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九州は神功皇后がご祭神の神社が多くてびっくりです。でも夫の仲哀天皇と二人揃って祀られている神社はここだけです。「香椎宮」(かしいぐう)全国でも限られた神社で行われる「勅祭(ちょくさい)」がある神社でもあります。勅祭(ちょくさい)天皇陛下から勅使(天皇の使い)が派遣され、お供え物(幣帛)が奉納される特別な神事。国家の安泰と国民の繁栄を祈願する重要な神事。九州では香椎宮(福岡市)と宇佐神宮(大分県)の2社だけで勅祭が10年に一度執り行われるそう。なん
今日は朝方冷え込んで気温は8℃まで下がり、たぶん今季最も低かったのではないだろうか?!日中は晴れたり曇ったりの空もようとなったが、日射しがないとやはり肌寒く、一枚羽織りたくなる。ジワジワと冬が近づいているようです。本日大分方面に行った際に、宇佐神宮の横を通り掛り、久しくお参りしていなかったので立ち寄りお参りを。先日東京に行った時に皇居の周りを散策し、和気清麻呂を像を発見し、なぜここに和気清麻呂が・・・?と思ったが、この方、日本史で習う宇佐八幡宮信託事件で道鏡の野望
2025-10-28ご祭神は、宇迦御魂大神、応神天皇、比売大神、仲哀天皇、神功皇后。宇佐八幡宮から勧請する前は五穀豊穣を願って氏神様を祀ったのではないかと書かれています。車だと境内まで上がれそうですが空き地に車を停めて下から歩きます。二の鳥居をくぐると見上げるような石段があらわれます。この日、一番の急坂でした(^-^;登りきると広い境内があり正面に拝殿があらわれます。よーく見ると龍などの彫刻の出来栄えが素晴らしいですね。
2025-10-28下関市の永田地区にある神社です。御祭神は、応神天皇・神功皇后・天照大神・月読命。大きなイチョウの木がありました。きっと黄葉がきれいでしょうね。扁額は「厳島神社?」なんで?由緒は、宝亀10年(779)宇佐八幡宮を勧請。旧社名は潮止八幡宮と称していたが正吉八幡宮と改称。大正6年(1917)厳島神社(梅ヶ峠駅西裏山にあった旧村社)、日野八幡宮、日吉社、大歳神社、八王子社、蛭子社、天満宮、貴崎神社の8社を合併し、地名をとって永田八幡宮と改称したようです。納得
今日は畑はなし。✴︎✴︎✴︎戌の日の本日、京都に住む妊娠5ヶ月目を迎えた嫁の安産祈願のため宇佐八幡宮に参拝した。以下、写真のみ…↑↑↑お祓いしてもらった腹帯と御神符の他御神酒、御神札、御神箸…節目の年のお詣り。記念に残る1日となった。予定日は2月。ひたすら無事を祈るのみ。何はともあれ、農閑期で良かった。日が暮れてから、伯父伯母より、いちじく泥棒が居たので現行犯にきつく説教したと聞かされた。朝から他の用事を優先して収穫しなかったばっかりにこんな事が、
日本三大八幡の一つが筥崎宮宇佐八幡宮(大分)筥崎宮(福岡)石清水八幡宮(京都)わたし、今年の6月、京都の石清水八幡宮に行っていたんです。美しい竹藪があり、竹取物語のかぐや姫がいそうな不思議な雰囲気の場所に石清水八幡宮はありました。全国で、「八幡様」と呼ばれ親しまれている八幡大神の起源は、大分の宇佐八幡宮が由来。宇佐八幡宮の池に3歳の男の子の姿としてこの世に現れたのが八幡大神。3歳の童子の姿としてこの世に現れたことから、八
あんでるせんの翌日は10月から住むお部屋の最終契約を不動産屋さんで済ませ、その足で福岡市内の神社のご挨拶巡りをしました。紅葉八幡宮(福岡市早良区)神社ツアーのご一行がいらっしいました。ここは小さな神社なのですが、リーダーの方が案内したいほどに大事な場所なのでしょう。お宮参りのご家族の御祈祷の太鼓がドンドンと鳴りはじめ、朝から降っていた雷雨も止みました。引いたおみくじには嬉しい言葉が並んでいました。ご挨拶を終えて鳥居をくぐると目の前には福岡タワーがバッチリ✨
元久二年(1204)豊前国の宇佐八幡宮を勧請し、大内氏、毛利氏が崇敬し、小早川隆景が奉納した刀は今も神庫に保管されているようです。長い参道でした。いい運動になりますよ。やっと社殿が見えてきました。立派な社殿ですね。ご由緒。御朱印はありません。
元久二年(1204)豊前国の宇佐八幡宮を勧請し、大内氏、毛利氏が崇敬し、小早川隆景が奉納した刀は今も神庫に保管されているようです。いきなりの長い階段です(^-^;少し頑張る拝殿がみえてきました。立派ですね。ご祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、比売大神(宗像三女信)、元久二年(1205)、宇佐八幡宮から勧請
少し気温が下がってきた今日宇佐八幡宮大祭の宵宮です。一足早く祭りの準備の出来た宇佐八幡宮へ登ってみました。稚児行列に続き、裃を着た役員の方々が山へ登って行きます。山の上では神事が執り行われ今宵9時過ぎにはお神輿が山を下って下拝殿に納められます。明日は町内を巡る本祭りです。何処とも携わる人たちの減って行く中伝統の祭りが続く事を願うばかりです。
糸碕神社尾道から三原に向かう途中の糸崎町にある海沿いの神社です。糸崎町は、昔は糸崎市でしたが、今は三原市です。昔は、糸碕八幡と呼ばれていたとのこと。八幡様なんですね長井の浦と呼ばれる風待ちの浦(風の向きが変わるのを待つ港)として、万葉集にも詠まれてます。車で走っていて、海の眺めは気持ち良し昔から、風光明媚な場所なんですね。茶道を習っていた頃には三原に通ってたから、毎週のように車で前を通過してましたが、お参りしたことがなかったので、お参りしてみました。昨年末のことです糸碕神社は
2025年9月5日【宇佐八幡宮】新潟県燕市水道町3丁目12−14御神木?と境内社
後半です③宇佐八幡宮鳥居を見ると看板?みたいなのがないのと茅葺の屋根?があります参道を歩きますが日が当たるところは暑かったです建立1300年太宰府にしても宇佐八幡宮にしても時間の流れの区切りが大きい御神木800年まだ若い気(樹)がしてきます上宮、下宮を周るとき参道は暑いけれど樹々の間を通る時は少し涼しくてよかったです昼食はとり天をだしてくれるお店宇佐八幡宮の駐車場から少し歩くので車で移動宇佐の家駐車場が3台なので争奪戦一つ空いていましたお袋の味という感じ
今、私、足の靭帯を傷めていて、しばらく歩けないので、神社巡りができません。過去ブログを加筆修正したブログになります。悪しからず<m(__)m>8月14日からは、神社でハロ(日暈)に遭遇したことについて書いてます2023年4月のことです。山口県防府市鈴屋840番に鎮座されます宇佐八幡宮娘と孫たちと、防府市に遊びに行ったときのことです宇佐八幡宮は、かなりのパワースポットです山口県観光サイトからコピ
小野龍海’s歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.comはぁ~、やっとウガヤ王朝初代の項の考察が終わります。私以外にも読んでいる人は多く居るハズなのに、知られていないのはどういう事なのか?ひとえに読んだ人のレベルが低いのか、当の三輪義煕氏も意味が掴めていなかった可能性は否定できません。それほどインターネットの普及とパソコンの高性能化は私の作業に恩恵を与えているのです、その背景に見える
西宇部校区ウォーキングマップに古宮台という平原八幡宮に関連する場所がある。宇部商業高校のグランド横と書いているので周辺を散策するも見つからない。地元の人に聞くも知っている人がいない。どうしようもなくなったので高校へ。土曜日なので誰もいない?グランドに行くと野球関係者の方?がおられたので尋ねたところ案内していただいた。ありました(^^)/グランドの横の木が茂った小さな丘に古宮台跡の石標がありました。みつからないのが納得でした。寛和元年(985年)、この地に平原八幡宮の
小野龍海’s歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.com前回の予告通り、今回は宇佐八幡宮の由来についてウガヤ王朝初代の項に書かれている事から考察したいと思います。私は宇佐八幡宮とは八大龍王の「幡(ばん)※仏教の旗」に由来するという仮説を持っていましたが、それはそれで有ったと思っていますが、宇佐八幡宮の由来がシッカリと残されていましたので、八大龍王に由来する説は降ろさないとダメでしょう、しかしト
神社⛩️巡り高知市朝峰神社⛩️仁井田神社⛩️竹林寺⛩️は今年は断念宇佐八幡宮はイメージ違うくて中には入りませんでした青空じゃなくても風が強い今日を選んで良かった帰りは2人で天下味でお食事ホントは萩の茶屋行きたかったけどまさかの定休日ドーナツ🍩を買いに伊野町に行ったけど。定休日けど…たらふく食べました
○2025年4月4日、鎌倉五山詣でをした。円覚寺、浄智寺、建長寺と参拝し、その後、建長寺前からバスに乗って八幡宮前バス停で下車し、寿福寺を目指した。寿福寺参詣後、再び、八幡宮前まで出て、今度は八幡宮下バス停から、4番線のバスで、浄妙寺まで行った。○したがって、今回、鶴岡八幡宮には参詣する余裕が無かった。鎌倉には、これまで、何度も訪れている。しかし、八幡宮へ参拝しなかったのは、今回が初めてではないか。鎌倉と言ったら、まず八幡宮だろう。○しかし、八幡宮前まで出掛けたのだし、大鳥居の写真も撮ってい
椎尾八幡宮(しいのおはちまんぐう)の神門(楼門)です。この神社は平安期の大同2年(807年)に宇佐八幡宮より勧請したと伝えられており、岩国藩主の吉川広正により1626年(寛永3年)に建立されたそうです。椎尾八幡神社に怪我をしないように良くお参りしました。
今日の日替わりランチ鉄板焼き薄切りビーフのソテージェノベーゼソースとれたてバジルの香るが美味しいジェノベーゼソースでございます皆さま今日もまたどうぞ素敵な1日をお過ごしくださいませそして・・・今日がまたた~くさんのHAPPYがありますようにそして・・・今週の週替わりランチさわらのムニエルヴァンブランソース週替わりパスタランチ夏野菜いっぱいのミートスパ夏のボロネーゼ今週のデザートはガクさんのティラミスでございます今日もまたと~っ
九州旅行最後の訪問地豊後一之宮柞原八幡宮平安時代初期に宇佐八幡宮の分霊地として創建されましたちなみに豊後一之宮として西寒多神社も主張しています今回は参拝できなかったのでいずれ行ってみたいと思います回廊と拝殿拝殿(正面から)本殿は改装中で拝見できませんでした説明がしづらいですが、多くの神社を参拝している私もこんな造りの神社は記憶にない珍しい構造でしたいつもならもう少しじっくりと参拝するところですが、旅行も7日目であり、さらに夕
ブログを訪れてくださりありがとうございます⭑࣪˖ᦏᦑ˖࣪⭑sunriseと申します2023年に初めてのアチューンメントを受けてから、毎日自分の内側に向き合うこと、セルフヒーリングを楽しんでいます⋆*今年1月から他者様へのヒーリングを始めました子供の頃から苦しむ人を見ると湧き上がる感情、初めて"heal"という言葉に触れた時の、深くどこかに響いた感覚𓈒𓏸アカシックレコードリーディングの鑑定結果を見て納得するものがありました以下が私の魂が長きに渡り過ごした星のことです
歴史に関心がある人にとって、宇佐八幡宮神託事件は、詳しくは知らなくても、おおよそ道鏡が絡む事件だなと知っているはずです。これは神護景雲三年(769年)に起きた和気清麻呂と道鏡がかかわる事件のことです。事件の内容については、次の動画で簡潔に『続日本紀』の記事を紹介していますから、そちらで確認してください。youtubeには、適宜、イメージ画として護王神社の拝殿と和気清麻呂を配置しました。この事件に描かれる、宇佐八幡宮のご神託というのは、奈良時代においてとても重要だったいうこ
宇佐八幡宮岩国市錦町拝殿切り紙が随所に見られます招雲昇天之龍拝殿本殿厳島大明神南蛮鉄灯篭永享九年(1437)藤原朝臣安信により制作本殿組み物のある本殿脇障子本殿-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコン
岩国錦町宇佐八幡宮大杉の十字路参道神社入口由緒天仁元年(1108)に豊前国(現大分県)宇佐八幡宮の分霊を勧請したことが起源です。現在地には正和元年(1312)に奉遷しその際、「宇佐」の地名を賜り、現在は「岩国市錦町宇佐」となっています。大内氏、毛利氏ともに優遇した社です。地蔵六地蔵+?左から二番目は地蔵でない気がします。+手水杉並木の参道狛犬は玉乗り玉に阿吽とも獻の字を刻む明治三十三年の奉納
『渡来人』第10回(最終回)<奈良時代の渡来人>平安時代以降も絶えず少数の来住者があったが,日本史上で渡来人といえば,主として奈良時代ころまでの人々を指すのが普通である。奈良時代は、8世紀、平城京遷都の710年から平安京遷都の794年の85年間である。また、「日本」という呼称は内外とも7世紀末頃から使われ始めたようだ。●百済・高句麗の亡命者と奈良時代の渡来人2024年4月、理化学研究所の共同研究グループが、3000人余りの現代人の遺伝情報を分析した結果を発表した
こんばんは‥(^_-)-☆今の奈良は、21℃と昨日より大分気温が上がりましたね。最高気温も26℃と昨日より大分暖かくなって夏日になりましたね・(^_-)-☆心持ち暑くなったと思うたのにまた寒い日が続き、体調不良になり散歩が停滞気味になっています・・(^_-)-☆クイズで頭の体操でリフレッシュしましょう!奈良まほろばソムリエ奈良通2級の12回目の問題です。4奈良県の寺社に関する事柄について最も適当なものを選びなさい。(28)東大寺の守り神として
皆さまなぜ「日ユ同祖論」が現代でも広がり続けているのでしょうか。「日ユ同祖論」とは、日本人や日本の特定氏族が古代ユダヤ人、いわゆる“失われた十支族”の末裔であるとする一連の説の総称です。その中でも、秦氏をユダヤ人の子孫と見なす「秦氏=ユダヤ人」説は、ネットや書籍、YouTube動画などで特に盛んに語られています。なぜ、これほどまでに根拠のない物語が求められ、信じられ続けているのでしょうか。その背景には、自分たちのルーツを特別なものにしたいという欲求や、民族的ロマン、現実から目を
日本は建国から2685年脈々と続く地球上に現存する国家としては最も長い歴史を誇っています♪↑本日の画像は京都府八幡市の狩尾神社(とがのお神社)♪↑石清水八幡宮の境外摂社で…社殿は石清水八幡宮の現存する最も古い安土桃山時代の建物です♪皇位継承♪↑2685年も続く過程で皇位継承の危機は実は何度もありました…第26代継体天皇♪↑507年に樟葉宮で即位された天皇ですが…この時もかなりの危機だった♪第25代武烈天皇