ブログ記事74件
常陸国風土記にある東の大山は賀毘礼の峰という。高鈴は昔ならカフレイとフリガナがつけられた。カフレイとカビレは訛りの範囲だろ?カフレイからのさらなるわたしの発想は、孝霊天皇!孝霊天皇は常陸国風土記で天皇とされたヤマトタケルだと妄想する😂
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!令和8年明けましておめでとうございます。本年もよろしゅーおたのもうします。といっても、フライングして出没で、おっちょこちょいな探検隊長の妄想探検を、わたし探検隊員日月ホトトギスが勝手に記録記事で書いているだけ。おめでたいものの一つと言えば富士山讃岐富士・飯野山(=飯盛山)一富士、二鷹、三茄妄想変換一富士=藤ノ池で身を清め登る霊峰剣山二鷹=鷲阿波忌部の
水主神社(みずしじんじゃ)主祭神:倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)境内社:孝霊神社-孝霊天皇(こうれいてんのう)国玉神社:倭国香姫命(やまとのくにかひめのみこと)水主三山:熊野三社新宮神社-伊邪那美命本宮神社-早玉男命那智神社-事解男命水神社:水波女命(みずはのめ)=罔象女神、又は瀬織津姫とも。所在地:香川県東かがわ市水主水主神社は四国でも、最も行きたかった神社の一つで優先順は最上位で
「長髄彦」考が、最近またアツいですね。先日に奈良に行った際に、通り道であったため少しだけ寄ったのが、長髄彦本拠地跡。碑は池のそばにあります。そこの地名、白庭というのは白洲、清めた白い石が敷かれた庭の宮があったということであります。本当の宮は、現在の王龍寺のあたりにあったと推定しています。海瀧山王龍寺http://oryuji.com/登美(富)長髄彦(富大彦・鳥見彦)は、磯城王朝、孝安天皇の皇子で、しかも第一皇子であったと言われており、第二皇子が孝霊
これまでの調査研究における拙説の一覧・・隼別天皇→西ノ山古墳(八尾市楽音寺)・拙説雌鳥皇后→西ノ山古墳陪塚(東大阪市横小路)・拙説孝元天皇→奈良帝塚山古墳(奈良市学園中)・拙説磯城県主大目と孝霊天皇后・細姫→富雄丸山古墳(奈良市丸山)・拙説https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E9%9B%84%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3宇摩志麻遅命→築山古墳(大和高田市築山字城山)・拙説三炊屋媛→築山
第七代孝霊天皇陵名は👇陵所片丘馬坂(阪)陵かたおかのうまさかのみささぎ「欠史八代」の1人第2代綏靖天皇◎第3代安寧天皇◎第4代懿徳天皇◎第5代孝昭天皇◎第6代孝安天皇◎第7代孝霊天皇未←こちら第8代孝元天皇◎第9代開化天皇未『孝昭天皇陵』奈良にある「道の駅かつらぎ」へいってきました。『春を見つけに…』おはようございます前日の雨で出会えられなかったので、今日は奈良の「道の駅かつらぎ」へ行ってき…ameblo.jp『孝
孝霊天皇の皇子の墓も岡山へ行った時に出会っていました。👇以前、吉備津神社、吉備津彦神社とお参りした後に👇の近くを通ったので入ってみました。岡山県古代吉備文化センターこの建物の前に「中山茶臼山古墳」少し前の写真なのでもしかしたら整備されているのかな?「御陵」?と思って行ってみると孝霊天皇皇子大吉備津彦命墓
先の色々な考察から、更に前へ進めていくと、現在の皇室への繋がりの全体も見えてくるところとなります。前回から進めて・・宇摩志麻遅命と三炊屋媛の子か孫となる大綜杵命(おおへそきのみこと)の娘・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)が、孝元天皇の后となります。その子が、彦布都押之信命(彦太忍信命)になります。つまり、孝元天皇の次の天皇は、本来は、彦布都押之信命であったわけですが、播磨・吉備地方へと勢力を移していた孝霊天皇の子孫(吉備津彦命・稚武彦命など)の方が力が増しており、孝霊天
三炊屋媛(ミカシキヤヒメ・登美夜毘売・鳥見屋媛・長髄媛・櫛玉姫命)が、石切劔箭神社の上之社の摂社・登美霊社・婦道神社に祀られていることが、この動画にて知ることができました。長髄彦の妹・ニギハヤヒの妃『ミカシキヤ姫』遠隔参拝全国でも珍しい『三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)』を祀る神社を参拝します。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.beしかし、この三炊屋媛は、登美
箸墓古墳に行ってきました^^箸墓古墳は、卑弥呼の墓かもと言われていますが、卑弥呼のお墓とは特定されていません。宮内庁は孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこ)の墓として治定しているのだそうです。奈良県桜井市箸中の住宅街の細い道を抜けていくとこの丘について、これが箸墓古墳の前方後円墳の円の部分だそうです。この場所は無理だわ、アラカン女子のなっちゃん無しでは絶対いけなかったわ。(行けても、ただの丘だと通り過ぎてたわ^^;;)なっちゃんが車で連れて行っ
平成29年2月11日じげ風呂リブログ版(2017年)艮箱田山高山千義岩倉山岩山井森神社さて鬼が傷を癒したという鬼ケ嶽温泉や揺照山温泉を後にして西の方を見やれば吉備津彦命の足跡はなぜか山陽自動車道の北方には深入りはせず、点々と西へと続いております。スタートは浅口市鴨方町小坂西の艮神社。由緒には「創建は養老2年(718)3月20日。むかし吉備津彦命が備中一円をご平定のみぎり、この引野の地に留まり、周辺一帯の賊を平定せられた。平定後、従者33名を鎮護のためこの地に留め
(旧)水無月二十九日ここに来れば孝霊神社に寄ってゆく蝉が今だとシャカシャカと鳴く雲端近鉄田原本線黒田駅とこの日の目的地の中間点に欠史八代の一人第7代孝霊天皇を祀る孝霊神社がある。扁額は別名の廬戸(いおと)神社拝殿に参拝する。ここも1年ぶりの訪問だ。実在が疑われる天皇ではあるが桃太郎のモデルとされる吉備津彦や卑弥呼の墓とされる桜井市の箸墓古墳の主倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の父である。
令和3年12月7日じげ風呂リブログ版(2021年12月7日溝口町史の謎解きこつこつとじげ風呂の終活をすすめて2015年(平成27年)が終わりました。記念に残しておきたかったのはまた赤い花など。春のモミジ春はマイガーデンの赤いモミジ。散歩道の赤い薔薇初夏ともなれば田園散歩道を飾る赤いバラ。そしてこの年辺りから、伯耆の国に点々と存在する人皇七代孝霊天皇を祀る謎解きの旅を始めた頃ですね。今樂樂福神社にお祀りされてい
令和3年11月27日じげ風呂リブログ版(2021年11月27日伯耆国六社鬼巡りの旅「伯耆国鬼伝承神社巡り」と銘打って伯耆国六社巡りが始まったようです。<11月18日日本海新聞>しばらく狭いじげ校区に専念しておりましたら、怪しげな企画が進んでおりました(笑)鬼ならもっと面白いネタも転がっているようですし、孝霊天皇繋がりならもっと多くの神社があるはずですね。天萬神社が含まれているのは上安曇の樂樂福神社を合祀したからでしょうか?菅福神社は孝霊天皇御旧跡の御社なりと社伝
-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.beしかし、これで富雄丸山古墳の被葬者をかなり絞ることができるようになった。蛇行剣、盾形銅鏡は、孝霊天皇の父、孝安天皇が、後漢の安帝からもらったもので、磯城王権の証の一つと言えるものであったのだろう。第一次物部東征により、磯城を離れた孝霊天皇が、后の細姫命の実家に、后と皇子(孝元天皇)と共に、蛇行剣や銅鏡を預け
6月30日の一読は「天之御影命」です。天津日子根命の子とされていて、岩戸隠れや国譲りのあとに神具を作った鍛冶の神様です。「天之御影命は孝霊天皇の御代に滋賀県の三上山の頂に降臨し、以来、周辺地域の氏神となった。安国造の一族によって祀られ、土着の田や水の神として信仰されている。」(195ページ)どのような経緯で三上山に降りたのかが気になるところですが、天津日子根命と同様に氏神になった理由も気になりました。https://ameblo.jp/mik-araki/entry-12896423714
こんにちは兵庫県丹波篠山の佐々婆神社に参拝しました。佐佐婆神社GoogleSearchg.co大銀杏樹齢千年鳥居の扁額は佐々婆神社丹波大神宮お祭りでは流鏑馬が行われます。かわいい流鏑馬の顔出しパネル一人の時は写真撮れないのが残念今回はせっかく二人だったのに運転手は神社に興味なく境外に。本殿の後ろの山木の伐採が行われて明るくなっていました。昨年の様子境内の木も大きな木が伐採古くなって危険だったのかもしれませんね台風被害などで木々
6月19日の一読は「大吉備津日子命」でした。「第7代孝霊天皇の子で、夜麻登登母母會毘売命の弟であるとされる」(184ページ)本書では『日本書紀』の内容をもとに解説されていたので、現時点ではあまり深掘りしません。桃太郎の話とどのようにつながるかをきちんと把握できるようにしたいです。
6月18日の一読は「夜麻登登母母曾毘売命(やまととももそびめのみこと)」でした。「第7代孝霊天皇の娘で、兄弟に大吉備津日子命や孝元天皇がいる」(183ページ)本書では『日本書紀』の内容が中心に書かれていて、古事記でどのように書いているかは軽く調べても、うまく見つけられませんでした。別の機会で深掘りをするつもりですが、一説では邪馬台国の卑弥呼の正体というものもあるらしいので、どこかでしっかりとおさえたいです。
「3歴代ノ天皇(その7)」今日は、新古今和歌集みなさん、おはようございます彼岸いいただいたご先祖様からのメッセ―ジをもう一度確認しましょうそして実践してあげてくださいさとうみつろうさんとともに春分点を越えたのです去る前に三月!自分を生きましょう笑顔で楽しく國史を学び家族教育力の向上ご自身の向上にお役に立てれば幸いですコメントお待ちしています!3月26日は新古今和歌集が完成しました後鳥羽上皇が藤原定家等を選者とします名詞止め等で平安末
第七代孝霊天皇は欠史八代と言われている時代の天皇です。しかしその欠史八代の最後の第九代開化天皇の名前である大毘古命(おおびこのみこと)/大彦命(おおひこのみこと)を表している「意富比垝(おおひこ)」と書かれた埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘があることから、開化天皇の実在が確認され、その父である孝元天皇も実在したと考えられるようになっています。孝霊天皇はその孝元天皇の御父です。そして相次ぐ遺跡の発掘調査により、随分色々な事が推測されてるようになってきています。そう考えると欠史八代をいうのであれば、こ
笑顔創造って、エーちゃうん!のエーちゃんです。1日は朔詣りに行きます。今日も朝のうちにアパート近くの神社様にお参りしてきました。午後になって買い物に出かけました。あ、業スーも行こうとこっちから行くかと右折。岩根集落内の旧道を走ってました。右手の林がとても氣になりました。神社前を通り過ぎてお詣りしなくちゃと引き返しました。高倉神社様です。高倉神社·湖南市,滋賀県Googleマップで地図を検索。乗換案内、路線図、ドライブルート、ストリートビューも。見やすい
1月13日(月・祝)一之宮巡りにGo~広島県を目指します。10:00吉備SAで休憩11:30目的地の広島県福山市素戔嗚神社参拝次の目的地に移動10分程で着旧社格は「国幣小社」備後國一之宮【吉備津神社】鳥居の奥に駐車場が有りました私は、ここは車は通れ無いと思い参道の下に有る駐車場に!平安時代、806年(大同元年)備中吉備津神社より御分霊を賜り、備後国品治郡宮内の地に(現在の福山市新市町宮
5孝昭天皇|ーーーーーーー||6孝安天皇天足彦国押人命||ーーーーーーーーーーーーーーー|||7孝霊天皇〔和珥氏〕押媛(孝安天皇后)孝安天皇第6代天皇在位期間孝安天皇元年1月7日-孝安天皇102年1月9日時代伝承の時代先代孝昭天皇次代孝霊天皇誕生孝昭天皇49年崩御孝安天皇102年1月9日137歳陵所玉手丘上陵漢風諡号孝安天皇
吉備津神社に参拝しました。所在地:〒701-1341岡山県岡山市北区吉備津931昔の岡山県の概略は備前・備中・備後と備前ビゼンが岡山市備後ビンゴが福山市備中ビッチュウがそれ以外というのがおおよその区分です。今回訪問したのが備中の一の宮:吉備津神社ですが似たような神社で、備前の一の宮:吉備津彦神社備後の一の宮:備後の吉備津彦神社もあります。御祭神は大吉備津彦大神で異母弟の若日子建吉備津彦命も祀られているそうです。鬼がグロテスクですね。このソ
(旧)水無月十九日幻のスメラミコトと桃太郎を並べて祀る孝霊神社雲端註:スメラミコト=天皇昨日紹介したため池の隣に孝霊神社が鎮座する。祭神は欠史8代の一人第七代孝霊天皇とその娘である倭迹迹日百襲姫、そして息子の吉備津彦。この吉備津彦こそが桃太郎のモデルと言われているのだ。扁額は別名である廬戸(いおと)神社
前回はこちら春日神社の後、大輪田駅に戻り、近鉄田原本線で、池部駅、佐味田川駅、箸尾駅、黒田駅の各駅の訪問をし、歩いて法楽寺に行きました。法楽寺の入口です。孝霊天皇黒田廬戸宮址の石碑です。法楽寺の説明板です。桃太郎伝説発祥の地の碑です。本堂です。第一番黒田法楽寺の碑です。拝殿をバックに、僕の浴衣姿の自撮りをしました。スマホでも、僕の浴衣姿の自撮りをしました。続きはこちら
岡山旅の神社れぽ①吉備津神社桃太郎伝説のルーツ御祭神は大吉備津彦大神☞桃太郎のモデル吉備津彦は孝霊天皇の皇子温羅(うら/百済の王子とも)☞鬼のモデルJR桃太郎線(吉備線)の吉備津駅からてくてく歩く途中の松の木がまたイイ!高低差あり、かなり広いよ〜桃太郎モデルの吉備津彦が矢を置いた石ゆるかわ〜ミニサイズGETして玄関に飾ったこまいぬは盗難火難、野獣を防ぎ、子どもの夜中にもいいそう。とりはゴハンのときお膳の上に置くとのどが詰まらない(つまり誤飲避け!)廻廊、絵になる〜本殿、いい
「10第7代孝霊天皇」日本は恥の文化ですみなさん、おはようございます父の日ですお父さんに感謝です会えなくても気持ちだけは伝えましょうきっと伝わりますアリガトウ『開運ノ國史』「10第7代孝霊天皇」です「第7代孝霊天皇」御名、大日本根子彦太瓊命おおやまとねこひこふとにのみこと太瓊=祭祀という意味です考安天皇の崩御(123歳)の後第二皇子が即位あそばされました吉備乱戦の時代です米の取り合いです皇兄は、大吉備諸進命おおきびもろすすみ
宮黒田廬戸宮(くろだのいほとのみや)(奈良県磯城郡田原本町)皇后細媛命(くわしひめのみこと・磯城県主(しきのあがたぬし)の娘。磯城県主は神武天皇東征の折に従った豪族)父孝安天皇母押媛和風諡号大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)漢風諡号孝霊天皇(こうれいてんのう)陵片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)孝霊天皇と細媛命との間には次の孝元天皇がお産まれになります。孝霊天皇と妃の倭国香媛(やまとのくにかひめ・安寧天皇の皇子