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近江八幡市安土町の沙沙貴神社の続きです。権殿横の鳥居境内社手前から、少童社・景友稲荷神社・加茂社・八神社・祇園社。八角神殿その年の吉方恵方にお祈りする「歳徳まいり」をする神殿。伊勢神宮式年遷宮の御用材で令和二年に建てられています🤓。干支の庭丑年だから端まで歩いてお参りしました。五間社流造の本殿五間社だけあって、かなり大きな本殿です😳。蝋梅幣殿と本殿を囲む透塀西廻廊東廻廊
追記です・・・。沙沙貴神社(ささきじんじゃ)・・・近江源氏の氏神で、全国の佐々木姓の氏神です。主祭神は、「少彦名命、大彦命(大毘古神)、仁徳天皇(大鷦鷯尊)、宇多天皇・敦実親王」これらの神を総称して佐佐木大明神と言います。近江源氏とは・・・wikiより、「近江源氏(おうみげんじ)は、中世に近江国に土着し本拠とした源氏の流れを汲む一族の呼称。以下の数流がある。最も著名な佐々木氏一族については佐々木源氏などとも呼ばれる。宇多源氏佐々木氏流。平安時代中期に近
平安時代半ばから、戦国時代まで、近江国で影響力を持った「六角氏」について、この本から。図説六角氏と観音寺城〝巨大山城〟が語る激動の中世史Amazon(アマゾン)近江国の守護を、代々、勤めていた「六角氏」。六角氏は、「宇多源氏佐々木氏」の惣領ということになります。宇多天皇の子、敦実親王のひ孫、成頼が、近江国に土着し、「佐々木」を名乗ったのが、祖となります。実は、近江国では、「佐々貴山君氏」が、佐々木荘の下司や、沙々貴神社の神官を勤めて、勢力を持っていたそうで、「吾妻鏡」
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆前回、「四条大納言」源定の話だったのでついでに。ご存じ倉本一宏先生の中公新書『公家源氏――王権を支えた名族』を簡単にご紹介。2019年刊行。◆都で活躍した武士ではない源氏帯の文句は、「都で活躍した「武士ではない源氏」」。過去の中公新書の著書『蘇我氏』や『藤原氏』同様、かなり偏執狂的な造りになっている(笑)一冊です(褒めてる)。総論というよりは、嵯峨源氏から始まる個別論を虱潰しに列挙するのがメインで、そのうえに総論を書くス
#大河ドラマ24「#光る君へ」(Xより)宇多天皇現在はやまびことされている源雅信ドラマに登場する者。其の祖父、宇多天皇。この人が、#徳川のルーツにもなる、娘は#藤原道長の正室になり。他子孫は近江の名だたる武将達が生まる。佐々木京極高島田中六角三好斯波松永黒田蒲生他、先祖が使えていたと、陪臣を名乗り出す者に代理方になる「#関白」#豊臣秀吉も居る。(Xより3/3)天皇上皇法皇と代理は分けて官僚を置く。#徳川11代家斉が父一橋治済(はるさだ
こんばんは~3回目の『光る君へ』雑記です。今まで、気になるところがたくさんありながら、なかなか取り上げてこれなかったのが~この方↓吉田羊さんが演じられている、藤原詮子。やがて時の人となる藤原道長をあやつるゴッドマザーならぬゴッドシスターとの評判もあるらしい、この女御さま。(最終的には皇太后)『光る君へ』では、父・兼家のせいで、ひたすら夫・円融天皇(ドラマ現時点では既に上皇)から嫌われてしまい💦↑史実としても遠ざけられていたそうです。純心な恋する女性から、周囲への不信から自ら
紫式部が光源氏の物語を書いたのが源氏物語だが、なぜ源氏なのか不思議に思っていた。スポンサーは藤原道長であり、源氏は藤原氏の競争相手であり、実際に蹴落としていた。井沢元彦の「逆説の日本史」に書いてあったのだが、源氏はそのころ、藤原摂関家が全盛の中で地方に追いやられた一族で、敗れたものへの鎮魂だとあった。井沢元彦の言い方では、敗れたものの怨霊は祟るので、それを鎮めるためだった。その時の説明では、蹴落とした相手の恨みで祟られないように源氏にしたというものだった。ところが、大河ドラマの「光る
おはようございます。ご訪問いただきましてありがとうございます😊✨ベランダで育てています。1番元気に育っています【クロード・モネ】です。【予約】【お届けは2024年1月から】バラ苗デルバールクロードモネ大苗7号鉢ピンク系POT薔薇苗ばら苗バラ苗鉢植え【送料無料北海道沖縄発送不可】【18日は市場の日!!】【期日指定不可】楽天市場5,500円予約苗バラ苗クロードモネ国産大苗裸苗四季咲き大輪複色系フレンチローズ(デルバール)【12月上旬順次配送】
沙沙貴神社は、近江源氏(宇多源氏)の佐々木氏が崇敬した神社。源頼朝に仕えた佐々木定綱・経高・盛綱・高綱も信仰していたのでしょう。大鳥居の掲額「佐佐木大明神」の字は、頼朝の筆なのだとか。沙沙貴神社☆☆☆☆☆2022年の大河ドラマ
主人と最近、城を目的にドライブすることが多く、「京都に行ってないね」という会話をしていました。色々とブログをみていると👇ふと鮮やかな襖絵に一目惚れ。醍醐寺には行った事があったけれだすぐ近くなのにこちらのことは全く知りませんでした。ヤマトノココロの記録用心の日記『京都地下鉄・嵐電1dayチケット⑧〜随心院其の一〜』さてさて…………【神泉苑】を出発し、地下鉄東西線「二条城前駅」から乗車し、ココロが下車したのは「小野駅」だ目的地を確認するそして、徒歩10分弱で到着したのは……a
仁和寺から原谷苑へ向かう道を進んで、宇多天皇大内山陵を参ったあと、龍安寺へ向かう道が有るとネットで知り、そちらへ抜けます。あっ、この標識を見てたら、宇多天皇大内山陵へ向かって歩いて来られたお二方が、挨拶して下さいました〜。お地蔵さんのところから、下へ逸れる道がまりますねぇ。合ってるかぁちょっと心配。山の中を。竜安寺道ちょっと安心。赤い印って、道ですよ〜って意味ですかねぇ。途中、結構な年配の方が杖を持ってゆっくりと歩いておられました。お先〜。緑が綺麗ですねぇ。京都市街が見えま
今回もネタばれ的なとこがござんす😅触れてもらいたくない方は、どうぞスルーしておくんなまし🙇♂️【源仲章(生田斗真)】生年不詳~建保七年(?-1219)宇多源氏源雅信(一条左大臣)流の公卿であり鎌倉幕府御家人。後白河院の判官代を務めた河内守源光遠の子。院近臣の家に生まれながら在京御家人として建仁三年(1203)、阿野全成の三男の頼全を東山延年寺において誅殺。建永三年(1206)三代将軍源実朝の侍読(教育係)として鎌倉に下向。建保四年(1216)政所別当に就任。同六年(1218)、幕
先の記事で、敦実親王のことを「ワタクシ、ちょこっとしか知らない人」と紹介しました。蝉丸のにおい(再掲)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12733609648.htmlちょこっと知っているというのは系図上のことでして。というのも、敦実親王は宇多源氏の代表的な祖にあたる人なのです。「源氏」というと、鎌倉幕府を開いた源頼朝の家系「河内源氏」や、酒呑童子退治で知られる源頼光や鵺退治知られる源三位頼政の家系「摂津源氏」が有名で、他は何だかぼんや
我が家のルーツを調べてみました!お友達が家紋を調べていたブログをみて私も調べてみようって思って✨我が家の家紋は「丸に四つ菱」菱模様は池や沼、河川に自生する水草を描いたもの。菱紋では、甲斐の武田氏が特に有名だそう!四つ目は纐纈模様ともいわれる絞り染めのこと。江戸時代には鹿子染ともいわれた。布を糸で括って染料に浸すと、くくったところだけが白く染め残る。目結とは、この白く染め残った斑模様のこと。一つ目結から十六目結まである。多くの佐々木氏族が使用しているそう…実家は岩手の佐々木家岩手県
オリンピックが始まりましたね。開会式もLIVEでしっかり観ました。上空でのドローンの演出が素晴らしかったですね。MISIAさんの歌も素晴らしかったです。天皇陛下のお席が、バッハ会長と並んでいることがすごく違和感がありました。天皇陛下って、世界でもっとも歴史ある最古で最後の皇帝だから、世界で一番高貴なお方のはず…なんだか、天皇陛下の扱いがすごく雑だなぁと思ったのは、わたしだけではなかったみたい。天皇陛下が開会のご挨拶してくださっている最中、後ろに映り込んでいた内閣総理大臣、よそ見して
おはようございます5月9日の日曜日はゆっくり過ごそうかと思っていたのに、昼近くのニュースをみて居ても立ってもいられずに行ってきました💦近江八幡安土にある「沙沙貴神社」です沙沙貴神社計四座五柱の神々をお祀りしています主催神…小彦名命ササゲの豆の鞘にのって海を渡って来られた伝説のある少彦名命さまで、「ササゲ」から「ささき」になったとも言われているそうです。◎大毘古命古代、都からの北陸道、東海道、西海道、丹波道を守護した四道将軍のお一人で北陸道を守護され、旅の安全、交通安
こん!寛平御記(かんぴょうぎょき)は、平安時代の中期に在位した宇多天皇の日記です。日本で最初に関白になった、藤原基経がいたころの時代ですね。摂政や関白による摂関政治が、正に行われ始めたころですよ。遣唐使を止めた、菅原道真が活躍したのも、この天皇の時代です。宇多天皇は、ネコがめっちゃ好きだったらしく。寛平御記には、多くのネコエピソードが綴られています。宇多天皇は、実際に御所でネコを飼っていたらしい。父親の光孝天皇が、「飼ってもいいぜ!このネコ」ということで飼い始めたクロネコを、溺愛
🍁【神紋】『七ツ割平四ツ目』『蝋梅』。。✨『拝殿』『絵馬殿』『絵馬殿』‼️…見所が‼いっぱい!!✨✨✨見応えあるわぁ〜!!。。『本殿』『拝殿』『本殿』・『幣殿』延喜式内社「沙沙貴神社」の【御祭神】「沙沙貴神社」は、『四座五柱』(よんざいつはしら)の神々をおまつりしています。少彦名神(すくなひこなのかみ)大毘古神(おおひこのかみ)仁徳天皇(おおさきのすめらみこと)宇多天皇(うだのすめらみこと)敦實親王(あつみのみこ)『恩頼』(みたまのふゆ)
2019.8.3は沙沙貴神社に行ってきました(*´꒳`*)御祭神は少彦名命、大毘古神、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王。少彦名命は大己貴命のサポートをするために遣わされた神さまで、少彦名命を祀った磐座風のものが…。お守りとかの宣伝が多くて、ちょっと興醒め(⌒-⌒;)宇多天皇と敦実親王は宇田源氏、佐佐木源氏、近江源氏の祖神なんだそうです。一族の末裔に乃木希典がいて、権殿の「佐々木源氏ゆかりの神様」に加えられていましたが、私は乃木がきら〜い(。-_-。)楼門御神酒「神乃滴」東回廊
華嶽山桂巌寺五重石塔岡山県高梁市成羽町領主宇多源氏山崎家墓所長方形のお墓は、初めて見ました。源姓になっています。
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所在地島根県雲南市大東町下佐世特徴宇多源氏佐々木氏の一流で尼子氏の重臣だった佐世氏の居城で、尼子氏の滅亡後は毛利家に仕えて山口に移った。案内板に従って坂を上ると居館跡と思われる平場で、更に登ると櫓台や二の丸を経て本丸に至る。感想居館跡はゲートボール場となり改変が著しいが、そこから先は旧状を良く留めている。一部藪に
滋賀県近江八幡市安土町常楽寺にある沙沙貴神社なんじゃもんじゃの木正式名はヒトツバタゴで日本には対馬と木曽川沿いにしか見られないものを植樹しているとのこと。30mぐらいに育ち、遠目に粉雪のような花を咲かす不思議な樹木なんですって!!出会いと縁結び男石と女石がありました。目を閉じて歩む。縁結びの神社で有名な京都地主神社の恋占いの石と同じですね。氣持ち良い風に包まれます。たくさんのエネルギーをいただきまし
宇多源氏は、宇多天皇の皇子のうち、斉世、敦慶、敦固、敦実の各親王の系統がありますが、歴史に名を留めたのは敦実親王の子孫です。敦実親王の子源雅信とその弟重信は左大臣に昇りました(兄弟で左右大臣の座を占めたこともある)。雅信の娘倫子は藤原道長の正室となって頼通、教通、彰子らを産みました。雅信・重信以降は大臣に昇る者はなく、中流貴族に留まり、雅信の子孫は庭田、佐々木野、田向、綾小路、五辻、大原、慈光寺等の諸家に分かれます(佐々木野家と田向家は室町時代に断絶。また、重信の家系は、彼の曽孫までは議政
綾小路家は宇多源氏庭田庶流で、家格は羽林家(大納言を極官とする)で、管弦と蹴鞠を家職としました。宇多源氏は、宇多天皇の第8皇子敦実親王の子源雅信を祖とします。雅信は源姓を与えられて臣籍に下り左大臣に昇っています。また、彼の娘倫子は藤原道長の正室となりました。その嫡流は後に庭田家を称し、鎌倉時代に庭田有資の子信有が分家して綾小路家を立てます。戦国時代に断絶しますが、1613年、同じ宇多源氏の五辻家出身の高有によって再興されました。なお、江戸時代の代々当主は、「有」と「俊」を交互に通字として使