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本棚を整理していたら。。久しぶりに手に取った「味覚極楽(みかくごくらく)」。著者は子母澤寛。子母澤寛といえば、「新選組」についての著作で知られる小説家。しかしかつては新聞記者であり、「味覚極楽」は東京日日新聞社に勤めた時代に本名である梅谷松太郎の名義で各界の著名人から「食」に対する思いや逸話などを聞き取り、同紙に連載した記事です。その連載は昭和2年(1927年)。連載終了後、単行本化されたが絶版。戦後昭和30年(1955年)から3年間、雑誌「あまカラ」に再連載されてい
1月30日火曜日〜その25時に眠る。8時25分、目が開く。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトで喉を潤す。LOTTE冬季限定Rummyを食べながら、池波正太郎著『食べ物日記鬼平のころ』を読む。P186のエッセイに、明治座での尾上松緑奮闘公演に、子母澤寛原作「おとこ鷹」を脚色・演出したことを回顧しておられる。(写真)地下資料室の子母澤寛棚には講談社全集の『おとこ鷹』が有ります。
月形樺戸博物館から山道を40分ほど走って石狩市厚田にある道の駅「あいろーど厚田」へ。5年前にできたばかりの見どころがいっぱいの道の駅だ。道の駅の入口近くに売店がある。石狩市浜益(はまます)で昭和44年に創業したふじみやのどら焼きと石狩市厚田で創業100年以上を誇る宮崎商店の「はたはたもなか」を購入。どら焼きは自宅で食べた。大きくて素朴で甘さ控えめ。白あん入りのはたはたもなかは一口サイズなのでここで食べた。つぶあん入りの「しゃこもなか」というのもあった。2階にはピ
勝新太郎が主演した『座頭市』初のテレビドラマ化作品で、フジテレビ開局15周年記念番組として、1974年10月3日~1975年4月17日に毎週木曜夜8時から全26作品が放送された。映画はけっこう見たけれど、このテレビ版には記憶がないなぁ。どうしてだろう。youtubeチャンネル「4-MViews」では、「はじめての座頭市」としてこのうち1~10話を取り上げている。できれば全作品をアップしてほしいものである。原作は、子母澤寛が1948年に雑誌「小説と読物」へ連載した掌編連作『ふ
京都島原をちょっと散歩。まず、「島原大門」からずっと奥に行くと、揚屋の「角屋」が、かつての佇まいのままか?「角屋もてなしの文化美術館」としてありました。公開時期でなくて、内部の見学はできませんでした。(刀傷、見てみたいな。誰がつけたのかな?)この石標の他に、「久坂玄瑞の密議の角屋」の石標もありました。戻り道、置屋の「輪違屋」(今も置屋·お茶屋として営業)写真右端に〔観覧謝絶の木札〕ここも入れませんでした。(此処に「糸里」が居たのか)浅田次郎の「輪違屋糸里」を思い出しま
薩長の気風は大違いともに手をたずさえて明治維新をなしとげた薩摩と長州ですが、その気風はかなりちがっていたようです。大正13年の史談会で、旗野如水(はたのじょすい)という人が語っている話が面白いのでご紹介します。旗野は旧越後新発田藩の出身、新発田藩は戊辰戦争で官軍に対抗した奥羽列藩同盟の一員ですが、途中から官軍に合流し、先鋒となって軍を進めて庄内、米沢、会津などの軍と戦っています。旗野の出身は大庄屋の養子で、勤王派の養父に代り15歳で上京して大村益次郎の部下となり、のち陸
11月11日金曜日〜その8ポカリスエットを飲み、9時から12時まで二度寝。週刊朝日著『週刊図書館40年(昭和45年−59年)ベッドでも本!』を読む。P222、秋山駿氏による「声なき声の文学的象化」と題した、子母澤寛著「新選組始末記」中公文庫の書評を読む。(写真)中央公論社と講談社より刊行の全集を揃えております。
キネマ旬報主演男優賞1963年度勝新太郎「座頭市シリーズ」&「悪名シリーズ」シリーズに対して主演男優賞授与というのは、おかしな話だが、大ヒットを続けたシリーズ全体に対する評価ということなのだろう。「座頭市シリーズ」この「座頭市」というシリーズ作品は、勝新太郎の映画を代表する大ヒット作品群である。兇状持ちで盲目の侠客である座頭の市が、諸国を旅しながら驚異的な抜刀術で悪人と対峙する、アクション時代劇。1962年に勝新太郎主演で大映によって映画化されて以来、
自称(じしょう)グルメの、鰯の頭。思えば最近、美味(おい)しい食事をしていない。美味しいとは。料理もそうだが、雰囲気も大事。こんな夢をみた。昔一緒に仕事をした、5人(男4人、)が(女1)集(人)まった。銀座でのディナーは、久(ひさ)し振(ぶ)り。鰯の頭が選んだお店は、銀座2丁目の、シーフードレストラン『K』。この情報だけで、店名が解かる方は可成(かな)りのグルメツー。「銀座2丁目のK」と言ったら。「あぁ、銀座KAZANね」と、即答し
野生の、キタキツネ「北狐(きたきつね)」を。初めて見たのが、あの時だった。こんな夢をみた。石狩川に架(か)かる(石狩)橋(河口)を(橋)越えた辺(あた)りから、強い風で地吹雪(じふぶき)に見舞われた。鰯の頭が、札幌に赴任したのは。四十代半(なか)ば。新年に入って、十日が過ぎた頃。着任した日の夕方。通夜に参列することになった。場所は、札幌の中心から凡(およ)そ50キロ離れた厚田村(現石狩市厚田)。(区)雪道(ゆきみち)運転の経験が無い。若い社
『座頭市物語』映画トーキー96分白黒昭和三十七年(1962年)四月十八日封切製作国日本製作言語日本語製作会社大映京都企画久保寺生郎原作子母澤寛脚本犬塚稔録音大谷巌音楽伊福部昭編集菅沼完二装置梶谷和男撮影牧浦地志擬斗宮内昌平助監督国原敏明照明加藤博也邦楽中本敏生スチール松浦康雄製作主任田辺満出演勝新太郎(座頭市)万里昌代(おたね)島田竜三(笹川繁造)三田村元(松岸の半次)南道郎(蓼吉)
私立探偵・俣(また)阿野(あの)志(し)隈(わい)は。相棒の白木唯(ゆい)と同じ記事を、読んだ。全国紙二紙の見出しは、「北海道にUFOか」「石狩湾に異星人」何やら、海岸で正体不明の生物を捕獲(ほかく)。地元でUFO(未確認飛行物体)騒ぎ。唯が、突然。「正体不明は、自分が知ってる地底(ちてい)人(じん)だ」と、言い出した。だが、俣阿野は。記事の中の、別のワードに。目が向いた。それは、『ルーラン▼』▼ルーラン北海道石狩湾の面する断崖絶壁
「旧幕もの」というジャンル昨日の続きです。続きというのは、川本三郎氏の『「それでもなお」の文学』で取り上げられた文学作品の紹介ということなのですが…。本日は、“「旧幕もの」の魅力”という項をご紹介します。で、これ取り上げられている本は、当然一冊ではないのです。そして、読み進むうちに、この旧幕もの、なにやら、なかなか深いということがわかってきます。(恨みというのは恐ろしいともいえます)興味ある方は是非とも本をお買い求めくださいませ。で、この旧幕ものを扱った本
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。春本番の季節がやって来ました。地域にもよるのでしょうが、私の住む地域では早くも満開の桜が散り始めました。今年の冬は雪の降る日が多く、いつまでも寒い日が続くなと感じていましたから春の到来は例年以上に嬉しく感じています。さて今回は久しぶりにいつもの投稿ではなく、「コーヒーブレイク」の回とさせていただきます。毎年3
『座頭市THELAST』2010座頭市THELAST:作品情報-映画.com座頭市THELASTの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。勝新太郎、ビートたけしが演じてきた盲目の居合いの達人・座頭市にSMAPの香取慎吾が扮し、市の最期を描く「最後の座頭...eiga.com3/20タイトルで誤解してしまいました。原作の著作権の関係でこの物語が作られるのがこれが最後という意味でTHELASTがつきました。今まで観て来た座頭市の完結編という意味ではなかっ
明治25年(1892年)2月1日は北海道厚田村出身の時代小説家、子母澤寛が生まれた日です本名は梅谷松太郎。小学校を厚田で学び、中学校は函館、小樽、札幌と転じています。札幌の北海中学、明治大学法学部を卒業後、記者生活を始めました。釧路新聞社、読売新聞社、東京日日新聞社などを経た後、執筆活動に入ります。昭和12年(1937年)「新撰組始末記」を処女出版し、「国定忠治」により文壇的地歩を確立しました。また戦後にかけて幕末、江戸の郷愁をこめた「勝海舟」「父子鷹」も注目されました。「勝海
一昨昨日(「流行児近藤勇」第12回目)の続きです「流山の時に勇の周囲に力となるやうな人物はもう土方位のもので」とし、沖田は「肺病が重くなつてこの程二十七歳死」んだと書かれています。いや、待って。流山での出頭の時は、まだ亡くなっていないです確かにこの頃は療養中でしたが、亡くなったのは勇さんの方が二ヶ月程早かったですものね。そして山南さんの死についても触れているのですが…その死因は、「不行跡」(ルビがふってあるのですが、読めない)でありカッコ書きで「隊士なにがしの妻
令和四年(2022年)一月二日から二月四日にシネ・ヌーヴォにおいて『生誕百年三隅研次』が開催されます。一月十四日・十五日・十六日・十七日・十八日に『座頭市地獄旅』が上映されます。嬉しいです。待ちに待った上映企画です。『座頭市地獄旅』映画トーキー87分カラー昭和四十年(1965年)十二月二十四公開製作大映京都原作子母澤寛脚本伊藤大輔主演勝新太郎(座頭市)助演成田三樹夫(十文字糺)監督三隅研次画像は時代劇専門チャンネル様から引用しまし
「流行児近藤勇」の続き、大正14年5月11日(月)掲載、第12回目の記事からです。タイトルは「宗貞の刀を左手に斬り捲る勇鞘に菊の御紋章があつた二尺八寸の業物」宗貞については以前調べたことがあったのですが「同方会誌」の中の書かれていたということを、記事にしたことがあります。『読書記録2016番外編1近藤勇の逸事・畧傅』10月ですね。今年もあと3か月。早いですさらに今月は予定が多々埋まってる楽しくもあり、喜びもあり、でもちと忙しいっブログ更新記録が、途切れ
かなりまた間が空いてしまいましたが再び大正14年の「讀賣新聞」に連載されていた「流行児近藤勇」の続きです。※前回はこちら『18.鬼の女房』「流行児近藤勇(十)」で使われている写真は、これキャプションには、勇さんの妻のつねさんが「勇の死後娘たま養子勇五郎を相手に明治二十六年五十五歳で死ぬ迄淋…ameblo.jp今回は5月9日(土)、第11回目の記事からです。見出しは「女郎屋買切の宿に豪遊の鎮撫隊甲州へ捕らぬ狸の皮算用若年寄格の大出世」なんか…、
「流行児近藤勇(十)」で使われている写真は、これキャプションには、勇さんの妻のつねさんが「勇の死後娘たま養子勇五郎を相手に明治二十六年五十五歳で死ぬ迄淋しく住んでいた上石原の家」と書かれています。ひとり娘のたまちゃんは、若くして亡くなっているので、婿養子の勇五郎さんのところへ、身を寄せていたということでしょう。そして例の、勇さんがつねさんを娶った理由というエピソードが書かれています。もともとのこの回の、大きなタイトルにもあった、『醜婦は…』のくだりですね。『16.
一昨日の続きです。「流行児近藤勇(十)」で、伏見の戦い前に近藤は肩に負傷したと書かれています。一般にいう「墨染事件」ですが、近藤を襲撃した人物は「篠原泰之進・鈴木三樹・冨山彌兵衛・服部鷲雄」鈴木三樹にはカッコ書きで、「本名は三樹三郎というのだが略して常に三樹と呼んでいた(意訳)」旨がありますが、ん?あれ?服部鷲雄??服部武雄と加納鷲雄が混じってしまったのでしょうかねもちろんここは加納のことですよね。服部は油小路事件で亡くなっているし。そういえば衛士たちが新選組から分離した時
本日は永倉新八書くところの近藤勇の誕生日(新暦)です。勇さん、187歳のお誕生日、おめでとうございますさて本題は、大正14年の「讀賣新聞」に連載されていた「流行児近藤勇」の続き。今回は5月8日、第10回目の記事からです。「飛び道具で右の方を狙撃さる『醜婦は貞操なり』女房を選んだ男」自分の記事のタイトルに、思わず「???」と付けてしまいましたが古高俊太郎や平野国臣らが、俗にいう「六角獄舎の悲劇」で処刑されたのは慶応4年正月4日伏見の戦いでの夜、となっていたから
一昨日の続きです。「流行児近藤勇(九)」の記事の後半。近藤が持っていた刀の話になるのですが、もちろん佩刀は「虎徹」。ただ「例の僞物虎徹」とありますね。そして脇差は「二尺三寸五分もある長いやつ」。これは文久3年10月20日の、近藤自身の手紙からの引用でしょうか。と思ったら、書簡には「下拙義も当時脇差二尺三寸壱分御座候」って書かれてるちょびっと長めに書いちゃった?(笑)でも土方の刀については、この書簡からひっぱってきてますね。「土方は小兵だがそれでも二尺八寸和泉守兼定に一尺
皆さま、覚えていらっしゃいますか?大正14年の「讀賣新聞」に連載されていた「流行児近藤勇」。子母沢寛さんが、記者時代に書いていたものですね。その内容を簡単にお伝えする記事を綴っていたのですが前回からだいぶ間が空いてしまいましたちなみに初回は『1.実に彼の天下』最近、今月のよみカルの講座資料作成の為、古い記述などを読み直しているのですがついつい読みふけってしまって、作業がなかなか進まないその中で、ちょっと面白かった…ameblo.jp前回は『13.千葉
鰯の頭のmyPickAmazon(アマゾン)大正製薬プレリアップスカルプシャンプー400mL三年以上、使い続けています。使用感が最高です。張や腰のない薄毛の男性に、ピッタリです。Amazon(アマゾン)【機能性表示食品】おなかの脂肪が気になる方のタブレット〔葛の花由来イソフラボン〕90粒大正製薬3,780円飲み始めて半年です。二か月目から効果を実感。明らかにウエストが絞れてきました。驚き。今日は、昼からカラオケ。今から出発。サークル名「水(すい
昨夜の地震、かなり大きな揺れでちょっと怖かったですそしてスマホの警報にビックリ幸いに我が家では特に落ちたり壊れたりするものもありませんでしたが関東圏内の皆さま、大丈夫でしたでしょうか。さて、本題は一昨日の「流行児近藤勇(八)」の続きです。なんだかんだで、カッシー暗殺を実行しようとした新選組ですがその前に、分離した時に連れて行った人たちのこと。「藤堂平助をはじめ千葉監物に服部秀雄など十一名を引きつれ…」服部秀雄は、服部武雄のことですね。誤記かな。千葉監物は毛内
一昨日のテストオンラインのテーマ募集に、たくさんのご意見を頂きました。ありがとうございます開催日時が決まりましたら、またお知らせいたしますねさて、「流行児近藤勇」の連載に戻ります。第八回目は大正14年5月6日。タイトルは「『斬って了ぇ』と勇の一言から伊東を誘き出して血祭り藤堂其他も惨殺される」油小路事件のことが書かれます。伊東が「長州」から帰ってきてから、様子がおかしくなったとか。あれ?カッシーいつ長州に行った?ま、これは広島の間違いだと思います。近藤
一昨日の続きです。「流行児近藤勇」の第七回目に登場するカッシー。その人物と入隊のいきさつがこう書かれています。伊東は常陸志築の産だが深川加賀町に堂々たる町道場を構へ一刀流當時一流の剣客で江戸中の道場の主でこの人の手に立つ者は少なかった。(中略)蛤御門の変の役に土方歳三に勧められて實弟の『鈴木三樹』外十五名の門下友人劒手を引連れて入隊した。勇は非常に喜んだものだ。へぇ~、ここでは土方に勧められて新選組に参加したことになってる弟の三木三郎(鈴木三樹三郎)が、「鈴木三樹」と書か
「流行児近藤勇」の連載に戻りますね。第七回目は大正14年5月5日。タイトルは「一刀流の伊東と勇の「一本雷」かけ合い事は得てでない大阪で一ぱい食う」池田屋事件後に、幕臣への打診を断ったこと。そして禁門の変の時に、真木和泉らを自刃に追いやったのが、新選組の手柄として書かれていました。その後、長州訊問使に随行しての広島行き。ここに伊東を伴ったことが書かれています。入隊のいきさつ等について書かれていることは次回にしますが伊東の「一刀流」に対して、勇は「一本雷」といわれていた