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御室桜を見るため仁和寺へ行って来ました。阪急西院駅から超満員の市バスで仁和寺へ。いい天気で、真っ青な空をバックに、五重塔と御室桜はまるで絵葉書のようでした。醍醐寺の桜は終わっていたけど、御室桜が超満開。どこを観ても桜、桜、桜・・・そして時々、躑躅。桜のかたちをしたおみくじがあり、めずらしく「大吉」。幸先いいじゃないですか。御朱印もたくさんいただいて来ました。なぜか黒猫モチーフの御朱印が2種類あり、なぜ黒猫?と思いつつ、つい1枚いただいてしまいました。あ
以下、『江談抄』(『新日本文学体系32』、岩波書店、1997年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第3(32)融大臣[とおるのおとど]の霊[りやう]、寛平法皇[くわんひやうほふわう]の御腰を抱[いだ]く事「資仲[すけなか]卿曰はく、「寛平法皇、京極御休所[きやうごくのみやすんどころ]と同車して川原院[かはらゐん]に渡御[とぎよ]し、山川[さんせん]の形勢を観覧せらる。夜に入りて月明らかなり。御車の畳を取り下[おろ]さしめて御座[おまし]と為[な]し、御休所と房
元慶九年一月十八日(885年)、源定省(さだみ)の第一王として源維城(これざね)が誕生しました。旧暦では、1141年前の本日のことです。※改暦は何度もありましたのが単純に旧暦にあてはめています。臣籍降下していた源定省は2年後皇籍復帰し、父帝光孝天皇の崩御により即位されました(宇多天皇)ので維城も皇族となり5歳の時に親王宣下を受けその翌年には敦仁と改名されました。そして13歳で立太子、宇多天皇の譲位により即位されました(醍醐天皇)。醍醐天皇は、臣籍に生まれ即位された唯一の天皇です。
菅原道真公を祀る天神様では、毎月25日を天神さんの日としていますが、これは道真公のお誕生日が6月25日であることと、薨去されたのが2月25日であることに由来しています。延喜三年(903年)二月二十五日、菅原道真は大宰府にて亡くなりました。本日は道真公の命日として(新暦ですが)、各地の天神様で祭典が行われています。菅原道真公は、学問の神様として著名ですが、その神様の始まりは怨霊として恐れられ祀られたことから始まります。ではなぜ、怨霊とされたのか?といえば、学者の家系に生まれた菅原道
「人生」漫画(869)★哲学する!デューイプラグマティズム(実用主義)という現代的な哲学思想が現われる。ようするに、「真理かどうかはどうでもよく、実際の生活に役に立つかどうかだけを考えよう」というミモフタモナイ考え方のことである。元々従来の哲学では、何らかの対象に対して「その本質は何か?」という根源的な問いかけをし続けてきた。「愛とは何か、人間とは何か、物質とは何か、国家とは何か、その本質は一体何なのか、」だがプラグマティズムは、こう提案する。「そんな結論の出ないことを永遠と論議したって
以下、『大鏡』(『新編日本古典文学全集34』、橘健二/加藤静子:校注・訳、小学館、1996年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー一太政大臣道長〈雑々[くさぐさの]物語〉p.367〜369〔194〕世次が見た大事光孝天皇位につくいといとあさましくめづらかに、尽[つ]きもせず、二人語らひしに、この侍[さぶらひ]、「いといと興[きよう]あることをもうけたまはるかな。さても、ものの覚えはじめは何事[なにごと]ぞや。それこそ、まづ聞かまほ
1枚のアート(←勝手に名付けた)昨年、東京国立博物館の国宝室にあった作品です。とても綺麗な字だと思ったので、ご紹介しますね。●国宝《寛平御時后宮歌合》(十巻本)伝宗尊親王筆平安時代11世紀巻頭の部分。とっても豪華な感じ。これは歌合の中でも有名な「十巻本歌合」の一部。「十巻本歌合」は平安時代に関白藤原頼通(992~1074)が編纂を指示。でも途中で中止となり、草稿本のままでで伝わったとされています。🔳作品の名前に
街歩き1日目はこちらへ。世界遺産真言宗御室派総本山仁和寺真言宗御室派総本山仁和寺の公式ウェブサイトです。888年に創建、かつて門跡寺院として栄えた、格式ある寺院・仁和寺。所蔵の国宝・重要文化財や御室桜などの境内のみどころ、仁和寺でできる写経や宿泊など数々の体験についてご案内しています。ninnaji.jp平安時代に宇多天皇が創建したという仁和寺。自身も、退位後に出家し仁和寺で修行を積まれたそう。以後、皇族が住職を務めたこともあり、「天皇ゆかりのお寺」という感じ。迫力あり格式あり…
こんばんは京都のkojiro(小次郎)です今日は2026年2月16日月曜日今日の京都市内は最低気温が8.5℃と昨日に引き続き暖かな朝だったのですが、日中の最高気温は11.3℃までしか上がらず、午後からは曇り空だったため寒さが戻ってきたような一日でした。このところ寒さで体調不良になることの多い小次郎にとっては、咳と頭痛が再発しないか不安になる週明けとなりました。さて、今回の「kojiroの京散歩」も2025年の「京の紅葉」はお休みして冬の京の街をご覧いただこうと思い
野見神社にも伺いました。「野見神社は、高槻城の城内である三の丸北郭に位置し、野見宿祢(のみのすくね)と素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とします。社伝によると、宇多天皇の頃(9世紀後半)、疫病平癒の霊験により社殿を建てたといいます。」高槻を離れて早35年前後。学生の時は地域の事なんて全く興味無かったが、歳を取り離れてわかる故郷の良さ。
「人生」こんなもん(855)★哲学する!レヴィ=ストロース(1908年~2009年)ベルギー19世紀以来の歴史を持つ人類学は、元々は旅行者の日記や異国に住んでいる人々の話を聞きかじって、その国の文化を論文としてまとめるといった、伝聞的な学問であった。しかしレヴィ=ストロースの時代には、学者自らが異国へと赴きそこで現地の人と一緒に生活しながら、どんな文化があるのかを調査するといったフィールドワーク的な学問になっていた。◆『日本三代実録』宇多天皇は仁和四年六月三日の日記に「芒刺(とげ)の事
以下、『大鏡』(『新編日本古典文学全集34』、橘健二/加藤静子:校注・訳、小学館、1996年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー五十九代宇多[うだ]天皇定省[さだみ]〔11〕宇多天皇の略歴賀茂の臨時祭旅寝の夢p.31次の帝、亭子[ていじ]の帝と申しき。これ、小松の天皇の御第三皇子。御母、皇太后宮班子[はんし]女王と申しき。二品式部卿贈一品太政大臣仲野[なかの]親王御女[むすめ]なり。この帝、貞観九年丁亥[ひのとゐ]五月五日、生まれさせたまふ。元
「人生」満足(845)★哲学する!キルケゴール実存主義ヘーゲルがヘーゲルの哲学に従うのなら、どんな考えも、「弁証法」によって発展していくわけだから、ヘーゲル自身の哲学も誰かに否定されなければならない。そして否定からさらなる哲学が構築されていかなくてはならない。と言うわけで、実際にヘーゲル哲学に反論を提示する哲学者キルケゴール(1813~1855)が現われる。◆『日本三代実録』道真は、いわゆる昌泰の変で失脚し、撰者から外れる。”右大臣道真朝臣は、事件に連座して左遷され、突然に太宰府に
「人生」正直が一番(844)★哲学する!キルケゴール(1813~1855)デンマーク”個人がそのために死ねるもの、それこそが真理だ!”「人間の歴史は弁証法を通じて、どんどん問題を解決していき、最後には究極の真理へと到達する」という希望に満ちたヘーゲルの哲学は、多くの人々を魅了し支持を集めた。◆『日本三代実録』『日本三代実録』の編纂は宇多天皇(在位887~897)によって命じられた。序文によれば、大納言源能有(よしあり)・中納言藤原時平・参議菅原道真・大外記大蔵善之・備中掾三統
昨年、日本を陰で牛耳っているイルミナティたちの子孫が、具体的に鮮明になり、誰と誰の子供なのか明らかになってきました。イルミナティとは、キリスト教において神に反逆してきた『アシュケナージユダヤ人(偽ユダヤ人)』を指し、RAPT理論では、アーリア人(インド・ヨーロッパ語族)やチュルク系民族などの『ハザールマフィア』の事をそのように言います。現在、世界は混乱しているように報道されていますが、その大きな原因には、『ハザールマフィア』の素性や凶暴性が世の中に明らかになったこと、『ハザールマフィア』が世界
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明日は1月7日で春の七草がゆの行事がよく知られていまして、当ブログでも2023年に「江戸時代の庶民と神社」と題して七草がゆにもふれている記事を書いていました。『江戸時代の庶民と神社』江戸時代の庶民と神社江戸時代の総人口の8割以上は農民が占めていました。中世の農村では個々の「家」は家父長的な大家族のもとにまとまっていましたが、江戸時代にな…ameblo.jpところが、愛読している安倍晴明(土御門)暦の【年中故事要解】では、それとは違った説明がなされておりまして、始めから「七草
私が2度目に平家の落人伝説の地に連れて行かれた日のこと。その日は初めに『尼子』の方の血筋のお墓参りに行きました。そこは母方の祖母の実家の近くにあるお墓です。母方の祖母の方は、尼子経久公の曾孫からの血筋になるのですが、その戦国武将の人が落ち延びた地という伝承はその地にしか存在していません。天正の終わり頃、その戦国武将の人は毛利輝元の追っ手を逃れるために改姓し、後にまた改姓したそうです。そして江戸時代は、佐々木氏の佐の字を残しながら、分家も改姓しながら増えていきました。その地はお墓が一ヶ
25.12/27sat.12:40-16:20西に、桑名駅南の踏み切りを渡って突き当たり、左折右折「神明社」を過ぎ右折して北に、大福田寺あいにくの本堂、新築工事中本尊阿弥陀如来像も修復のため不在脇門から境内に…聖天堂歓喜天に参る神宝山大福田寺宗派高野山真言宗開基聖徳太子(伝)創建飛鳥時代(伝)別称桑名聖天尊本尊阿弥陀如来おんあみりたていせいからうん山門から北側の通り、左折右折で突き当たりは、境内だろう所左折右折で、松平定綱及び一
猫を飼うにしても、犬を飼うにしても、血統書付きではなく、保護猫、保護犬なのがいいね。愛猫家の天皇として宇多天皇がよく知られていますが、愛子様の動物好きは血筋なのかな?猫が大好きだった宇多天皇の日本最古の飼い猫記録とは|ねこちゃんホンポ日本最古の猫日記を書いたと言われる、宇多天皇という人を知っていますか?平安の世を生きた宇多天皇は、飼い猫の黒猫をそれはもう溺愛しておりました。そんな溺愛っぷりが分かる宇多天皇の猫日記「寛平御記」の内容を紹介していきたいと思います!nekochan
今夜は十三夜。十三夜とは旧暦で毎月13日の夜のこと。その中でも旧暦9月13日の月(十三夜)は旧暦8月15日の月(十五夜)の次に風情があるとされ宇多天皇がこの月を無双と褒め称えたり醍醐天皇が月の宴をこの夜に催したりしたのだそう。十五夜と十三夜どちらも鑑賞すると縁起がいいらしいのでベランダでお月見をしました。今日の名古屋は空気が澄んでいたみたい。月も星もとても清かでした。そんな訳で十五夜に続いてまた自然とお願い事をしてしまいました。
宇多天皇は自分の飼い猫を自慢していたとか世は移り変わるが人の心は時を超えて不変よのぅすべてAI生成画像なので史実に基づいていないかもしれないが不変の心に本物も偽物もあるまいどれもそこかしこに在った真実であろう。今日は夜勤午後の出勤まで休みながら過ごす
#見る菊はあまつほしとぞ……★☆久方の雲のうへにて見る菊はあまつほしとぞあやまたれける:藤原敏行:歌意:宮中で見る菊の花は天上に輝く星かと見誤るほど素晴らしいものだ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━#古今和歌集第五巻より■□■みんなぁ、元気ぃ~?読み方やでぇ~ひさかたのくものうへにてみるきくはあまつほしとそあやまたれけるみなさん、お元気?この歌は藤原敏行が、まだ地下人(じげびと)という下級の官僚で清涼殿に昇殿できなかった時に宇多天皇に特別に召し上げら
★第五七代陽成(ようぜい)天皇は平安時代の藤原氏の摂関政治初期の頃の天皇です。御父は清和天皇、御母は藤原高子。御名は貞明。貞観十年(867年)。在位、貞観十八年(876年)から元慶八年(884年)。百人一首の十三番歌は陽成院御製です。貞明親王が即位したのは九歳の時(満年齢7歳)。幼い年齢のため母の兄、藤原基経が摂政となりました。基経は、元慶四年(880年)には、関白になり、その翌月には太政大臣になっています。「神皇正統記」によれば、陽成天皇は性格が荒々しく帝王の器にふさわしくな
一休さん第150話弥生さんが、シャム猫を連れてきた。ここで増山江威子さんのナレーションが入る「奈良時代にはまだ日本には居なかったと見られます。初めて本に猫のことを書かれたのは、884年の宇多天皇の日記でその頃になるとかなりの数の猫が輸入されていたそうです」猫は分かったけどシャム猫は、この時、日本に生息していたのか?となると、怪しい。何故ならば日本にシャム猫が初めて来たのは明治時代後期ごろとされていて、過去には上野動物園での飼育記録が残っているとのこと。そ
寒くなりました先週9日くらいから鼻が冷たく感じられる窓の結露と鼻先🥶秋も深まって来てます映りボケてます🙏レンジで何度もひっくり返しながら3分くらいでカリカリに案外難しいですこれ以上は焦げ過ぎで苦くなりますドライトマト作ったときは乾き具合を食べながら確かめて行くうちにほとんど無くなったチーズカッターで均一にカットしたからいい乾き具合になりました縦に切って見た、、口当たりが違って丸かじりより美味しくなった気がする(ホ
遠山玲央が女系皇統男子なのは承前だが、今回の自民党総裁選で私と協力してキングメーカーとなった麻生太郎氏も女系皇統男子なので。宇多天皇を祖先に持つ黒田官兵衛の長子の直系の傍系が遠山玲央の母方の水戸黒田氏であり、黒田官兵衛の長子の妹が輿入れした先が福岡麻生氏なのでね。なんか法務博士が実は永遠の司法浪人だった、みたいな意外な気付き。男系男子が絶滅した後、男系女子の皇女たちと女系皇統男子の政治家たちが政権を司る政治体制が遠山の政理の一「男系女子の天皇制エンドゲームと女系皇統男子による新たな皇統の開
近江八幡市安土町の沙沙貴神社の続きです。権殿横の鳥居境内社手前から、少童社・景友稲荷神社・加茂社・八神社・祇園社。八角神殿その年の吉方恵方にお祈りする「歳徳まいり」をする神殿。伊勢神宮式年遷宮の御用材で令和二年に建てられています🤓。干支の庭丑年だから端まで歩いてお参りしました。五間社流造の本殿五間社だけあって、かなり大きな本殿です😳。蝋梅幣殿と本殿を囲む透塀西廻廊東廻廊
★第五十八代光孝(こうこう)天皇は平安時代の天皇です。御父仁明天皇の第三皇子、御母は藤原澤子(たくし)。先帝陽成天皇の祖父文徳天皇の弟。天長七年(830年)生。御名は時康。在位、元慶八年(884年)~仁和三年(887年)。第五十七代陽成天皇は乱行・奇行があり群臣を悩ましたため、何度も退位を迫られ、手続き的には十七歳で譲位の形をとって退位させられたといいます。そしてこの時、譲位されたのが時康親王でした(光孝天皇)。次の天皇を決めるため太政大臣であった藤原基経が何人もの親王を訪ねるとど
本日は、奇しくも法皇、天皇でさえも世の無常を感じずにはいられなかったことが特にわかりやすい天皇の祭日が重なった日です。昔も今も、世の無常は変わりませんが、現在の私達と同じ感情を共有していたであろうことを実感しやすい天皇であるといえるかと思います。★第五十九代宇多(うだ)天皇は平安時代の天皇、菅原道真を引き立てたことでも有名な天皇です。御父光孝(こうこう)天皇の第七王、御母は桓武天皇の孫の班子(はんし)女王。御名は定省(さだみ)。貞観九年(867年)生。在位、仁和三年(887年)