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うちの娘は入学3日で不登校宣言しましたでも、夫婦の意見が合わない…学校と連絡とるのも、付添登校するのも、いつか体に不調が出たら病院へ連れて行くのも私なのに…そんな話を、森のようちえんのママさんに話しましたそしたら、「あ〜、うちも入学してすぐに知らない先生に『あんた』呼ばわりされて怒ってたよ」この、『あんた』は、関西の人のニュアンスとはちょっと違うかも岐阜県では、大人に対して『あんた』と呼ぶのはとても失礼なことですそれは、子どもだって同じ。今まで、大切
「もうちょっとだから、がんばれ!」なぜか、この想いがあふれます。知り合いのこどもちゃんが学校からのマスクをして帰ってきた。給食用に持たせたマスク。周りのみんながやっているからたまらなくなってつけたみたい本当にひどいね。かなしくて、くやしくて、なんで!?って言葉にならないし。でも、もうちょっとだから!!あとちょっとだから!!その想いがめぐって、その先に光が見える。遠くに見えるトンネルの出口みたいに光ってるんだよね。お母さんにしたらあともうちょっと!!だとしてもた
『愛と笑いの福の神まさみちです』愛と笑いの福の神のような存在でありたいっていう思いがね、心底から湧いてくるもんだからね、『愛と笑いの福の神』って言ってるけどね、おっちょこちょいで、子どもっぽい愉快な『愛と笑いの福の神』なのです…あは。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あのね、ぼくは長い間ね、子どもに厳し過ぎる先生が大嫌いだったの。ぼくの敵だって思ってたくらいなの。特に若造先生の頃なんてね、「もっと子どもの気持ちを考えてくだ
現在、栄養士の専門に通う2年生の坊ねずみです。私には仲の良い先生が複数人いて、授業の分からないところを教えてもらったり色んな悩みを聞いてくれるありがたい存在です。そのうちの1人の先生と14時半に授業が終わってから17時半までずっ〜と話していました。話の内容は「学校をより良くするためにはどうするべきか」という話です。その先生は助手で強い権力は無いものの、今の学校の在り方に不満を感じていました。私も学校に対して思うところが沢山あるので、解決すべく色々と話しました。生徒数を増やしたいことや
ありがたいことに、ブログサポートのお仕事などで忙しくて、自分のブログがご無沙汰になってました😂💦💦サポートしてるブログの方がデザインとかもちゃんとしてますww😆今日はあるイベントのシェアです!大阪市長宛に競争的な教育環境に物申して先日から話題になっている、現役の大阪市内の小学校の久保校長先生。全文はこちら。こんなに真っ当なことを言う先生がちゃんといるということに泣けます。大阪市立木川南小学校・久保校長の「提言」全文:朝日新聞デジタル大阪市淀川区の市立木川南小学校(児童数140人)の久保敬
こんにちはみなさんはオルタナティブスクールという言葉を聞いたことがありますかわたしはつい最近知りました(笑)その言葉自体は最近しりましたが、ずっと“自由な学校”に憧れていました。オルタナティブスクールとは、“新たな選択肢としての学校”という感じかな。いわゆる普通の学校ではありません。(普通の学校=学校教育法第一条に基づく学校のこと)その学校の教育方針に惹かれて入るのですね。分かりやすく言うと、モンテッソーリやシュタイナー教育を謳っているところは、オルタナティブスクー
歩く。今は、1日6000歩ノルマにしてる。これ、今日みたいに夕方まで家にいたような日はきつい!今日も夕方5時頃、さ〜てウォーキングすっか!って立ち上がったけど。。(おそ)玄関出て駐車場まで歩いても150歩くらいしか行かないよ〜😂ま〜いーか。と、運動公園行く。アプリの画面には「あと5850歩❢」むりしょ〜〜笑いーや今日は達成しなくても。5時半スタートなら4000かそこら行けば好成績さ!って気持ちでスタート。でも多少は気にして、短時間で歩数稼ごうと走ったりする。勾配もあるし、
学校という言葉を好きになりたい人へ学校にいい思い出がないとかイヤな思い出しかないとかだよねー。本当はテレビのようなマンガの中のような学生時代を送るはずだったよね世の中の事なんか幸せな人達なんか大嫌いに何度もなったかな実は優しい人達なんか山ほどいてねたまたま出会えなかっただけなんだ本当にたまたまなんだ信じられないだろうけどそれでね、優しいたくさんの人達にぜひ、出会って欲しいんだあなたの世界はぬり絵に色を塗るみたいに急に明るく
こんばんは!教育リライズ協会設立準備委員会共同代表のかなえです。最近、幅広い世代の方と交流する中で、「学校教育」というキーワードは、かなり関心が高いことがわかりました。多くの人が通る学校という場。楽しかった思い出、青春もある一方で、大人たちへの不信やトラウマをつくってしまうケースも少なくありません。『時代の憧れを創る学校革命』そんなミッションを掲げて、2006年に「学校革命」という著書が出版されました。↓↓http://www.noh-jesu.
大阪イチやさしいNLP教室のNLPトレーナーの藤木ミホです。このブログをお読みいただいている皆さん。突然ですが、皆さんは「居場所が無い感じ」を感じたことがありますか?少しの時間居心地の悪い場所で過ごしたあと、仲間のところに戻ってホッとしたという経験などです。この例は一時的なものですが、「居場所のない感じ」を味わったという事です。「ここ私のいる場所じゃない」とか、「お呼びでない!」なんて感じを、一時的に感じた事がある方は、けっこうたくさんいらっしゃると思い
おはようございます!今日からまた1週間始まりますね。日々の慌ただしさもあるかもしれませんが、心新たに、一緒にスタートできたら嬉しいです。さて、今朝も、“教員時代の葛藤”について書きますね。おかげさまで、少しずつですが、「共感します」や「実は、自分もそうなんです」と言ってくださることが増えてきたんです!ありがとうございます♪今日も、子どもたちの憧れモデルである先生たちに、ワクワク自分の人生を楽しんで欲しいから、今日も発信したいと思います。*****
こんばんは^^今週も1週間、本当にお疲れさまでしたゴールデンウィーク明けですものね。なかなか調子が乗らない方もいたかもしれませんね^^本日は、〝教員時代のお悩みシリーズ〟です教員時代、同僚たちと、〝指導方針がバラバラな事〟に悩んでいました。みんな〝子供のため!〟と言ってるのに、どうもコミュニケーションがズレてしまう。どうしたら良いのかなと葛藤していたんです。1つエピソードをご紹介しますね!**************ある日の音楽の授業は、鑑賞の時間。琴の奏者が来ま
『周りに影響されない先生になりたい、、』『周りに影響されない自分になりたい、、』職業に限らず、そう思ったことがある人はいますか?私は教員をしていたころに、よく思っていたことです。教員は、生徒、保護者はもちろん、副担任、学年の先生などの同僚、校長など管理職、色んな立場の人たちと、学校運営します。場合によっては、近隣の地域、自治体とも関わるし、福祉機関、医療機関、警察とも関わります。つまりは!色んな価値観と出会うわけです!!!担任として、子どもの意見を尊重したい、
教員をやっていた頃、カウンセリング、コーチング、海外視察など・・実は、たくさんの学びをしていました。(自治体の研修も入れたら・・もっとですが・・)学んでも学んでも・・、教育現場に活かせない・・。私の理解が足りないのかな・・と思って、さらに学ぶ。たくさんの時間とお金をかけているのに、知識はたくさん身に付くのに、一向に一人前にできた!という実感がない。たくさんの知識や技術は身に付く・・でも、その知識や技術が、身に付けば身に付くほど、人への
私の教員時代の悩みの一つ。生徒にやる気になって欲しくて、褒めてみようと思うけど、なかなか思うように褒められない。褒めたら、子供たちは調子に乗るんじゃないか、、私だけ、甘い教師だと思われるんじゃないか、、世の中は、そんなに褒めてくれることばかりじゃないし、、と思ってしまう。でも、生徒にやる気になって欲しいし、自信を持ってほしい。褒めたら、何か生徒が変わるのではないかと思う。そう悩む先生は少なくないのではないでしょうか?実際に、私がそんな悩める一教員たったんです。今は、〝
今朝は、小学生の対応に感動してしまった!朝、通学途中の小学生の女の子を見かけた。彼女は、もっていた傘を落としてしまった。気づいた私は拾ってあげようとしたところ、彼女のが速くて、自分で拾い上げる。ただ、私が拾おうと察したところに気づいて、『ありがとう』と声をかけてくれたのだ。お礼が言えること。しかも、見ず知らずの人に。その姿勢態度が、本当に素晴らしい!それほど価値があり、人を喜ばせる言葉、姿勢はないかもしれない。なんて、日本の小学生は素晴らしいのだろう。その姿勢、
昨日は、かなり意識の高い!公務員の方たちに出会ってきました~!!!最高にエネルギッシュで、公務員の意識を変えていこうと動いている人たちに出会えて、最高に楽しかったです私も、元公務員。東京都の職員で、10年間学校で働いていて、公務員の働き方、意識改革には興味津々!!!公務員は、法律に縛られ、常に、国民、都民、県民、市民・・・様々な目を気にせざるを得ない職業。ストレスを抱えやすいし、閉塞的になってしまいがち。本当は、組織をこえて、繋がりたいし、一緒に何かし
2014年2月に始めたブログ。本日で、625本目の記事になります!約数では、1、5、25、125、625の節目です。細々と続け、、お休み期間もあったけど、ここまで続いたのは、奇跡でもあります。。笑4年前の私は、教員で、教員と言う立場で、たくさんの疑問があった、葛藤があった、、それを言葉にしたいけれど、どう表現したいかわからないし、できない・・でも、誰かが発信しないと、教育現場は、何も変わらない・・物凄くもがいていた頃です。https:
周りに、生き方のモデルがいない、、自分自身が、生き方のモデルになれていない、、それは、私が学校現場で働く中で、実は思っていたことです。20代のころ、ワークライフバランスが叫ばれていました。仕事と家庭の両立。両方できて、ワークも、ライフも楽しんでいる女性になりたい!そう思っていたし、そんなモデルを探していました。女性の経営者の方の話を聞いたこともあったけど、どうも自分とかけ離れてる、教育現場でも、もちろん素敵な人もいたけれど、その人たちから、心から本当に楽しい
近所の小学校は、今日が入学式。ドキドキわくわくしながら、これから学校生活が始まるのかなと応援したい気持ちになりました。10年間の教員生活で、何度か入学式も経験させていただきました。初めての学校で、初めての友達、先生・・・これから何が始まるのだろうと、期待と、不安・・・それでも希望をもちたい出発の日が、入学式なのかなと思っています。さて、今日という日は、私にとっても、まるで入学式と言っていいくらい!新しいイメージが広がった日です。私は、今
教員の時に、先輩たちとの指導方針がバラバラな事に悩んでいました。みんな〝子供のため!〟と思っていても、ズレてしまう。どうしたら良いのかなと葛藤していたんです!今日は、1つエピソードをご紹介します。**************ある日の音楽の授業は、鑑賞の時間。琴の走者が来ました!担任していた生徒は、音楽が大好き。リズムに乗り、体を揺らしながら鑑賞していた。私は、その様子を見て、音楽を楽しんでいると判断し、見守っていたんです^^しかし、、その様子を見て、
4月2日、今日は、世界自閉症啓発デーらしい。たまたま見かけた広告で知りました^^自閉症と聞いて、昨年まで、担任していた子達、そういえば、自閉症さんだったなぁ、、と懐かしくなりました(障がいをもった子どもたちの学校にいたので)自閉症というと、ひきこもりとか、心の病気と思い浮かべる人も多いけど、脳の特性により、色んな特徴、キャラがあったりする。かなり明るかったり、人懐っこかったり、もちろん、知的な障がいもない人もいるし。一言では言い表せない。でも、なぜだか惹かれる愛
今日は、4月1日。長らく教員を続けたために、4/1は、一年が始まる元旦のようにも感じる私。昨年の今日は、10年続けた教員を辞め、辞めた途端に、生まれて初めてと言っていいくらい動けなくなった日。やりたい事があって辞めたのに、辞めた途端に、自分が分からなくなったんです。あれから、1年、、あの頃は、まだ自分が分からなかった、自分の本音も思い切り言えないし、自分の感情にすら、たくさんたくさんブレーキがあった、だから、そんな浅い関係性しか築いてこなかった。そんな限界があり
12年前の4月、学校の先生になりました。4月1日、先生と呼ばれたその日から、『プロとしてやらなければならない』そんなスイッチが入ったように感じます。もちろん、上司から日常的にそのようなフレーズはよく聞くし、子供からも、保護者からも、地域からも、そんな目で見られているように、無意識にプレッシャーを感じていました。『プロなんだから、出来て当たり前』『出来るまで、努力するのは当たり前』それは、当たり前の判断基準になっていったんですよね。出来ないのに、やったことないのに、出
教育現場シリーズ?第2弾です^^教員時代に最も!ニガテ、、苦しかった仕事が、成績評価でした、、^^なぜ、子供たちを評価しなければならない?その基準ってなんなの?そもそも、私は評価できるほど大した存在なのか?考えれば、考えるほど、苦しくなり、鬱々とした気持ちになっていた事が思い出されます。(だって、先生と言われる存在になった瞬間から、プロで、評価はしなければならないと思い込んでたんです)子供たちにも、親御さんたちにも、この子たちは、凄い存在なんだよ!と伝えたくて、、
教員の仕事をしていた頃、自分が教えてることが、子供たちの人生に役立つことなのか、意味あるものかのか、内心ものすごく自信がなかったんです。何を教えるべきか、公教育では決まっていたし、自信をもって教えることができないのは、自分の未熟さ、勉強不足だと思っていました。何年か重ねたら、必ず、自信をもって教えられる!人生に繋がる!と、確信をもって教えることができる!そう思って、3年がむしゃらに働き、、確かに教えるテクニックや、前で話す話術は身につくけれど、、教えていることが
大人は、正しいと思う答え(知識や大人の常識)に、子供たちを無理やり合わせようとした教育をしている!教員をしていた時に、葛藤したことは、いつも、そこだ。気づけば、社会の当たり前のルールに、正解だっていう模範解答に、子供たちを合わせていた。授業だって、そうだし、日常生活だってそうだった。いくら、「上手な授業」だって、模範的で見本だって、大人たちに評価されたって、ここで、本当に子供たちの生き方にどれだけ響くものだったのか、、子供たちの心に、勝負しなくては何も意味がない