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「10第7代孝霊天皇」日本は恥の文化ですみなさん、おはようございます父の日ですお父さんに感謝です会えなくても気持ちだけは伝えましょうきっと伝わりますアリガトウ『開運ノ國史』「10第7代孝霊天皇」です「第7代孝霊天皇」御名、大日本根子彦太瓊命おおやまとねこひこふとにのみこと太瓊=祭祀という意味です考安天皇の崩御(123歳)の後第二皇子が即位あそばされました吉備乱戦の時代です米の取り合いです皇兄は、大吉備諸進命おおきびもろすすみ
宮黒田廬戸宮(くろだのいほとのみや)(奈良県磯城郡田原本町)皇后細媛命(くわしひめのみこと・磯城県主(しきのあがたぬし)の娘。磯城県主は神武天皇東征の折に従った豪族)父孝安天皇母押媛和風諡号大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)漢風諡号孝霊天皇(こうれいてんのう)陵片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)孝霊天皇と細媛命との間には次の孝元天皇がお産まれになります。孝霊天皇と妃の倭国香媛(やまとのくにかひめ・安寧天皇の皇子
『『樫原神社⇒伊比良咩神社』出張の合間神社巡り阿波徳島編~神武東征の真実~』『『鯰の歌碑』出張の合間神社巡り阿波徳島編~ナマズが守護するもの~』『『杵築神社』出張の合間神社巡り阿波徳島編~須佐之男命と大日孁貴の足取り~』『『天村…ameblo.jp↑のつづき。さて、徳島の旅二日目も終盤戦。伊比良咩神社を後にしたワタシは、吉野川に架かる名田橋を渡って車で10分ほど走らせた。※クシナダ姫の「名田」ですよ。すんなりと目的地にたどり着く。本当に、徳島県は式内社の宝庫である。拝殿
第七代孝霊天皇は欠史八代と言われている時代の天皇です。しかしその欠史八代の最後の第九代開化天皇の名前である大毘古命(おおびこのみこと)/大彦命(おおひこのみこと)を表している「意富比垝(おおひこ)」と書かれた埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘があることから、開化天皇の実在が確認され、その父である孝元天皇も実在したと考えられるようになっています。孝霊天皇はその孝元天皇の御父です。そして相次ぐ遺跡の発掘調査により、随分色々な事が推測されてるようになってきています。そう考えると欠史八代をいうのであれば、こ
Wさんにご紹介いただいた本●源流レムリアの流れ世界に散った龍蛇族よ!この血統の下その超潜在力を結集せよを読んでいます。と言っても、実は感覚で読んでいるような気がします。地名やお人の名前が覚えられない・・・・ただなにか自分に大事なことが書いてあるようなそんな感覚です。ケイシーの本も最初は2冊読んでも理解できず気分が悪くなりました。(笑)その後訳者の光田さんの講座スタディーグループに参加し体感しながら習得していった感じでした。
最近大バズりしている、岡山県真庭市上中津井にある「高岡神社」に行ってきました。先ずは道路沿いの大鳥居。この神社なぜ大バズりしているのか…理由は、昨年夏頃の台風で樹齢800年といわれる御神木の枝が折れたのですが、その折れた部分が今年の干支「辰」「龍」に見えるから。昨年末頃から参拝客が増えているようですが、今年は辰年。一段と参拝客が多くなっているようです。くりんも是非拝みたいということで訪ねました。朱色の「祓橋」の先に御神木が見えます。遠景ですが、御神木はとても大きな杉です。いよ
富士山のパワーは宇宙パワー山宮浅間神社で感じます。ここでは木花咲耶姫のパワーは感じません。富士山本宮浅間大社は木花咲耶姫のパワーでした。富士山イコール木花咲耶姫ではないんです。富士山本宮浅間大社HPによると「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。富士山の噴火を抑える
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☆孝霊天皇片丘馬坂陵大和国葛下郡奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目(詳細住所不明)(進入路は県道201号線より)(P有るものの閉じられ進入不可、西へ歩いて5分ほどの「王寺健民運動場」P、もしくは道路向かいに停め置き)第七代孝霊天皇の治定墓。丘そのものが樹叢に覆われ、御陵であるために全容を把握できないものの、自然の丘を利用した「山形墳」であるとのこと。それ以外の情報は一切無し。孝霊天皇と言えば「桃太郎」伝説に深い関わりのある天皇ですが、宮は黒田廬戸宮とされ、桃太郎退治の出発地などとも。
ご訪問ありがとうございます。少し間が空いたのですが、前回は欠史八代を、磯城県主を後ろ楯に(唐古・鍵遺跡から見ても、かなり経済力があったのでは?)、族長的地位を継承していた集団だという可能性を考えてみました。なんといっても安寧天皇の和風諡号シキツヒコタマデミと同じく、兄磯城弟磯城の総称も「磯城津彦」なんですものねえ……そこで順次「日本書紀」を見てみますと大日本彦耜友オオヤマトヒコスキトモ(懿徳イトク)天皇は、磯城津彦玉手看シキツヒコタマデミ(安寧)天皇の第二子なり。母を渟名底仲媛ヌ
(旧)文月十一日悠久のいろはにほへと箸墓はヤマトトトヒモモソヒメ陵雲端勇製麺所でそうめんを買い、国道169号線をさらに南下。左手に見えて来るのが、箸墓古墳である。邪馬台国畿内説を唱える方々は、これこそが卑弥呼の墓だという。管理する宮内庁では、第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓としている。ちなみに、この姫、大神神社の祭神、大物主神の妻である。『第1085首孝霊神社にて』(旧)水無月六日
2018/12/23配信<第7代孝霊天皇>大日本根子彦太瓊尊[おおやまとねこひこふとにのみこと]吉備乱戦(米の取り合い)(皇兄)大吉備諸進命[おおきびもろすすみのみこと]参戦(大和、越、丹後、出雲を統合)VS新羅の王族。
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拙著『神武天皇と卑弥呼の時代』で「記紀」では初代天皇として描かれる神武天皇は初代ではなく第五代の孝昭天皇が初代天皇であり、それに続く孝安天皇、孝霊天皇、孝元天皇の、「孝」が接頭する天皇家が続くと推論を進めました。これはタニハ(丹後国)出身の大王家となります。この後に大阪府の「北島家文書」が孝元天皇世代に熊野に入ることなどから、所謂熊野から大和に入る神武天皇はその後の世代で、綏靖天皇、安寧天皇、懿徳天皇、開化天皇、崇神天皇と続くとも考察しました。これは所謂物部氏の首長となります。孝昭天
イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。⑰-5の続き⑰-6原武蔵東京です。東京探検がつづきます。「神」阿多~伊勢のライン延長を一応たどっております。妄想があなたの素粒子の振る舞いに影響するんじゃないかと一方的に思います。どんどん脇道を探検してボリュームが増し気味なので、ぼちぼちを心がけるようにします。妄想ですが。悪しからずご了承ねがいます。(ペコリ)麒麟ですな神奈川県からわざわざ寒川神社の分霊を勧請よく見ると難波八幡とも
またしても鬼林山への道に彷徨い込んでしまいました。山の中腹を走る広域農道から黄金に輝く樂樂福の妖しき里が見えてきます。手前の森の中に樂樂福神社はお隠れです。向かいの山には伊邪那岐命の御陵があるとか、人皇七代孝霊天皇の御后細姫命が葬られているとか言い伝えは多い。この神社のお守り寺であった神宮寺はただいま五十五代を数え郡内でも最古です。その昔、西樂樂福神社と神宮寺から向かいにそびえる鬼林山に棲む鬼を退治したという話は有名だ。しかし鬼林山(きりんざん)という字名は山頂下のわずかな区域
じげのゴミ出し小屋に実をつけてきた草いちごな7月。苗代いちご?ヘビイチゴ?どっちでもいいから今日は隣町まで日野川を下ります。#撮り鉄さんのベストポイントで真似をしてみます。日野川の中流です。鳥取、島根、広島県三県をまたぐ三国山(1004m)に水源を発し、全長77kmで日本海へ注ぐ。小さいながらも一級河川。鳥取県日野町を往く。その昔、人皇七代孝霊天皇が旅した道。福姫のお生まれになられた音無川はいずこ?日野町根雨に到着です。次は花見山トレッキングです。
温羅神社(吉備津彦神社末社)◆玉鋼(けら)の杜~金屋子縁起と炎の伝承~12明日から勤務時間が変わります。お休みの日は次の日の仕事の早朝4時起きのため遅くとも21時には就寝します。月に一度ほど早朝3時起きもありますが。したがって記事は12時と20時を予定に上げます。またコメント返信等も仕事日は26時頃まで、お休みの日は21時までとなります。さて…本題。今回は「金屋子神」金山彦命説を。現在の主祭神でもあり、十分にあり得ることかと思われます。~*~*~*~*~*
12月29日、墳活一人旅中に訪れた古墳、続きです↑黒田大塚古墳、北東側より左側が「後円」部、右奥が「前方」部。墳長70メートル、周溝を含めると86メートル、後円部径40メートル、後円部高さ8.2メートル、前方部幅45メートル、前方部高さ7.7メートル、二段築成、6世紀初頃築造の前方後円墳。場所はこちら:34.568064,135.776170↑黒田大塚古墳の解説板↑黒田大塚古墳の変遷奈良時代には周溝が埋没したようです↑黒田大塚古墳、南側の様子左奥
奈良県桜井市箸中うん赤糸の小道縁結びの椅子大物主ゆかりの苧環塚(おだまきづか)古事記に、三輪山付近に活玉依媛(いくたまよりひめ)という美しい姫が暮らしてました。その娘のところに、毎夜通う男がおり、やがて姫は懐妊。親は男の正体を知るため、寝床のあたりに赤い土をまき、苧環(おだまき)の絲の端を針にとおして、男の着物の裾に刺しておくよう親にいわれ、娘は教えられたとおりにしました。翌朝、その糸を辿ると三輪山の麓に止まり、苧環には糸が三輪(三回)だけ残っていました。姫はここで始めて男が神のみこ
『日本国記』「出雲」の出雲族と「ヤマト」の出雲族の戦い限りなく真実に近いアナザーストーリー【78A】「物部東征」と「倭国大乱」ひじかたすいげつつづく宇佐の「ヒメ大神」や但馬の「息長帯姫オキナガタラシヒメ」の話の前に、出雲と物部の戦いがあったことを述べなければならない。魏志にいう「倭国大乱」である。一般に「倭国大乱」は146年から189年の2世紀後半といわれるが、天皇の代でいえば孝昭天皇・孝安天皇・孝霊天皇・孝元天皇に時期である。戦乱
『日本国記』「建角身・味鋤高彦」と「オオタタネコ」限りなく真実に近いアナザーストーリー【74A】ひじかたすいげつつづき「建角身・味鋤高彦」は〝神武東征”を助けた〝八咫烏”であったとよく言われる。しかし出雲の口伝では、第一次〝神武東征”はニギハヤヒの子孫である物部ウマシマジによってであり、熊野からヤマトまで戦いらしいものはなかったといわれる。その道案内をしたのは今の堺市の陶荒田神社を創建した「大田タネヒコ」であるという。そしてウマシマジらは磐余
『日本国記』「出雲」と「吉備」と「ヒボコ」その3息長帯姫限りなく真実に近いアナザーストーリー【77A】ひじかたすいげつつづく「息長帯姫オキナガタラシヒメ」の母親は葛城の「高額媛タカヌカヒメ」であった。彼女はヒボコ一族の末裔であったため、その子である「息長帯姫」にとっては辰韓の後の新羅は自分の領土を奪った敵国であった。新羅は本来〝シンラ”であった。しかし、あえて「シラギ」と呼んだ。今でも日本では新羅を「シンラ」とは読まない。「シラギ」とは
『日本国記』「出雲」と「吉備」と「ヒボコ」その2限りなく真実に近いアナザーストーリー【77A】ひじかたすいげつつづくヒボコ一族の「葛城高額姫タカヌカヒメ」と開化天皇の曾孫あるいは玄孫といわれる「息長宿禰王」の間に「息長帯姫オキナガタラシヒメ」は生まれた。彼女は仲哀天皇の后となったことになっている。崇神・垂仁天皇は九州から東征し、ヤマトを支配したが、絶対的は権力は持っていなかった。部下であったトヨキイリヒコや孝元・開化天皇系の勢力もいた。
『日本国記』「出雲」と「吉備」と「ヒボコ」限りなく真実に近いアナザーストーリー【75A】ひじかたすいげつつづく出石神社の社家である神床家がヒボコの末裔であるといわれる。SNSの友にヒボコの末裔がいるが、名字は“神床”ではない。その方の名字はとても少なく、そのため同じ名字の人がどこに何人いるかを調べるとすぐにわかった。日本国内におけるその名字の人の分布と出石神社の分布は全く相関する。やはり出石神社に所縁のある方らしい。出雲王家である向
大きな白い手だれかのどこかの空間のそこに置いてきた念感情残像のように蜃気楼のように存在する引き寄せられて呼び寄せられて手が向かう大きな白い手はそっとさしだされるあちらとこちらどちらも救済されるわたしの大きな白い手はどこへ向かおうここは、奈良(大和)と大阪(河内)の県境にある龍田古道と合わせて日本遺産にも指定されてる亀の瀬天皇や聖徳太子も通ったとされるところ二つの山脈の切れ目となるこの地は陰陽道における「龍穴」にあたり、都によい気を運び入れる
鳥取県の日野川上流の宮内の右岸の丘に鎮座する珍しい社号の樂樂福(ささふく)神社を10年ぶりに訪れました。写真⑧鳥居、国道183号線のすぐ横にあります。写真⑧➉杉の大木に囲まれて荘厳の感じがする拝殿遠景写真➉拝殿正面写真⑪写真中央が本殿写真⑫拝殿の賽銭箱にお賽銭を入れますと、獅子舞をしてくれます。写真⑬厳かな杉の大木に囲まれた社殿の参道の傍らに紅一点の紅葉が映えていました。下図は、樂樂福神社の位置ですが、JR伯備線の生山(
『日本国記』ヤマトトトヒモモソヒメから吉備津彦へそして崇神垂仁朝に限りなく真実に近いアナザーストーリー【40A】ひじかたすいげつつづきヤマトトトヒモモソヒメ古墳は一般には箸墓古墳と呼ばれる。この「箸墓」という名称は、後に大物主の話の中で出てくる話からつけられた名称のようである。崇神・垂仁朝に、大物主がモモソヒメに神がかり、また、倭迹速神浅茅原目妙姫と大水口宿祢と伊勢麻績君の三人がともに同じ夢を見て、大物主神と倭大国魂神をオオタタネコと市磯長尾