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そして、雨宮(三島耕)があさって東京へ戻ると伝えにやってくる。焦る節子(北原三枝)に、安井(安井昌二)が二人を会わせた方が話が早いはずだと言うと、十五夜のあすの夜がいいと節子。その夜、雨宮が会いたいと言っていると彼女は女中の文や(小田切みき)に伝えさせるが、綾子はまったく関心を示さない。しかし、急いで裏口から綾子(杉葉子)が出かけたと文やが節子に報告する。雨宮と綾子はどちらからも連絡していないことを知り、ぎこちなく会話を始める。気が気でない節子だが、もう接吻しているはずだから安心しろと安
昭和三十年に公開された田中絹代監督作品で、奈良が舞台となっている。主演の安井昌二が「安井昌二」役でどういうことと思ったら、彼はこの役名をこの作品以降、芸名にしていたのだった。彼と小田切みきが共演しているのだ。また主演の北原三枝は後に石原裕次郎と結婚する人。中居さんが「ごめんやす」と言うけど、奈良でもそう言うんか…?静かな奈良。シカも平和である。*****寺での謡の稽古中に、雨宮(三島耕)がこの寺に下宿する安井(安井昌二)を訪ねてくる。久しぶりの再会である。雨宮は電気技師で電話回線に使うマ
安井昌二さん安井昌二(やすいしょうじ)本名:四方正雄(よもまさお)別名義(旧芸名):四方正夫1928年8月16日生まれ、2014年3月3日、満85歳没。東京府出身の俳優。「劇団新派」所属。妻:小田切みき(~2006年)長女:四方正美次女:四方晴美1955年、『月は上りぬ』(田中絹代監督)で映画デビュー。これを機に芸名を四方正夫から、役名の「安井昌二」へと改名。1956年、市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』の主役・水島上等兵を演じたことで一躍人気を得
1942年12月8日、日本軍がアメリカ海軍のハワイ真珠湾(パールハーバー)基地を奇襲、同日、イギリス領マレー半島への侵攻を開始し、日本はアメリカ・イギリスとの戦争に突入しました。同月には日本の同盟国ドイツとイタリアもアメリカに対する宣戦布告を行い、戦線は全世界へと拡大されて『第2次世界大戦』と呼ばれる、人類史上最大の戦争となりました。日本人だけでも300万人以上が犠牲になったと言われ、世界中の多くの命が失われた『戦争』は1945年8月15日まで続きました。80回目の終戦記念
画廊を下見にきた松山を見て、杉本は誰かに似ていると考えるが思い出せない。そこへ秀子とコト子がやってくる。秀子が父を気に入ったようなコト子よりもっといい人が父にはいるはずだと松山に相談する一方、杉本はコト子を誘って桃園へ行く。嬉々としてついて行くコト子と順子はお互いを「いちばん嫌なタイプ」と思って嫌悪し合う。松山らの仲間で、店に入ってきた「暴力画伯」との異名と虱を持つ田所草平(安井昌二)は横柄で、順子に画材を預けたうえに「神様は君にいい顔を与えている。化粧したまえ」。*****順子はその言葉
3月3日が命日・忌日の有名人・著名人1615年(慶長20年2月4日)49歳没(?)督姫さん徳川家康の次女1703年満67歳没(?)ロバート・フックさん自然哲学者、建築家、博物学者フックの法則1706年満52歳没(?)ヨハン・パッヘルベルさん作曲家パッヘルベルのカノン1983年77歳没(パーキンソン病)アーサー・ケストラーさん小説家、思想家『ホロン革命』⇒『アーサー・ケストラー(1905年9月5日生~1983年3月3日没、ジャーナリスト、小説家)』1
カネが天下の社会では、他のことはすべて無為で退屈。社長である父の秘書、牧野郁子(高千穂ひづる)を会社まで送ると言って外車に押し込んだ秋山俊夫(川津祐介)らの大学生4人組。目当ては郁子が銀行で引き出した現金だった。いったんは奪ったが、秋山が「遊びもこれまでだ」と言い、郁子を会社で下ろす。「ろくでなしね」と言い捨てる郁子。鼻っ柱をへし折ってやると俊夫。俊夫の父、健作(三島雅夫)はカネの猛者。かなり気が強そうな郁子が社長室に戻ると、俊夫たちの待ち伏せを報告するが、健作は自由主義で息子を叱ることはし
『ビルマの竪琴』は竹山道雄原作の小説。1956年と1985年に映画化されています。両作品共に市川崑監督作品です。また1956年版『ビルマの竪琴』の脚本を執筆した和田夏十は1983年に物故されていますが、1985年版『ビルマの竪琴』でも基本的に同一の脚本を使用している為、単独でクレジットされています。両作品に唯一同じ役で出演しているのが、ビルマ人の物売りの老婆を演じている北林谷栄。劇団民藝創設メンバーの1人で、30代の頃から老け役を演じています。1956年版『ビルマの竪琴』出演時は44歳で、
今、当然聖子ちゃん🩷の歌🎤が聴けると思い、テレ東の「3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100」を観ています🥳📺他の方々の曲も、番組名通り、殆どが聴き覚えがある曲ばかりで、歌番組全盛期な時代に生きてきた人間からしたら嬉しい番組でした😃👍大晦日に放映された"大晦日に歌い継ぎたい100曲"「第56回年忘れにっぽんの歌」といい、僕らの年代は昨今の紅白歌合戦よりテレ東の番組の方がよっぽど楽しいです😁なのですが、今日、Yahoo!ニュースを見ていたら、急上昇ワードに小田切みき
ひとつ前の当ブログで、国民の間で広がった「増税メガネ」や、全国的なスタンダード?「語呂合わせ」になっている元素周期表の覚え方(「水平リーベ、ボクの船」)、平方根の「ひとよひとよでひとみごろ」なんてのも誰か最初に言い出した人がいるはずという話を書きました。そういえば、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の大ヒット曲『ブルー・シャトウ』の替え歌、♪森トンカツ、泉ニンニク、かーコンニャク、まれテンドン……というのは僕も子供の頃、よく唄っていました。たしか少年サンデーか少年マガジンにも、その替え歌の歌
どうも。今年の新語・流行語大賞30語にノミネートされた「エッフェル姉さん」が年間大賞を取ったら、松川るい議員は授賞式に来るのでしょうか。来れないですよ。松川が授賞式に来れたら大したもんだよ(新日対Uインターでの長州力の口調で)。それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『こころ』です。学生の日置は野淵先生を尊敬していたが、先生と奥さんの関係には不審を抱いていた。1955年公開作品。監督は市川崑で、出演は森雅之、新珠三千代、三橋達也、安井昌二、北林谷栄、田村秋子。夏目漱石の原
タイトルに7とあり、7作目とされているが、6作目は水野晴郎氏の逝去で製作されておらず、実際には最初の舞台版である4の後に上演された舞台を再編集されたもの。それなりに作りこまれた4と違って、全体的にくだけた雰囲気はまるで学芸会的なノリの作品。キャストも4のメンバーが中心だが大物ゲストが少なく、ラストのドンデン返しも弱い。とは言え、シベ超ファンには堪らないのだろう。あらすじ水島総理(安井昌二)ら来賓を招いた平岡千鶴子(光本幸子)の外務大臣就任パーティの席で突然現
映画解説者として名を馳せた水野晴郎が晩年に取り組んだ『シベリア超特急シリーズ』シベリア超特急1(1996年)シベリア超特急2(2000年)シベリア超特急3(2003年)シベリア超特急4(2003年)シベリア超特急5(2005年)シベリア超特急7(2003年)で4作目と7作目は舞台での上演されたものである。シリーズ6作目は撮影準備中に水野が亡くなり、企画が流れた。あらすじシベリア超特急4の撮影中に監督の水野晴郎(水野晴郎)が何者かによって毒殺される。スタッフ
夏目漱石「こころ」この作品は夏目漱石の長編小説として高く評価されている名作である。漱石が亡くなる2年前に出版された。非常に重苦しい内容であり、人間の心の内側を描いた小説の一つである。これを映像化するには相当な困難を伴ったのではないかと推察される。まず、漱石の原作のあらすじから:上先生と私:語り手は「私」。時は明治末期。夏休みに鎌倉の由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰ったあとも先生の家に出入りするように
女子大の寮を舞台にした明るく楽しい学園ドラマ、と思ってたらまったく違いました。悲惨な物語だ。島さんはバイトと偽って夜遊びしてる女の子かと思ったらめちゃくちゃ真面目ないい子だったのね。実質主役の渡辺美佐子さん、とってもいいですねえ〜。
何か!書きたいって!日々、全身からその意欲が迸りあらゆる対象物を描き続ける青年の今朝の作品は?ビルマの竪琴で!俺は少年時代に、、この映画、、安井昌ニ主演のね!子供心に、、唐突に、、ラストシーンで、、直立不動で【水島】に、、敬礼したのをしっかりと思い出した!ビルマの竪琴②缅甸的竖琴TheBurmeseHarpJapanesesoldierWW2FarewellLettersceneRentarōMikuni三國連太
2014年に急性心不全のため85歳で死去した、俳優の安井昌二さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。安井さんには、病難に注意。家族縁や無理な企てに注意。不和に注意。苦労や困難を乗り越える。厄難に注意。変化に注意。といった暗示があります。引き続き安井昌二さんの本名、四方正雄さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。四方さんには、成功するが、不和に注意。苦労や病難に注意。人の上に立つ。強情さに注意。五行の三才配置は、大吉。といった暗示があります。常盤英文です。皆の幸せを願います。
「ビルマの竪琴」(ビルマのたてごと)ビルマの竪琴プレビュー1956年1月21日公開。日本兵がビルマの僧侶となって、一生日本兵たちの霊を慰める物語。日本の文学者・竹山道雄が執筆した児童向けの作品『ビルマの竪琴』の映画化。第二次世界大戦でのビルマ(今のミャンマ)を舞台としている。受賞歴:1956年ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞受賞。1957年アカデミー外国語映画賞にノミネート。原作:竹山道雄『ビルマの竪琴』脚本:和田夏十監督:市川崑出演者:
私には5歳下の弟がいます。私が小学校1年生の時に生まれたので、私にとっては動く「おもちゃ」でした。可愛くてうれしくて、学校からいつも走って帰って来ました。私が6年生の時、弟が1年生に入学。私は心配で休み時間になるとこっそり1年生の教室へ弟の様子を見に行きました。遠くからそうっと見ているだけです。チャイムがなると急いで6年生のクラスに戻りました。可愛い弟に夢中だったのです。チャコちゃんシリーズのドラマが始まったのはちょうどその頃でした。児童向けのドラマでした。大
池袋新文芸坐風雲急を告げる!幕末映画祭より本来、4月の半ばから開催されるはずだった“幕末映画祭”でしたが、コロナ禍の影響により7月に延期されました。それでも無事開催され、未見の5本を含む6本を観ることができました。現在ある種の国難の中で、国民としてどう行動していくかを考える意味でも、有意義な特集のように思えました。製作:日活監督:滝沢英輔脚本:菊島隆三大坂道夫原作:中野実撮影:永塚一栄美術:小池一美音楽:佐藤勝出演:三國連太郎新珠三千代嵯峨三智子滝沢修
名監督・市川崑氏の主要作品をレビューしています。今回は、代表作となった「ビルマの竪琴」です。市川崑(いちかわこん)1915年(大正4年)11月20日-2008年(平成20年)2月13日)(92歳没)日本の映画監督。アニメ、人形劇制作者。「ビルマの竪琴」ビルマの竪琴プレビュー1956年1月21日公開。「水島はあんなに好きだった音楽を捨ててまで僧になった」太平洋戦争末期にビルマ(今のミャンマー)で戦っ
これって評論家・小説家である竹山道雄の児童向けの作品が原作であったのには驚きましたが、巨匠・市川崑監督がこの後、さらに中井貴一主演で映画化していたり、思い入れは強い作品だったのかもしれません。それも納得の名作です。舞台は戦時のビルマ。戦況危うい日本軍のの1人・水島が別の日本軍に降伏を進言しにいった事からイギリス軍の攻撃に遭い、死んでしまった・・・と思っていたら実は水島は生きており、僧になってある目的を果たそうとしていたのです・・。映画の中では「音楽」「歌」が効果的に使われていますね。こんな状況
夏目漱石原作市川崑監督モノクロ新潮文庫版だけでも、発行部数・700万部を超え同文庫の中で一番売れている作品。日本で最も読まれている小説と言われています。高校三年ではじめて読んだときはがーんと、これまでにない衝撃を受け数日後雑司ヶ谷に行き漱石さんのお墓にお参りしました。こんなことをしたのは初めてでした。以後、雑司ヶ谷は大変好きな場所。私のこれまでの半生において一番の小説と、言い切ることが出来ます。この映画もさすが市川崑監督ですね。映画は映画で、大好
映画から舞台新歌舞伎へ。伊藤大輔と初代中村錦之助後の初代萬屋錦之介の監督・主演によって撮られた『反逆児』は、二人の脚色・演出・主演のチームで舞台化されました。『反逆児』舞台作大佛次郎『築山殿始末』昭和三十九年(1964年)七月歌舞伎座夜の部初代中村錦之助(徳川信康)香川京子(徳姫)波乃久里子(しの後に小笹)八代目坂東三津五郎(織田信長)十七代目中村勘三郎(徳川家康)山田五十鈴(築山殿)脚色・演出伊藤大輔
『反逆児』映画トーキー110分カラー昭和三十六年(1961年)十一月八日公開製作国日本製作東映京都製作大川博企画辻野公晴栄井賢小川貴也原作大佛次郎『築山殿始末』より脚本伊藤大輔撮影坪井誠照明和多田弘録音中山茂二音楽伊福部昭編集宮本信太郎記録石田照装置木津弘装置中岡清美粧林政信衣裳三上剛擬
『反逆児』映画トーキーカラー昭和三十六年(1961年)十一月八日公開製作国日本製作東映京都製作大川博企画辻野公晴栄井賢小川貴也原作大佛次郎『築山殿始末』より脚本伊藤大輔撮影坪井誠照明和多田弘録音中山茂二音楽伊福部昭編集宮本信太郎記録石田照装置木津弘装置中岡清美粧林政信衣裳三上剛擬闘
『反逆児』映画トーキー110分カラー昭和三十六年(1961年)十一月八日公開製作国日本製作東映京都製作大川博企画辻野公晴栄井賢小川貴也原作大佛次郎『築山殿始末』より脚本伊藤大輔撮影坪井誠音楽伊福部昭美術桂長四郎録音中山茂二照明和多田弘編集宮本信太郎舞踊振付藤間勘五郎擬闘足立伶二郎衣裳考証甲斐荘楠男美術