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やっと読めました。何年も前にビジネス系の動画で紹介されていたので読もう読もうと思っていましたがついつい忘れていてやっと手にすることが出来た一冊です。「学問のすゝめ」の初編が刊行されたのが明治5年だそうで西暦1872年です。いまから考えれば随分と古臭いものだろうと思っていたのですが全然そんなことはありませんでした。現代にも通じていてそして日本の本質を歩むための大切なことが書かれています。そして日本人は約150年も前から進化
きょうから6月、水無月しかし話題は4月もあと数日、GW直前の頃社用で田町駅より三田は、慶応大学にやってきた慶応大学入口前横断歩道上より「東京タワー」新幹線出張の帰り、車窓からタワーを見上げては「東京に無事帰ってきました」と感じたこと多々どちらかと言うと、ツリーより、長年接してきたタワーに愛着感じます(いずれ時間が解決してくれると思いますが・・・)「学問のすすめ」最中で有名な文銭堂本舗さんの隣に春日神社鳥居をくぐり階段を上り境内へ手水舎
先週のネットニュース・・・その後の更迭騒ぎなどで、案の定、ネットでは色々な意見が飛び交っています。多くは、当の秘書官に対する意見や父親である首相まで意見が及んでいます。ちょっと待ちなさいよ!それが、一斉に右へ倣えで『口撃』していますが、元をたどれば国民にも責任があります。こんな人達を選んだのは、私たち国民じゃないの!!!啓蒙思想家の福澤
自分の記事にリブログする、ジブログ記事。こんなニュースがあって思い出しました。立憲・石垣のりこ議員「人民」ツイートで炎上…過去には病気の安倍首相に「危機管理能力がない」繰り返される舌禍|SmartFLASH/スマフラ[光文社週刊誌](smart-flash.jp)msnで見かけて、そういえば人民とか国民とかの言葉の語感をネタにした記事を書いたね、と思って過去記事を探しました。引用のリンクは元記事のsmartFLASHにつけておきます。しかし、ネト
こっんにっちわ〜めるでーす私の母、昔私に対して結構な教育ママだったんです。でも、アマノジャクな私は反抗して全く勉強せずホント大人になって大後悔しておりますです昔は母から勉強しろー勉強しろー!と言われてたんですが、なんで勉強なんてしやなあかんのぉといつも思ってたんです。大人になった今だったら、全部が大事って分かるんだけど、塾にイヤイヤ行かされてたあの時は、こんなん全然使う時ないやん!なんでこんなこと覚えやなあかんのといつもひねくれてたんです。で、最近たまたま本屋さんで子ども
福沢諭吉が『学問のすすめ』を書いた目的は、その第三編に「一身独立して一国独立する」とあるように、新生日本を文明国として独立させるためです。国民の一人ひとりが「独立」に気風を確立していくところにこそ「一国独立」の基本があると主張したのです。たしかに、一個の独立した人格のないところには「人間」としての信念・節義・識見もありません。封建時代からの「長いものには巻かれよ」とか「寄らば大樹の陰」といった日本人の隷属根性を、彼は徹底的に批判しました。何があろうが負けない
今日は一歩も家から出ませんでした英会話は休んでしまった…本を読んで、静かに過ごした一日でした福沢諭吉「現代語訳学問のすすめ」読了座右の書松下幸之助「人生心得帖」も約一年ぶりに開きました
小6娘が、学校の先生にすすめられたというので、読んだら感動の44才主婦『学問のすすめ』②【第15編判断力の鍛え方】「疑った上で判断せよ」「文明は疑いが進歩させる」信じることには偽りが多く、疑うことには心理が多い。試しに見てみよ。世の中の愚か者たちは、人の言葉を信じ、本に書いてあることを信じ、俗説を信じ、ウワサ話、神仏、占いを信じる。両親の大病にあんまの言うことを信じて草の根、木の皮を薬として使い、娘の縁談に家相を信じていい話を断る。病気で熱が出ているのに医者にかからず
どうする家康観ていますよ。家康の何だかちょっと情けない感じが良いですね。家康が、一向宗のことをよく思わなかったのは、流石だなと思います。現世の罪は現世限りだったら、何しても良いになってしまいますねそれはちょっと、、欽天学んだら、いやだいぶ、、違うと思える。何もせずに消えるわけはないですね。現世の間に解消しようと思ったら、やはりやり方があると思います。南無阿弥陀仏さえ唱えれば良い?そんな訳ないでしょう、、きちんと学んでいれば、わかる部分だと思うけれど、十分な学を
小6娘が、学校の先生にすすめられたというので、読んだら、感動!!44才主婦、震えた。令和5年2月。だんだんと日本が貧乏になっていると、テレビ、YouTubeで耳にする、いま、勇気をもらった一冊(≧◇≦)。全ページ感動した。ポイントを、整理したい。少しずつでも、我が子に伝えたいところを、抜粋。★いま世界中を見渡してみると、文明が明けているということで、学問も軍備も盛んで、経済的に豊かな強国がある。一方、野蛮で文明も明けておらず、学問も軍備も整備されていないで貧弱な国がある。一般的
福沢諭吉さんの「学問のすすめ」を購入してから、かなりの月日が経ちますが、全く読んでおりません。なので、まずは福沢諭吉さんの生誕地にやって参りました
3連休が今日で終わりしかし、この3日間は娘がバイトで送迎以外これと言って用事もなく…両親のところにも行けないし…(私、発熱外来やってるので)ホント、ゆっくり体が休まりました松本に住まいを変えてから初めてかもしれません。昨年末から、本の整理整頓を始めていてもう一度読んでみようと手に取った学問のすすめ誰でも知っている福沢諭吉が明治5年(1872)に書いたもの現代語訳ですが、最初に読んだ時とても時間がかかりました。なぜなら、聞き慣れない語句が多かったから…6年ぶりにに
福澤諭吉の「学問のすすめ」題名は知っている日本人はたくさんいると思います。しかし、「学問のすすめ」読んだことがある人はどれだけいますか?明治大学の文学部教授の齋藤孝先生が学生に聞いたら皆無だったそうです。明治時代に「学問のすすめ」が出版された時は当時の160人に1人は読んだベストセラーだったそうです。慶應の経済学部出身の友達に忘年会の時に読んだことあるかと聞いたら、大学1年生の時に読んだが内容は覚えていないとのこと。大学生協に山積みされていたから買ったけ
こんばんは。かよこです『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言へり。今さらですが『平等じゃないのかー!』『不公平だー!』と勉強や努力もしないで主張ばかりしていても何の意味もないと言うことですよね💡それと同じで誰かが幸せを持ってきてくれる誰かがなんとかしてくれる自分で幸せになりましょう自分でなんとかしましょう自分の人生ですから。思いのままです☆今日も数あるブログの中からわたしのブログを最後まで読んでくださりありがとうございます♡♡♡皆さまの自分凄い
おはようございます、有柚です。この数ヶ月、イベントに色々お誘い頂いて足を運んで参加して参りました。ある方の演説で、心に残っている言葉があります。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉があるだが人は人の上に人を造るし人の下に人を造るものだその方が海外で体験したことに基づく持論です。その国の言語をほとんど話せないまま仕事をしていた頃、自身をバカにされイジメにあったそうです。ある時、黒人街に行ったら普段差別を受けている人々から差別的発言を受けたそうです。
ども、蝦読weeklyです。今週読了した本はこちらです。福沢諭吉著佐藤きむ編『福沢諭吉「学問のすすめ」ビギナーズ日本の思想』恥ずかしながら、この齢にして人生初の『学問のすゝめ』。現代語訳ですが。初めて全編を読み通してみて、思いの外、骨太な内容に驚かされました。単に学問の大切さや学ぶ理由を述べているだけではなく、国民としての心構え、経済、国際社会などなど、触れられている範囲が広く、独立を促しているあたり、福沢諭吉の心の強さを感じさせられる本です。国民としての心構えについては
これは、『引き寄せの法則』や『思考は現実化する』に代表されるスピリチュアルな成功哲学・成功法則の文字通り『完全解説書』。願望が引き寄せられる、自分の思考が現実化する、自分の現実は自分で創り出している。よく言われることですが、『一体どういうメカニズムがはたらいて、現実というものは創られるんだろう?』というような『問い』を心の中に抱えている方は、是非とも内容を読んで頂けたらと思います。成功哲学・スピリチュアルといった切り口ではありますが、一番伝えたい根底のテーマは、『
以前、「齋藤孝のこくご教科書」の始まりが福沢諭吉の『学問のすすめ』となっていて素晴らしいと書きましたが、『学問のすすめ』を読むと普遍的な内容となっていて良書は時代を超えることをあらためて考えさせられます。また『学問のすすめ』の初編から三編は、「民間の入門書または小学校の教科書」として書かれており、齋藤孝さんがこれを使用したのは必然でもありました。『思考停止を生んでいる現在の国語教育』現在の国語教育は、日本語教育なのではないか?と考えています。言語は思考をつかさどりますから、その言葉を教える
翔くんと伊藤塾長の特別対談の後編以前、翔くんが雑誌のインタビューで「嫉妬というのは最もみっともない感情だと思っています」と答えていて。その当時漠然と抱いていた思いとして「嫉妬する、妬むというのは自分に自信がない」「自分がないからみっともない感情だなと思っていた」当時を思い返し、そんな風に話してくれた。自分は何が好きか、何がイヤなのか、自分の事を分かり、受け止めると「人は人、自分は自分」と違いを認められ、ひがんだり羨んだりする事は少なくなるのかなと思った。自分を知る、小さな事か
みなさん、こんばんはワタクシゴトですが、昨日、久しぶりに「検定試験」なるものを受験してきました。英語の検定の中でも英語で保育ができる人材を育てるのが目的のちょっと特殊なモノで。今の仕事上、絶対に必要な資格ではないんですけど勉強する価値はあるかなぁ・・・と思って。試験勉強しながら、必要でもないのにわざわざ受けなくてもよかったか・・なんていう気持ちになったりもしたんですけど翔くんと慶應義塾塾長の”ガクモンノススメ”を見て、挑戦してよかった
翔くんと慶應義塾長の特別対談。福沢諭吉の学問のすすめ初編が出て150周年記念その対談第一号として塾長が翔くんに依頼をしたのだとか塾長から翔くんへの大きな信頼が感じられ、とても嬉しい翔くんの事も所々語られ、知ってるエピソードでも今の翔くんの口から改めて聞けて、これもまた胸アツ(*´艸`*)「他の誰でもない自分の人生を歩んでいく」「誰かに用意された道でないところ、道のないところに道を作っていく」あらゆる面で前例のない事をしてきたパイオニア的存在の翔くん。努力を
みなさん、こんにちは翔担のあいだで今話題!の”ガクモンノススメ”前後編、一気に見ました!慶應の、いや、日本の学問の「祖」とも言える福沢諭吉その著書「学問のすすめ」の、刊行150年を記念して、の慶應義塾の塾長先生と翔くんの対談。いやーーーーアカデミックでございました。”学問とは”という命題から派生して”生きるとは”っていう深いテーマにまで及ぶ(と私は思いました)とっても有意義な対談・・・なんだけど何も難し
新しい生活様式(外出自粛八百六十一日)を詠む『音読は学問のすすめ朝に夕眠気が飛びて心洗われ』立冬末候金盞香し(きんせんこうばし)水仙の花が咲き、かぐわしい香りが漂うころ。金盞とは金色の盃を意味し、黄色い冠をいただく水仙の別名です。(新暦では、およそ十一月十七日~十一月二十一日ごろ)候のことば、水仙。旬の魚介、甲いか。旬の野菜、れんこん。旬の野鳥、まひわ。旬の兆し、ミーニン(新北風)。旬の行事、出雲大社の神在祭。以上
今の私たち日本人はきちんと歴史を知っているでしょうか?私自身も何となく知ってはいるものの、あまりにも悲惨な歴史からつい目を背けてしまいたくなってしまうこともあります。私はコロナになり、今まで世界に向けていた目を日本に向けるようになりました。日本の歴史、日本の文化、日本の伝統。そして改めて日本人であることに誇りを持つようになりました。今の私たちはあの頃の、80年前の人たちに胸を張って誇れる日本を作れているのだろうか?そんなことを考えています。先日改めて福沢諭吉の【学問の
こんばんは、もっさんです日本の名著ということで読んでみたいと思っていましたが、今まで読む機会がなかった『学問のすすめ』。図書館でたまたま見つけたので、手にとってみました!この現代語訳を読みましたが、本当に読みやすかったです楽天お買い物マラソン開催!11月4日~11日まで![書籍のメール便同梱は2冊まで]/学問のすすめ[本/雑誌](いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ)(単行本・ムック)/福沢諭吉/著奥野宣之/訳楽天市場1,540円【要約】※『学問のすすめ』は全部で
11月5日諭吉の塊(帯封)に見てみたいと息子に言われたけれど実現させてあげられなかったコーチング型ファイナンシャルプランナーかわかみまゆみです。「死ぬ時OKな生き方を」人徳と健康と経済的安心を手に入れ、本来叶えたい未来を描くためのお手伝いがしたいだけのFP投資歴32年。投資の失敗と成功を重ね、お金に振り回されてきた!と思いきや一度も貧しいと思ったことはないお金との良好な関係を築けている強いマインドの持ち主です「諭吉も
私は🌿よく誤解されるが、弱者にはトコトン優しい。しかし、強者には厳しい。本音で付き合うし、言ってわかるくらい強さを信頼しているからだ。かくいう私も圧倒的な強者に無礼を許され、ご指導ご鞭撻を受けてきたからだ。彼等に恩返しは🌿出来ない分、下の世代に返しているのだ。マジョリティは🍀キャンキャン吠えるが、私は「ごめんね」と【逆威嚇】で許している。~これをそのままとって気分よくする人と、底が知れない恐ろしさに畏怖、畏敬する感性が鋭い人もいる。一般的に人生経
今回の作品は、福沢諭吉「学問のすすめ」(12年6月7日放送)。永島の最初の朗読だった。ストーリーテラーは橋本。今日紹介する作家は、福沢諭吉当時、国民の十人に一人は読んでいたといわれる国民的ベストセラー作品です永島による作品紹介:福沢諭吉「学問のすすめ」明治日本を代表する教育家であり、学問、思想界もリードした言論人でもある福沢諭吉文明開化の波にさらわれ、国際社会に船出したばかりの日本人に、福沢は平易な言葉で学ぶこと、そして独立の精神
かの、福沢諭吉「学問のすすめ」の中に・・・《以下現代語訳》信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い。社会が進歩して真理に到達するには、この異論を出して議論する以上の方法はないのだ。物事を軽々しく信じてはいけないのならば、またこれを軽々しく疑うのもいけない。信じる、疑うということについては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか。と、あります。私たちは普段、何かのモノゴトや誰かが言うこと、様々