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鳳林大君(ポンニムテグン)の史実:父・仁祖の恨みを受け継いだ王子とは?鳳林大君(ポンニムテグン)の史実:父・仁祖の恨みを受け継いだ王子とは?鳳林大君(ポンニムテグン)李淏は仁祖の次男。清との戦争。国と父が味わった屈辱。兄弟の絆。鳳林大君が清への恨みを持ち朝鮮国王孝宗になるまでを解説します。korea.sseikatsu.net孝宗孝宗(朝鮮王)-Wikipediasearch.app孝宗孝宗|たいしょーの朝鮮王朝史search.app馬医の大妃:仁宣王后(イン
つい先程、2023年(令和5年)が幕を開けたと思っていたら、もう2月。これからもネタ切れなんてきにしないで、どんどん書いて行きます。でも、鳳林大君(ボンリム/ポンニムテグン)という呼び名の方が、通りがいいんだけどなあ〜っこちらでは王子時代はポンリムの方を採用しております。何か光海君(クァンヘグン)、仁祖(インジョ)と続いて、粛宗(スクチョン)との間に孝宗(ヒョジョン)、顕宗(ヒョンジョン)がいるんだけど、歴史的に見
淑徽公主淑徽公主-Wikipediaja.m.wikipedia.org淑徽公主숙휘공주-위키백과,우리모두의백과사전ko.m.wikipedia.org馬医の淑徽公主(スッキコンジュ)は21歳で未亡人に馬医の淑徽公主(スッキコンジュ)は21歳で未亡人に馬医に登場する淑徽公主(スッキコンジュ)。主人公・ペク・クァンヒョンに恋心をいだく王女。兄・顕宗に大変可愛がられ、おつきの尚宮や武官を困らせる姿が印象的です。実際の公主はどんなひとだったのでしょうか。史実の淑徽公
■生涯■家族仁烈王后韓氏仁烈王后-Wikipediaja.m.wikipedia.org■本貫清州韓氏清州韓氏-Wikipediaja.m.wikipedia.org清州韓氏ウリ民族の姓氏korea-np.co.jp清氏韓氏のルーツを訪ねて【本部】清州韓氏のルーツを探して韓国を訪問|平和統一聯合6月24~28日、平和統一聯合中央本部の金源植事務総長が韓国を訪問し、鮮文大学韓国語教育院、韓氏の始祖廟、覺願寺などプリチャッキ関連の場所を訪ねられた
※淑徽公主(スッキコンジュ)のWikipediaは日本語版がなく父である孝宗(ヒョジョン)のページから朝鮮語版へ入り引用させて頂きました。淑徽公主12歳で嫁ぎ21歳で寡婦になった淑徽公主(1642-1696年)概略1642年2月27日生まれ。朝鮮王朝第17代国王・孝宗と仁宣王后張氏の四女で、第18代国王・顕宗の妹、第19代国王・粛宗の叔母にあたる。仁祖が清国に屈服した際に息子たちが人質として求められたが、それが昭顕世子とその弟の鳳林大君(後の孝宗shiryou.arasuji.inf
ドラマ『馬医』よりキム・ヘソン。ドラマ『馬医』より。ドラマ『馬医』よりハン・サンジン。仁宣王后馬医の大妃:仁宣王后(インソンワンフ)/孝肅王大妃の史実仁宣王后(孝肅王大妃)の生涯を紹介。朝鮮王朝の混乱期に生まれ、王后として夫を支え、宮中改革を行い、厳しいながらも秩序ある宮中を築きました。仁宣王后の人生と功績について詳しく解説しています。korea.sseikatsu.net
ここに書いているオランダ人とはヘンドリック・ハメルではないか!?※ヘンドリック・ハメルやヤン・ヤンセ・ウェルテフレーに関しても拙宅ブログ過去記事にて取り上げております。尚、『朝鮮幽閉記』の項は一部抜粋しています。な~んと『馬医』に出て来たあの王女様も孝宗のお嬢ちゃんでした!※この男の嫁が孝宗の養女。もしかして養女とは名ばかりの『貢女(コンニョ)』だったのか!?●陵墓=寧陵(ヨンヌン)。※孝宗のお墓を含む朝鮮王陵40基(韓国国内に所在するもの。北朝鮮に所在するものを除く)
4月2日ニュ-スが入りました。焼失したと伝えられた、朝鮮17代王孝宗時代の記録書が発見、韓国へ返還されたとのニュ-スが、入りました。たまたま、偶然にも王朝実録のことを紹介している、さなかのことでしたので、ビックリでした。日本統治下時代、1913年、日本に持ち出された後、1923年、関東大震災で、焼失したとされる王朝実録でした。(全788冊の内74冊が残ったとされています)その中の1冊です。前回のブログで、次に紹介するのは、王朝実録の災難、としましたが、幾度となく
放送中のMBCドラマ「華政」は。。。残すところ今夜の49話・明晩の最終50話となりました。今夜のプレ最終話(最終前話)を前に先週の≪48話≫を少しだけ〝あらすじ”書いてみようと思います。ネタバレします。ご注意くださいねMBC放送中ドラマ≪華政≫48話(全50話)いろいろな事が起こりました。昭顕世子の不遇の死