ブログ記事22件
城井神社(宇都宮鎮房)、扇城神社(宇都宮家臣たち)。
令和5年8月13日に帰省のついでに父と行ってきました。前日に久住山に登山し、法華院温泉山荘に泊まりました。そこからのスタートで中津城に向かいました。続日本100名城です。日本三水城の一つです。(他には香川県の高松城、愛媛県の今治城)中津城と石垣と水堀天守黒田孝高(如水)が豊臣秀吉の命令により九州を平定し、中津16万石を拝領して天正16年(1588)、中津川河口周防灘に臨むこの城を築きました。本丸石垣、内濠は当時のままで水門より海水が入って潮の満干で濠の水が増減している水城です。黒田氏の後、
中津神社中津城址公園地に鎮座されています。明治16年に市内の神社5社を合祀されご鎮座されました。城井神社豊臣秀吉が黒田官兵衛と毛利勝信に豊前国を与える前の豊前国主、宇都宮鎮房公をお祀りしています。扇城神社の従臣45柱をお祀りしています。祠は屋久杉を使っているそうです。御朱印はありません。
勝った、日本!よくぞドイツに!この時ばかり血沸き肉躍る!拙者はやっと、関門海峡から九州へ!まず、黒田官兵衛築城の豊前・中津城(大分県)へ、残念、小雨。今も中津川河口に近いが、かつて堀の水は海水だったそうな。どことなく松本城に似てる。高さ23㍍の天守閣造の奥平家資料館となっている。五層五階の天守、千鳥破風…、やっぱり天守閣があると城はかっこいい。資料館内にて懐かしい人に。69連勝の双葉山って大分県出身だったんだ。子供のころ読んだ伝記で、双葉山は幼いころ片方の眼を傷め、
こんにちは、philosophiaです豊前・豊後攻城TRG続編です♪中津神社の鳥居をくぐって中津公園(無料駐車場)へ到着しました駐車場から歩いて1分で(笑)2019年に新設開館した<中津歴史博物館>(愛称:なかはく)を見学します♪特別展以外では、無料ゾーンがたくさんあり個人的には<石垣シアター>での黒田官兵衛の城造りが興味深かったです(^^)/受付で散策マップを頂き城下町を散策します!寺町方面へ向かいます<合元寺>赤壁で有名ですが、な
こんにちは、philosophiaです店休日を利用してかねてより気になっていた豊前・豊後のスポットへ出陣♪1年ぶりの攻城TRGです!豊前の築城から県道237号(寒田下別府線)で城井ノ上城(きいのこじょう/きいじょう)を目指します!昨夜の雨で朝曇りでしたが、晴天になる予感です(^^♪駐車場に到着以前『城井谷崩れ海音寺潮五郎』を読んだときに宇都宮氏の居城であった城井谷を訪れようと思っていてようやくその機会が到来したのです(^^♪<宇都宮氏顕彰碑>
城井ノ上(きいのこ)城から長岩城を目指してカーナビをセットしたら、えらく急で曲がりくねった道に入り込みました。車での山道走行は全く苦にならない筆者ですが、二車線の整備された道路で「ほー」と声が出たのは久しぶりではないでしょうか。大平城はそんな山道の途上で偶然発見したお城です。道路端の看板が目について、Uターンして看板前に車を停め、看板にある縄張図で比高を読みながら考えること数分。この後の長岩城でどれほどの時間がかかるのか全く読めない中、帰りの飛行機に遅れる危険性と体力とを考慮して、今回は登らな
大分県中津市について歴史探訪の旅をします。現在中津市歴史博物館では西向くサムライという特別展示がされておりいろいろと歴史の勉強ができます。この豊前中津地区には鎌倉の源頼朝の命により関東から下った御家人の宇都宮氏が土着して勢力を誇っていましたが、九州征伐を行った秀吉はこの豊前を黒田官兵衛に支配させたことにより土着の武士との間に大きな争いが生まれたものです。まずは新しくなった中津市歴史博物館を訪れます。2019年に新しくオープンした施設ですが、中津城の三の丸に位置し中津城がすぐそばに見え中津城に関
駐車スペースにあった看板裏門までの往復で3kmちょっとかぁ頑張ろうこの二又を左へ、右は昨日通れなかった鉾立峠三丁弓の岩表門表門城井ノ上城址番人の穴裏門ロープを伝ってこの坂を登るのか😬前日の雨で道中の状況はよくないうえ、草ボウボウでこの勾配・・・ヤメておこう本庄の雪穴と城井ノ上城址で汗だくだく💦になったので汗を流しに行こう
城井上城…福岡県京都郡築上町にある山城。ここに来るのは久しぶり。いきなり城跡に行くのではなく、行く順序がある。先ずは正光寺に行く。智慧の文殊様があり、2月25日、26日に武者行列が繰り出す。モアとファブもお参りしたことがある。次に宇都宮氏菩提寺の天徳寺にお参りする。宇都宮長甫公、鎮房公、朝房公の墓がある。いずれも墓石には亀裂があり、長甫公・朝房公は頭部、鎮房公は腹。黒田長政に騙され、中津城で斬りつけられた宇都宮鎮房は腹、黒田如水と共に隈本の国人一揆征圧に同行していた朝房公は首、長政に攻め
城井ノ上城址福岡県築上町宇都宮一族之碑一族の方々が建立された立派な石碑県道脇、石碑の前に数台分の駐車スペースがあります。城の見取り図抜粋城井ノ上城址入口の石碑ここから県道から別れ、川沿いの道のを登っていきます。三丁弓の岩射手三名おれば敵一兵も通さずというところから名付けられた所城の外備にあたる場所進路は右下の崖下の窪み登城口石碑石碑の右側が城門へと続く道城門前一見すると岩城門洞穴みたいなのが城門人一人がやっと通れるくらいの幅進むの結構急な
女優だからこそ感じる…タロットに秘められたストーリーウーマンエキサイト今回は、19世紀まで時代を飛び越えます!鏡先生と砂羽さんの手元にあるのは、前回ご紹介した「マルセイユ版タロット」と並んで、2大タロット...船橋の老舗割烹廃業の玉川旅館、動画で再現あすから市HP公開47NEWS約一世紀にわたって市民らに親しまれてきた老舗割烹(かっぽう)旅館で、ドローンも駆使した高解像度の4Kで撮影。往時の純和風建築を感.赤磐市が自転車3コース初設定沿線の古墳や峠PR、誘客へ山
おはようございます😃お寺で和の香りを作りましょう‼️香宮かんです今回も自分のルーツである父方のご先祖様である宇都宮氏のお話の第5回目❤️しかも今回前編と後編にまでわけてますから💧す、すいません、もう止められない😅前回のお話⬇️自分のルーツ調べ①自分のルーツ調べ②自分のルーツ調べ③自分のルーツ調べ④さて豊前宇都宮鎮房が黒田藩に騙し討ちにあい中津城で無念の死を遂げたあと宇都宮家臣が待機していた大分県唐津市合含寺にて斬殺された、、ところまででしたね❤️さ
こんにちは🌆お寺で和の香りを作りましょう‼️香宮かんです今回も自分のルーツである父方のご先祖様である宇都宮氏のお話の第4回目❤️長々申し訳ないです🙏前回のお話⬇️自分のルーツ調べ①自分のルーツ調べ②自分のルーツ調べ③本日は庶流(分家ね)豊前宇都宮氏(城井)のお話を‼️長いので【前編】と【後編】に分けます🙏えっ?また長いじゃん!豊前宇都宮家鎌倉時代に宇都宮宗房(藤原宗円の次男)が地頭としてその後孫?である信房が源頼朝から豊前守護として豊前国(福岡
令和2年2020/3/22日曜日日本の歴史を考える会中津研究会10:00会長宅(福岡県北九州市小倉南区)集合、3人でスタート。R10、小倉東IC、九州道、北九州JCT、東九州道、今川PA(福岡県行橋市)、休憩。東九州道、豊前IC、R10、中津市寺町の寺院視察。合元寺(ごうげんじ)、通称「赤壁(あかかべ)の寺」、豊臣秀吉の命により、黒田孝高(よしたか・如水・黒田官兵衛)が城井城主宇都宮鎮房(しげふさ)を謀殺した際、宇都宮家臣団は奮戦虚しく合元寺の白壁を鮮血で染めて壊滅、豊前宇都宮氏の終焉
天守閣前の神社にお参りして城内をウロチョロしていると案内板が見えてきました。黒田官兵衛・長政の天敵城井鎮房(宇都宮鎮房)を祀った城井神社と扇城神社です。石高よりも先祖代々受け継がれた土地を守る、武士の鑑ですね。ワテはとうてい真似きでません(^^;中津城での謀殺においては、長政が中津城に呼びつけたという説と鎮房が黒田親子の虚を突いて訪れたという説(この時官兵衛は肥後の一揆討伐のため留守)がありますが、長政が呼びつけた説をワテは支持します。家臣を含めた謀殺において手際が
最近の私には、リラックスタイムに歴史小説を読むのが至福のひとときです。ひょんなことから、たっぷり読書できる時間がとれたので、立続けに歴史小説を楽しめました。今回にブログに書くのは、「NHK大河ドラマ軍師官兵衛(三)」です。たまたま自宅の本棚に眠っていました。大河ドラマの小説版は、ドラマの感動が蘇ってきますし、ストーリーをある程度わかっているから、あまり考えないでも読み進められるのがいいです。過去の記事「NHK大河ドラマ軍師官兵衛(一)」https://am
記憶を頼りに思い出話を綴ります鎮房公の末裔と城井神社と扇城神社を参拝できいつかご縁が有れば城井谷城に行きたいと思っていたある日、それは突然やって来た平成17年11月滝探索で福岡県豊前市の山の中をうろついて県道32号線を南下していた時、道は鉾立峠と登っていくが、その分岐点にあろうことか「宇都宮一族の碑」が目に入って来た英彦山と求菩提山の中間位であろうか・・・道なりに入っていくと城井谷城に攻め入るとこの岩穴から弓矢で狙い撃ちしたという「三丁弓の岩」攻め入ると右
金刀比良神社があるが素通り宇都宮鎮房公を弔い建立した城井神社今回は先般来た時のお礼参りと言うのも黒田孝高親子に中津城で謀殺された豊前の豪族宇都宮鎮房の末裔に当たる世が世なら直系のお姫様と御縁が出来一緒に参拝した経緯があるこのお姫様スピ系でもあり感性は非常に高いひょんなことからヤフーブログで巡り合い私に色々と教えを乞う中で神様との縁結びの簡単な行も実施そして龍神様とも御縁を結びたいというので高千穂の峰に鎮座する八大龍王と縁結び渡した小さな赤いお守りを手にし
とら子です熊本県玉名郡玉東町にある木葉宇都宮神社にまいりました(田原坂のかなり近所です)春日大明神と宇都宮鎮房氏の息子、朝房氏が祀られています宇都宮朝房氏は、加藤清正氏と黒田官兵衛の息子からこの地で謀殺されました詳しくはこちらをご覧くださいここら辺も宇都宮氏が治めていたとは知りませんでした!さすが400年豊前の国を治めていた一族ですこの町の方は優しく恩義を忘れてないのでしょうねこの神社には宮司さんが常駐してませんので参拝記帳簿に記入しました二度、火災で焼失したようです火の元注
福澤諭吉旧居を起点に中津城下町の寺町を散策しました。(現地案内板より)寺町中津城総曲輪内の東側に在って島田口と蛎瀬の中程に城下防備を目的に造られた町ここ「寺町」には、黒田入封以前からの地蔵院、安隋寺と黒田時代に開基の合元寺や大法寺、円応寺、西蓮寺、細川藩時代の普門院、宝蓮坊、本伝寺、小笠原藩時代の円竜寺、浄安寺そして奥平藩時代の松厳寺の計12ケ寺がある。中津中央ロータリークラブ合元寺官兵衛が中津に入封の際従って姫路より来た空誉上人が開山したのが始ま
NHK大河ドラマでも紹介されたように中津城内には、黒田長政によって謀殺された宇都宮鎮房公及び合元寺で殺された家臣団が城井神社、扇城神社の御祭神として祀られています。豊臣秀吉の九州平定後、九州各地には新しく織豊系大名が配置されますが、その際に反発した在地領主を騙し討ちにしたり、攻め滅ぼしたりしています。肥後一揆、阿蘇家、天草一揆、諫早一揆、高良山、草野氏、三田井氏などで伊予転封を断ったとされる宇都宮氏も含まれます。黒田長政は中津城で宇都宮鎮房を騙し討ちした後、
いつも中津市に行く途中御霊もみじ🍁と言う看板とその先に姫塚と言う立て札が目に入っていました。しかしスルーして通っていたのです誰も寄り付いていないし地元の人が知っているぐらいで私には関係ないやぁ〜。なんて思っていたら先週の豊後高田の帰りに一人ポツ!とこの姫塚の事触りで話したのです。そこから気になってしょうがなくて。。調べて見る事にしました。すると黒田官兵衛が関わっている事に気が付き凄い話しへと私を歴女化させてしまったのですよ。そこで本日日田市は道に表示されてた気
○大分山中深くに眠る大城塞(großZitadelle)さて命がけの登城ベスト3で栄えある(?)1位を獲得した城とは長岩城!!ってどこかというと大分県中津市中心部から内陸へ向かうこと50キロ余り。「耶馬溪」と呼ばれる渓谷地帯の奥深くにある城郭でありながら日本全国を探してもここだけしか見られない光景がゴロゴロと転がる唯一無二の名城です。険しい谷山をそのまま改修したその城郭はそれこそ歩くだけでも生命の危機に晒される危険地帯でありながら、その城を保存整備されえてこられた地元の方々には最大
こんにちは今日も暑いですね温度というより湿度が高い気をとりなおして官兵衛様宇都宮鎮房を長政が成敗し、朝房をどうするか決断を迫られる官兵衛朝房に自害を勧めるが、納得せず、官兵衛自ら刀をむけるつらい官兵衛半兵衛から貰った軍配をみて考える官兵衛明攻めを考える秀吉に、頭を下げて今はやめて欲しいと願うが聞いてもらえない長政のことを話すおねと官兵衛お互い腹の探り合いをする家康と官兵衛家康から、秀吉が官兵衛が次の天下人だと言っていたと聞かされる官兵衛昼からの仕事に行ってきます(^^)
ところで、・・・・・素行の悪い2代藩主忠之の父・黒田長政も、実は戦国以来の黒田家の旧臣と、新たに登用した者達との間にて、特に旧臣達への心配りに悩んでいた。播磨以来の黒田家にとっては、大名となるまで苦労を惜しまず。身を徹して盛り立ててくれた重臣なれど、今は官兵衛もおらず天下泰平の世の中での藩政。旧臣と新しい家臣との間に、問題など起こってしまっても困る。長政は月一で、「意見会」を催して、その時は共に酒を酌み交わし上下関係の壁をとっぱらい・・・・・。日頃藩に仕えていて思うこと
“後藤又兵衛”は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将である。その“又兵衛”が、主君の“黒田孝高(よしたか)”に従って豊前(ぶせん)の国(福岡県)に赴いた時の話。豊前の国は、元々“孝高”の領地では無かった。“秀吉”が九州征伐をした際、“孝高”に軍効があり、それ故与えられた領地で、“孝高”が新しい領主として着任してきても、土着の農民達は何かと“孝高”に反抗し、一揆が絶えずそこで、“孝高”は、嫡子の“長政”と共に一揆の掃討に乗り出す。しかし、一揆はなかなか治まらない。特に頑
日本列島の歴史は日立の地面から始まった?!カンブリア紀地層の5億年の旅を解き明かすというタイトルの記事を発見しました引用しますここに小さな石のかけらがある。太陽にかざして見ると、断面がキラキラしているのがわかる。「ここにある石はみんな、5億年前の石ですよ」といって、田切先生が神社の中を流れる沢の岩をハンマーでちょっと叩いて、割り出してくれたものだ。断面のきらきらした粒は、雲母だ。宇宙から写真を撮ると、この雲母のせいで、この土地は光って写るそうだ。これが雲母だそうで