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高山正之の著作を手がかりに、孫文の実像、日本人支援者の幻想、支那人の対日感情、そして戦後日本のメディアが隠してきた近現代史の実相を論じた一篇である。朝日新聞をはじめとする日本のマスメディアが、事実ではなく幼稚な似非モラリズムを国民に押し付けてきた結果、日本人がどれほど重大な歴史認識の誤りの中に置かれてきたかを告発している。2019-04-22高山正之の本を読まなければ、私たちは日本の近現代史の真実は全く知らないといっても過言ではない状態に置かれていたのである。以下も前章に続く、高山正之の
二日目は、景色がいいところに行くよと言われていましたが、朝からすんげえ白いでも予定通り出発。钟山风景区というとてつもなく広いところに行きました。最初に行ったのが明の初代皇帝のお墓。明孝陵です。ここだけでもめちゃ広い※⑥が現在地で①が眠ってる場所①ら辺まで行くと、この時代の風景をVR体験ができるところがありました。明の時代の深い歴史を感じていた最中にいきなり現代文明現れてギャップに怯むその後、雨がひどくなってきたので、孙中山のお墓の前に、予定になかった孙中山
ようやく落ち着いて来ました。引っ越しはなんとか終わったものの、ネットがつながったのは先週末・・・・テザリングで接続、という手もあったのですが、ギガ使いまくりになるので我慢していました。で、前回予告(?)していた通り、もう1点届きました。はい、全く同じような内容です。あわよくば、とは思ったのですが、1分は透かしありだし、目打も13、正水印と来たら駄物の代表のようなブロックです。25分の方は目打12.5で13よりは少ないですが、基本目打なので自慢できるものではありませ
「孤独のパスタ」内の風見鶏サイトは、コツコツと日本記録を更新中。そしてようやく100羽に到達。今回の2羽はブロ友、ゆずさんの紹介です。「富岡八幡公園こどもログハウス」とその近くに合わせて2羽いる(ある?)との嬉しい情報。いつも大変お世話になっています。99羽目ログハウス付近の立派なお宅の尖塔の風見鶏。こうした尖塔にふさわしい風見鶏は青銅色。100羽目富岡八幡公園こどもログハウスの風見鶏。両方の間隔は50メートルほど。こちらも屋根と同じ青銅色でスタイルも同じ。”風見鶏博
孫文(日本名:中山樵なかやまきこり)は、日本亡命中に「シナ大陸で、満州民族支配の清朝から、漢民族の国として独立したい」と言って中華民国を樹立したのですが、アメリカによって「Chiang作戦?」が実行され、シナ大陸は混乱を極めました。アメリカとイスラエルによる「イスラム(シーア派)支配のイラン解放作戦」が実行され、現在はイランの制空権を握り、マルコルビオ国務長官は「UnleashChiang」と警告したようです。*Chiang:ChiangKai-shek(蒋介石)そこでキャラ
行きの上海では時間があまり無かったので帰国?復路上海では食べたい物を、、、ミシュランビブグルマン上海なのにビールが、、、常温って苦情を言うと、、、氷を持って来た、、、ただでさえ低アルコールの薄めのビールなのに氷でさらに薄め、、、腸粉(チョンファン)割引中で、思わず、、、奮発5.5折起5.5掛けで、、、45%offこちらは42%offこっちはちょっと生っぽい?後でお腹ゆるめに、、、こっちの蟹絶品蟹〜蟹〜サービスでデザートつけてくれた、、、お安く?いただき
房総に残る昭和の世界・・茂原市ホームページ・茂原の文化財から・・「掩体壕」茂原海軍航空基地跡・3号掩体壕太平洋戦争開戦直前の昭和16(1941)年9月に、木崎・谷本・町保・新小轡・本小轡等の約150戸の民家や東郷国民学校(現東郷小学校)及び寺社等が強制移転を命じられ、茂原海軍航空基地の建設が始まりました。司令部跡は現萩原小学校、兵舎跡は現茂原中学校、滑走路跡は三井化学(株)東側の約1,000mの道路で、基地の東端は東郷保育所前を通る通称海軍道路と呼ばれている辺りです。基地の北側には誘
神戸に帰省中のことこの日も姉と散歩に出かけました。とてもいい天気!明石海峡大橋と淡路島がきれいに見えました。そして、海沿いの道路に人がいっぱいいるのがわかりますか?この日は神戸マラソンが開催されていて、舞子駅前でランナーの方たちが頑張っている姿を少し見ることができました。その後、舞子公園を散策。舞子公園内にある孫文記念館の前を通りかかった時「関西文化の日入館無料」の文字を発見。関西にお住いの方はよくご
やれやれだね(呆れ)中道・岡田克也氏が落選「デマや批判が渦巻いて」中道・岡田克也氏が落選「デマや批判が渦巻いて」「もう一回大きな箱舟作る」三重3区【衆院選2026】(ABEMATIMES)-Yahoo!ニュース8日投開票の衆院選で、三重3区では中道改革連合の岡田克也氏が落選しました。9日午前0時すぎに事務所に現れた岡田氏は、「皆さん大変申し訳ございませんでした」と開口一番に述べました。続けて、党のnews.yahoo.co.jp自責の念がどこにも見当たらない。た
中国の大財閥の総帥であり牧師でもあるチャーリー宋は、三姉妹の我が子をアメリカに留学させた。長女の宋靄齢は14歳。三女の美齢はまだ9歳の出来事だった。当時の中国は清朝打倒運動が盛んで、チャーリー宗も密かに革命家の孫文を支援していた。その後の辛亥革命で清朝は滅亡し、孫文は中華民国大統領に選出された。1910年、帰国して孫文の秘書となる長女の靄齢。靄齢は程なく富豪の孔祥熙と結婚。その後、孫文の秘書になったのが、次女の慶齢。政争に破れた孫文が日本に亡命すると慶齢も渡日し、親の反対を押し切って
黒人に変わる奴隷として中国人が多く行っていた。清朝留学生がたくさん日本にも来た。1903年日本で革命軍雛容の本「革命軍」が流行した。清朝を倒す革命勢力になっていった。孫文は日本に亡命していた。辛亥革命の主力となったのは日本留学中、孫文と共鳴した将校たちが軍を出した。1911年湖北省武漢から革命は広がっていった。清朝崩壊:6歳の溥儀1912年1月中華民国成立南京にて孫文(臨時大総統)に就任;三民主義を掲げた。民権政治⇒人民が政治を行うこと
どうもこんにちは!今回がついに中国史解説最終回です!中華民国と中華人民共和国の歴史を併せて書いております。それではどうぞ目次中華民国と袁世凱政権日中戦争の勃発と国民政府の台湾撤退現代の中国と国際社会中華民国と袁世凱政権清の有力な将軍であった袁世凱は、孫文の辛亥革命によって清が滅びると、北部に居座った。孫文は袁世凱に協力を要請すると、袁世凱は大総統への就任などの条件を付けてこれを了承した。こうして中華民国の総統に就任した袁世凱は自ら皇帝に即位して国号を中華帝国にしようとした
これは、第一次世界大戦に海運業で財を成した「田中隆」という人のお屋敷にある西洋館跡の写真です。田中隆は、長崎県生まれ。商船学校機械科を卒業して、三井物産に入社します。その後商売を始め、東洋製氷株式会社や田隆汽船合資会社などを創業。商売は大成功を治めます。田中は、三井物産門司支店長だった犬塚信太郎に紹介され、清朝を倒して辛亥革命を起こした革命家・孫文に支援金を贈りました。300万円、今のお金で数億の大金です。また資金以外に、自ら所有の船舶などを利用して弾薬運びまでも
黄文雄による論考の続編。孫文、蒋介石、毛沢東という近代中国の象徴的人物が関与した虐殺の実態と、漢人社会の地域差・心性の違いを明らかにし、日本でも世界でもほとんど知られてこなかった史実を提示する。2016-10-12日本の多くの人が全く知らなかった史実の数々、勿論、世界の人たちは全く知らなかった史実の数々である。以下は黄文雄さんの、3月に発売された別冊正論26に掲載されていた、世界の無知とは違う、本物の知性の論文の続きである。日本の多くの人が全く知らなかった史実の数々、勿論、世界の人た
141km広東省1929年1Jiao銀貨銀品位770/1000
夜の闇を煌々(こうこう)と照らすガソリンスタンドを撮影しようと意気込んで来たのだが、営業時間は過ぎていた。なんともである。昼間は交通量が多いところなので、こういった画像は撮影できないのだが。ここを通るたびに祖母がいつもわたしに言っていた。「ここはむかし、伊藤博文(初代内閣総理大臣)さんがどんちゃん騒ぎをしていた料亭があったところでね」と。調べてみるとおそらく「常盤館」であったと思われる。伊藤博文、西郷従道、頭山満、平岡浩太郎、孫文、宮崎滔天(とうてん)などが訪れた福博で屈指
江蘇省・南京※はじめに(今回は時期的に結構緊迫した時期でした)今回の南京については、今年が戦後80周年ということで、中国国内での最後の対日行事でありました。中国においては中日戦争のキリの良い年であります。国も80周年ということで、国を挙げて、軍事パレードなどの行事を各地で行っており、習近平も対日政策として良い宣伝になったとは思います。10月の半ばごろに、高市総理の台湾発言問題により日中間に緊張が走った時期でした。日中間の飛行機が突如キャンセル続出すると言う事態が起こり、私が乗る
孫文記念館へ🏚️ノスタルジックな面影を漂わす3階建ての八角堂がシンボルの「移情閣」は、大正4年に神戸の貿易商・呉錦堂が建てた別荘です。昭和59年には「孫中山記念館」として一般公開され、かつてここを訪れた中国革命家孫文に関連する資料を展示しています。平成5年12月10日「県指定重要有形文化財」、平成13年11月14日「国指定重要有形文化財」に指定されました。昔の舞子公園の様子がわかります👀📷️明石海峡大橋も近いです☺️夕陽が綺麗でした🌇少し外を散策して、ホテルに行きます👩🦯近代東
共和制国家の「中華民国」(台湾)が樹立した日。1912年(明治45年)のこの日、辛亥革命で清朝が倒され、中国初の共和制国家である中華民国が設立した。臨時大総統には革命の代表的指導者であった孫文(そんぶん、1866~1925年)が就任した。1928年(昭和3年)、中国国民党が国民政府を樹立して全国統一したが、第二次世界大戦後に共産党との内戦に破れて、1949年(昭和24年)に本土を離れ台湾島に移った。中華民国は、台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である「台湾」(たいわん)と表記される
中国は孫文の精神に立ち返るべであり。王道の精神を歩むべきではないだろうか。今の中国は習近平帝国主義の国家的野望によって、武力によって我が国の尖閣諸島や、台湾までも自国の勢力圏に入れようとしているからだ。葦津珍彦は「明治維新後の日本は、アジアにおけるただ一つの新興独立国として、めざましい発展の道をたどった。日本は、アジア解放の希望の太陽のように思われた。アジア解放のために奮闘して迫害された多くの亡命者たちで、日本に来た人々が少なくなかった」(「明治維新と大アジア主義」『大アジア主義と頭山満』
正観さんによると…。(知って楽しむ情報集~人間観察40年の情報いろいろ)●徳を積むさらに言いますと、例えばラーメン屋さんや蕎麦屋さんに入るときは、お客さんの入っていない所で食べるような行為が徳を積むことになります。このように、日常生活の中でも徳を積むことができるのです。とにかく、自分の損得勘定として、徳を積んだ方がいい。大切なのは、自分は投げかけても、お返しは求めないということ。つまり、若いときに、貰った給料分しか働かなかった。残業をしたときは必ず残業手当としてもらって、
『指を畳んむ・・・!』と云いながら、まだ余韻を引き摺って居るアホジジイなのだが、今回の『日中現代史再勉強』に潜る中で、過去に齧って来た『中国史』に色々想いを馳せたりしながら、その中で想ったことを二つ、三つ残して措きたいと想った次第で・・・(汗)先ず、その第一は、後に『中国共産党』を旗揚げし、初代の委員長(=党首)に為る『毛沢東氏』が生れたのは『1893[光緒19]年』で、後輩の周恩来氏は、これより5年後の『1898年[光緒24]年』とは、共に、まだ『清朝』の時代なのだが、この世代は、且
台湾旅行記PART③2日目後編前Blogでも余計なことを書き過ぎてまさかの前後編となってしまいましたでもまあ好きなように書くそれが僕のBlogの本質ですからこれからも変わりませんねそれでは台湾旅行記PART③2日目後編です昼食は魯肉飯と台湾料理のコースでした小籠包や魯肉飯は美味しかったし次々に出てくる野菜の炒め物やスープなども美味しいので残さずに食べましたイメージ図だが最後に出てきた大量の炒飯は6人で食べても半分以上残ってしまいました他のテーブルを見渡しても
…正直、高市総理の台湾有事に関する発言は、従来の姿勢を曖昧にボカす事無く正確に答えただけの事で日本の台湾に関する姿勢に変化が有った訳ではなく、なので日本人からしたら中国が過剰反応している様に感じられると思いますがでも彼等にしてみれば、台湾問題は他国に触れられたくない”国内問題”…言い換えれば共産党の先人達が遺した負の遺産って奴で💦台湾を確実に併合するまでは、この件に関して他国の首脳や政治家が発言しない様に釘を指す意味で、過剰反応せざるを得ない事情が有るんだと思います😅そもそも中国
本稿は、高山正之と樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)の対談をもとに、林語堂の『中国=文化と思想』を軸として、中国人社会に根深く浸透する賄賂文化、規則破り、官僚特権支配、奴隷根性、そして戦狼外交に至るまで、その文明構造の本質を鋭く暴く。共産党体制下でも変わらぬ中国人の行動原理と、日本人が決定的に誤解してきた中国像を、具体例と歴史認識を通して徹底的に解明する。以下は前章の続きである。中国人の偉大さとは樋泉1935五年に米ニューヨークで出版された、評論家の林語堂による『中国=文化と思想』(講談
本日は、こちらのニュースからブログネタを引っ張ります。浜崎あゆみ・大槻マキ…相次ぐ日本人ミュージシャン「中国公演中止」の一方“予定どおり開催”背景にある“地域差”⇒★(外部リンク)国民の楽しみである娯楽の音楽を、けしからんものとして、公権力が取りあげる。日本でも、江戸時代以前とか、戦時中とか、そういう出来事があった…とは何かしらで知る歴史ですけど、21世紀にもなった現在国家でも、まだあるんですねぇ…。しかも、かつての日本の場合は「政治に都合の悪いことを発表しているから取り
ロイヤルブルーを基調とした上品な背景に、ゴールドカラーの「博愛」の文字が映える亜鉛合金製ピンバッジです。細部まで丁寧に仕上げられた縁取りが高級感を演出します。バッグや帽子、リュック、小物ケース、ジャケット、着物バッグ等のどんなアイテムにも合わせやすく、さりげないワンポイントアクセントになります。男女問わず使えるデザインで、コレクションアイテムとしても人気です。また、「博愛」の言葉には、優しさ・思いやり・愛情を意味する縁起の良さがあります。大切な人へのプレゼント、仕事仲間へのお礼、イベント記念品に
私は日頃より、地球市民・宇宙市民という視座をメインとするように心掛けており、もう20年以上も前の2002年、台湾留学から広島に戻った後、広島の左派の方々数名に対して、今後、台湾の進むべき方向性の一つとして、問題の次元を超越すべしという平和学の超越法にもとづいて、世界連邦等の首都特別区等という見解を提示したことがありました。ただ、直接的な回答はなく、せいぜいThinkglobally,actlocallyという程度のものでした。現政権は一応、人類運命共同体を提唱しているわけですから、孫文・宋
中国の人民服は、立折襟で胸と裾に二つずつ貼り付け型のポケットをもった(ないものもある)前開き五つボタンの上衣と、スラックスでセットになっている。袖のボタンは3つで、作業着タイプでは頭には前つば付き帽子、いわゆる人民帽(単帽)と呼ばれる帽子をかぶる。ネクタイは用いない。1923年頃に孫文が考案し、北伐後に中国全土に普及した。人民服は中華民国で事実上の男子正装として用いられた。1928年には中華民国の内務省職員の制服として着用を義務付けられ、1929年には正式に民国政府の制服として採用さ
(2021年3月9日に記す。なお、詩歌作品および作者名等については著作権に配慮して一部省略し、タイトルおよび内容も適宜修正した)たんたん評論「強調する対象を体言止めしよう」NHKEテレの「NHK短歌」2021年3月第1週のお題は「猪・亥(いのしし)」だった。なお、ブログ主はこの言葉を含む作品をこれまで一つも制作していない。ところで、動物の「イノシシ」であれば、様々に詠われるだろう。ただし、「亥」を含めて詠むのはちょっぴり難しい。実際に自由題一首を除いて、今週選ばれ