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『指を畳んむ・・・!』と云いながら、まだ余韻を引き摺って居るアホジジイなのだが、今回の『日中現代史再勉強』に潜る中で、過去に齧って来た『中国史』に色々想いを馳せたりしながら、その中で想ったことを二つ、三つ残して措きたいと想った次第で・・・(汗)先ず、その第一は、後に『中国共産党』を旗揚げし、初代の委員長(=党首)に為る『毛沢東氏』が生れたのは『1893[光緒19]年』で、後輩の周恩来氏は、これより5年後の『1898年[光緒24]年』とは、共に、まだ『清朝』の時代なのだが、この世代は、且
台湾旅行記PART③2日目後編前Blogでも余計なことを書き過ぎてまさかの前後編となってしまいましたでもまあ好きなように書くそれが僕のBlogの本質ですからこれからも変わりませんねそれでは台湾旅行記PART③2日目後編です昼食は魯肉飯と台湾料理のコースでした小籠包や魯肉飯は美味しかったし次々に出てくる野菜の炒め物やスープなども美味しいので残さずに食べましたイメージ図だが最後に出てきた大量の炒飯は6人で食べても半分以上残ってしまいました他のテーブルを見渡しても
…正直、高市総理の台湾有事に関する発言は、従来の姿勢を曖昧にボカす事無く正確に答えただけの事で日本の台湾に関する姿勢に変化が有った訳ではなく、なので日本人からしたら中国が過剰反応している様に感じられると思いますがでも彼等にしてみれば、台湾問題は他国に触れられたくない”国内問題”…言い換えれば共産党の先人達が遺した負の遺産って奴で💦台湾を確実に併合するまでは、この件に関して他国の首脳や政治家が発言しない様に釘を指す意味で、過剰反応せざるを得ない事情が有るんだと思います😅そもそも中国
本稿は、高山正之と樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)の対談をもとに、林語堂の『中国=文化と思想』を軸として、中国人社会に根深く浸透する賄賂文化、規則破り、官僚特権支配、奴隷根性、そして戦狼外交に至るまで、その文明構造の本質を鋭く暴く。共産党体制下でも変わらぬ中国人の行動原理と、日本人が決定的に誤解してきた中国像を、具体例と歴史認識を通して徹底的に解明する。以下は前章の続きである。中国人の偉大さとは樋泉1935五年に米ニューヨークで出版された、評論家の林語堂による『中国=文化と思想』(講談
本日は、こちらのニュースからブログネタを引っ張ります。浜崎あゆみ・大槻マキ…相次ぐ日本人ミュージシャン「中国公演中止」の一方“予定どおり開催”背景にある“地域差”⇒★(外部リンク)国民の楽しみである娯楽の音楽を、けしからんものとして、公権力が取りあげる。日本でも、江戸時代以前とか、戦時中とか、そういう出来事があった…とは何かしらで知る歴史ですけど、21世紀にもなった現在国家でも、まだあるんですねぇ…。しかも、かつての日本の場合は「政治に都合の悪いことを発表しているから取り
ロイヤルブルーを基調とした上品な背景に、ゴールドカラーの「博愛」の文字が映える亜鉛合金製ピンバッジです。細部まで丁寧に仕上げられた縁取りが高級感を演出します。バッグや帽子、リュック、小物ケース、ジャケット、着物バッグ等のどんなアイテムにも合わせやすく、さりげないワンポイントアクセントになります。男女問わず使えるデザインで、コレクションアイテムとしても人気です。また、「博愛」の言葉には、優しさ・思いやり・愛情を意味する縁起の良さがあります。大切な人へのプレゼント、仕事仲間へのお礼、イベント記念品に
私は日頃より、地球市民・宇宙市民という視座をメインとするように心掛けており、もう20年以上も前の2002年、台湾留学から広島に戻った後、広島の左派の方々数名に対して、今後、台湾の進むべき方向性の一つとして、問題の次元を超越すべしという平和学の超越法にもとづいて、世界連邦等の首都特別区等という見解を提示したことがありました。ただ、直接的な回答はなく、せいぜいThinkglobally,actlocallyという程度のものでした。現政権は一応、人類運命共同体を提唱しているわけですから、孫文・宋
中国の人民服は、立折襟で胸と裾に二つずつ貼り付け型のポケットをもった(ないものもある)前開き五つボタンの上衣と、スラックスでセットになっている。袖のボタンは3つで、作業着タイプでは頭には前つば付き帽子、いわゆる人民帽(単帽)と呼ばれる帽子をかぶる。ネクタイは用いない。1923年頃に孫文が考案し、北伐後に中国全土に普及した。人民服は中華民国で事実上の男子正装として用いられた。1928年には中華民国の内務省職員の制服として着用を義務付けられ、1929年には正式に民国政府の制服として採用さ
(2021年3月9日に記す。なお、詩歌作品および作者名等については著作権に配慮して一部省略し、タイトルおよび内容も適宜修正した)たんたん評論「強調する対象を体言止めしよう」NHKEテレの「NHK短歌」2021年3月第1週のお題は「猪・亥(いのしし)」だった。なお、ブログ主はこの言葉を含む作品をこれまで一つも制作していない。ところで、動物の「イノシシ」であれば、様々に詠われるだろう。ただし、「亥」を含めて詠むのはちょっぴり難しい。実際に自由題一首を除いて、今週選ばれ
小説「<移情閣>ゲ-ム(多島斗志之)」を読んで妄想中の謎。実際には移情閣(孫文記念館)と明石海峡大橋には何の謎もないと思います。フィクションです(笑)大正初期に建てられた「移情閣」は元々は貿易商呉錦堂の別荘で、孫文が来神した際に訪れたゆかりの地として1984(昭和59)年「孫中山記念館」として一般公開されました。さて小説は、犬猿の仲にある中国と台湾の代表を神戸の<移情閣>で握手させて欲しいという依頼から始まります。孫文は両国にとって英雄であり、移譲閣が「孫中山記念館」となる
チャイナから留学生が来ないと大学がつぶれるとか言っている人がいるが、多かれ少なかれ大学には税金が投入されているのだから、そんな大学はつぶれた方が良いだいたい日本に来て援助されたり学んだりして帰った人間が何をしたか、孫文、蒋介石、周恩来ろくなもんじゃない—一色正春(@nipponichi8)2025年11月18日
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー2017.秋生まれの長男:ちょぼ(8歳/小2)2021.春生まれの次男:きーすけ(4歳/年少)2024.夏生まれの三男:りうた(1歳5ヶ月)3人の男の子を育てているそらあいです※アメンバーについてはこちらー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー夫が海外(中国広州)に転勤になり、帯同することにしました。夫は2022年4月に渡航。私と子どもたちは2022年8月に渡航。🇨🇳駐在生活4年目!2024年6月🇨🇳で三男出産👶※VPNを使わ
孫文https://www.y-history.net/appendix/wh1403-076.htmlhttps://www.y-history.net/appendix/wh1403-076.html孫文世界史の窓appendix用語とヒントwww.y-history.net中国の在大阪総領事が、日本で、これほど、過激な発言できる背景には、大阪が、中国の手に落ちつつあることを示唆してるのか??だから、大阪、首都構想など、うばわんと欲すか?https://news.yaho
皆さんは、中華人民共和国のことを普段何と呼んでいますか?おそらく多くの方、特に50歳以下の方は『中国』と言ったり書いたりしていると思います。そういう方々は、同国に対して故・石原慎太郎元都知事が事ある毎に『支那』と表現していたことに、違和感を覚えるかもしれません。しかし、元々その『支那』という表現はごく一般的な呼称だったのです。むしろ『中国』と表現しているのは日本だけ・・・と言ってもいいでしょう。だって、英語表記は“China”であり、現代の中華人民共和国で最も権威がある国語辞典『
10日前の2025年10月18日は、中華民国台湾省(通称:台湾)の国民党党首選挙の投開票日でした。元立法議会議員(日本でいう国会議員)の鄭麗文が当選し、対中への融和を方針として示しておりました。台湾野党・国民党の新主席に鄭麗文氏、初当選対中連携を重視|毎日新聞台湾の最大野党・国民党の主席(党首)選挙が18日行われ、元立法委員(国会議員)の鄭麗文(てい・れいぶん)氏(55)が初めて当選した。鄭氏は中国との連携を重視し、中台関係の悪化の責任は与党・民進党にあるとして対決姿勢を取る。台北市
おはようございます☀️すっかり秋ですね。日中の気温が心地いい季節です。花粉も少ないので春より好きな季節です。さて、台湾旅行の2日目の続きですが、旅行した頃はまだアメブロやってなかったので、映える食事写真がなくてガッカリさせてしまってる気がして……お詫びします。昨日は昼食までお伝えしました。次に行ったのは「国立故宮博物院」です。国立故宮博物院(こくりつこきゅうはくぶついん)は、中華民国の博物館のひとつで、その中でも最大の博物館です。所蔵品数は約68万点にも及びます。後ほど解説しますが
辛亥革命を描いたジャッキー・チェン通算100本目の作品清朝支配を終わらせ、共和制国家である中華民国を樹立した重要な出来事である辛亥革命。中国史実においてエポックメーキングな事実を孫文の片腕である黄興の視点で描かれた作品です。1911年の武昌蜂起から1912年に孫文が中華民国臨時大総統を辞任するまでが本作の主な舞台となります。辛亥革命は、学生時代に世界史の授業で習ったものの、詳しくは知らない。また、孫文は知っているものの黄興の存在は、本作を鑑賞するまでは知りませんでした。
おはようございます。めっきり涼しくなりましたね〜ってか朝は寒いくらいですよね。インフルエンザも流行の兆しですのでお互い気をつけましょうね😷さて、台湾旅行の続きですが、前回は忠烈祠までご紹介しました。時間的にはまだ2日目の10時半ってところですので、まだまだ回りますよ。台湾の観光バスの特徴として、日本の無機質な内装と違ってデコってます。これはどこのバスでもだいたい同じ感じです!次の目的地「中正紀念堂」に到着しました。中正紀念堂は中華民国の元総統である「蒋介石」を記念して建てられま
つまり反知性というだけではなく、あろうことか韓国や中国のプロパガンダのような新聞に毎月5,000円を払って2015年10月27日支那砂漠化を心配した武村氏このとき「孫文にはピストルを持った米人の護衛がついていた」とパウエル著『米国人記者が見た戦前の日本と支那』に書いている。護衛は米国人出資者がつけたボディガードだ。言い換えれば孫文は梅屋の資産をほぼ蕩尽したので、この時期、米国人スポンサーに乗り換えつつあったということだ。だから会見で日本の話が出ると「孫文はセオドア・ルーズ
(前回からの続き)この本の第3部のタイトルは「行動を変える」で、支配者が目的達成のために税を使い、人々がその税を回避するためにする途方もない努力について語る。最初に1698年ロシアのピョートル大帝がロシアの近代化を目指すための改革の1つとして「ひげ税」を課した話が出てくる。皇帝にしてみれば、ロシアの伝統的な支配階級ボヤールは腹立たしいほど旧弊だった。ひげ剃りよりも納税を選んだ者には「ヒゲトークン」を買わせて持ち歩かせた。このように支配者は人々の行動を自分の思う方向に誘導するため
孫文1866年-1925年1894年興中会を組織1895年広州蜂起を企てるも密告により中止し日本へ亡命1897年宮崎滔天から頭山満を紹介される、平岡浩太郎より資金援助を受ける1900年恵州で挙兵するが失敗1902年日本人妻、大月薫と結婚(慶応義塾大学の准教授に二人のひ孫、宮川祥子さんがいる)1904年アメリカ国籍を取得1905年東京で清朝打倒をめざす中国(革命)同盟会を結成、留学中の蒋介石と出会う1911年辛亥革命が勃発し、当時アメリカにいた孫文が上海に入る
本日は最近読んだ筑摩書房の新書~蒋介石~の備忘録を兼ねてのご紹介です。この本の冒頭で著者の友人が学生から受けた驚きの質問を紹介していました。確かに同時代では孫文や毛沢東のほうが有名ですし、亡くなって既に半世紀が経過してますのでショウカイセキってどんな石?はあり得る質問かも知れませんがそれにしても(笑)蒋介石を語る上で欠かせないのが三度目の正妻として迎えた宋美齢の存在です。彼女の活躍で日中戦争を連合国側の戦いとして組み込む事に成功しました。宋美齢は孫文の正妻、宋慶齢の妹ですから宗ファミリーとして
毎年7月になると、長府庭園に孫文蓮(そんぶんれん)と呼ばれる蓮の花が咲きます。白にピンクの縁取りが特徴の、可愛い花です。長府庭園は元長府藩の家老の「西家」の屋敷跡でした。その中のあちこちの池に孫文蓮が見られます。孫文とは、290年続いた清王朝を倒す「辛亥革命」のきっかけを作った人です。世界各国の支援者に革命の意義を説いて、日本でも1000人近くの人の支援を受けたようです。その中には、犬養毅や桂太郎というような政治家もいました。また、長崎の梅屋庄吉などから
2度目の陳舜臣。不倶戴天の中国・台湾、双方から国父と崇められる中山こと孫文。彼が大統領を務めた中華民国がすでに中国大陸の実効支配を失っているからか大清帝国滅亡からの中華民国建国の流れは耳にする機会が少ない。ラストエンペラーや蒼穹の昴で題材にはなったけど易姓革命についてはどこかぼんやりしてる。この本でも最終的にはぼんやりするのだけど孫文が打倒清国に立ち上がり中華民国が建国される前日までが描かれる。『ボンジュール、フランス租界!(上海)』今回の往路はなにわの鉄人28
台湾澎湖島の中心部、馬公市にある《観音亭》レジャーパーク。そのほぼ隣にあるのが《第一賓館》。元々日本植民地時代に「貴賓館」として建設された建物ですが、戦後、蒋介石が「蒋公行館」という名前に変え、自分の別荘としたのでした。詳しくは⬇️を読んでいただき(日本語の説明は見つけられなかった)、第一賓館www.penghu.gov.tw⭐️さらに、⬇️この解説も読んでください(説明しろや)。⭐️門をくぐってお屋敷までの長い道⭐️しかし、なんとこの日は定休日!中には入れず、⭐️仕方ないので、園内
前のブログ「歴史上の有名3姉妹北周→隋→唐の皇后に/始皇帝を暗殺しようとした人物の名前」に引き続き。前にテレビで放映されたことがある映画「宋家の三姉妹」というのも印象に残っています。ただ、内容は詳しくは覚えていません。事実がすごいな、という感想だけです。→宋家の三姉妹:作品情報・キャスト・あらすじ-映画.com日中合作だったんですね。宋家の三姉妹とは?意味をやさしく解説-サードペディア百科事典『宋家の三姉妹』は、近代中国に影響を与えた宋氏三姉妹の生涯
実はちょっと前に入手した切手になります上海大東5版孫文切手未使用なら大きなブロックやシートでもない限り、単片では絶対に手を出さない切手です。だって、面白くないですもん。印刷も平版でハッキリ言って雑。これをあーだこーだと理由を付けてリーフに並べたところで全然つまんないんですよね。だからいつも後回し、というかあまり積極的に入手しようとは思わない切手になります。ところが、今回の入手品は単品買い。オーストラリアから厳重包装でやってきました。ホント、開封するのに封筒を完全
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地大乱1992年香港映画監督ツイ・ハーク脚本ツイ・ハーク出演ジェット・リーロザムンド・クワン⚫︎あらすじ清朝末期の中国が欧米列強の侵略にさらされていた時代国内の心配事と外国からの脅威が同時に発生する中で、はびこる秘密結社・白蓮教の暴動が起きていた武術家で医師でもある黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)は、医学学会出席のため広州を訪れ、師弟とともにこの事件に巻き込まれてしまう白蓮教は「外国勢力排除」を唱えて暴走し、町中を混乱
前回からの続き(3月8日のこと)です舞子海上プロムナードから見えていた洋館へやってきました孫文記念館(移情閣)(国重要文化財)住所・兵庫県神戸市垂水区東舞子町2051番地HP・孫文記念館新着情報|孫文記念館公式サイトwww.sonbunkinenkan.com営業時間・通年10:00〜17:00休館日・月曜日(月曜祝日の場合は翌日)年末年始(12月29日〜1月3日)入館料・大人300円紹介近代中国の偉人・孫文を記念する館です。孫文と
中国建国の父・孫文と長崎の実業家・梅屋庄吉は、明治28年(1895)3月13日香港で出会った。孫文29歳、梅屋庄吉27歳だった。中国が欧米列強の草刈り場になっている惨状に心を痛めていた梅屋は、清朝打倒の革命を目指す孫文に共鳴した。そして、出会った翌々日、孫文に「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」と約束したという。日活の創立者の1人で、映画事業で財をなしていた梅屋は、その言葉通り、孫文の活動を財政支援した。武器・弾薬の調達、機関紙の発行、海外逃亡の旅費、医療救援隊の派遣、飛行場建設…。