有名どころに限りって感じで名前が入っていたのだがわしの名字は結構珍しいのに同じ名字の武将がいてびっくりした。思わず先祖かと思ってあとで調べたが全然関係なかったw長浜城彦根城資料とか見る物がいっぱいあってお昼を挟んで4時間くらい滞在した。ここで地図を見て18時くらいにチェックインできるホテルを探し予約。安土資料館
江ノ島農園便りです。花梅から始まった農園の果樹たちによる春の花のリレーですが、いよいよアンカーのモッコウバラでゴールです。まずはご覧あれ。八分咲きといったところでしょうか。例年はゴールデンウイークの終わりごろに咲くのやけど、今年は一週間ほど早いですな。桜も早かったし。わが農園のシンボルツリーとなりつつあります。アーチの中に見える山は安土城址です。それと西の湖。そういえば、七年後に完成をめざした安土城の再建事業は知事もやる気満々やったのに
一日曇り空でした~明日から雨みたいですね。安土城天主を目指して登りは続きます。頂上手前、二の丸跡に信長の霊廟がありました。天主閣手前の本丸跡広場の苔むした石垣にスミレが一輪ひっそりと咲いていました。天主台跡安土城だけは天守ではなく天主と表記するそうです。背丈ほどの高さの石垣に囲まれ、東西、南北それぞれ約28mの台地となってます。礎石が1~2mおきに並べられてます。歴史上に名を残す豪華絢爛な名城本格的な天主の建築は安土城がはじまりとされています。安土城の面影
今日は緑も一段と綺麗で爽やかでした~♪岐阜から滋賀プチ旅は安土城址へ簡単に紹介します安土城といえばもちろんあの織田信長の居城として有名です。戦国時代、標高198mの安土山に建設されていた城です。当時天下統一に向けて飛ぶ鳥を落とす勢いだった織田信長が大型天守の絢爛豪華な城を築きました。しかし、その後間もなくして起こった本能寺の変によって、明智光秀によって滅ぼされてしまうと天守閣も焼失してしまい、石垣など残っているだけです。安土城址の駐車場前にはガイダンス施設、売店、トイレ
今日は風があるものの程よい陽気でした週末はまた寒くなるみたいですね。滋賀県では安土城址を訪ねました。織田信長が築いた豪華絢爛な安土城今は石垣といった一部しかありません。立派な石垣が残る大手道、城好きにはたまらないかも・・・お城といえば今が旬な桜があるのではないかと行ってみました数は多くないですがちょうど満開でした石段の途中、右にある摠見寺、鐘楼の上の桜眼下は黄砂でほとんど見えません殿!安土で獲れた完熟マンゴーがジェラートになりましたよ。滋賀県近江八幡
さて、車窓の城シリーズを20回まで続けると言ったものの、ネタがあと2箇所しかなくなりました。最終回は名古屋城ですので、あと1回を他のどこかに充てるしかありません。ところが、あまりいい記録の残っている城がないのです。さりとて、新型コロナウィルス禍の中、あちこち動き回るわけにもいかず、結局は過去の写真を振り返るしかありません。1箇所はなんとかなりそうですが、もう1箇所がみつかりません。とゴネゴネ言い訳をし、今回は城そのものではない、城址にしました。熱海城というテもあったのですが、いくら
安土城址www.youtube.com現在はもっと整備されていると思います・・・事務所の方にお願いして開城時間より、一時間前に上らせていただきました(*^_^*)
俳句:☆憧れの安土登りて春景色風天こんばんは私は、安城の推し元安城商店街アイドル「看板娘。」″にのちゃん👩″と岐阜の推し岐阜ご当地タレント″やながせゆっこちゃん🍅″と大垣むすびの女神様『大垣むすびラジオ📻🔊』メインパーソナリティの″めぐたんこと、郷恵実さん👸″推しの風天です赤色が、大好きです😍💓💓去る2月6日(土)、近江八幡で岐阜ご当地アイドル『ROUTE258』のライブ観戦する前に【安土城址】🏯を見学して来ました目の前を通り過ぎることはあっても、実際に登っ
山上の建物に灯を湖上の船に松明を灯した華麗なる安土城織田信長は、近江征服を果たした後の1576年、丹羽長秀を奉行にして、岐阜に代わる本拠城の築城にとりかかった。工事の大がかりだった有り様は、「昼夜、山も谷も動くばかりに候ひき」(「信長公記」)と表現されるほどであった。安土山は標高199mの小山で、三方を湖水に囲まれていたから、残る南側に堀を引いて大手門を構えることで堅固な要塞となった。山頂には、五層七階の「天主」が建てられた。柱は黒漆で塗られ、最上階はことごとく金箔を貼り、また屋根に
明けましておめでとうございます2021年もよろしくお願いいたします今年の三が日は、人混みを避けて生活して初詣も近くの神社へ行っただけですましましたが、物足りなさを感じたので、甥(小2)と安土城址に登りました。1月3日(日)石段に雪は残っていましたが、ギリギリ濡れることなく登れました。久しぶりの安土城でしたが、少しずつ整備されているようで、以前より石垣が見やすくなっていました。戦国時代末期の歴史を感じさせる石の積み方と自然に近い石の形で、趣きがあります甥も楽しめ